明視と盲目(二)   ―夏目漱石『明暗』を読む―
 
                       武 田 充 啓
Insight and Blindness in Natsume Soseki's Meian (U)     
   

 
五 (承前)
 
 彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道の上を走って前へ進むだけであった。彼は二三日前ある友達から聞いたポアンカレーの話を思い出した。彼のために「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼に向ってこう云った。
「だから君、普通世間で偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」(二)
 
 漱石は『硝子戸の中』で「人の心の奥には、私の知らない、また自分たちでさえ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか」と書いていた@。それはちょうど津田の「この肉体はいつ何時どんな変に会わないとも限らない。それどころか、今現にどんな変がこの肉体のうちに起りつつあるかも知れない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしい事だ」(二)という内心の声に対応している。若林幹夫は同じところをとりあげて《津田の独白が示すのは、自身にも気がつかれぬままに身体の内部で進行する過程こそが、その結果として現れる異変よりも本質的な事件であるということ》だと鋭く指摘しているA。本稿でも注意したいのは「継続中」という進行形であり、「潜んでいる」という潜在性である。前稿で見たように、漱石が『明暗』で描こうとしているものこそは、変化であり、移行であり、生成であり、あるいはこの進行しつつある現実の明滅に伴って浮き沈みする心の経路であり、そこに『明暗』という小説がもつ可能性のひとつがあると思われるからである。
 
「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう。それもおれが貰おうと思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに。偶然? ポアンカレーのいわゆる複雑の極致? 何だか解らない」(二)
 
 『明暗』は津田の二つの疑問から始まっていた。そのひとつは〈清子は何故津田を捨てたのか〉である。津田は自分ではなく関に嫁いだ彼女の翻身の真意がつかめず、その豹変の原因を知りたがっている。清子の心変わりは、表面的には一瞬の出来事だったかもしれないが、それが結果としてもたらされるにはふつう「時間」がかかる。湯治場での不意の再会における彼女の驚愕でさえ「無心が有心に変るまでにはある時がかかった」(百七十六)とされているのである。だからこそ津田は、清子に変化として結果したものの原因を、何かが積み重なったその過程をこそ探りたいのである。そしてしかし作者はそれを謎として明かさないことで読者を引っ張っていく。そしてついにそれははっきりとは明かされないまま、作者の死によって『明暗』は中断されてしまった。ではこの清子の変心という結果に表れた原因が『明暗』に描かれていないかといえば、おそらくそうではないのである。

 もうひとつの疑問である〈津田は何故お延と結婚したのか〉、これはお延の側からは、なぜ津田はお延から気持ちが離れてしまったのかという問いになる(あるいは最初からなかったのではないかとまでお延は疑うようになっている)が、こちらの何故についても、原因はじつはこれであったと元を辿れるようには書かれてはいないのである。いわば「或特別の卵と或特別の精虫の配合」が可能になる「条件」だけが、克明に描かれるのである。そして津田とお延のそれぞれの心の径路が、進行する過程としてその錯綜のままに浮かびあがれば、それらを描くことを通じて、やはり清子の変心についても、そのように結果するべく進んでいたもの、潜んでいたものが「条件」としてそこにあったということが、浮かび上がるように描かれているのである。

 清子の隠された「時間」に関与できないかぎり、津田はいつまでも自分が定まらないふらふらとした現在を生きざるを得ず、将来に向けての「正しい」自己決定もできない。そう吉川夫人は考え、津田もそう考える。しかしそもそも清子にそんな「時間」があったのだろうか。あったとして、彼女はその因果の経過をどのように生きたのか。『明暗』の中絶は、津田自身がそれを確かめることを不可能にしたが、読者である私たちには、冒頭に暗示されているように、その答えがおそらくは「解らない」=「偶然」であることが予めわかっている。つまり、清子という謎の直接的な解答はない。しかし隠されているものは、じつは目の前に(「偶然」を構成する「条件」として、津田やお延や小林らの描写のうちに)置かれているのかもしれないのである。
 
  六
 
階上の板の間まで来てそこでぴたりととまった時の彼女は、津田にとって一種の絵であった。彼は忘れる事のできない印象の一つとして、それを後々まで自分の心に伝えた。
 彼女が何気なく上から眼を落したのと、そこに津田を認めたのとは、同時に似て実は同時でないように見えた。少くとも津田にはそう思われた。無心が有心に変るまでにはある時がかかった。驚ろきの時、不可思議の時、疑いの時、それらを経過した後で、彼女は始めて棒立になった。横から肩を突けば、指一本の力でも、土で作った人形を倒すよりたやすく倒せそうな姿勢で、硬くなったまま棒立に立った。
 彼女は普通の湯治客のする通り、寝しなに一風呂入って温まるつもりと見えて、手に小型のタウエルを提げていた。それから津田と同じようにニッケル製の石鹸入を裸のまま持っていた。棒のように硬く立った彼女が、なぜそれを床の上へ落さなかったかは、後からその刹那の光景を辿るたびに、いつでも彼の記憶中に顔を出したがる疑問であった。(百七十六)
 
