近代の短歌

(参考文献;『近代短歌の鑑賞77』,小高賢編,新書館,2002/6)


正岡子規

 足たたば不盡(ふじ)の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを

 足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを

 足たたば新高山(にひたかやま)の山もとにいほり結びてバナナ植ゑましを

 首もなく手もなくなりて道のべの仏はもとの石にぞありける

 松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこばれては置く

 松の葉の葉さきを細み置く露のたまりもあへず白玉散るも

 瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

 瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書(ふみ)の上に垂れたり

 瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の牀(とこ)に春暮れんとす

 下総のたかしはよき子これの子は虫喰栗をあれにくれし子

長塚節

 小夜深(ふけ)にさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ

 植草ののこぎり草の茂り葉のいやこまやかに渡る秋かも

 はろばろに匂へる秋の草原を浪(なみ)の偃(は)ふごと霧せまりしも

 日に干せば日向(ひなた)臭しと母のいひし衾(ふすま)はうれし軟(やはら)かにして

 小夜ふけてあいろもわかず悶ゆれば明日は疲れてまた眠るらむ

 おそろしき鏡の中のわが目などおもひうかべぬ眠られぬ夜は

 垂乳根の母が釣りたる青蚊帳(あをがや)をすがしといねつたるみたれども

 小夜ふけて竊(ひそか)に蚊帳(かや)にさす月をねむれる人は皆知らざらむ

 牛の乳をのみてほしたる壜(びん)ならで挿すものもなき撫子(なでしこ)の花

 白銀の鍼(はり)打つごとききりぎりす幾夜はへなば涼しかるらむ

与謝野晶子

 髪五尺ときなば水にやはらかき少女(をとめ)ごころを秘めて放たじ

 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

 やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君

 ゆあみして泉を出でしやははだにふるるはつらき人の世のきぬ

 春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にたぐらせぬ

 背とわれと死にたる人と三人して甕の中に封じつること

与謝野鉄幹

 君が名を石につけむはかしこさにしばし芙蓉と呼びて見るかな

 われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子

 髪下げしむかしの君よ十とせへて相見るゑにし浅しと思ふな

 くれなゐにそのくれなゐを問ふがごと愚かや我の恋をとがむる

 子の四人(よたり)そがなかに寝(ぬ)る我妻の細れる姿あはれとぞ思ふ

 若狭路の春の夕ぐれ風吹けばにほへる君も花の如く散る

 わが為めに路ぎよめせし二少女(ふたをとめ)一人は在りて一人天翔(あまがけ)る

 みづからの静かなる死を夢に見て覚めて思ひぬ然(し)かぞ死なまし

 思ふとき必ず見ゆれ微笑みて左の肩を揚ぐる啄木

山川登美子

 われ病みぬふたりが恋ふる君ゆゑに姉をねたむと身をはかなむと

 いもうとの憂髪(うきがみ)かざる百合を見よ風にやつれし露にやつれし

 あたらしくひらきましたる詩の道に君が名讃へ死なむとぞ思ふ

 それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ

 歌やいのち涙やいのち力あるいたみを胸は秘めて悶えぬ

 人知れず終わりの歌は書きてあり病いよいよ良からずもあれ

 をみなにて又も来む世ぞ生れまし花もなつかし月もなつかし

 しづかなる病の床にいつはらむ我なるものを神と知るかな

 おつとせい氷に眠るさいはひを我も今知るおもしろきかな

 わかき身のかかる歎きに世を去るとは思はで経にし日も遠きかな

 矢のごとく地獄におつる躓(つまづ)きの石ともしらず拾い見しかな

 わが柩まもる人なく行く野辺のさびしさ見えつ霞たなびく

北原白秋

 草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり

 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし

 大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつまみけるかも

 深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花

 大きなる足が地面(ぢべた)を踏みつけゆく力あふるる人間の足が

 昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり

斎藤茂吉

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳ねの母は死にたまふなり

 わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

 あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

 あが母の吾(あ)を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや

 最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片

 最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

 最上川の流(ながれ)のうへに浮かびゆけ行方なきわれのこころの貧困

 茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠(とほ)のこがらし

石川啄木

 東海の小島の磯の白砂に/われ泣き濡れて/蟹とたはむる

 大といふ字を百あまり/砂に書き/死ぬことをやめて帰り来(きた)れり

 たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽(かろ)きに泣きて/三歩あゆまず

 実務に役に立たざるうた人と/我を見る人に/金借りにけり

 わが抱(いだ)く思想はすべて/金なきに因するがごとし/秋の風吹く

 そのかみの神童の名の/かなしさよ/ふるさとに来て泣くはそのこと

 かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ

 死にたくはないかと言えば/これ見よと/咽喉(のんど)の痍(きず)を見せし女かな

 教室の窓より遁(に)げて/ただ一人/かの城址(しろあと)に寝に行きしかな

 不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心

 ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく

 石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなしみ/消ゆる時なし

 よごれたる足袋穿く時の/気味わるき思ひに似たる/思出(おもひで)もあり

 手套(てぶくろ)を脱ぐ手ふと休む/何やらむ/こころかすめし思ひ出のあり

 呼吸(いき)すれば、/胸の中(うち)にて鳴る音あり。/凩(こがらし)よりもさびしきその音!

