『虞美人草』の「小供」たち

'Kodomotachi ( Children )' in Natsume Soseki's Gubijinsou


 武 田 充 啓


章立て

  はじめに

  一 「立ん坊」 あるいは 甲野欽吾という小供

  二 〈書くこと〉を奪う「活人画」

  三 「感化」とその代償 あるいは 宗近一と小野清三

  四 〈故里〉 あるいは 甲野藤尾という小供


  はじめに

 『虞美人草』の末尾に置かれた甲野欽吾の日記を読んでいると、いったいこれは誰が書いているのか、という疑問が浮かぶ。「入道無言客 。出家有髪僧 。」の一聯をもって「最後の頁の最後の句」とし、家を出る決意のもとに一度は「思い切つて」暖炉に捨てられた日記帳を、「まだ書く事があつた」(十八)と、わざわざ拾い上げているのは誰なのか。そうして、しかし目の前の一人の人間の死に直接ふれることもなく、自分の正しさを疑うことなく肯定するために、「万人」なる抽象的存在を持ち出し、「悲劇」だの「道義」だのを説こうとしているのはいったい誰なのか(十九)。
 たしかに、甲野は日記を書く男であった。そこには、もっぱら漢詩や諺めいた警句が、「世間」を「遠くに眺めて居る」(一)ための工夫として記されていた。その登場の当初から、「解脱」を求めていた甲野は、同時にその「解脱」を阻んでいる自分自身の猜疑心についても気がついていた。「魂胆」をもった義母や義妹への「当然の」疑いだけでなく、「無二の友達」である宗近に対してさへ「迂闊には」と予防線を張らざるを得ない自身についても意識的だったのである(三)。では、なぜ甲野はそうした自分自身の「我」を抱えたまま、それに目をつぶって、自分がさも「万人」を見下ろす高みにでもいるかのように「道義」の訓を垂れようとするのか。従来から指摘されてきたように、彼は自分の猜疑心の奥に潜んでいる我欲について十分に自覚的ではなく、そのために自己批判を徹底できなかった、ということなのだろうか。
 いや、おそらくはそうではない。こうしたことは、後にくわしく見るように、たしかに甲野の欲望の死(彼は自分の理想とする〈大人〉や〈小供〉になろうとしていた)と深く関わっている。しかし「我」を超克していくはずの甲野の自己否定の試みが、彼の理想として、その「解脱」への希求のなかに組み込まれていくことなくおわったのは、彼の一個の人物としての認識力や実践力の不足からでは、おそらくない。それは『虞美人草』のテクストに組み込まれた特殊な表現装置(他の箇所では「活人画」と名指されてもいる)によって、相反するものが共在させられ、矛盾が止め揚げされて、本来は実現不可能なはずの彼の欲望が、一瞬の成就として、つまりは一枚の「画」として、結晶させられてしまったためではなかったか。そして、それ以後の甲野には、日記を書く必然性がすでになくなってしまっているのではないか。これが以下の議論において確かめたい第一の要点である。
 もうひとつ、これも従来から多くの論者がとりあげている問題であるが、なぜ藤尾は死ななければならないのか、という問題について、やはり私なりの答えを探りたいと思う。
 藤尾が不自然にも殺されるのは、彼女が背負っている「美文」のせいである、と明快に指摘してみせたのは水村美苗である@。水村氏は、「美文」が藤尾を「妖婦」にしたてあげ、死罪に相当する罪が彼女にあるかのように「業深き女」を捏造していくその機能に着目する。そして氏は、作品世界と作家の内面的葛藤とを重ね合わせながら、『虞美人草』にある、好ましい「漢文学」と厭わしい「英文学」との対立、すなわち「男と男」の世界と「男と女」の世界との対立と、そこから生まれる三角関係の構造を読み解きながら、「藤尾的なもの」は「英文学的なもの」とその本質において関わりあっているために、それを「嫌悪」する作家によって殺されるのだ、とするのである。
 水村氏も指摘するように、『虞美人草』にはある過剰なものが含まれている。それは「詩的なもの」や「美的なもの」を背負った藤尾という存在と深く結びついた何ものかに違いない。『虞美人草』の作者はそれを藤尾の「我」と呼んで「道義」で囲い込もうとしたし、ある論者はそれを「商品というイデオロギー」Aという言葉で包み込もうとしている。しかし、それでもそこにおさまり切らない何ものかがあるのである。その何ものかを『虞美人草』の本文中の言葉で名指すとすれば、それは〈動くもの〉Bということになるだろう。たしかに藤尾はある種の「近代性」を背負わされている。しかし彼女の抱えている〈動くもの〉は、〈文明の進歩=自我の拡大/道義の必要性=近代の批判〉というような枠組みにおさまりきるものではない。水村氏は、『虞美人草』が藤尾の「罪」を明確にできないテクストである限り、「藤尾的なもの」を「男と女」の世界という以上に明確に定義しようとするのは無駄である、と述べている。しかし私は「藤尾的なもの」の、すなわち〈動くもの〉の、少なくともその手がかりについては、彼女の「夢」をとおして見出せるのではないかと考えている。そしてここで はそれを探りたいと思うのである。
 「女詩人」と呼ばれもする藤尾の「夢」は、「詩的なもの」や「美的なもの」を享受できる〈永遠の小供〉の日々を送り続けることである。二十四歳の「御婆さん」(二)になるこれまで、彼女が小供のままでいられたのは、父親が生きていてくれたからである。言うなれば、父が提供してくれた特別な〈時間〉が、彼女の「夢」を生かし続けてきたのである。その意味では父親の死後、「世界滅却の日を只一人生き残つた心持」(八)でいるのは、甲野欽吾という小供だけではないのである。そして〈父の時間〉のもとにとどまり続けようと意志する藤尾は、おそらくはその強すぎる欲望のために、倫理的な問題を突きつけてくる「過去」とはまた別の、存在の不安と結びついた〈動くもの/故里〉と向き合うことになるのである。そうしてその〈動くもの/故里〉を封印したり、逆に蘇らせたりもすることになる表現装置としての〈美文〉が、藤尾の不自然な死と深く関わっているのではないか。これが以下の議論における第二の要点である。
 小論では、甲野の「道義」や「解脱」の実践の物語を彼の理想とする〈大人〉や〈小供〉の観点からもう一度たどり直し、また藤尾の「我」の闘争の物語を彼女の夢である〈永遠の小供〉の観点から問い直してみたい。そうすることによって、従来の〈勧善懲悪〉の問題枠から逃れつつ、『虞美人草』という作品が、甲野の「理想」や藤尾の「夢」を瓦解させる表現装置をその内部に抱え込んだテクストであることを明らかにしたいのである。そして、そのことによって見えてくるのは、『虞美人草』というテクストが登場人物たちからその〈書くこと〉を奪うことによって成立しているテクストである、ということである。