 この叙述からは、「後から」思い起こすその未来の時間においても、津田は清子のことがよく見えないままでいることがわかる。忘れることのできない「一種の絵」として津田がその記憶にとどめた清子と、「疑問」として残した清子とのあいだにはズレがあるB。「後から」でもまだ津田には清子が「石鹸入」を落とすはずの女に見えているのであって、その記憶を辿る時間が、お延の「勇気」が示された後だとすれば、清子が不意打ちを食らって驚愕し「棒立」になっているにもかかわらず持っていた「石鹸入」を落とさない女であったのとちょうど同じように、お延の「夫のために出す勇気」が功を奏さず、したがって津田に純然たる改心はなかったということにもなりそうだが、さて、ではいったい津田にとって清子とはどういう女なのか。

 津田が清子の部屋を訪ねていく場面は、清子が「偶然客に出喰わした」(百八十三)かのように津田を迎える描写からはじまっている。もちろんこの「偶然」は装われたものである。にもかかわらずこの清子の態度は、津田には「元から彼の頭に描き出されている清子」と「かけ離れた態度ではなかった」とされてしまう。むろん津田も清子の「夜と昼の区別」(百八十四)、その二面性に気づいていないわけではない。「あの驚ろき具合とこの落ちつき方、それだけはどう考えても調和しなかった」(同)とまでは書かれる。しかし津田の清子観はこの疑問の先へと進んで行かない。津田の問いは「ただ昨夕はああで、今朝はこうなの。それだけよ」(百八十七)の答えですまされてしまう。

 語り手が津田の心理に寄り添い、お延の「細工」と比較対照しながら前景化するのは清子の「余裕」である。そしてこの「余裕」は従来、津田がそう見なそうとしているとおりに、彼女の「気質」として、「大きな自然」や「天」とつながるものとして読まれてきたのであるが、本当にそれは彼女の生まれもった〈自然〉や「天」からの授かりもののようにだけ受け取っていてよいのだろうか。清子のこの「余裕」はむしろ、具体的な誰かに対する、たとえば夫である関に対する「信」が「あればこそ」のものではないか。そう思わせるのは、たとえば次のように記される場面である。
 
「ああこの眼だっけ」
 二人の間に何度も繰り返された過去の光景が、ありありと津田の前に浮き上った。その時分の清子は津田と名のつく一人の男を信じていた。だからすべての知識を彼から仰いだ。あらゆる疑問の解決を彼に求めた。自分に解らない未来を挙げて、彼の上に投げかけるように見えた。したがって彼女の眼は動いても静であった。何か訊こうとするうちに、信と平和の輝きがあった。彼はその輝きを一人で専有する特権をもって生れて来たような気がした。自分があればこそこの眼も存在するのだとさえ思った。(百八十八)
 
 続いて津田は「自分を離れた以後の清子に、昔のままの眼が、昔と違った意味で、やっぱり存在しているのだと注意されたような」気になるのだが、では清子にもやはり津田が感じているようなある種の「喪失」体験があったのかどうか。ここで津田に代わって改めて問うてみてもよいのではないか。「この逼らない人が、どうしてあんなに蒼くなったのだろう」(百八十四)、〈清子は何故津田を捨てたのか〉と。注意したいのは、それが故意か偶然かによって清子の態度が違った可能性があるということである。「昨夕は偶然お眼にかかっただけです」という津田に対して「そうですか知ら」と清子は返す。「故意を昨夕の津田に認めているらしい清子の口吻が、彼を驚ろかした」(百八十六)とされている点である。清子は明らかに津田の「待ち伏せ」を疑ったのである。

 「逼らない」清子と「蒼くなった」清子のあいだには、「同時に似て実は同時でないように見え」るくらいの、ほんの一瞬ではあるが、それでも時間が流れていた。清子から「余裕」が消えてなくなるまでの時間、すなわち彼女が「偶然」を「故意」だと疑うまでの「時間」である。もしそれが「偶然」ならばそこで「時間」が共有され、自分にもまた相手にも「自由」と「変化」の可能性を、すなわち「余裕」を与えることが起こりえたかもしれないが、ここでの「待ち伏せ」は、相手から「時間」を奪うだけでなく、自分の「自由」をも、また相手の「変化」の可能性をも奪ってしまっているのである。この自由と変化への可能性を担保した「時間」において、それがまるで「偶然」として結果したかのように他者に向けて開かれることになる「通路」を、いずれ私たちは「愛」と呼ぶことになるが、そしてお延の「愛」の求めを通じて作者が夢見ているものこそが、この可能性であることについても後にくわしくふれたいと思うが、いましばらくは津田の盲目性について見ておきたい。

 自分の質問に対して「何なりと」と受け応える清子を津田は「何もかももう忘れているんだ、この人は」と思い、「同時にそれがまた清子の本来の特色である事に気がついた」とされるのだが、津田は清子が「あらゆる津田の質問に応ずる準備を整えている人のような答えぶり」ができるのは、何事につけ「鷹揚」な彼女が「何もかも忘れている」からに違いないと考える(百八十七)。だがそうだろうか。彼女は本当に天然自然に忘れているのだろうか。津田が「駄目を押す」つもりで訊くべきなのは、清子が「蒼くなった」ことではなく、それほど驚いたにもかかわらず彼女が「石鹸入」を落とさなかったことではないか。清子は本当は〈忘れない人〉ではないのか。

