『ラカンの精神分析』,新宮一成,700,講談社現代新書,95-11
* 私は人間である、と私は思う。人間には男も女もいて私は異性にはなれず、おまけに異民族もいて私は私の血の中に封じ込められているのに、私はあたかもあらゆる人間の立場を経験できるかのように、私が人間であると規定している。このことは結局、私が、私と他の人々とを加えた、神のような目を、知らず知らずのうちに持っていることを意味する。そしてその支えとして、われわれは皆それぞれに、他人の中に、自分に他ならない対象 aを、やはり知らず知らずのうちに、見出しているということにもなる。黄金数が美しいとされるのも、おそらくはそのあたりに理由があるのである。
昔、
x+y=Love……B
という流行歌があった。Loveはギリシャ風に考えるとエロスという愛の神様、二人の心を知っている超越的視点である。
僕は彼女をどう見ているのだろう。僕の気持ちは愛情になるのだろうか、欲情なのだろうか、ああ僕には分からない、と悩んだときには、こう考えてみるとよい。神様が僕を見るように、僕が彼女を見てあげることができるとき、僕は彼女を愛しているのだ、と。そこで僕を x、彼女を yとし、右の式Bの愛の神様に超越的視点を担ってもらって、僕の気持ちを解く方程式を作ることができる。すなわち、
y/x=x/(x+y)
となる。
これはむろん先ほどの式@と同じだ。僕にとっての彼女は a、黄金数。そして、神様にとっての僕も a、黄金数。アガペーとエロスの幸いなる一致。(√5−1)/2 が「無理数」だというのはちょっと不安だけれど、何はともあれ「実数」だ。ピタゴラスの定理を使って数直線上に作図することだってできる。不合理なれど存在す。愛は、神様に愛されるように彼女を愛することなんだ、と納得できる。
対象 aが黄金数であるということの意味が大体明らかになってきたことと思う。対象 aは、私が私自身を超越的な視点から見るようになるとき、必要とされる支えである。この支えが私をめぐる人や物の中に現れて、私が私の知らぬうちに超越的な視点へと抜け出るのを助けてくれる。この支えがなかったら、私は自分を外から見ることができないのである。(p97-98)
* 我々が我々自身であって他の者ではなく、かつ他の者と関係を持つ必然性を掌握する者が居り、そういう者からの要求を、我々は受けている。しかし我々はその要求がどういうものであるのかを知らず、その要求を満たすことができないと思い煩わねばならぬ。言い換えれば、我々は、己れの存在を事実としては知っていても真理としては知らないということに、困惑しているのだ。あの者からの要求に従って、私が私の真理を表現することは、私の生涯の希望となる。私は、自己が何であるのかを知る者として知の主体になり、自己を対象 aとして産出できるように、自己を駆り立てることになるだろう。「主の語らい」は、こうして、自己を示す言葉を自ら発することのできない主体の、内面の欲望の図式として読むことができるのである。
私は、私自身を示す言葉を行使する者とはなれない、私自身は私の価値を、もしくは私がその一部であるところの言語世界を、創造できない。
このような私の創造の不能を、私はある種の生殖の不能として想像的に捉えることができる。ファルスを左右することは、私ではなく他者に属する業なのである。
自己言及の不完全性という論理上の無力を、肉体上の無力によって表現した言葉、それがすでによく知られた、「去勢」という分析用語である。去勢は、人間の自己認識の無力の印である。私が私自身に対して無力であるというこのことは、私にとって最も認めにくいことに属する。私は私の無力を誤認し、むしろ、それは他者によって禁止されているという説明を選ぶだろう。近親相姦が、父によって、去勢の脅しをもって禁止されるというよく知られた図式は、無力へのおびえを禁止への怒りに置き換える主体の想像作用を、精神分析理論が追認したものに他ならない。
ファルスを左右することは、私以外の、あの必然性を知る者の機能とされる。ラカンが非常にしばしば用いるΦ(フィー)という記号は、この者が行使する去勢という機能を示している。機能という言葉は関数という言葉と同じである(フランス語は fonction、英語は function)。だからラカンは、Φを一つの命題関数として書いている。この場合、機能としてのΦを行使する者は、自らはその機能に拘束されない位置に立っていると言えるから、その者は、命題関数Φの例外として書き表わされることになる。