  一 「立ん坊」 あるいは 甲野欽吾という小供

 甲野欽吾は、小説の終結近く、「真面目」になっていよいよ家を出ようとするとき、継母に呼び止められている。

 「(前略)何が気に入らないで、親の家を出るんだか知らないが、少しは私の心持にもなつて見て呉れないと、私が世間へ対して面目がないぢやないか」/「世間はどうでも構はないです」/「そんな聞訳のない事を云つて、――頑是ない小供見た様に」/「小供なら結構です。小供になれれば結構です」/「又そんな。――折角、小供から大人になつたんぢやないか。(中略)少しは考へて御覧な」/「考へたから出るんです」/「どうして、まあ、そんな無理を云ふんだらうね。(中略)私は――亡くなつた阿父さんに――」「阿父さんは大丈夫です。何とも云やしません」(十八)

 「小供から大人に」なることが人の自然な成長であり、また当然の義務であると信じて疑わない母親は、甲野を「小供」扱いし、彼の身勝手な振る舞いを窘めようとする。逆に甲野は、そうした「世間」的な思考や価値から自由になれない母親のような「大人」をこそ相対化しうるような存在を、思い描こうとしている。このとき甲野は、彼が考える理想としての〈小供〉を口にしているのである。「世間はどうでも」といい「阿父さんは大丈夫」という甲野は、ほとんど「解脱」を実現してしまっているかに見える。しかし「なら結構」「なれれば結構」という言い方のうちには、その反対に、彼の「解脱」への欲望が現実には不可能な夢でしかないという苦い認識が含まれている。甲野は自分がそうなりたい〈小供〉と世間からそうあれと強いられる「大人」という二つのものの間で、そのいずれにもなりきれずに宙づりになっているのである。そして結果的には甲野は「親の家」から動くことなく、「大人」を受け入れる形で小説は終わるのである。
 一方、小説の冒頭、叡山に登る場面では、甲野は「只万里の天を見る」と吟じ、「動けば吐く」と語っていた(一)。彼の日記や言動からも、甲野が高い見識と動かない道義性を携えて脱俗超然としている〈大人〉を理想としていたことがわかる。もちろん現実には、このときすでに甲野は父親の遺産を相続しており、東京では「家」の存続や「世間」の秩序保守のために「大人」になるという「喜劇」が、彼を待ちかまえていたのである。甲野はその登場の当初から、彼の理想としての〈大人〉と現実に要請される「大人」とのあいだに引き裂かれていたのであり、そもそもが「天地の間に懸かつてゐる」(八)人だったのである。
 『虞美人草』を甲野の「理想」という視点から見れば、〈高い/動かない/大人〉を憧憬する「小供」が、世間的な「大人」への成長・成熟を拒み、しかし理想の〈大人〉の不可能性を思い知らされていくなかで、ついには〈高くなく/動く/小供〉という夢を見ようとする物語として読むことができる。 以下では、この物語を軸にしながら、『虞美人草』をたどり直すことになるが、さしあたっては、父親の死後約四ヶ月になる「現在」、甲野の倫理や欲望がどんなかたちで生きられているのかについて、彼の理想としての〈大人〉の観点から見ておきたい。

 「立ん坊でも覚悟丈はちやんとしてゐる」と甲野さんは(中略)向き直る。/「叔父さんが生きてると好ゝがな」/「なに、阿爺が生きて居ると却つて面倒かも知れない」/「さうさなあ」と宗近君はなあを引つ張つた。/「つまり、家を藤尾に呉れて仕舞へば夫で済むんだからね」/(中略)/「愈 本当の立ん坊か」/「うん、どうせ家を襲いだつて立ん坊、襲がなくつたつて立ん坊なんだから一向構はない」(三)

 家を出さえすれば、「喜劇」は回避できる。「大人」にならなくてすむのである。にもかかわらず、それをせずに甲野は「愚図々々」(一、八、十五)している。甲野を「立ん坊」にしているのは、しかし彼の目の前の「現実」ではなく、むしろ彼の「理想」のほうなのである。甲野にとって、すでに壊れてしまった「家」を長男としてどうするか、というような問題よりも、父親が死んだのち、だからこそ自分の「理想」をどういうかたちで生き延びさせるか、という問題のほうがより切実なのである。
 甲野が〈大人〉を夢想する小供のままでいられたのは、父親がいてくれたからである。その父の死後、〈高い/動かない/大人〉という甲野の理想は、たんに思い描かれるものとしてではなく、「肖像画」となって常に「欽吾を見下ろして」いる〈父〉に対してどういう人間として向かい合うか、という彼の個人的/倫理的な課題として生きられることになる。その課題をはなれれば、彼の理想は、「なさぬ仲」の母や妹という現実の前で試され、おそらくは殺される外ないからである。したがって、甲野の理想にとって真に生きることとは、「家」を襲ぐか襲がないかではなく、〈父〉に対する自分の姿勢をどう定めるかであり、それが決まらない限り、彼は「立ん坊」のままでいる外にないのである。

 活きて居る眼は、壁の上から甲野さんを見詰めてゐる。甲野さんは椅子に倚り掛かつた儘、壁の上を見詰めてゐる。二人の目は見る度にぴたりと合ふ。眤として動かずに、合はした儘の秒を重ねて分に至ると、向ふの眸が何となく働らいて来た。(十五)