 彼女が「故意」か「偶然」かにこだわるのは、それによって自己の自由な意志が、選択が介入できる「時間」が、「余裕」が与えられるか否かが決まるからであり、それを重視しているからであろう。「あの緩い人はなぜ飛行機へ乗った」(百八十三)のか。清子は、ちょうどお延が津田に対してそうであったように、「待ち伏せ」的な「細工」でもって相手に「一寸の余裕も与えない」(百八十五)津田を見限ったのではなかったか。ここにきても、まだ津田には自分の目の前で身を翻した清子がよく見えていない。むしろ「忘れている」のは津田その人なのである。蒼くなり硬くなる清子を目の前にして「自分を忘れていた津田」(百七十六)、鏡を覗き込んでいたとき「なぜあの時清子の存在を忘れていたのだろう」(百七十七)、再会した清子の部屋の様子から感じとった「距離」「なぜそれを忘れていたのだろう?」(百八十三)。
 
 一方には空を凌ぐほどの高い樹が聳えていた。星月夜の光に映る物凄い影から判断すると古松らしいその木と、突然一方に聞こえ出した奔湍の音とが、久しく都会の中を出なかった津田の心に不時の一転化を与えた。彼は忘れた記憶を思い出した時のような気分になった。
「ああ世の中には、こんなものが存在していたのだっけ、どうして今までそれを忘れていたのだろう」
(中略)
「彼女に会うのは何のためだろう。永く彼女を記憶するため? 会わなくても今の自分は忘れずにいるではないか。では彼女を忘れるため? あるいはそうかも知れない。けれども会えば忘れられるだろうか。あるいはそうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない。松の色と水の音、それは今全く忘れていた山と渓の存在を憶い出させた。全く忘れていない彼女、想像の眼先にちらちらする彼女、わざわざ東京から後を跟けて来た彼女、はどんな影響を彼の上に起すのだろう」(百七十二)
 
 ここで「憶い出さ」れている「全く忘れていた山と渓」は、おそらくは「大きな自然」とつながっていたかも知れない過去の自分自身でもあるのだろう。「山間の空気」と山を「黒くぼかす夜の色」と「その夜の色の中に自分の存在を呑み尽された津田とが一度に重なり合った時、彼は思わず恐れた。ぞっとした」(同)とされるのは、津田が本当に確かめねばならないのは彼自身の本来の自己であることを示しており、温泉宿の夜の鏡に映ったのはまさにそれであろう。しかしその自己は鏡には「幽霊」としてしか映らない。なぜならば、それがもはや「利害の論理」で汚され壊れてしまっている、いま現在の彼には取り戻せない〈自然〉だからである。

 あるいはこれをフロイトのいう「不気味なもの」のようにとらえてもよい。フロイトによれば《不気味なものとは、内密にして―慣れ親しまれたもの、抑圧を経験しつつもその状態から回帰したもの》だからであるC。そして津田が清子に真っ直ぐな視線を向けられないのもこのこととかかわっている。津田にとって清子こそはその意味での〈自然〉にほかならないからである。「全く忘れていない彼女」こそがすっかり忘れてしまっていた自身の〈自然〉でもある。彼女が「生きてるくせに生れ変る人」(百八十四)でありながら同時に「ちっとももとと変りませんね」(同)とされる〈変わらない人〉でもあるのは、そうした事情によるのである。

 「当時に出来上った信はまだ不自覚の間に残っていた」(百八十三)とされる津田は、相手に自然と「信」を置かせてしまうような「滑稽」を演じる清子に対して「いかにもあなたらしい滑稽だ。そうしてあなたはちっともその滑稽なところに気がついていないんだ」(百八十三)という言葉を実際に口にしそうになる。しかしこの清子の自分自身の「滑稽」に対する盲目こそが、彼女の「故意」を「偶然」に変えるのである。そして津田は自分のこの感想こそが、そのまま自身の盲目性に対する評でもあることに、まったく気づいていないのである。

 清子は自分が自身の〈自然〉を喪失してしまっていることについてもおそらく無自覚ではないだろう。彼女がもはや喪失に無縁な〈自然〉ではないことは、津田もうすうすは気づいているのである。清子が津田に出会ったときの凍りついたような驚きと戸惑い。そして翌日の打って変わったような落ち着いた態度。これらは喪失を知るものの振るまいとすればけっして矛盾するものではない。しかし津田がいまだに自分が作り上げた幻影にすすんで幻惑されようとしているのに対して、清子が聡明でありうる可能性は、彼女が自らの欲望が作り出す幻影に惑わされないところにある。

 喪失されたものが無垢であれ、恋愛であれ、失われた〈自然〉を回復したいという欲望が周囲をとりまいているかぎり、ひとは自らの欲望の不可能性に直面することはない。そこでは欲望は延命されるというより、さらなる欲望として掻き立てられるだろう。そして欲望を抱えている限りその磁場空間から離れることはできないのである。『明暗』の湯治場がそうした欲望の磁場から自由な空間たりえるかは、清子という存在が、失われた〈自然〉を回復したいという欲望から真に自由であるかどうかに、小説のその後の行方にかかっているのである。
 