別の所に例を求めるなら、日本国憲法の条文の総体をΦとすると、日本国民の一人一人はそれに左右されるが、日本国民の2/3という「多数者」はその例外に相当する。どのような法律も、その外部からその法律を左右する立法者を示す言葉を持つ。そうでなければ、その法律は永劫不変に続くか、剣によって破られるかの二つに一つの運命しか持たないからだ。多数者とは、我々自身の中に設定された外部である。それは我々の中に居るのか居らないのか、果たして現れるのか現れないのかがいつもあいまいな、狡猾な神のようなものである。(p289-291)
『野生のテクノロジー』,今福龍太,2900,岩波書店,95-10
* だがいうまでもなく、ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」(一九三六)のなかで詳細に論じているように、まもなく写真は(のちに映画がこれに連なるようにして)、現実の姿を見たままに、即時的かつ大量にイメージへと定着するテクノロジーとして進化することによって、われわれのリアリズムと現実感覚をほとんど支配する知覚モードとなっていった。ベンヤミンが「アウラ」と呼んだ、一回性と永続性との合体した礼拝価値にもとづく写真の呪術性が後退し、複製可能となった写真は一時性と反復可能性との合体によって世俗的な事物として完成した。それは現実の風景の一瞬間をまさに写像として定着して見せることのできる日常の技法となったのである。ここにおいて、過去というそれまで忘却と神秘化の帳のなかにあった時間を、写真イメージとして記録し、再現し、記憶することが可能となったのだった。
そもそも人間が、過ぎ去った時間としての過去を、「見る」という経験によって認識するようになったのはきわめて近代のことに過ぎない。文化史家のデイヴィッド・ローウェンタールによれば、過去は近代まで、身体的な「反復」と「想起」の行為として認識されていた。死者に対する記憶も、遺骸や遺品といった一時的な事物を介して想起されるのが普通であった。過去が「見る」という行為と直接的にむすびついたのは、一九世紀の後半になって、書物のなかの挿し絵が大衆化してからのことである。挿画を通じて、人々は過去を視覚的にとらえるという知覚のモードを獲得していった。そして二○世紀にはいっての写真の本格的な一般化が、この流れに拍車をかけた。ローウェンタールの大胆な言い方を借りれば、写真によって私たちは過去をもっぱら「視覚的経験」のなかに位置づけるようになり、公式的な「歴史」や個人が想起する「記憶」のなかに過去を認識する方途を急速に失っていったのである。(p261-262)
『「わかる」ということの意味[新版]』,佐伯胖,1500,岩波書店,95-9
なにはともあれ、次の問題を考えて下さい。まちがった答えを出しても決して恥ずかしくありません。何しろ、アメリカの大学生でも、約四割はまちがえるのですから。
大学教授問題正解はS=6Pですが、米国の文科系大学生(一年生)の正答率は四三パーセントでした。理工系の大学生(一年生)でも六三パーセントの正答率です。まちがいのほとんどはP=6Sという形のものでした。(p16)
この大学では、学生六人に対して教授が一人おります。学生の数をS、教授の数をPとし、SとPの関係式で表しなさい。
ソクラテス わかったよ、メノン、君がどんなことを言おうとしているのかが。君の持ち出したその議論が、どのようの論争家ごのみの議論であるかということに気づいているかね? いわく、「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」−−(プラトン著、藤沢令夫訳『メノン』岩波文庫、一九九四年、四五−四六ページ)(p184-185)
これに対する私の答えはもはや明らかでしょう。人は経験世界での実践を通して、実践として、すでに知っていることを、あらためて「わかる」のであり、「なっとくする」のです。そしてそれが、新しい経験世界を開いてくれるのです。(p188)
文化とは
人間は自分たちの生活を「よりよくしたい」とねがっています。そのために、
(一)「よい」とは本来どういうことなのかをさぐり(価値の発見)、
(二)「よい」とする価値を共有しようとし(価値の共有)、
(三)「よい」とされるものごとをつくり出し(価値の生産)、
(四)「よい」とされるものごとを多く残したり広めたりする技術を開発します(価値の普及)。