 夜おそく/つとめ先よりかへり来て/今死にし児(こ)を抱けるかな

 本を買いたし、本を買いたしと、/あてつけのつもりではなけれど、/妻に言ひてみる。

前田夕暮

 魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて

 君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな

 秋の夜のつめたき床にめざめけり孤独は水の如くしたしも

 風暗き都会の冬は来りけり帰りて牛乳(ちち)のつめたきを飲む

 自然がずんずん体のなかを通過する−−山、山、山

 沼はあとから私について来た。背中が青くそまるのを感じた

 私は雪の上にゐる。四方に分裂した自分が風の速度で帰つてくる

 バスからおりて歩き出そうとした時、曇天にずしんとあたまをうたれた

 ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に

 みづからもすがしと思ふ清らかに洗ひ浄(きよ)められしわが死に顔を

 生涯を生き足りし人の自然死に似たる死顔を人々はみむ

 一枚の木の葉のやうに新しきさむしろにおくわが亡骸(なきがら)は

 左様なら幼子よわが妻よ生き足りし者の最後の言葉

会津八一

 かすがの の みくさ をり しき ふす しか の つの さへ さやに てる つくよ かも

 つの かる と しか おふ ひと は おほてら の むね ふき やぶる かぜ に かも にる

 おほい なる ひばち いだきて いにしへ の ふみ は よむ べし ながき ながよ を 

 おほい なる ひばち の そこ に かすか なる ひだね を ひとり われ は ふき をり

 あひ しれる ひと なき さと に やみ ふして いくひ きき けむ やまばと の こゑ

 わが こゑ の ちち に にたり と なつかしむ おい も いまさず かへり きたれば

 すべ も なく やぶれし くに の なかぞら を わたらふ かぜ の おと ぞ かなしき


現代の短歌

(参考文献;『現代短歌の鑑賞101』小高賢編,新書館,1999/5)


川野里子(1959〜)

 あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと捨てたかちちはは捨てたか

 ふるさとは海峡のかなたさやさやと吾が想はねば消えてゆくべし

 遊ぶ子の群かけぬけてわれに来るこの偶然のやうな一人を抱けり

 ものおもふひとひらの湖(うみ)をたたへたる蔵王は千年なにもせぬなり

 気まぐれな春の雪片われと子のはるかな間(あはひ)に生まれては消ゆ

米川千嘉子(1959〜)

 実験室のむかうの時間と夏樫のかたきひかりを曳きて来るなり

 〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼さくら湯はさやさやと澄み

 やはらかく二十代批判されながら目には見ゆあやめをひたのぼる水

 桃の密手のひらの見えぬ傷に沁む若き日はいついかに終らむ

 みどり子の甘き肉借りて笑(ゑ)む者は夜の淵にわれの来歴を問ふ

加藤治郎(1959〜)

 荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね

 ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら

 書きなぐっても書きなぐっても定型詩 ゆうべ銀河に象あゆむゆめ

 ブリティッシュ・ブレッド・アンド・ベジタブル あなたにちょっとてつだってもらって

 冬の樹のかなたに虹の折れる音ききわけている頬をかたむけて

大辻隆弘(1960〜)

 疾風にみどりみだれる若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより

 あかねさす真昼間父と見つめゐる青葉わか葉のかがやき無尽

 十代の我(あ)に見えざりしものなべて優しからむか 闇洗ふ雨

 やがてわが街をぬらさむ夜の雨を受話器の底の声は告げゐる

 北空は寒きかげりを帯びながらいざなふごとしわれと一羽と

大塚寅彦(1961〜)

 指頭もて死者の瞼をとざす如く弾き終へて若きピアニスト去る

 洗ひ髪冷えつつ十代果つる夜の碧空(あをぞら)色の瓦斯の焔を消す

 花の宴たちまち消えて月さすは浅茅がホテル・カリフォルニア跡

 モニターにきみは映れり 微笑(ほほゑみ)をみえない走査線に割かれて

 死者として素足のままに歩みたきゼブラゾーンの白き音階

穂村弘(1962〜)

 郵便配達夫(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月

 「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

 ゼラチンの菓子をすくえばいま満ちる雨の匂いに包まれてひとり

 ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は

 錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月

萩原裕幸(1962〜)

 まだ何もしていないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す

 誰も知らぬわれの空間得むとして空(から)のままコインロッカーを閉づ

 剥がされしマフィア映画のポスターの画鋲の星座けふも動かぬ

 「きみはきのふ寺山修司」公園の猫に話してみれば寂しき

 ああいつた神経質な鳴り方はやれやれ恋人からの電話だ

俵万智(1962〜)

 砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている

 寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら

 思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ

 「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君

 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

紀野恵(1965〜)

 黄金(きん)のみず歌はさやかにしづめども吾こそ浮きてささやさやさや

 ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか

 ふらんすの真中に咲ける白百合の花粉に荷風氏はくしやみする

 愛妻家の古学者が来てこのゆふべよくも出鱈目がかけるな、といふ

 イタリイといふうす青き長靴のもう片方を片手に提げて

辰巳泰子(1966〜)

 いとしさもざんぶと捨てる冬の川数珠つながりの怒りも捨てる

 まへをゆく日傘のをんな羨(とも)しかりあをき螢のくびすぢをして

 わが内臓(わた)のうらがはまでを照らさむと電球涯なく呑みくだす夢

 とりの内臓(もつ)煮てゐてながき夕まぐれ淡き恋ゆゑ多く愉しむ

 つらぬきて子を持たぬ生もはや無くだぶだぶとせつなさの袋のごとき子
 

吉川宏志(1969〜)

 あさがおが朝を選んで咲くほどの出会いと思う肩並べつつ

 先を行く恋人たちの影を踏み貝売る店にさしかかりたり

 窓辺にはくちづけのとき外したる眼鏡がありて透ける夏空

 カレンダーの隅24/31 分母の日に逢う約束がある

 風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ

梅内美華子(1970〜)

 階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅

 「今日は笑わないから」という友のいて昼のカレーにコロッケ落とす

 泡立てしシャボン溢るる手の平におぼれもせずに顔洗うひと

 空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道(ゼブラゾーン)に立ち止まる夏

 生き物をかなしと言いてこのわれに寄りかかるなよ 君は男だ