 
「もし万一の事があるにしても、自分の方は大丈夫だ」
 夫に対するこういう自信さえ、その時のお延の腹にはできた。したがって、いざという場合に、どうでも臨機の所置をつけて見せるという余裕があった。相手を片づけるぐらいの事なら訳はないという気持も手伝った。
「相手? どんな相手ですか」と訊かれたら、お延は何と答えただろう。それは朧気に薄墨で描かれた相手であった。そうして女であった。そうして津田の愛を自分から奪う人であった。お延はそれ以外に何にも知らなかった。しかしどこかにこの相手が潜んでいるとは思えた。お秀と自分ら夫婦の間に起った波瀾が、ああまで際どくならずにすんだなら、お延は行がかり上、是非共津田の腹のなかにいるこの相手を、遠くから探らなければならない順序だったのである。(百十二)
 
 松澤和宏は、『明暗』の語り手が従来いわれてきたような《公正無私》な位置にいるどころか、《津田の「利害の論理」を無意識裡に掩蔽し》ていると指摘している。《語り手は、お延の内部で兆し始めた津田への疑惑をもっぱら「自分以外の女」の方へ逸らしてしまい、お延は津田の欲望、すなわち清子の翻身の真意を知ろうとする欲望を》《模倣し反復》させられてしまう。《語り手は過去の女への断ちがたい未練を主題として前景化することによって、一方ではお延の切実な問いや内的葛藤を脇に追いやると同時に、他方では夫婦関係の成立を自明視してしまうのである。お延のありうべき問いを突き詰めていけば、そうした三角関係がすでに前提としている津田とお延の夫婦関係を一切の自明性を剥ぎ落として赤裸々に照らし出すことになるだろう》とD。

 むろん照らし出されるのは、津田がお延と結婚したのは「利害の論理」からであるという真実、ということになる。〈津田は何故お延と結婚したのか〉。それが「利害」だけからとはっきりわかってしまえば、そこに(かつてはあった、しかしいまは失われてしまった、お延の場合でいえば、津田はお延をいったんは選択した、しかしのちに彼女を捨ててしまったとする)「愛」の喪失の物語はなくなってしまう。松澤氏は〈清子は何故津田を捨てたのか〉という謎が解かれることとお延が救済されることは別の問題であること、津田の《告白を救済(という自己満足)と直結し同一視するのはもっぱら津田および彼の欲望に同調した読者・批評家の勝手》であると指摘するのだが、では私たち読者がなぜ語り手と結託して問題のすり替えに進んで加担してしまうのかと問うとき、そこに「選択/喪失」があってほしいとするのが津田だけのものではなく、お延の欲望でもあり、二人に共通するその欲望を私たちもまた共有しているからではないか、と、とりあえず指摘を付加しておくことができるだろう。

 これまでの漱石作品では、主人公は何かを選択し獲得することと引き換えに、それまでに大切にしていたものを喪失してしまう。たとえば『こゝろ』の先生は〈故郷〉や親友Kを失っているのだが、先生の〈故郷〉の喪失は、ほぼ同時にプラトニックな〈恋愛〉という理想を彼に与えていたし、Kの自殺による彼の喪失と引き換えにお嬢さんを獲得している。かりにお延が津田を失ったとして、ではその代わりに彼女は何を手に入れたのか。「吹聴」と「虚偽」で拵えあげた「若旦那」(百十三)との結婚生活である。お延が、津田が追いかけているもの(清子)を後追いするだけでは、津田がいま失おうとしているもの(お延)についてはわかっても、彼女自身が失ったものについては明らかにはならないのではないか。しかし清子という謎を追う津田を追うことで、お延自身がなくしたものが、それでも見えてくるのだとすれば、その失われたものとは何なのか。語り手は私たちにこそある〈喪失=獲得〉の物語への欲望を見透かしたうえでこの問いを共有させようと誘っているのかもしれない。

 お延が失ったと思っている何かは、津田の何か(津田の心)ではなく、彼女自身にあった何ものか(お延の〈自然〉)ではないかと。そのことに気づかせる「霊薬」としての役割は、誰であってもよい。その物語の中でお延は津田と同じように、自分の「利害の論理」でもって自身の〈自然〉を失ったことに気づくことになる。津田もまた清子とお延によって、自らの「待ち伏せ」的「打算」こそが清子(それは津田自身の〈自然〉でもある)を失うことになる要因であったことに、さらには同じ理由で今まさにお延をもまた失おうとしていることにも気づくことになる。そうなれば『明暗』は、これまでの漱石作品が踏襲してきたこの〈喪失=獲得〉の物語を模倣することになる。そして喪失したもの(獲得したもの)を自覚する物語としては、お延が(あるいは津田が)自らの喪失に意味(言葉)を与えたとき、実質的に小説『明暗』は終わることになる。しかし『明暗』は中絶しているために、かえってその物語からは自由な作品として読むことができるのである。

 捨てられる以前に、まず選ばれていなかったかもしれない、すなわち喪失自体がありえないことなのかもしれない。お延は、たんに相手に気持ちがあったかどうかを問うているのではない、彼女の疑惑が抱えている闇の深さは、自分が失ったと思っているような〈自然〉などそもそもなかったのではないか、という疑問に通じるものだ。「愛」を希求するお延に併走しながら問い続けることは、今後も欲望というものが必ず喪失を伴うかたちでしか成就することがないという「物語」を反復し、諦念とともにそうした物語世界の動かしがたい構造の内側で生きるしかないという運命を覚悟することを必ずしも意味しない。それは、あったと思っている喪失そのものが、じつはなかったかもしれないという真実さえ目の当たりにしかねないことなのである。にもかかわらず「自分の弱点を浚け出すと共に一種の報酬を得た」(百五十)経験をすでに小説の内部で得ているお延は、その小説の基本的な枠組みであったはずの〈喪失=獲得〉の物語から、ほとんどはみ出しそうになってまで自分の欲望に忠実であろうとするのである。それが彼女の「利害の論理」を超えた「真面目」であり、絶望と背中合わせの希望なのである。その意味では、漱石的小説の最前線に躍り出ようとしている主人公だともいえるのである。