このような人間の営みによって生み出されるものごとを「文化」とよび、(一)(二)(三)(四)のような人間の活動を「文化的実践」とよびましょう。(p195-196)
『「学ぶ」ということの意味』,佐伯胖,1500,岩波書店,95-4
* ところで、学ぶということは、予想の次元ではなく、むしろ希望の次元に生きることではないだろうか。「こういうことが、いついつまでにできるようになる」ことを目的とするのでなく、いつどうなるか、何が起こるかの予想を超えて、ともかくよくなることへの信頼と希望の中で、一瞬一瞬を大切にして、今を生きるということのように思える。
子どもがよく学ぶとしたら、それは、希望の次元に生きているからであろう。また、大人が学べないとしたら、それは、大人の世界に、希望の次元が喪失しているからである。(p9-10)
* このように、自分にとっての学びがいをどこまでも探し求めていくという立場からいえば、「動機づけ」「やる気」や「学ぶ意欲」などをどうやって起こさせるかという話は、ぜんぶまとめて「ウソ!」と叫びたくなる。なぜなら、これらのことばはすべて、どういうことに意欲をもつか、あるいはもたないかということについて、本来は学び手本人が自分できめてよいことなのだという前提をまったく否定しているからである。(中略)
したがって、「やりたくないことはやらない」、つまり自分にとって学びがいがないと思われることをはっきり拒絶することが、本当の学びがいを見つけるための第一歩かもしれない。(p11-12)
* 教師がすばらしい授業をすれば、「子どもの動きがすごい」「表情が生きている」「子どもの追求力に圧倒される」「あの子どもの発言は驚嘆に値する」という形で、賞賛はすべて子どもたちに向けられるのだが、授業が失敗すると、「教師の発問(教師のなげかける問い)が未熟だ」「教材研究が甘い」「子どものもつ能力の半分も引き出していない」「教師の介入しすぎだ」「ああいう指導では子どもをだめにする」という形で、非難はすべて教師に向けられるのである。
要するに「教師が何もしないのに、子どもたちがどんどん追求し、学びを深めていく」ようにしなければならない。教師に要求されることは、「教えないで、教える」ことであり、「子どもが主体的・自主的に動くように、動かす」という、まさに手品のようなわざを身につけることになるのである。そこで、どうやれば、こういう「何もしない(けれども子どもが理想的に活動してくれる)」教師になれるのか、という、まさに禅問答の答えを求めるような「修業」にはげむことになる。(p18-19)
* ベテラン教師ともなると、現実の教室におけるきわめて多様な、複雑な関係構造を考慮に入れることができる。教師は教室の子どもたちの能力や性格を把握した上で、授業運営にうまく「生かす」のである。「A君には今当てちゃいけない」「そろそろB君の出番だな」というように、授業展開に応じて役者を交代させる。また、ちょっとだらけたときはさっと「作業」を指示する。とにかくノートと鉛筆から離れさせて、何かを作らせるとか、調べさせると、一応はウケるのである。それで収拾がつかなくなりはじめると、ケハイを察知して、「まとめ」を報告させ、板書する(当然、ノートに筆写させる)。このようにつぎつぎとやらせることを変えていけば、一見、子どもたちがよく動いている授業のように見える。そして指示がくるくると変わると、教師の顔色を読む生徒があらわれ、はやいうちから一部の「できる生徒」を味方に引き込める。そこでいわゆる「教室の言語ゲーム」が進行する。「授業」は一見スムーズに日々進行する。しかしそこにはもはや学びも教えもない。(p21-22)
『「世間」とは何か』,阿部謹也,650,講談社現代新書,95-7
斎藤毅氏の研究によると「社会」という言葉は明治十年(一八七七)に西周が society の訳語として作り、その後定着したものという。日本でのこの言葉の初見は文政九年(一八二六)の青地林宗訳の「輿地誌略」であるが、それは「修道院」 Kloofter の訳語としてであった。この「社会」という訳語に定着するまでには実に四十以上の訳語が考えられていた。その中にはいうまでもなく世間という言葉も入っていたのだが、それが訳語として定着することにはならなかった。何故なら久米邦武が述べているように society という言葉は個人の尊厳と不可分であり、その意味を込める必要があったためにこの訳語を採用することができなかったのである。彼らの苦労のおかげで私達は、社会という言葉を伝統的な日本の人間関係から離れた新しい人間関係の場として思い描くことができるようになったのである。