 甲野が向かい合うべき〈父〉と、彼の実際の父親とは別の次元の存在である。もちろん作者も甲野自身もそんな区別をいちいちしているわけではない。甲野は「肖像画」を見上げ、「只の人」であった父親を思い出し、自分の「体たらく」を嘆いてみせている。しかし、たとえ家督や財産を放棄しても、その期待に背いたからと恥じ入ったりする必要もなく、「阿父さんは大丈夫です。何とも云やしません」と言い切れるような、そういう〈父〉をやはり甲野が父親の「肖像画」の中に見ようとしていることも確かなのである。
 このとき〈父〉は、甲野の「理想」がその存続のために要請仮構した一種の延命装置としてあるだけではない。この〈父〉は、そこから甲野の個人的な倫理が生まれ出てくるという意味で、彼の倫理のふるさとであり、その前で彼の「現実」の有様が明らかにされ、同時にそのことによってまたその向こうに彼の「理想」の姿が浮かび上がるという意味では、甲野の認識と欲望の鏡でもあるのである。
 もちろん、甲野に「我」がないわけではない。実際、甲野は法律上の「相続人」を自認しながら自らは結婚する気もなく(九)、継母の「世話」をする気もない(十五)。にもかかわらず藤尾の「世話」だけは「したいと思つてゐる」(同)。しかしこうした甲野の姿勢から、彼のどんな我欲を読み取ろうとも、甲野が藤尾に対して、彼女の結婚相手に宗近を名指すところまで踏み込もうとすることについては、彼の「我」からの説明だけでは十分でないのである。甲野にとって、藤尾と宗近とを結婚させるという父親の「約束」(三)を履行することは、たんに父権を代行するということを意味するのでもない。それは〈動かない道義〉を実践することであり、甲野はむしろそれを自分の個人的な「理想」として、〈父〉に向かい合うにふさわしい行為として、実現させたいのである。
 もっとも、甲野に義母とその娘に対する根深い「疑」(三)があることもまた事実であるC。しかしそうした「疑い」から、つまりは自分が作り出している「謎」から、自分自身を解放すること。そのことと〈高い/大人〉であろうとすることとは、同じ一つのことであって別のことではない。それができないまま、妹や母親に対して〈高い/大人〉をだけは演じようと、甲野がいくら藻掻いてみせても、「なさぬ仲」の相手には、それがより利己的で権力的な振る舞いに映る。甲野は見通しのつかない我儘な「小供」にしか見えないのである。

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 二 〈書くこと〉を奪う「活人画」

 ごくごく私的で、個人的なものにすぎない何ほどかの想いを、他人と共有できる言葉に「翻訳」(五)すること。〈書くこと〉のうちには、そうした欲望が含まれている。だとすれば、甲野の手によって〈書かれた言葉〉を子細にたどれば、〈父〉に向かい合おうとする甲野の個人的な倫理や欲望が、そこから読み取れるのではないか。
 しかし、「一奩楼角雨 、閑殺古今人 」と起承された絶句に始まる甲野の日記に、〈父〉への言葉を見つけることはできない。彼はもっぱら自分の日記(に記す言葉)を俗世間から距離を置くための方便として用いている。「家」を出ようとする決意さえ、他人事のように漢詩にしてしまう甲野の日記(の言葉)は、〈父〉を迂回し続けているようにさえ見えるのである。
 しかし『虞美人草』の「作者」は、甲野がやはりどうにかしてその個人的なものでしかない倫理を、他者に通じる言葉に「翻訳」しようとしていることを、そしてそれがほとんど不可能な試みであることを、逆説的なかたちで、つまりは甲野が〈書くこと〉を崩壊させていく過程を描写することによって、はっきりと示している。
 肖像画の〈父〉の眼を抜け出た「魂がじりじりと一直線に甲野さんに逼つて来る」(十五)という体験のあと、いよいよ「家」を放棄するにあたって、〈父〉と本気で向かい合わねばならなくなった甲野が描かれる。「片身とは、思ひ出す便を与へながら、亡き人を故に返さぬ無惨なものである」(同)。そのとき甲野は肖像画を仰ぎ見て、「此画は厭だ」「片身は焼くに限る」とまで考える。甲野は〈父〉との「不可思議」な向かい合いの体験を、身体の衰弱か頭の具合の悪さのせいにしているが、彼はそれが「魂」だから語り得ないのではない。それが〈動くもの〉だからこそ言葉にできないのである。
 この後につづく、財産の譲渡を藤尾に言い渡す場面では、「烏」↓「鳥」↓「鴃」↓「鴃舌」と漢字を変形し、添加し、その意味を変転させていくような「楽書」から、意味そのものを失った「図案」の反復、羅列をひたすら続ける甲野が並行して描かれている。甲野は、〈動くもの〉を抱えた〈父〉を、また藤尾を、他人に通じるような言葉に「翻訳」することができない。ここで彼は、狂気すれすれまでにその可能性を模索しつつ、他方で「真黒な化石」(一)になること、あるいは「死」への強い誘惑に全身であらがいながら、かろうじて理性の世界に踏みとどまるのである。
 日記を捨てるに至るまでを含む、この甲野の〈書くこと〉の崩壊の過程は、同時にまた彼の「理想」の挫折とその自覚の過程でもあるのだが、注意しておきたいのは、このとき〈父〉に対する倫理的な重圧に耐えている甲野が、それと同時に〈動くもの〉がもたらす存在論的な不安にも向き合っているという点である。宗近が訪ねて来るまで、甲野は「一時間以上」も「図案」を書き続けているのである(十七)。
 〈父〉は〈魂/動くもの〉を抱えている。この〈動くもの〉を見定めない限り「動かないでしかも活きてゐる」〈父〉は謎である。では「謎」としての〈父〉にどう向かい合うか。この問いを生きる中で、父親の「約束」を履行することが断念され、代わって「真面目」(十八)への飛躍が試みられるのである。
 しかし、〈小供〉がかなわぬ夢にすぎないことを自覚する甲野が、それでも「本来の無一物から出直」(十七)そうとするとき、彼は自分の「理想」の死と引き換えにそうするのである。このとき甲野は、自分の欲望を二つの方向に振り分けている。一つは、自らは〈動かない/大人〉として、宗近という〈小供〉を動かし、その宗近に小野を〈大人〉にさせ、そうして藤尾という小供に向かい合わせるという、自身の「真面目」を「感化」として連続させていく形で、その「道義」の実践をはかる方向にであり、もう一つは、自ら〈動く/小供〉として、肖像画の〈父〉と自分を重ね合わせるかたちで「解脱」をめざす方向にである。そして小論の冒頭「はじめに」でも先取りしてふれておいたように、甲野の「道義」の実践は、藤尾の死によって中断/貫徹されるのであり、彼の「解脱」への欲望は「活人画」のかたちで凍結/成就されるのである。
 以下、本章では「活人画」の導入による解決とそれがもたらす意味について考え、〈小供〉や〈大人〉の代行と「道義」の問題については、次章以降で考えることにしたい。
 「家を出る」覚悟を以前からしていた甲野にとって、「真面目」とは、家督や財産の譲渡を藤尾に宣告したことではない。「僕の方が母より高い」「賢い」「善人だ」(十七)と宗近に告白したことである。この正直な告白によって、甲野は初めて自分の理想の〈高さ〉を捨て、初めて宗近と同じ現実の「高さ」に降り立ったのである。しかし、甲野自身はそのことを自覚できず、したがって「片身」と訣別しきれない。「一向要領を得ない」言葉だとして燃やしかけたはずの「日記」を拾い上げてしまうのも、言葉にできない〈父〉の肖像画を壁から外して持ち出そうとするのも、甲野が自己批判を徹底できていない証である。しかし、甲野の母親と宗近の妹糸子が、甲野の家出をめぐって言い争う場面では、それらの一切がそのまま宙づりにされてしまうのである。