 お延が津田の欲望をなぞって彼が抱える謎を追うことでその「愛」を確かめようとするとき、最悪の真実が、絶望として明るみに出る危険がある。にもかかわらずお延は津田の「愛」を自分のために確かめようとする。そしてそのときにはあるいは、選ばれてもいないというそのことが、逆に可能性を意味することになるかもしれない。この自己本位は(たとえそれが自己中心的な振る舞いであれ)重要である。他者の反応を先回りして決めているのでもないし、結果がどうなるかを危惧して行為しているのでもないからである。お延の「勇気」とはそういうものであろう。しかし彼女が津田に求めている具体的なものはといえば、「黄金の光り」(百十三)のようなものではなく、藤井の家で津田が耳にすることになる、たとえば次のような単簡な言葉なのかもしれないのである。
 
「じゃお父さん、何さ、意があるってのは」
 叔父はにやにやしながら、禿げた頭の真中を大事そうに撫で廻した。気のせいかその禿が普通の時よりは少し赤いように、津田の眼に映った。
「真事、意があるってえのはね。――つまりそのね。――まあ、好きなのさ」(三十一)
 
  八
 
 「比較なんか始めから嫌いなんだから」(百三十)。お延はその「愛」において比較を嫌い「絶対」を希求する。そして相手にも同じものを要求する。「ただ愛するのよ。そうして愛させるのよ」(七十二)。このお延の二つの求めはしかし、若林幹夫が大澤真幸を引きながら指摘しているようにE、基本的に叶わぬ望みである。対象の代替の可能性は、選択のあとで排除されるのが順序であって、予め排除してしまったのでは、肝心の唯一性の根拠が確保されないのだし、自分の(愛する/愛さない)自由を認めるかぎり、相手の(愛する/愛さない)自由も認めるしかないから「愛させる」のは無理なのである。可能なのは、若林氏のいうように《愛されること》あるいは《愛されていると信じること》だけなのである。ではお延の「愛」にはどんな可能性もないのだろうか。
 
 彼には最初から三つの途があった。そうして三つよりほかに彼の途はなかった。第一はいつまでも煮え切らない代りに、今の自由を失わない事、第二は馬鹿になっても構わないで進んで行く事、第三すなわち彼の目指すところは、馬鹿にならないで自分の満足の行くような解決を得る事。(百七十三)
 
 しかしやはり「馬鹿になるのは厭だ」と心に決めた津田は、清子との対面ではそのとおり「馬鹿にしちゃいけません」(百八十四、百八十六)をくり返している。『明暗』で「馬鹿」を実現できたのは、すなわち「自分の弱点」をさらけ出すことができたのは、お延の他には小林しかいないのである。

 小林は売れない雑誌の編集に見切りをつけ、食い扶持を求めて当時の植民地であった朝鮮に渡ろうとしている。この「細君がないばかりじゃない」「何にもない」「親も友達もない」「つまり世の中がない」「もっと広くいえば人間がない」(八十二)ともいえるような、つまり「損になるべき何物をも最初からもっていない」(百十九)、自分が生き延びるためには友人である津田を強請ってでも金をせしめようとする、「人に厭がられるために生きている」(八十五)ような男が、どんなに嫌がられても他人に自分の存在を認めさせようとすることにお延は怯えるのだが、それはそうした小林の行為において彼女もまた津田に自分の「愛」が認められなければ自分の存在のリアリティーがない、「つまり世の中がない」のと同じだということに気づかされるからである。またそんなお延が小林に対して「何の関係があるんです」(八十六)と言い放つことができるのは、お延がたんに小林に無関心であり、小林の生きる世界に無縁であるというだけでなく、生きることに必死な小林に引けをとらないほどの、彼女には彼女なりに必死な「愛」への思いがあるからでもある。というのも、当時の社会において、ほとんどその領域のみが彼女に許された自由の領域であり、その場だけが彼女が自己の存在を確かめられる唯一の場だからである。

 「レデー」と「芸者」との区別を認めず、自分を軽蔑する津田を軽蔑する小林は相対化の人である。そして小林を評して用いられる「無遠慮」「むやみ」(八十四)という言葉のうちには、盲目性という意味が刻印されている。しかし、ちょうど明視のうちに盲目が付随しているように、この盲目の先に開けがまたありうるのである。自己確認がそこでしかできないところというのは、そこで主体性を発揮するしかないようなところでもあるだろう。そういう領域でほんの少しでも制約が課せられるようなことがあれば、すぐにも自分が自身でいられなくなるようなところ。そういうところに追い込まれている人間として、小林とお延は「一尺足らずの距離」(八十八)ほどに「近い」存在なのである。