society という言葉は、それぞれの個人の尊厳が少なくとも原則として認められているところでしか本来の意味を持たない。わが国で individual という言葉の訳語として個人という言葉が定着したのは、斎藤氏によれば明治十七年(一八八四)頃であり、社会という訳語に七年遅れたいた。それ以前にはわが国には個人という言葉がなかっただけでなく、個人の尊厳という考え方もわずかな例外をのぞいて存在していなかったから、この訳語の成立は決定的な意味をもっていた。しかし現実にはいまだ西洋的な意味での個人が成立していないところに西欧の法・社会制度が受け入れられ、同時に資本主義体制がつくられ、こうして成立した新しい状態が社会と呼ばれたのである。その社会はそれまでの人間関係と区別され、それまで古代以来多くの人が用いてきた世間という言葉は、この頃から公文書からは姿を消していった。(p175-176)
『電子メディア論』,大澤真幸,2987,新曜社,95-6
* ヒステリー患者は、しばしば、か弱い女性性を演じてみせる。精神分析は、しばしば、彼女の女性的なキャラクターへの想像的な同化の背景に、典型的な強い男性−−父性の象徴となるような男性−−への象徴的な同化があることを明らかにする。つまり、ヒステリーの女性性へと過度に同調するのは、彼女が、男性的な超越性を準拠として採用しているからなのである。もちろん、彼女は、自身を、その男性にとっての欲望の対象へと成形しているのである(だから彼女は極度に女性的なのだ)。
逆に、やおい族が少年同性愛に憧れるのは、男性的な超越性が評価のための準拠として機能していないからである。女性にとっての想像的な対象の理想性を規定する視点が、再び女性的なものなのだ。したがって、ここでは、自分や他者の望ましさ(と欠点)を規定する評価の視線が、自分自身との間に、十分に批判的な差異を保っていないことになる。少女たちが少年同性愛にあこがれるのは、超越的な他者が、女性的(少女的)なものであって、内在的な他者から分離していないからだ。だから、当然、そこに描かれる同性愛は、現実の同性愛とは無縁である。むしろ、そこからは、性の現実は奪われてしまう。(p264)
* 『ノルウェイの森』の変化とは何か。これは、単純な、ロマンチックなラヴ・ストーリーである。ここには、村上作品の精髄であるあのシニシズムは、まったくない。これは、一切から身をひくあの「超越(論)的な自己」の場所を失った世界なのである。逆に言えば、これは、内在的な他者のみの世界である。登場する美しい女性たちが、さしたる理由もなしに主人公を次々と愛するのは、主人公との本源的な同一性(類似性)のゆえに、彼らの結びつきが初めから約束されているからである。つまり、ここに登場する女性たちは、主人公の理想(内在的な)を女性において実現する、主人公の鏡映像にすぎないのである。(p293)
『ウィトゲンシュタイン入門』,永井均,680,ちくま新書
『ヘーゲル・大人のなりかた』,西研,950,NHKブックス
* 彼が「傷を癒す精神の力」といっているのは、共同体の制度や法律を神聖化・絶対化することではない。むしろ、彼の語っているのはこういうことだ。<対立は、自分の側のルールの正当性に固執するかぎり解決できないが、新たな共同関係への意志が生まれ、そしてそれが相互に承認される--そして場合によっては新たなルールがつくられる--ことによって、それはそのつど乗り越えられる>
この考え方は、個人と個人の関係、個人と共同体の関係、共同体どうしの関係(民族紛争、国家の対立のような)についても、同じようにいえる。(p188)
* 「国家の一員であること」を、私たちはしばしば、国家のルールや慣習をすっかり受け入れてそのなかにどうかしてしまうこと、というふうにイメージする。そして、国家的共同体の一員となること=それ以外の人間の排斥、と考えてしまいがちだ。
しかし、共同体はどのようなかたちをとるのが望ましいのか、またどういうルールが共同体にとって望ましいのかということを、個々人は判断しうるし、少しずつ変えていくこともできる。異議申し立ての行為は、ほんらい新たな共同関係と新たなルールを取り結ぼうとする行為であるはずだ。その主張に多くの人々を説得するだけの合理性があるなら、少しずつ、社会の在り方を変えていくことができる。
