夏目漱石『野分』の「文学者」

'Bungakusha (Men of Letter)' in Natsume Soseki's Nowaki


 武 田 充 啓 (Mitsuhiro TAKEDA)


章立て

 はじめに

   

 

 

 

   


  はじめに

 『野分』の作品としての矛盾や欠点については、従来から多くの指摘がなされてきた。そしてそれら批判の多くは、白井道也はよくその行動や主張を貫き得たか、という視点からのものであったといってよい。
 たとえば西垣勤@は、「江湖雑誌」に載せられた道也の文章「解脱と拘泥」、あるいは電車事件で検挙された同僚の家族を救うための演説「現代の青年に告ぐ」に示された内容は、《今尚我々を衝つ根源的な》批判力を持ってはいるものの、それはあくまでも《文学的内面的なラディカリズム》にすぎず、政治的社会的な行為や行動につながるものではないことを指摘している。また《高柳の結核療養のための中野輝一の百円の金によって救われることになる》結末について、それが作品を終わるための便宜でしかないというだけでなく、仮に中野が『人格論』を出版すれば、道也は兄が勤める会社の社主の息子によって救われ、さらに『人格論』の出版までしてもらうことになり、《もしそうなったあとで道也がその内実を知れば憤死でもする他はあるまい》という意味で、『野分』の作品としての行き詰まりをそこに見ている。
 あるいは酒井英行Aは、おそらくは同じ点について、《道也には、「わたしの道」(自然)と「天意」との矛盾・対立への問い詰めが欠落している。自己内面の「自然」と「天意」との予定調和が、道也の独善的な行動力の母胎である。自己を過信した道也が、前のめりに自己を社会・他者に投企してゆく、その切迫感だけが空転しているのだ》と述べ、道也の演説においては、大学教授の足立に対する侮蔑(個別的な評価)を忘れたかのように「学者」を一般化し、その《学者の優位を唱え》てしまっている点をあげて、単なる「学者」と自己を峻別する拠点であった「文学者」としての自己定立が崩壊していることを指摘する。結末に関しては、「作者」による道也の聖化、道也との一体化による(その崇高さへの)自己陶酔が、《高柳の個別的な真の不幸》を見落とす結果になり、《道也は、終に高柳を救済することができなかった》、《高柳の精神の死を救い、真の創作意欲を起こさせたものは、中野の提供した金であったのだ》としている。
 しかし村瀬士朗Bは、従来のこうした代表的な見方とは異なった読みを試みている。村瀬氏は、『野分』は結果的には白井道也の行動や主張がよく貫かれることになった作品である、という読みを示そうとしているのである。そしてその読みは十分な説得力を持っている。氏の独創は、『野分』を《「文学者」白井道也とその読み手の関係それ自体を作品内にとり込んで顕在化した》作品として読むところにある。村瀬氏は、《道也と関係することによって大きく「己れ」を換えて行動する高柳こそ道也の「知己」》だとし、『野分』を《高柳の自己変革のドラマ》として捉え直している。《「小説家」高柳の役割》は「警世家」道也を真似ることではなく、むしろその人物を描き、その「人格」を世に伝えることである。だとすれば高柳の「自己を代表すべき作物」とは、《白井道也を描いた『野分』という作品それ自体だということになる》。『野分』は、高柳の《「志」を作品化したもの》であり、《その「志」は、「現代の青年に告ぐ」で道也が述べた「予言」を実現するべくとった作品末尾の高柳の行為にこめられていくことになる》。中野や妻や兄といった《さまざまの立場の読者と「文学者」白 井道也の関係》を、《自己媒介して提示しながら、最終的に「作者」は道也の「知己」高柳の立場を選んで》いる。結末の高柳の行為は「茶番」かも知れないが、それが見えないはずがない「作者」は、高柳の《「志」を、全く相対化することなく》《高柳と一体化し、高柳になり代わって語ることでテクストを閉じ》ている。そう村瀬氏は読むのである。中野に課せられた問題については、《高柳の「知己」として「人格論」を受け取って変化するのか、という問いは「朋友」としての中野に対する問いであると同時に「文学者」志望の青年中野輝一に「文学者」としての態度決定を迫るものでもある》とし、《中野の境遇や作中のあり方から「人格論」の行方を決定されたもののように考えることは》《ただ作中に描かれた社会のありようをそのまま肯定することでしかない》と指摘し、《『野分』における「文学者」の自立の最後のバトンは私達読者のもとに託されてある》とするのである。
 『野分』を高柳周作の自己変革のドラマとして読めば、その高柳の最後の行為において、白井道也の主張は貫かれていると見る点では、私は基本的に村瀬氏に同意する。しかし、『野分』を《「文学者」の自立》の物語としてその可能性を読みとろうとする氏の姿勢に対しては若干の疑問がある。
 以下、小論では、『野分』を「文学者」という「関係」の成立の物語として捉え、ではどういう条件において「文学者」という「関係」が成立するのかについて、私なりの見解を示したいと思う。それは、道也と高柳、高柳と中野の間に、それぞれ個別にしか「感化」がおよばないこと、したがって『野分』の「文学者」は、一対一で向かい合う二人の間にのみ成立する特別な「関係」としてあることを明らかにすることである。