海と山とを心得た甲野さんは黙つて二人を見下してゐる。(中略)此二人の問答を前に控へて、甲野さんは阿爺の額を抱いた儘立つて居る。別段退屈した気色も見えない。焦慮たさうな様子もない。困つたと云ふ風情もない。二人の問答が、日暮迄続けば、日暮迄額を持つて、同じ姿勢で、立つてゐるだらうと思はれる。(十八)

 「親の謎を解く為めには、自分が親と同体にならねばならぬ」(三)と甲野は日記に書いていた。「道義」の実践を宗近に委ねてしまった甲野に他人を見下げる視線はない。自在に生きる〈小供〉を夢見ながら「家」を出ようと〈動き〉つつ、しかし壁から下ろした〈父〉を抱えたまま〈動かない〉で立ち尽くすこと。「作者」は、これを一種の「活人画」として描いている。そしてこの「活人画」に示されているのは、同時に〈高い/高くない〉〈動かない/動く〉〈大人/小供〉であるような行為の姿勢であり認識の態度である。

只新しい理想か、深い理想か、広い理想があつて、之を世の中に実現しやうと思つても、世の中が馬鹿で之を実現させない時に、技巧は始めて此人の為め至大な用をなすのであります。一般の世が自分が実世界に於ける発展を妨げる時、自分の理想は技巧を通じて文芸上の作物としてあらはるゝ外に路がないのであります。(『文芸の哲学的基礎』)

 「博士」と「金時計」と「藤尾」とが一揃いになった「美しい画」を思い描き、「此画の中の人物となる」ことを「理想」としていたのは小野である(四)。しかし「作者」の「技巧」によって、その「理想」の死を救い上げられたのは甲野なのである。こうして甲野の「解脱」への欲望は、彼自身が活きながら「画の中の人物となる」かたちで成就したかに見える。しかしこのとき、〈父/動くもの/謎〉に向かい合いつつ記されるはずの甲野の私的な言語は、他者に共有される言葉としてはついに書かれることなく、「謎」を「活人画」として「翻訳」してみせた作者の「技巧」によって、永遠に封殺されてしまったのである。それだけではない。このために甲野はすでに自ら〈書くこと〉の必然性をなくしている。したがって、いったん捨てた日記を拾い上げてそこに記すことになるのは、彼の個人的な倫理的課題とは何のかかわりもない、世間的な道徳につながる、むしろ「作者」の道義であり哲学なのである。「まだ書く事があつた」のは、「活人画」という「技巧」によっては、いまだ自身を「謎」の問題枠から解放しきれずにいる者であり、どうしても「最後に哲学をつける」つもりでいる作者 その人の外ではない。そしてそこでは、一般化された「道義」によって、あれほど甲野を悩ませた〈動くもの〉は、もはやまったく隠蔽されてしまっているのである。
 むろんこの作者による介入については、別の見方もできる。義母と糸子を見下ろす甲野はそのとき、ちょうど甲野たち登場人物を眺める作者の位置に重ね合わせられている。漱石は『写生文』という文章に、「写生文家の人事に対する態度」は「大人が小供を視るの態度である」と書いているD。甲野を「活人画」によって救う「作者」の態度は、まさにこの態度である。柄谷行人は、フロイトがヒューモアを「親が子供に対するような態度」であると説明しているのを取りあげて、「漱石のいう『写生文』の本質はヒューモアだ」と指摘しているE。これにならえば、『虞美人草』は写生文であり、最後の「悲劇の哲学」の部分も、これを作者による「道義」の押しつけと見るのではなく、「ヒューモア」として見ることもできるのである。
 しかし小論では、のちにさらに見ていくように、「ヒューモア」によっても制御しきれなかった〈動くもの〉を、つまりは大人や親の態度で居続けられなくさせるほどに作者を悩ませたであろう〈動くもの〉のほうを、特に強調しておきたいのである。

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 三 「感化」とその代償 あるいは 宗近一と小野清三

 ここでは、甲野の「真面目」に感化され、「道義」の実践への欲望を代行する、宗近や小野がそのことによってどんな代償を払うことになるのかについて見ておこう。
 宗近が甲野の「理想」としての〈小供〉を引き受けることになるのは、結婚の談判にやってきた宗近が、小野と睦む藤尾の姿を見せつけられ、甲野に諭されて藤尾との結婚を断念する場面である(十七)。甲野に椅子をすすめられた「宗近君は小供の如く命令に服し」ているF。この直後に、甲野は初めて「宗近さん」とその名を呼び、「正直な者程人には使はれ易い」(三)としていた宗近への「疑い」を捨て、やっと「親しき友」に自らをさらけ出すのである。そしてこのときからおそらく宗近は、甲野の欲望の正式な代行者として〈動く〉ことになるのである。しかし皮肉なのは、この「活躍の兒」(十八)が、「真面目」以前の甲野の「謎」に対する姿勢までも受け継いでしまうことである。というのは、そのために宗近は、もともと持っていた〈小供〉的な彼本来の自在な批評性を失うことになるからであるG。
 宿の襖に描かれた「筍」をめぐって「意味が分からないものが描いてあるんだから謎」だとする京都での宗近は、「意味があるから謎」だとする甲野を相対化し得ていた(三)H。そしてこの宗近の「謎」に対する態度は、『虞美人草』に「一つのセオリー」を持ち込み「最後に哲学をつけ」ようとする作家Iへの批判でもあったのである。
 甲野もまた、かつては宗近や「作者」への批評性を持ち得ていた。