国家という共同体を「民族的価値観への同化」という発想から切り離して、ルソーのいったような「ともに共通の利益に関して配慮し合う共同体」とみなすこと。国家は人間の所属する最高の共同体ではなく、国際社会という大きな共同体のなかに存在するものでしかないこと。国家の一員であることは、既存のルールの全面的承認ではなく、「ともに共通の利益を配慮し合おう」という意志をもつことであって、そのかぎりルール変更を主張する権利をつねに保持していること。
国家観をこのように変更することが、いま、必要なのだとぼくは思う。ヘーゲルは最終的に国家を神聖視したけれど、彼の思想のなかには、国家やルールの絶対視を超え出る視点が確実に存在していたのだ。(p189-190)
『カント入門』,石川文康,680,ちくま新書,95-5
それゆえにわれわれは、カントに従って真の幸福として「幸福の絶対的全体」という理念を掲げざるをえない。それは一切が意のままになる状態のことである。それはわがままということではない。そうではなく、犠牲や不幸の種を伴わない幸福、つまりは「仮象の幸福」ではなく、真の意味での幸福のことである。われわれは、カントが幸福の問題に極めて高い要求を掲げたと言ったが、それは、その意味である。ところが、どんな賢者といえど、幸福に関する明確な概念を得ることはできない。人はそれを願うことはできても、じっさいには理解はできないのである。じじつ、今あげた四つの幸福(「富」「健康」「長寿」「知恵」)のうちひとつでも、不整合なしに実現するすべを「首尾一貫的に」説明できる賢者がいるであろうか。したがって、幸福はやはり希望の問題であり、宗教に託さざるをえない。
しかしそれは、あくまでも「幸福に値する」という基盤の上にである。それゆえ、徳は、その意味からしてすでに応分の幸福の必要条件である。そのかぎりにおいて、宗教はあくまでも道徳によって条件づけられるのであって、その逆ではない。(p177)
『夜の鼓動にふれる 戦争論講義』,西谷修,2000,東京大学出版会,95-4
*近代以前のユダヤ人差別は,ユダヤ教徒に対するキリスト教徒の差別であって,科学や市民社会とはなんの関係もないものですが,「反セム主義」は国民国家と市民社会,それに科学の優位(生物学)という,〈近代〉の諸条件が生み出した装置なのです.そしてこの装置によって,もともと人種カテゴリーではなかった〈ユダヤ人〉は,「科学的・遺伝的」に規定され,逃れるすべもなくヨーロッパのすみずみから狩り出されてゆくことになるのです.(p156)
*けれどもヨーロッパの〈近代〉はさまざまなかたちでユダヤ人の恩恵を受けています.中世にギリシアの文物がイスラーム支配下のイベリア半島経由でヨーロッパに入るときも,いくつもの言語に精通したユダヤ人たちが,ギリシア語やアラビア語の原典をラテン語に翻訳しました.ヨーロッパの経済を活性化した通商に関してはいうまでもありません.手形や小切手は砂漠の商人たるアラブ人の発明ともいわれますが,これがユダヤ人に深い結びつきをもっているのもまた事実です.物品や現金の直の交換に代えて、一冊の台帳ですむ信用売買や小切手の制度は流通を著しく促進しますが,現物に頼るのではなく「書かれた物」に価値を託し,何より「契約」を重んずるこのシステムは,「書物の民」ならではのものです.言ってみれば,かれらの「流民」の境遇は,かれらを流動する「媒介の民=メディアの民」つまりは「情報の民」にしたのです.大文字の「書物」とその解釈のなかで,世界は「生まれの土地」を離れて「情報化」され,小切手という小さな「書物」によって富はポータブルな「情報化」の緒についたのです.(p157)
*もうおわかりかと思いますが,〈近代〉とはある意味で「ユダヤ的」な時代なのです.それはキリスト教の固定された世界観からの脱却の時代であり,都市化が進んで多くの住民が「エグゾダス(脱出,出エジプト)」を経験し,都会の「根無し草」となり,すべてが個に解体されて流動化する時代です.それは人を「自由」にしますが,その「自由」は生来の固定的な拘束を断ち切ることによってえられます.それにハイデガーが「公共性」について語ったことを思い起こしてみましょう.「本来的」な経験を失い,メディアの「お喋り」のなかに「誰でもないひと」として埋没している近代社会の人間の様態は,通俗化した「ユダヤ的」な生存のモードを思い起こさせるものだとも言えます.〈存在〉の根(根拠)を失ったところに〈近代〉の人間の存在様態があるとすれば,そういうことが言えます.だから〈近代〉を否定する反動の運動は,メディアの共同性を「新しい神話(アーリア神話)」によって励起して,そこに「生来の結びつき」と再統合の原理を作りだそうとするのです.とりわけナチズムは〈近代〉の否定を「生物学化」し,〈ユダヤ人〉を具体的な標的としたのです.(p157-158)
