近代の短歌

(参考文献;『近代短歌の鑑賞77』,小高賢編,新書館,2002/6)


与謝野晶子(1878〜1942)
 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
 なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
 ゆあみして泉を出でしやははだにふるるはつらき人の世のきぬ
 春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にたぐらせぬ
 背とわれと死にたる人と三人して甕の中に封じつること

与謝野鉄幹(1873〜1935)
 われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子
 髪下げしむかしの君よ十とせへて相見るゑにし浅しと思ふな
 子の四人そがなかに寝る我妻の細れる姿あはれとぞ思ふ
 若狭路の春の夕ぐれ風吹けばにほへる君も花の如く散る
 わが為めに路ぎよめせし二少女一人は在りて一人天翔る

山川登美子(1879〜1909)
 われ病みぬふたりが恋ふる君ゆゑに姉をねたむと身をはかなむと
 それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ
 歌やいのち涙やいのち力あるいたみを胸は秘めて悶えぬ
 をみなにて又も来む世ぞ生れまし花もなつかし月もなつかし
 わかき身のかかる歎きに世を去るとは思はで経にし日も遠きかな

石川啄木(1886〜1912)
 大といふ字を百あまり/砂に書き/死ぬことをやめて帰り来れり
 そのかみの神童の名の/かなしさよ/ふるさとに来て泣くはそのこと
 教室の窓より遁げて/ただ一人/かの城址に寝に行きしかな
 不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心
 ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく

若山牧水(1885〜1928)
 真昼日のひかりのなかに燃えさかる炎か哀しわが若さ燃ゆ
 みな人にそむきてひとりわれゆかむわが悲しみはひとにゆるさじ
 雲ふたつ合はむとしてはまた遠く分れて消えぬ春の青空
 けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く
 いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや

斎藤茂吉(1882〜1953)
 わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
 あが母の吾を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや
 最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
 最上川の流のうへに浮かびゆけ行方なきわれのこころの貧困
 茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠のこがらし

北原白秋(1885〜1942)
 草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり
 どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし
 大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつまみけるかも
 深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花
 大きなる足が地面を踏みつけゆく力あふるる人間の足が

森鴎外(1862〜1922)
 奈良山の常磐木はよし秋の風木の間木の間を縫ひて吹くなり
 奈良人は秋の寂しさ見せじとや社も寺も丹塗にはせし
 とこしへに奈良は汚さんものぞ無き雨さへ沙に沁みて消ゆれば
 黄金の像は眩し古寺は外に立ちてこそ見るべかりけれ
 盧舍那佛仰ぎて見ればあまたたび繼がれし首の安げなるかな

正岡子規(1867〜1902)
 足たたば不盡の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを
 足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを
 足たたば新高山の山もとにいほり結びてバナナ植ゑましを
 松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこばれては置く
 瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の牀に春暮れんとす

柳田国男(1875〜1962)
 おむむろに室のすみれもかをり来てしばし日なたの風は春なり
 をさな名を人によばるるふるさとは昔にかへるここちこそすれ
 ももとせの後の人こそゆかしけれ今の此世を何と見るらん
 三十年のむかしの家のにはざくらひとりかへりて見るがさびしき
 君が家のもみの老樹はもの言はばとひたきことの多くもあるかな

長塚節(1879〜1915)
 はろばろに匂へる秋の草原を浪の偃ふごと霧せまりしも
 おそろしき鏡の中のわが目などおもひうかべぬ眠られぬ夜は
 垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
 小夜ふけて竊に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ
 牛の乳をのみてほしたる壜ならで挿すものもなき撫子の花

会津八一(1881〜1956)
 かすがの の みくさ をり しき ふす しか の つの さへ さやに てる つくよ かも
 つの かる と しか おふ ひと は おほてら の むね ふき やぶる か ぜ に かも にる
 おほい なる ひばち いだきて いにしへ の ふみ は よむ べし なが き ながよ を 
 おほい なる ひばち の そこ に かすか なる ひだね を ひとり われ は ふき をり
 あひ しれる ひと なき さと に やみ ふして いくひ ききけむ やま ばと の こゑ

前田夕暮(1883〜1951)
 魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて
 君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな
 秋の夜のつめたき床にめざめけり孤独は水の如くしたしも
 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな
 向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ

萩原朔太郎(1886〜1942)
 死なんとて踏切近く来しときに汽車の煙をみて逃げ出しき
 幼き日パン買ひに行きし店先の額のイエスをいまも忘れず
 行く春の淡き悲しみいそつぷの蛙のはらの破れたる音
 夏来れば君が矢車みづいろの浴衣の肩ににほふ新月
 材木の上に腰かけ疲れたる心がしみじみ欠伸せるなり