 「人間は、それなら斯うする許りだと云ふ了見がなくつちや駄目だと思ふんだね」/「それも宜からう」/「それも宜からうぢや張り合いがないな。ゴーヂアン、ノツトはいくら考へたつて解けつこ無いんだもの」/「切れば解けるのかい」/「切れば――解けなくつても、まあ都合がいゝやね」/「都合か。世の中に都合程卑怯なものはない」(三)

 この会話は、藤尾の「謎」が「ゴーヂアン、ノツト/金時計」にあると見て、宗近がそれを「切る/壊す」ことになる結末の伏線になっている。しかし、ここにある言葉は、小説の伏線という役割を越えて、この小説の結末に対するあらかじめの批判としても聴こえてくる。藤尾を殺そうとする『虞美人草』の作者は、「都合程卑怯なものはない」という甲野の言葉に、どれだけ耐えられるだろうか。むろん、宗近はアレキサンダーではない。宗近はそれで何かを手に入れるわけではなく、このときまでに藤尾との未来はすでに奪われているからである。その意味で宗近の行為は彼の「都合」ではない。しかしたとえ宗近の行為が、彼のいうように「好意上」(十九)のものであったとしても、そのことが「作者」の「都合」のアリバイになるわけではないのである。
 「謎」を「意味」によって捉えようとする反宗近的な宗近の振る舞いによって、藤尾の「謎」は確定される。宗近は、藤尾を捉え損なっているだけではない。自分自身をも見失っている。彼本来の振る舞いは、〈動く謎〉を〈動かない意味〉として一つに固定せずにはいられない誰彼を相対化し批判する〈小供〉としてあるべきはずのものだからであるJ。この〈小供〉らしさを作者自身もまた見失っている。だからこそ藤尾の死は、彼女の生を「我」や「業」として都合よく「翻訳」してしまった作者に対する、終わりなき抵抗として輝き続けることになるのである。
 もちろんこれ以前に、甲野の欲望の代行者としての宗近には大切な仕事があった。小供である小野を〈大人〉にすることである。「文学者」であり、「詩人」とされる小野であるが、彼の詩作品そのものは、しかし実際に紹介されることはない。甲野は世間に背を向けつつ日記を〈書く男〉であったが、小野は世俗の欲望に執着しつつ「博士論文」を〈書く男〉である。そしてまた小野は「詩人丈に尤も想像力に富んで」(十八)おり、その「想像力」によって他人の心を〈読む男〉でもある。小野の「人情」はここから生まれてくる。そして小野の問題は、いうまでもなく〈書くこと〉に徹しきれないところにある。
 小野が「過去の管を今更覗いて見ると――動くものがある」(四)。しかし小野が〈書くこと〉に徹しきれないのは、「社会が後指を指す」(十七)というような道義的な圧迫のためばかりではない。孤堂先生と小夜子を捨てる「決心をした」小野が、〈動くもの〉の向こうに見ることになるのは、たとえば次のような世界である。

瘠せた頬を描く。落ち込んだ眼を描く。縺れた髪を描く。虫の様な気息を描く。――さうして想像は一転する。/血を描く。物凄き夜と風と雨とを描く。寒き灯火を描く。白張の提灯を描く。――慄然して想像はとまる。/想像のとまった時、急に約束を思い出す。(十七)

 小野の「想像力」は、彼を「慄然」させるような何かに突き当たっている。ここでの「約束」とは、藤尾と大森へ行くことであるが、小野は倫理的な問題として了解することで、正体の知れない〈動くもの〉をなんとか抑え込もうとしているのである。小野は宗近に救われるのを待っていたといってよい。
 「然し真面目になると、ならないとは大問題だ。契約があつたの、滑つたの転んだの。嫁があつちや博士になれないの、博士にならなくつちや外聞が悪いのつて、丸で小供見た様な事は、どつちがどつちだつて構はないだらう」(十八)。宗近は小野にその「生れ付きを敲き直」せと迫る(同)。小野には甲野の欲望の代行者として困難な課題が与えられるK。小野には、たとえ「証文」(書かれた言葉)が残されていなくても、〈高い〉道義的見地からその「約束」を守りきる〈大人〉が期待されるのである(甲野自身は同じ理由で父親の「約束」を諦めている(十五))。この要求に応え、孤堂先生の娘小夜子との婚約を履行することは、現実には小野から「博士論文」を奪うことになるだろう。つまるところ小野は、利害意識を抱えて〈書く男〉から、書かれてはいない文字を道義的に〈読む男〉へとその存在のあり方を転換させられているのである。
 『虞美人草』において、甲野にしても小野にしても、〈書くこと〉とその人物の個人的な倫理や理想(や夢)の問題とは深く関わっている。そして彼らはいずれも、存在を脅かす不安をもたらす〈動くもの〉に出くわしてしまい、〈書くこと〉を奪われることになるのである。そしてそれは同時に、彼らから個人的な倫理や理想を奪い、作者の「道義」を押しつけられてしまうことでもあるのである。

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 四 〈故里〉 あるいは 甲野藤尾という小供

 甲野欽吾が「大人」を拒んでいたように、藤尾もまた世間的な「大人」を拒んでいる。そして彼女は「家庭的の婦女」(六)、「男の用を足す為めに生れたと覚悟してゐる女」(同)、「大人しく傍に着いてゐる」(十八)ような女を軽蔑し、たった独りで「大人になる/大人しくなる」ことに抵抗しているのである。実際に母親から「丸で小供で」「実に赤兒で」(二)と紹介されもする藤尾は、父親の「金時計」に執着している。それは「小供の時から藤尾の玩具になつた時計」(三)であり、これだけが彼女に残された〈父〉だからである。自分だけの〈父〉を抱えながら父親の死後を生き抜こうとしているのは甲野一人ではない。藤尾は実際には失われてしまった〈父の時間〉を今もなお生き続ける〈永遠の小供〉を夢見ようとしているのである。事実、宗近はこの時計を「考へると古い時計」(三)「太古の時計」(十六)といい、彼の父親もまた「あれで針が回るかな」(十六)といっている。『虞美人草』において「金時計」が果たす役割を見事に分析して見せたのは、竹盛天雄である。しかし竹盛氏は、宗近親子の「金時計」に関するこれらの発言については言及していないL。藤尾の「金時 計」への欲望において重視したいのは、心理の劇を超えたところで、「道義/過去」対「我/近代」という物語の枠組みさえ踏み抜いてしまうような、ある「過剰」を抱えた小供の「夢」である。
 「又夢か」と甲野は藤尾に声をかけている(十二)。藤尾に必要なのは小野その人ではなく「詩」や「恋」という「夢」である。しかし「二人の宇宙」は兄や母親が不在の時空でのみ成立するユートピアにすぎない。

