ダイアリー’91 カレンダー’92   武田充啓


91,7,7 日曜日、七夕。
 アフシェが切れてしまっているのでヒゲを剃るのがオックウである。新聞に目を通す。化粧品メーカーの動物実験に関する記事が載っている。「例えば、ウサギを使う ドレーズテスト 。ウサギは涙腺が発達していないため、異物を目に入れられても、涙で洗い流すことができません。この特性を利用、化粧品などの原料や製品を毎日注入し、 ウサギの眼粘膜がただれ腐っていく過程をデータにとる実験 をしています。」こわい。欧米ではさすがに化粧品メーカーが実験を中止したらしいが、日本では今も 「年間30万匹」のウサギが犠牲 になっているらしい。ヒゲ剃りの後、妻が「私のローション使ったら」と言ってくれたが遠慮することにした。以後化粧品は一切使わないことにする。

91,11,14 先週に続けて科内会議。
 帰りが遅くなる。続けて家内会議は御免である。さっそく夕刊を開く。「英の動物実験反対グループ、 スポーツ飲料に毒盛り計画 」の見出しで記事が出ている。未遂に終わったらしいが、英国第二の医薬品会社S社が製品の安全を確かめるために動物実験をしていることに抗議しての犯行計画だそうな。過激である。いずれにせよコワイのは人間に違いない。市販の清涼飲料水は飲まないことにする。

91,11,16 土曜日くらいはゆっくりしたい。
 新聞でも読むか、と開いた夕刊に「 シカ無残 」「 リス悲鳴 」の二つの記事が飛び込んできた。和歌山でシカが植林の防護ネットに突っ込んで死んだという話と神戸市の王子動物園で客との触れ合いを求めて放し飼いにしたリスなどの小動物が人混みの中で踏みつけられて死ぬ事故が相次いでいるという話。明日の動物園行きは中止することにした。

91,11,18 新聞が4カ月前の記事のフォローをしている。
 見出しは「動物使わぬ研究活発に」というもの。例のウサギのドレイズ試験は角膜の培養細胞を使う代替法が開発され、二年ほど前から市販のキットも出ているらしい。しかし結局のところ「厚生省に薬品などの承認申請を出すには動物実験」が必要となる。日本実験動物学会の調査によると 実験動物の「使用状況」は89年度で約760万匹 。それでも調査を始めた86年度より約50万匹減っているんだそうな。

91,12,24 今夜はイヴらしい。
 それがどうした、と新聞を見ると「 モモコ寂しいXマス 」。大阪市の天王寺動物園でオランウータンのサブと宮崎から二カ月前にやってきたモモコの縁談が見合い段階で難航。人工保育で育ったサブが「自分を人間だと思い込み、オランウータンとしての認識が足りない」ためだそうで、モモコちゃんの「野獣」姿を見ておびえたり、感情表現がわからずに攻撃に出たり、『新・類人猿』サブくんは「最近の若者によく似ている一面」があるらしい。奈良そごうで買ってきたトリの丸焼き1300円(七面鳥ではない)を頬張ることにする。

92,正月
 梅田の本屋で『 イヌ 』という本(岩波同時代ライブラリ)を見つける。挿絵にある4匹のオオカミについて「オオカミの毛色は家族によっても種によってもこのようにばらばらであるが、すべてに共通しているのは、見ていて楽しい表情の豊かさである」のコメントが気に入ったので買おうと思って値段を見たら950 円とあったので立ち読みしてしまうことにする。

92,4,20  セビリア万博 始まる。
 今日から10月12日までの6カ月間、スペインはアンダルシアの州都セビリアで、1970年大阪万博以来22年ぶりの万国博覧会が開催される。花博のようなのは、1928年のパリ国際協定でいう「特別博」。本来の万博は「一般博」といって参加国が独自にパビリオンを建設するし、その開催間隔も制限されているんだそうだ。
 4千万人以上の入場者が予定されているセビリア万博 のテーマは「発見の時代」。1492年にセビリア南西の海岸から船出したコロンブスが アメリカ大陸を「発見」してから500年 になるのを記念してのことだ。4つのテーマパビリオンでは、15世紀の「発見の時代」の開始から大航海時代へ、地理上の「発見」から産業技術的な「発見」へ、通信テクノロジーや環境、エネルギー技術までが段階的に示されていく。
 実は100年ほど前にシカゴで同じ「発見」をテーマにして万博が開催されている。抜群の人気だったのが「 ミッドウェイプレザンス 」と呼ばれる細長い会場。そこで観光客はヨーロッパが「発見」した世界の異様なパノラマに見とれていた。
 なんとそこでは「白い街」を頂点としてヨーロッパ周辺の国々や民族、部族の「村」が「進歩」の段階別に序列的に配置されており、一番端っこにはアフリカの部族とアメリカ・インディアンの集落があって、ここに「真夜中の闇よりも黒く、暗い陸地のジャングルをうろつく猛獣たちと同じ段階にある」 人々が、「偉大な実物教材」として70名近く「展示」 されていたのである。

92,5,15 沖縄が「本土」に復帰して20年。
  返還の100年前 の1872年、琉球国の国王尚泰は明治天皇に使臣を送っている。「本土」で廃藩置県が完成されようとするその頃、国王は一藩主として華族に名を連ね、 琉球国は琉球藩として 日本国に呑み込まれたのである。

92,7,25 バルセロナ五輪 開幕。
 これまでのディズニー風のスタイルをポスト・モダン的演劇性で塗りかえることが課題だそうだ。わかりにくいが、とにかくマヌエル・デルガード・ルイスっていうバルセロナ大学の教授がそういっている。
 ところでバルセロナといえばスペインの都市であり、地図で見たってちゃんと同じ色で塗られている。ところが教授によると道路標識からレストランのメニューに至るまでカタルーニャ語がスペイン語に優越しつつあるらしい。バルセロナは人口600万を擁するカタルーニャの首都で、「 カタルーニャはスペインとは違う んだ」という主張を続けてきていて、ほとんど「国家」に等しいことをスペイン憲法も認めているくらいだ。
 言葉の問題はオリンピックの公用語としてカタルーニャ語が英語やスペイン語より優先されるということでやっと落ち着いたらしいけど、スペイン選手団がスペイン国旗を持って行進したりスペイン国歌が演奏されたりするとどうなるか。「 わしゃ知らんど 」と教授は警告する。
 事実、89年世界陸上の開催に際してスタジアム開場の日、席に臨んだスペイン国王フアン・カルロス一世でさえ、国歌演奏のおりには、野次・怒号を堪え忍ばねばならなかったのである、と教授はいうのである。


註 朝日新聞の記事、書評誌『よむ』(岩波書店、92,1月号)の記事を参考にした。


付記
本校発行1992年度の "Campus"誌の「読み物」コーナーに寄せた文章です。
この原稿を書いている「現在」は、92年の正月で、それ以降は「未来」の日付として書いています。
しかしその内容はフィクションではありません。


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