宮澤賢治(1896〜1933)
 そらいろのへびを見しこそかなしけれ学校の春の遠足なりしが
 皮とらぬ芋の煮たるを配られし兵隊たちをあはれみしかな
 うす黒き暖炉のそむきひるのやすみだまつて壁のしみを見てあり
 物はみなさかだちをせよそらはかく曇りてわれの脳はいためる
 今日もまた宿場はづれの顔赤きをんなはひとりめしを食へるぞ

中原中也(1903〜1937)
 怒りたるあとの怒よ仁丹の二三十個をカリカリと噛む
 ぬす人がはいつたならばきつてやるとおもちやのけんを持ちて寝につ く
 腹たちて紙三枚をさきてみぬ四枚目からが惜しく思はる
 夏の日は偉人のごとくはでやかに今年もきしか空に大地に
 猫を抱きややに久しく撫でやりぬすべての自信滅び行きし日

中島敦(1909〜1942)
 ある時はヴェルレエヌの如雨の夜の巷に飲みて涙せりけり
 ある時はカザノワのごとをみな子の肌をさびしく尋め行く心
 ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
 この河馬にも機嫌不機嫌ありといへばをかしけれどもなにか笑えず
 ガリワァが如何になるらむと案じつゝチビは寝入りぬ仔熊を抱きて


現代の短歌

(参考文献;『現代短歌の鑑賞101』小高賢編,新書館,1999/5)


齋籐史(1909〜2002)
 (二月廿六日、事あり。友等、父、その事に関る。)
 濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
 うすずみのゆめの中なるさくら花あるいはうつつよりも匂ふを
 死の側(がは)より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも
するすると夕闇くだり見て居れば他人の老いはなめらかに来る
 友等の刑死われの老死の間(あひ)埋めてあはれ幾春の花散りにけり

塚本邦雄(1920〜2005)
 日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる
 ずぶ濡れのラガー奔るを見おろせり未来にむけるものみな走る
 馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人を恋はば人あやむるこころ
いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛の曼珠沙華

岡井隆(1928〜)
 くらやみに頭を下げるぼくを見てわざと横向く奴は間違ふ
 わが生に歌ありし罪、ぢやというて罪の雫は甘い、意外に
 プルトニウムの昧爽よ来よと思ひけむ希ひけむされど人智さびしき
 革命にむかふ青春のあをい花ほんとに咲いてゐたんだつてば
 ノアはまだ目ざめぬ朝を鴿がとぶ大洪水の前の晴天

馬場あき子(1928〜)
 夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん
 冬つひにきはまりゆくをみてゐたり木々は痛みをいはぬものにて
 立ち直り澄みたる独楽の一心の倒るるまでのかなしみ見つむ
 心なし愛なし子なし人でなしなしといふこといへばさはやか
 いのち深くあたたかきところにをとめごのゆめありしことしだいに忘る

寺山修司(1935〜1983)
 電線はみなわが胸をつらぬきて冬田へゆけり祈りのあとを
 大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
 新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
 生命線ひそかに変へむためにわが抽出にある 一本の釘
 たつた一つの嫁入り道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり

高野公彦(1941〜)
 青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき
 たましひの手くらがりにて人の世のひとりにてがみ書きゐたりけり
 戦火映すテレビの前に口あけてにつぽん人はみな鰯
 怠けたく酒が飲みたく遊びたく羊腸とせり五十のこころ
 やはらかきふるき日本の言葉もて原発かずふひい、ふう、みい、よ

小高賢(1944〜2014)
 つくづくと検ればかなしも娘の国語偏差値山の頂きに住む
波に乗るその無理のなき生き方に真鴨は冬を耐えるのだろう
 「富士山だ」乗りあわす子の声きけば一気になごむ「ひかり」の空気
 「略歴を百字以内に」かきあげるこの文字数のごときわれかな
「おう」という意味不明なる音吐けるもみあげの濃きわれの長男

河野祐子(1946〜2010)
 青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり
 しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ
 子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
 暗がりに柱時計の音を聴く月出るまへの七つのしづく
 あと三十年残つてゐるだらうか梨いろの月のひかりを口あけて吸ふ