呼び交はしたる男と女の姿が、死の底に滅り込む春の影の上に、明らかに躍り上がる。宇宙は二人の宇宙である。(中略)若き血潮の、寄せ来る心臓の扉は、恋と開き恋と閉ぢて、動かざる男女を、躍然と大空裏に描き出してゐる。二人の運命は此危うき刹那に定まる。東か西か、微塵だに体を動かせばそれ限りである。(二)

 たしかに、この「活人画」の宇宙は母親の帰宅によって脆くも崩れ去る。しかし藤尾の「恋」は、〈書くこと〉を許されず、兄にも実母にさえも理解されない彼女の孤独が、彼女の〈父の時間〉への欲望が、かたちを変えて現れ出た「夢」であり、いわば彼女の「文芸上の作物」(『文芸の哲学的基礎』)なのである。
 『プルターク英雄伝』を〈読む女〉として登場した藤尾は、甲野の投げ掛ける言葉に「嘲 」を読み、また彼の利他的な配慮の裏に隠された利己心を読む。自分のプライドを傷つけた小野には「手紙を書きかけ」て、しかしすぐに「引き裂」いている(十二)。「決して書くまい」(同)と心に誓うこの「女詩人」は、しかし「作者」によって書くことを禁じられた〈読むことしかできない女〉なのである。したがって、藤尾の「詩」は実際には書かれることなく、「家庭的の女」糸子に破られてしまう程度の「空想」(六)にとどまる他にない。この点、詩や論文を〈書く男〉である小野は、藤尾の「夢」の代行者であり、彼女の「恋/文芸上の作物」がそれを通じて可能になるはずの、いわば「技巧」なのである。
 「昼と夜との間に立つ人」は、母親に呼ばれてはじめて「現実世界に競り出して来る」(二)。その「現実」の世界では、小野は「道具」であり、「玩具」である。そこでは、藤尾は母親の欲望を忠実に映す鏡のような「小供」にすぎない。小野もまた「無一物の某 を入れて、大人しく嫁姑を大事にさせる」(十二)という母親の「策略」に見合った人物である他にない。そしてその小野が、藤尾との「約束」を違えて、博士論文を〈書く男〉ではなく、書かれてもいない小夜子との婚約の証文を〈読む男〉としてその目の前に現れたとき、藤尾はそれ以上「夢」を見続ける余地を見つけることができなかったのである。
 〈動くもの〉を抱えた藤尾の「謎」は、たとえば次のようなかたちで暗示されている。

 菱餅の底を渡る気で真直な向ふ角を見ると藤尾が立つてゐる。濡色に捌いた濃き鬢のあたりを、栂の柱に圧し付けて、斜めに持たした艶な姿の中程に、帯深く差し込んだ手頚丈が白く見える。萩に伏し薄に靡く故里を流離人はこんな風に眺める事がある。故里を離れぬ藤尾は何を眺めてゐるか分らない。母は椽を曲つて近寄つた。 
 「何を考へてゐるの」
 「おや御母さん」と斜めな身体を柱から離す。振り返つた眼付には愁の影さへもない。我の女と謎の女は互に顔を見合した。実の親子である。
 「どうかしたのかい」と謎が云ふ。
 「何故」と我が聞き返す。
 「だつて、何だか考へ込んでゐるからさ」
 「何にも考へて居やしません。庭の景色を見て居たんです」
 「さう」と謎は意味のある顔付をした。
 「池の緋鯉が跳ねますよ」と我は飽く迄も主張する。成程濁つた水のなかで、ぽちやりと云ふ音がした。
 「おやおや。――御母さんの部屋では少しも聞えないよ」 
 聞えないんではない。謎で夢中になつてゐたのである。
 「さう」と今度は我の方で意味のある顔付をする。世は様々である。(十二)

 「緋鯉がぽちやりと又跳ねる」。「鯉」に関する問答は、後に母親と甲野の間でも繰り返されている(十五)。そしてそこでは母親に対して、鯉の音は「聞えない」と答える甲野は、のちに宗近に対しては、藤尾のことを「飛び上りもの」「跳ね返りもの」と呼んでいるのである(十七)。藤尾は自分の中に〈動くもの〉を抱えている。「跳ねる緋鯉」が藤尾ならば、その立てる「ぽちやり」という「音」は、〈書くこと〉を禁じられ、また自らに発語を禁じている彼女が洩らした「声」である。「ぽちやり」の響きは小夜子の「ころりん」という「琴の音」(三)と対応しているM。ただ小夜子は上京以来琴を弾かなくなっただけである(九)。「象徴とは本来空の不可思議を眼に見、耳に聴く為めの方便である」(三)と甲野は日記に書いていた。「ぽちやり」は藤尾の「無絃の琴」(同)である。しかし甲野は、藤尾が抱える「不可思議」を彼女の「我」とのみ見てしまい、決して藤尾を〈動くもの〉に向かい合おうとする自分と同類の存在とは見ないのである。
 藤尾の「謎」は、動きそうにない「金時計」よりは、むしろそれを納めている手文庫の「蒔絵」にこそ関わっている。「蒔絵」は、次のようなかたちで〈動く〉からである。

藍を含む黒塗に、金を惜まぬ高蒔絵は堂を描き、楼を描き、廻廊を描き、曲欄を描き、円塔方柱の数々を描き尽して、猶余りあるを是非に用ひ切らん為めに、描ける上を往きつ戻りつする。縦横に空を走る焔の線は一点一画を乱すことなく整然として一点一画のうちに活きて居る。しかも明らかに動いて、動く限りは形を崩す景色が見えぬ。(十一)