 少なくともそこでだけは自由に振る舞いうるということ。お延でいえば「ただ自分の眼で自分の夫を択ぶ事ができた」(七十二)ことが彼女の「幸福」なのであり、それ以外に幸福は望むべくもない。そういう彼らである。それがありさえすれば「たとい今その人が幸福でないにしたところで」「未来は幸福になれる」とするお延の「料簡一つ」(同)という言葉はこの「自由」の確保という意味で理解されるべきであろう。「愛させる」ことは原理的に不可能である。しかし「愛させる」ために自由に振る舞うことは可能であり、それこそが「幸福」なのである。もちろん継子が「じゃあたしのようなものは、とても幸福になる望はないのね」と切り返すということは、別種の「幸福」がありうることを示唆しているのだが、それはたとえば清子にはありえても、少なくともお延にはありえない「幸福」なのである。

 佐藤泉は《お延のテーマである愛し愛される関係の外に、無関係・無関心という荒涼とした関係が横たわっている》として『明暗』に存在する別系統の主題を提示してみせ、ハンナ・アーレントを参照しながら、小林の苦しみが《その人を認めるという最低限の敬意であっても、他者からの敬意がなければ、ついには自分が確かに社会の内に存在しているということさえ感じられなくなる》、《自分の存在のリアリティー(現実)と意義を自分自身が疑い、自分の眼からさえ自分が存在しないように感じるようになる》、《見捨てられた人々の苦しみ》であると指摘しているF。

 自己実現どころかその存在すら社会から抹殺されそうな小林は、たしかに「愛」には縁のなさそうな人物ではあるし、彼が背負っている、津田やお延が問題にしている「愛」の領域とは全く異なった、独立した世界があることも認めたい。しかしそのうえで、それでもそんな小林だからこそ、とくにお延の必死でほとんど実現困難な「愛」の近くにいる、いや近いというだけでなく、彼こそが奇跡的に「愛」を実現させているのではないかと思われるのである。
 
「今の僕は天下にたった一人です。(中略)僕はあなたの境遇を知っています。物質上の補助、そんなものをあなたの方角から受け取る気は毛頭ないのです。ただこの苦痛の幾分が、あなたの脈管の中に流れている人情の血潮に伝わって、そこに同情の波を少しでも立ててくれる事ができるなら、僕はそれで満足です。僕はそれによって、僕がまだ人間の一員として社会に存在しているという確証を握る事ができるからです。この悪魔の重囲の中から、広々した人間の中へ届く光線は一縷もないのでしょうか」(百六十四)
 
 これは津田が小林に読まされた未知の人物の小林宛の手紙の一部で、やはり佐藤氏が《見捨てられた存在の声》としてとりあげている箇所でもあるGが、読後、津田は小林の「主意を確かめ」るために、「どこかでおやと思った」自分の正直な反応を隠し、「金をやらなければならないという義務なんか感じやしないよ」(百六十五)と「冷やかな無関心」(百六十四)のうちにとどまってみせるのである。じつは津田は「まだ会った事もない幽霊のようなもの」を見ているうちに「ああああこれも人間だという心持」が起こっていたのであり、語り手も「極めて縁の遠いものはかえって縁の近いものだったという事実が彼の眼前に現われた」としているのである(百六十五)。ここでも津田は「不気味なもの」(フロイト)を見ている可能性がある。
 
彼はまた思いがけない現象に逢着した。それは小林の並べた十円紙幣が青年芸術家に及ぼした影響であった。紙幣の上に落された彼の眼から出る異様の光であった。そこには驚ろきと喜びがあった。一種の飢渇があった。掴みかかろうとする慾望の力があった。そうしてその驚ろきも喜びも、飢渇も慾望も、一々真その物の発現であった。作りもの、拵え事、馴れ合いの狂言とは、どうしても受け取れなかった。(百六十六)
 
 「同情心はいくらか起るだろう」と小林にいわれて津田がやっと同意すると、小林は「それでたくさんなんだ、僕の方は。同情心が起るというのはつまり金がやりたいという意味なんだから。それでいて実際は金がやりたくないんだから、そこに良心の闘いから来る不安が起るんだ。僕の目的はそれでもう充分達せられているんだ」(百六十五)という。そして小林はこの後、先ほど餞別として津田からせしめた十円札三枚を青年芸術家である原の目の前に「要るだけ取りたまえ」と差し出すのである。「貰い立てのほやほや」「だから僕も安々と君にやれる」「だから、君も安々と取れるんだ」と。お延の前では「僕自身は始めから無目的」だとしながら「しかし天には目的があるかも」と「天」にまで言及していた小林が、ここでは自分個人の「目的」をはっきり告げていることに注意しておきたい。
 
「これは何でもないんだ。余裕が空間に吹き散らしてくれる浄財だ。拾ったものが功徳を受ければ受けるほど余裕は喜こぶだけなんだ。ねえ津田君そうだろう」
 忌々しい関所をもう通り越していた津田は、かえって好いところで相談をかけられたと同じ事であった。鷹揚な彼の一諾は、今夜ここに落ち合った不調和な三人の会合に、少くとも形式上体裁の好い結末をつけるのに充分であった。彼は醜陋に見える自分の退却を避けるために眼前の機会を捕えた。
「そうだね。それが一番いいだろう」
 小林は押問答の末、とうとう三枚のうち一枚を原の手に渡した。残る二枚を再びもとの隠袋へ収める時、彼は津田に云った。
「珍らしく余裕が下から上へ流れた。けれどもここから上へはもう逆戻りをしないそうだ。だからやっぱり君に対してサンクスだ」
 表へ出た三人は濠端へ来て、電車を待ち合せる間大きな星月夜を仰いだ。(百六十六)
 