道浦母都子(1947〜)
 君に妻われに夫ある現世は黄の菜の花の戦ぐ明るさ
 如何ならむ思いにひとは鐘を打つ鐘打つことは断愛に似て
 今日はわれは妻を解かれて長月の青しとどなる芝草の上
 水の婚 草婚 木婚 風の婚 婚とは女を昏くするもの
 〈世界より私が大事〉簡潔にただ率直に本音を言えば

川野里子(1959〜)
 あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと捨てたかちちはは捨てたか
 ふるさとは海峡のかなたさやさやと吾が想はねば消えてゆくべし
 遊ぶ子の群かけぬけてわれに来るこの偶然のやうな一人を抱けり
 ものおもふひとひらの湖をたたへたる蔵王は千年なにもせぬなり
 気まぐれな春の雪片われと子のはるかな間に生まれては消ゆ

米川千嘉子(1959〜)
 実験室のむかうの時間と夏樫のかたきひかりを曳きて来るなり
 〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼さくら湯はさやさやと澄み
 やはらかく二十代批判されながら目には見ゆあやめをひたのぼる水
 桃の密手のひらの見えぬ傷に沁む若き日はいついかに終らむ
 みどり子の甘き肉借りて笑む者は夜の淵にわれの来歴を問ふ

加藤治郎(1959〜)
 荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね
 ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら
 書きなぐっても書きなぐっても定型詩 ゆうべ銀河に象あゆむゆめ
 ブリティッシュ・ブレッド・アンド・ベジタブル あなたにちょっと てつだってもらって
 冬の樹のかなたに虹の折れる音ききわけている頬をかたむけて

大辻隆弘(1960〜)
 疾風にみどりみだれる若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより
 あかねさす真昼間父と見つめゐる青葉わか葉のかがやき無尽
 十代の我に見えざりしものなべて優しからむか 闇洗ふ雨
 やがてわが街をぬらさむ夜の雨を受話器の底の声は告げゐる
 北空は寒きかげりを帯びながらいざなふごとしわれと一羽と

大塚寅彦(1961〜)
 指頭もて死者の瞼をとざす如く弾き終へて若きピアニスト去る
 洗ひ髪冷えつつ十代果つる夜の碧空色の瓦斯の焔を消す
 花の宴たちまち消えて月さすは浅茅がホテル・カリフォルニア跡
 モニターにきみは映れり 微笑をみえない走査線に割かれて
 死者として素足のままに歩みたきゼブラゾーンの白き音階

穂村弘(1962〜)
 郵便配達夫の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月
 「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃ ないかな」
 ゼラチンの菓子をすくえばいま満ちる雨の匂いに包まれてひとり
 ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
 錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月

萩原裕幸(1962〜)
 まだ何もしていないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す
 誰も知らぬわれの空間得むとして空のままコインロッカーを閉づ
 剥がされしマフィア映画のポスターの画鋲の星座けふも動かぬ
 「きみはきのふ寺山修司」公園の猫に話してみれば寂しき
 ああいつた神経質な鳴り方はやれやれ恋人からの電話だ

俵万智(1962〜)
 砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている
 寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら
 思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
 「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君
 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

紀野恵(1965〜)
 黄金のみず歌はさやかにしづめども吾こそ浮きてささやさやさや
 ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか
 ふらんすの真中に咲ける白百合の花粉に荷風氏はくしやみする
 愛妻家の古学者が来てこのゆふべよくも出鱈目がかけるな、といふ
 イタリイといふうす青き長靴のもう片方を片手に提げて

辰巳泰子(1966〜)
 いとしさもざんぶと捨てる冬の川数珠つながりの怒りも捨てる
 まへをゆく日傘のをんな羨しかりあをき螢のくびすぢをして
 わが内臓のうらがはまでを照らさむと電球涯なく呑みくだす夢
 とりの内臓煮てゐてながき夕まぐれ淡き恋ゆゑ多く愉しむ
 つらぬきて子を持たぬ生もはや無くだぶだぶとせつなさの袋のごとき 子

吉川宏志(1969〜)
 あさがおが朝を選んで咲くほどの出会いと思う肩並べつつ
 先を行く恋人たちの影を踏み貝売る店にさしかかりたり
 窓辺にはくちづけのとき外したる眼鏡がありて透ける夏空
 カレンダーの隅24/31 分母の日に逢う約束がある
 風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ

梅内美華子(1970〜)
 階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅
 「今日は笑わないから」という友のいて昼のカレーにコロッケ落とす
 泡立てしシャボン溢るる手の平におぼれもせずに顔洗うひと
 空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道に立ち止まる夏
 生き物をかなしと言いてこのわれに寄りかかるなよ 君は男だ