 博覧会の「イルミネーシヨン」は「大いなる火の絵図面」を「虚空」に描き出す。そのありさまが「蒔絵」に喩えられる。ここで「蒔絵」は、〈動かない〉世界から解放され、「空を走る焔の線」となり、限られた僅かな時間を、しかし「活きて」「明らかに動いて」いる。博覧会場の夜の空は、〈動くもの〉としての藤尾本来の〈美〉が許された貴重な時空である。藤尾は思わず「夜の世界は昼の世界より美しいこと」ともらさずにはおられまい(同)。
 「金時計」は壊され、「紫の絹紐は取つて捨て」られ、「仰向け」に藤尾は横たえられても、「蘆雁の高蒔絵」は忘れられずに描かれている(十九)。しかし「驕る眼を眠つた藤尾」は「天女の如く美くしい」と書かれてしまうとき、〈動く美〉は〈動かない美〉へと連れ戻されているのである。甲野の「理想」は、宗近という〈小供〉から小野という〈大人〉へ、そして藤尾へと移り継がれて、最後にはこの〈小供/動く蒔絵〉が〈小供のままで死ぬこと/動かない画〉として描かれることで結ばれる。しかしこの結末は、甲野の欲望の成就であると同時に挫折である。〈動かない美〉として固定されようとする藤尾は、甲野の欲望というよりは、作者の「道義」により寄り添ったかたちで葬られているからである。叡山での甲野の姿勢を模倣させられ、その眼をつぶらされてしまっても、藤尾の「謎」は、世間的なものにすぎない「道義」のようなものに、ほどよく包み込まれたりはしまい。そもそも、〈謎/動くもの〉の解明の手段としての「死?死とはあまりに無能」(三)であったはずなのである。
 母親が「丹念に撫つ」て眠らせねばならなかった、あの見開かれたままの藤尾の眼は、何を見続けようとしていたのか。博覧会場で小夜子と小野を目撃した翌日、頭を柱にもたせ掛けながら、藤尾はその「流離人」を思わせる視線で、しかし「何を眺めて」いたのか。母親のそばを離れたことのない「赤兒」は、同時に父親のもとを離れようとしない「小供」でもある。藤尾はおそらく、〈父〉という「故里」を眺めようとしていたのである。「故里を離れぬ」藤尾が「故里」を眺めようとすればどうなるか。〈動くもの〉を抱えた存在がその〈動くもの〉を見つめようとすればどうなるか。己自身を覗き込もうとする眼球のような事態になるだろう。彼女が「何を眺めてゐるか分らない」のはそのためである。藤尾はこのとき、懐かしいだけではない、むしろ自分を「我の女」以前のものに、さらには自分を〈無〉にさえしてしまうような不可思議な〈故里〉に立ち会っているのではなかったか。 
 「故里」は、人がそこで生い立ち、そこから出て行くところである。それは生まれた土地を指すばかりではない。たとえば孤堂先生にとっての二十年ぶりの東京がそうであるように、小夜子にとっての小野もやはり「故里」である。人はそこを離れてはじめて「故里」を見いだす。そしてそのとき「故里」はつねに二重である。「命より明らかな夢の中なる小野」(九)と五年ぶりに目の前に見る「寄り付けない」(同)小野。心の内側に存在する主観的な「故里」と客観的実在としての「故里」。その二つの「故里」の間に齟齬があるために、人は苦悶する。「来て見るとさうでもないね」「こんな人ではなかつた」(九)。しかしそれらの「故里」はありふれた幻滅の体験(文明批判や道義の基盤となる「過去」と同次元のもの)にとどまっており、藤尾や作家が向き合ってしまっている〈故里〉とは異なっている。
 藤尾の〈父〉は、彼女に「詩/美」に囲まれて生きる〈独身者/永遠の小供〉という「夢」を見続けさせてくれた父親であり、また同時に「約束/道義」として宗近との「結婚」を押し付け、「夢」を殺しにくる父親でもある。しかし「琴」を弾くことを自らに禁じることによって、「故里」との違和から眼を背けようとする小夜子とは反対に、藤尾の「我」が、二様の父親の像の、そのずれを引き裂いて〈父〉を直視しようとするとき、彼女の「我」もまた散逸し、そこに「不可思議」な世界が立ち現れるのである。「我」も「道義」もまだ生まれない「太古」の〈故里〉。言語的秩序もなく〈父〉さえも表象されない〈故里〉。「金時計」はこの世界の〈時間〉を刻むのである。甲野に逼ってくる「魂」もおそらくこの〈故里〉からもたらされたものであろう。それは、あらゆる視線/意味を吸い尽くして元に戻さない「真黒な化石」(一)という点では「万事の終」(同)であり、同時にそれを抑圧しそれを隠蔽するかたちで、「我」も「人情」も、さらには「道義」さえもが、しかしそこから生まれてくるという点では「万事の始め」(同)である。いずれにせよそれは意識で捉えられる客観的実在世 界の「外なる世界」(同)であり、甲野が憧れていた「死」とほとんど変わりのない世界なのであるN。甲野を捉えた「活人画」の場面と同様に、ここでも作者は藤尾の欲望を十分に描ききっており、したがってもはや藤尾について綴るべき言葉は尽きているのである。そのことに作者は自覚的でなく、要らぬ言葉をさらに書き連ね、藤尾を殺してしまうことになってしまったのである。
 最後に、『虞美人草』の〈美文〉表現と作家の内面的葛藤との関係について述べておこう。「あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつを仕舞に殺すのが一篇の主意である」O。この作家の言葉に対して水村氏は、藤尾は「詩的であるが」ゆえに「大人しくない」のである、と述べている。しかし「大人しくない」ものとは何か。それは〈動くもの〉である。そして〈動くもの〉が作家にとって危険なのは、それが倫理的な課題を突きつけてくるものだからではない。存在をおびやかす無気味な〈故里〉を呼び起こすものだからである。
 かつて小宮豊隆が「俳句を繋げて行くやうな、美しい詩」「圧搾された表現」Pと評した『虞美人草』の〈美文〉は、「活人画」がそうであったように、〈動くもの/故里〉を〈動かないもの/表現〉に変換する装置として機能している。しかしまたこの装置そのものが、〈故里〉の封印であると同時にそれを召喚する「片身」として、つまりは〈動くもの/表現〉として両義的に機能することになるのである。したがって藤尾その人は殺されても、藤尾の「片身」として、あるいは藤尾の喩として『虞美人草』に刻みこまれた表現、すなわち〈美文〉は、「動かないでしかも活きてゐる」かたちで残されることになる。だからこそのちに作家は、甲野が「父の肖像画」と向き合ったのとちょうど同じように、『虞美人草』と向かい合わねばならなくなったのである。

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 註

@水村美苗「『男と男』と『男と女』――藤尾の死」(『批評空間』a@6福武書店 一九九二・七)

A石原千秋「博覧会の世紀へ―『虞美人草』」(『漱石研究』bP翰林書房 一九九三・一○)。石原氏は、帝国主義的欲望を背景にした博覧会の記号論的分析を重ね合わせつつ、男の欲望に支えられた「商品」として自らを自覚した藤尾が、甲野の観念しようとする秩序(「死の意味論」による抑圧)の世界を根底から揺るがす姿を浮き彫りにしている。