 「同情の波」が立つか立たないか。自由意志による選択はその先にある。しかし津田は、ここでも自分の「鷹揚」さという演出的効果をその場の「体面」「体裁」として考えているだけである。「関」や「濠=堀」をものともせずに乗り越えているのは津田ではなく小林である。しかも彼はまずはあくまでも利己のために計算尽くで津田から金をせしめているのであり、しかしその金を手に入れたあとは、最初から自分がたんなる媒介者ででもあったかのようにその金を自分より「まだ余裕の乏しい」、津田から見れば無関係の「他人」に譲ろうとする。そして「余裕は水のようなものさ。高い方から低い方へは流れるが、下から上へは逆行しない」としていた小林は、このやりとりを「下」に渡ったはずの三枚の十円紙幣が「上」に二枚戻ってきたというかたちで「余裕」というものをとらえ直してみせ、「余裕」の逆流を現出させてしまうのである。
 
 
 《小林はひとつの奇跡を起こしている》とする佐藤氏は《小林の行為は、金銭の動きから個々人の権力意識にまつわる心理的な屈折を取り除いて、それを非人格的な「余裕」の運動にするということだ》と指摘している。《津田たちの世界の外、津田の関心領域の外にまで広がりうる社会関係の可能性を一時的につくりだした》、《無関係・無関心の領域に、関係を作る方法論》、《それは愛し愛されなければならない関係ではない関係のあり方である》と。しかし津田や原のように見知らぬ他人同士のあいだでは、そもそも小林がいなくても、心理的な屈折などは起こらないのがふつうであって、金銭によって無関心・無関係の領域を越えて人と人とが無理に結びつけられるときにこそむしろそれは付随してくるのである。実際、小林のせいで津田は同情をかきたてられたのだし、原もまた掻き立てられた心の動揺の落ち付け所がなさそうに、「功徳を受け」るのをためらってしまっている。

 たしかに津田に未知の人の手紙を読ませるという小林の「無遠慮」や「むやみ」が《存在を消されたものの声を津田の世界の外から届けた》のだし、その意味で《閉じた世界と、その外部の世界とのあいだの通路を設定した》のではある。佐藤氏がいうように、小林が《愛することで愛させる、とロマンチックにして強迫的な二者関係に閉ざされて、その外側がない》世界に一時的にではあれ通路を設けたことの意義は大きい。小林がいなくては起こらなかっただろうことは、金銭の「流れ」であり、その「逆戻り」である。しかしとくにその「逆戻り」については、彼がそれを「下から上に」という彼自身の言葉によって成し遂げていることは、とりわけ注意しておきたいところである。金銭の逆流の事実はといえば、原がただ三枚の十円紙幣のうち一枚しか受け取らなかったということだからである。しかし小林の言葉による表現行為=現象のとらえ直しが、ここでは別種の「余裕」を体現しているのではないか。

 もちろん小林の「余裕が下から上へ流れた」という表現が「頭では解る、しかし胸では納得しない」(百五十八)津田に強制されてはならない。そうではなく津田の側からも自発的に「懸絶」(同)を乗りこえるかたちでそれが諒解されるなら、そのとき今度は小林と津田とのあいだに「通路」が開くのではないか。この言葉による現象のとらえ直しを可能にする〈時間性〉をもつということこそが、この世界が「絶対」ではなく「相対」であること、潜在する多元性であることを担保しているのではないか。

 ウィリアム・ジェイムズは、多元論の肝は《実在のさまざまな部分は、外的に関係づけられている》、《我々が考えうるすべてのものは》たとえそれがどんなものであれ《「外的」な環境をもっている》とみなすことにあると述べ、次のように書いているH。
 
 実在的なものはすべて、絶対的には単純ではありえない。経験のどんな小さな断片も、含蓄ゆたかなものであって、その中に複数の関係をもっている。そうしてこの関係のそれぞれが、この断片がとりあげられる際の、あるいはこの断片が何かをとりあげる際の、一つの側面、または性格、または機能なのである。(中略)事物は、直接には(すなわち、本質的には)つながっていない事物とも、中間にたつ事物によってつながれることができる。その時々において、必然的に現実化されているとはかぎらない、多くの可能な結合についても、常に、これと同じことがいえる。この可能な結合は、それがどのような、中間的な、現実的経路にいきあたるかによって、その運命を左右される。「または」ということばは、本当の実在をさしている。
 
 ここでの小林は、まさに「または」という言葉そのものであるかのようだが、彼はまた《我々がこの経験の中にきざみこむきれ目は、すべて概念化する能力の人工的な産物である》というジェイムズの言葉を実演して見せている、ともいえるだろう。そして本稿ではこの「必然」の流れに対し言葉=表現によって変化を与える、いわば運命のレールを転轍するとでもいうべき「偶然」を生む「余裕」としての言葉の働きをこそ「愛」と見なしたい。「極めて縁の遠いものはかえって縁の近いもの」という言葉は、小林とお延にも、そしてまた偶然と「愛」とのあいだにもあてはまるように思われるのである。そして彼らが体現する自我の拡大そのものが自我を制御しつつ、それでも「愛」を生成していく姿こそは、作家が最後に辿りついた(たとえ虚無が、絶望が、その背中合わせになっているのだとしても)やはり希望だったように思われる。