『知識人とは何か』,E・W・サイード,1800,平凡社
『1995年1月・神戸』,中井久夫他,1545,みすず書房
『カミとヒトの解剖学』,養老孟司,2000,法蔵館
* では宗教は何を「統制」するのか。それはおそらく「生死観」であろう。生死はもとから存在するのだからシンボル化の必要はない、そうはいかないのである。なぜなら、すでに述べたように、自己の死は現実化、具体化できないからである。他人の死と自己の死の隙間から宗教が発生する。こうしてヒトは、シンボルを利用し、ともかく世界を整合的に理解しようとする。しかし、それはじつは自分の頭の中を整合的にしようとしているだけであって、その結果、外の世界が整合的になるわけではない。宗教にはそれが典型的に出ている。宗教が現世と対立的に捕らえられるのは、そのためであろう。いくら宗教が生死観を判然させたからといって、ヒトが死ななくなるものではない。だから来世を説く。現世はこちらの世界だが、宗教は徹底的に内的な世界である。ということは、脳内の世界ということであり、生物学的にいえば、もっとも進化した世界の一つということになろうか。
それは、ふたたび戻って、シンボルだということである。シンボルはわれわれの脳が生み出した新しい能力、つまりアナロジーの表現である。そうしたシンボルの中で、宗教は生死に関する観念を扱う。それは具体的には自己の死と他人の死という、きわめてわかりにくい問題を扱うことで、シンボルの発生の先駆となったのであろう。ただし、宗教自身の進化の過程で、それは生死観の統制という形に変化した。
気に入ろうが、気に入るまいが、私はそう考える。したがって、宗教の発生は、生物の典型的性質である個体の死と、進化過程でヒトの脳が所有するに至ったシンボル能力との結合による、生物学的必然だった。シンボルは現代人の属性であり、ヒトはそれから逃れられない。他方ヒトは、そうした脳のために、現実を限定できなくなってしまった。だから信仰とは、現実でないシンボルに、現実感を賦与する能力の発現なのである。だからこそ、信仰によってヒトは生きる。誰であれ、現実に頼って生きざるを得ないからである。逆説的だが、それをもっとも素朴かつ純粋な形で示すのが宗教であろう。(P42-43)
* 文字は社会において、時空を超越して、言語とその内容を共有しようとする発明である。社会とは、むしろそうした共有物のみを真の要素として構成される。そうである以上、書かれたものが広く共有し得るものであることが、書かれたものの価値を決める。それが古典が尊ばれる所以であろうが、同時にそれが広布への努力を生む。それがほとんど個人の「言行録」の形をとるのは、それなりの必然性があったはずである。なによりそれは、音声と文字との移行を具体的に示している。ここでは本来個人の「肉体が担う」はずの「言」が、「社会的に記録される」つまり他人に記録される形をとっていることが注目される。それが文字の役割に関して、単にメモをとる以上の大発見だったことは、だれにでも想像がつく。メモだけなら、いまでも自分流があるからである。
このような意味では、音声という最初の言語よりも、文字による言行録は、より典型的に「社会的」だった。それが案外そうでなく思われるのは、文字を書くという作業が、今でも一種の独り言に思えるからであろう。むしろそれを避けたのが、言行録という形式だったのではないか。文字が真の独り言、つまり一人の著者によって書かれた「作品」という形態をとるまでには、文字そのものが発生して以来、かなりの歴史的時間が経過したはずである。独り言は、文字を読むことがかなり定着しなくては、社会性を保証されなかったであろうし、そもそも独り言に社会性を持たせるのは、素直に考えれば、自己矛盾なのである。「言行録」はその意味では、きわめて社会的合意の得やすい形式だったはずである。だから、純粋のメモでない、文字の始めの形式は、どうしても「言行録」なのであり、おかげで「偉い人」がその時期に、それぞれの文化に、何人か生じてしまったのであろう。そうした言行録の形式を典型的に採用したものがおそらく経典であり、経典では、なぜかその形式が長く続いたから、無かったはずの釈迦の説法まで生じたのであろう。(p142-143)