B「動くもの」(四)は、たとえば藤尾と同じように「近代性」を生きようとする小野に対しては、「過去」から「道義」を突きつけにやってくる何ものかである。そういう点からいえば、「動くもの」は倫理に関わる何ものかであるといえる。しかし藤尾だけがそれと正面し見 極めようとする「動くもの」は、決して倫理の周辺にとどまっているような何ものかではない。倫理をも踏み越える何ものかである。

C甲野は藤尾が小野から借りている本にある挿し絵(そこでクレオパトラは冠をかぶっている)を知っており(十一)、庭の扇骨木の植え込みが母親の部屋からが「一番好く見える」ことを知っている(十五)。知っているだけではない。彼はそんなことは家長のあたりまえの特権だとでもいうように、それを自分から告げて妹を動揺させてみたり、母親に尋ねられても「見たとも見ないとも云はなかつた」りするのである。

D『写生文』(明治四○年一月二○日 『読売新聞』)

E柄谷行人「漱石とジャンル」(「群像」講談社 一九九○・一 のち『漱石論集成』第三文明社所収 一九九二・九)

F『虞美人草』において、「小供」という言葉が、未熟・我儘・無分別といった否定的な意味として使われていない例は、先に挙げた甲野の家出の場面でのそれとここでの宗近に対してだけである。 

G橋浦洋志「小野の人情」(『日本近代文学』第三八集 一九八八・五)。橋浦氏は、「『勧懲』を担う『性格』は崩壊することはない」とし、小野や藤尾を懲らしめる側に立つ人物の性格を固定的に見ている 。しかし本稿で触れているように「勧懲」の成立には甲野や宗近の欲望の転化やそれによる「性格」の変化が必要条件となっているのである。

H石原氏前掲論文 同じ部分をとりあげて、石原氏は甲野の「死の意味論」を読み解いていくのであるが、小論では別の視点から、甲野と宗近のその役割の「交換」と批評性の喪失を強調する読みを試みている。

I明治四○年七月一九日小宮豊隆宛書簡中の言葉。

J甲野の理想としての〈小供〉を生き始める以前の宗近は、たとえばすでに「外交官の試験に及第」し、「人間を二通り拵へ」るために髪を「小野清三式に」刈つている(十六)。宗近は「雅号」(一)と「真面目」を同居させているのである。小野の友人浅井が「口を頼みに」(十七)行こうとしたり、実際には孤堂先生の「真面目」に圧倒されて行き場をなくし、逃げ込んでくることになったりするのも、宗近に一方を排除してしまわない両義的な二面性があったからこそ、可能だったのである。

K西垣勤「『虞美人草』論」(『日本文学』一九七四・五 のち「虞美人草」『漱石と白樺派』有精堂所収 一九九○・六)。西垣氏は「漱石はあえて二人の間柄を、数ヶ月の間の婚約の成立とし、それ以前のつきあいをなくすために小夜子を東京の女学校にゆかせ、婚約後五年間も会わせないというかなり無理な設定」をし、そのうえでなお「『道義』を主張している」と指摘している。この小野の改心の問題は『文芸の哲学的基礎』における〈真〉から〈善〉へのその理想の選択変 更の問題と対応しており、遠藤祐「漱石の反自然主義をめぐって」(『日本近代文学』第三集 一九六五・一一)が指摘した、漱石の人間把握におけるH・スペンサー流の科学的決定論からW・ジェームズ流の自由意志論への移行の問題と重なっている。

L竹盛天雄「『虞美人草』の綾―「金時計」と「琴の音」―」(『国語と国文学』 一九八三・八)。ここで竹盛氏は、『虞美人草』において「金時計」が果たす役割を見事に分析して見せている。しかし、宗近親子の「金時計」についてのこれらの発言についての言及はない。

M蓮實重彦「近さの誘惑」(『夏目漱石論』青土社 一九七八・一○)。「琴の音」の「説話的機能」に注目する蓮實氏は、立て切った甲野の書斎(十七)の外から聞こえてくる藤尾の「『ホホホホ』が京都の宿の『ころりん』に相当する響き」だとし、「琴の音」を「藤尾独特の『癇声』」「歇私的里性の笑い」と対応させている。

Nここで〈動くもの/故里〉をいおうとするとき、私はフロイト/ラカンのいう〈無気味なもの〉/〈現実(界)〉を一応念頭においている。それらの用語の使用を避けたのは、私の理解がとどいていないためである。もちろんここでの目的は藤尾あるいは漱石を精神分析的に解釈することではない。〈故里〉に関しては、「生存の孤独」と結びついた〈ふるさと〉(坂口安吾)について、西谷修「ふるさと、またはソラリスの海」(『現代思想』青土社 一九九○・八 のち『戦争論』岩波書店所収 一九九二・一○)が、井口時男「物語の壊れるとき――坂口安吾と小林秀雄」(『物語論/破局論』論創社 一九八七・七)の論考をふまえつつ、優れた分析を展開しており、そこから多くの示唆を得ることができた。また、〈動くもの〉に関しては、「表象」と「近代」との関係について鋭い分析をしている松浦寿輝の論考(『平面論』岩波書店 一九九四・四、フロイト/ラカンとの関連ではとくにその第四章「『現実的なるもの』をめぐって」、第十一章「鏡と幽霊」など)があることを、小論の仕上げの段階で知った。不明を恥じるほかないが、そこで氏によって提出されている〈貌〉という概念、あ るいは「現実的なるもの」や「物」をめぐっての記述は、別のアプローチであり別の言葉ではあるものの、ここで私がいおうとしている〈動くもの〉とおそらくは同じものについて(それがどんなものであり、またそれとの出会いの体験のうちにどんなことが起こっているのかについても)、より明晰に、そのほとんどを語り尽くしているように思われる。残念なことに、小論ではこうした松浦氏の仕事の成果をうまく取り込むことができていない。

O前出Iに同じ。

P小宮豊隆「虞美人草」(『漱石の芸術』岩波書店 一九四二・十二)。

 なお、『虞美人草』からの引用は、すべて三十五巻本『漱石全集』(岩波書店、一九五六・一○)第五巻によった。旧字体は新字体に改めたものがあり、ルビは省いたものがある。傍点はとくに断りのない場合、すべて引用者による。 

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