 漱石は小林に金銭の流れ=「必然」を「利害の論理」を駆使した技巧でもって媒介させそれを逆転するという「偶然」を実現させている。作者は、小林を一種のヒーローとして、しかも汚れた英雄として登場させているのである。もちろんこれまでにも、漱石作品に、たとえば『吾輩は猫である』の馬鹿竹のような無垢な存在が、脇役として作者の〈理想〉を体現するかたちで登場していなかったわけではない。しかしそうした人物たちは、現実の世間にはあり得ない「偶然」的な清らかさとして例外なく社会の「必然」に踏みつぶされるために要請された存在でもあった。小林が特異なのは、基本的には作家が嫌ってきた計算的な人間であり、その意味では汚れているのであるが、そのことの徹底によって逆に「真面目」や「解脱」でさえも(一時的にではあれ)結果的に自己の周囲に招来してしまう点である。

 おそらく人間は自分の欲望から自由ではなく、自身の盲目性からも逃れることはできない。同じような過ちを性懲りもなく反復してしまうに違いない。しかしそのくり返しは、まったく同じように、同じことをしか結果しないのだろうか。「偶然」は反復される「必然」のなかから生まれ出ないとも限らない。そう考えられているように思われる。感化は、その意味では奇跡のようなもので、おいそれと小説に書き込めるようなものではない。しかし〈美しい心が汚れた心を美しくする〉というようにではなく、小林のように貨幣と知性(言葉)でもって「必然」の流れに「偶然」を導入するような男が、この小説に描かれていることはたいへん重要なことであると思われる。そこにこそ現実的な可能性としての「愛」=自由があるからである。

 人間にとって、「小さな自然」であれ、「大きな自然」であれ、全き自然というものは、おそらくない。それはつねに損なわれた〈自然〉であり、すでに失われた〈自然〉である。壊れた〈自然〉がどのようにして喪失された〈自然〉をとらえるのか。喪失=獲得の物語に寄り添いつつも、自分自身であり続けるために、自らを喪失し続けなければならないという必然に対する透徹した省察の冷静な視線と、回復という偶然に向けての真摯な叫びを、同時に現在に取り戻そうと試み続けること。復活させたい全体性、あるいは理想の過去といったものは、「利害の論理」のないユートピア世界でもあるが、それはまた作家になろうとした頃の漱石が憧れた死の世界でもある。漱石は小説を書くことで死への誘惑に打ち克ってきた。それは小説という技巧に依っている。もちろん、小説は計算や技術だけでできてはいない。そこには計算を裏切る〈自然〉がある。そうした〈自然〉を描く技術を磨くことを通して、〈自然〉との向き合い方、抱え抱えられつつ共に生きる生のあり方を探り続けてきたのである。
 
 注
 
@『硝子戸の中』(三十)
A若林幹夫『漱石のリアル 測量としての文学』結章(紀伊國屋書店、二○○二・六)
B三好行雄「『明暗』の構造」『講座夏目漱石』(有斐閣、一九八一・一一) 同じところをとりあげて三好氏は「一元的な語り手としての資格」が津田に与えられた箇所とし、「作者と作中人物としての津田との関係は明らかに変わりつつある」と指摘している。さらに津田が「行動主体と視点人物との複合した語り手の役割を与えられた」可能性に言及し「中絶以後の構想でも、清子は津田の目を通してのみ描かれたはず」と「予想」して見せている。
Cジークムント・フロイト「不気味なもの」(藤野寛訳)『フロイト全集17』(岩波書店、二○○六・一一、p42)
D松澤和宏「仕組まれた謀計―『明暗』における語り・ジェンダー・エクリチュール」(『國文學 解釈と教材の研究』第46巻1号、學燈社、二○○一・一) ただしこの語り手と津田の共謀を隠蔽するかに見えた『明暗』のテクストが鏡面的な働きをするそのエクリチュールの水準において、この共謀を隠蔽すると同時にまた暴露しもすることを氏は併せて指摘している。
E若林幹夫(前掲書、第六章)
F佐藤泉『漱石 片付かない〈近代〉』第12章(日本放送出版協会、二○○二・一)
Gこの手紙にある「血潮に伝わって」「なら満足です」という言い方に、『こゝろ』の先生の遺書の最後の文面を思い浮かべる読者も少なくないだろう。自分がまだ社会を生きる「人間の一員」であるという「確証」を求めている点で、死に向かった先生とは逆方向を向いているものの、自己の存在の意義をたったひとりの人間を相手に確かめようとしている点で一致しており、また「広々した人間の中へ」と一般の人々=「外の人」へのつながりという一縷の夢を付け加えているところも共通している。『こゝろ』の先生は遺書に「私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから、それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います」(下五十六)と書いている。
Hウィリアム・ジェイムズ『多元的宇宙』(吉田夏彦訳)(『ウィリアム・ジェイムズ著作集6』(日本教文社、一九六一・五、p243〜p247)
 

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