* よく知られているように、音楽と音声言語とは、内容の観点からすれば、まったく異なるものである。典型的な音楽とは、いまでは西洋の器楽であって、これは言語が伝えるような内容を、一切伝えないといってもいい。ところが、形式的かつ生物学的に見れば、音声言語と音楽ほどよく似たものもない。所詮は自分で音を出して、その音を自分の耳で聞いており、その先に「社会的な延長」として、それを第三者が聞くのである。だから、この両者の区別が曖昧になってくるのは、歌であり、詩であり、お経なのである。
言語はブローカの運動性言語中枢から表出される。ここを傷害された患者では、言いたいことがあり、他人の言語をある程度理解できても、発語ができない。ところが、歌詞つきの歌なら、しばしば歌えるのである。この場合、歌の歌詞は言語であるのか、そうでないのか。つまり、歌も言語のうちであると始めから考えるのか、歌は音声言語ではないと考えるのか。前者であれば、なぜ障害があっても歌詞は壊れないのか、という疑問が生じる。後者であれば、それでは言語と歌とは、本質的にどこが違うのかという疑問が生じる。
器楽の演奏をするのは、右脳つまり右大脳半球のブローカ中枢相当部位であることが、すでに知られている。それなら、歌を歌うという運動は、右で行なわれているのか。ブローカ中枢が傷害されても、歌は歌えるからである。ところが、厄介なことに、右脳には言語はほとんどないのである。それでは、歌詞は左側の感覚性言語中枢(これは壊れていない)から、右の音楽性運動中枢(そんな表現があればの話だが)へと表出されるのであろうか。
こう考えてみると、お経とは、案外面倒なものだとわかる。読経は音声言語か、否か。それにまだ生理的な答えはない。禅でいう、文字を立てないという教えは、こうした点からすれば、お経と関連するかもしれないのである。音声としてのお経は、文字がしっかり根づいてしまった段階では、文字に表現されるような言語の部分を、むしろ消していったもの、すなわち「音楽」として、あらためて意識された可能性があるからである。音楽を西洋音楽のようなもののみだと考えるのは、現代に住むわれわれの偏見に過ぎない。
この議論は、基本的には、経典をどこまで「目で見るもの」として捉えていいか、という問題に行き着く。経典の解釈なり、文献学なりは、それなりの意味があるが、それではひょとすると経典の重要な意味が落ちる可能性もあろう。われわれは音声言語と視覚言語を、同じ言語としてくくる癖が強い。しかし、それは必ずしも本当ではない。視覚言語は言語をより明晰にするが、とくに宗教のように、明晰さをかならずしも目的としていない領域では、肝腎の部分を落としてしまう可能性も強い。経典が中国語つまり漢文に翻訳されたことが、その「音声性」をある程度消したかもしれないが、それでも多くの言語が原音であり、翻訳にあたって、音声が考慮されたことも間違いないであろう。般若心経が「誦めなくては」しようがないのである。
こうした考慮を邪魔するのは、現代の音声=文字共通言語観である。われわれはその世界にどっぷり漬かっているから、いまさら音楽と言語はどこが違うといわれても、ほとんど考えようとしないのであろう。音楽と言語の間をまず差異として「切って」しまい、それから音声と文字の言語を分離するからである。お経はその点で、はなはだ興味深い例を提示すると私は思う。(p144-146)
* 「延長の無限」から「繰り返しの無限」への移行は、しばしば「思想の進歩」と見なされるのだが、これは怪しい。つまりこの移行自体が、さまざまな局面で出現する定型だからで、このこと自体もまた、人間の思考の癖らしいのである。延長の無限の方が単純なので、そちらが先に出現し、後から繰り返しの無限が出現する。その後は、両者の融和が図られる。ヘーゲル流の歴史は、しばしば物事をそんなふうに見るのだが、よく吟味してみると、たいていは始めから、二つの極がじつは含まれているのである。もし浄土が、すでに述べたように、単なる現世の延長ではなく、地としての浄「土」の意を元来含むのであれば、曇鸞が繰り返し無限を強調したことによって、浄土の中には二つの無限が完備していることになる。これが正当な教義に一致するか否か、私は知らない。(p164-165)