〔「章立て」に戻る〕


  

 「白井道也は文学者である」。周知のように『野分』はこの宣言めいた一文によって語り始められる。そして「文学者」である白井道也の言動が、文学者志望の青年高柳周作を「感化」することになるというストーリーを持つ。
 では「文学者」白井道也とは誰か。八年前に大学を卒業し、「石油の名所」新潟から、「炭鉱の烟を浴び」る九州、「他県のものを外国人と呼ぶ」中国地方の田舎へと中学を「流して」歩いた末、去年の春「飄然と」東京へ「戻って来た」男。

三度教師となつて三度追ひ出された彼は、追ひ出される度に博士よりも偉大な手柄を立てた積りで居る。博士は偉からう、然し高が芸で取る称号である。富豪が製艦費を献納して従五位を頂戴するのと大した変りはない。道也が追ひ出されたのは道也の人物が高いからである。正しき人は神の造れる凡てのうちにて最も尊きものなりとは西の国の詩人の言葉だ。道を守るものは神よりも貴しとは道也が追はるゝ毎に心のうちで繰り返す文句である。但し妻君は嘗て此の文句を道也の口から聞いた事がない。聞いても分かるまい。(一)

 ここで、のちに「作者」を自称して作品に顔を出しもする語り手は、「手柄を立てた積りで居る」というやや距離を置いた観察から「人物が高いからである」という断定へと、その視線を道也に寄り添わせるようにすっと移動させている。しかしすぐあとに「西の国の詩人」という他人の言葉を持ち出してふたたび距離をとり、「神よりも貴し」という道也自身の言葉を重ねるのである。「作者」は、「人物が高い」という先の言葉の出所を曖昧にし、それが絶対的な響きとして残らないように配慮している。そして「作者」は、その視点の揺らぎや勇み足を隠蔽するために、さらにまた道也の人物を相対的にははっきりと示しておきたいがために、「高い」「貴し」といった精神の高貴さを理解しない存在としての「妻」を要請するのである。
 むろん「俗」世間という「単純な世界」に生きる妻には「夫としての道也の外に」「学者としての道也」「志士としての道也」「道を守り俗に抗する道也」などいるはずもない。しかし、では彼女はその「単純な世界」を生きる一人の人間として道也に拮抗するだけの肉体的な存在感なり、日常生活者の論理なりを持っているかというと、そうではないのである。「作者」は道也に近寄りすぎたときには、すぐさまそこから離れようとし、また道也を相対化しようとさえしているかに見える。しかし、実のところ「作者」は道也の相対的な「高さ」をすでにあるものとして認めており、彼の「高さ」を維持することに積極的に加担してもいるのである。道也を相対化しようとする人物たちはそのことによってむしろ相対的に道也より「低い」存在であることが確認されるだけに終わる。そもそも道也に拮抗し得る人物がいない以上、相対化ができないのは目に見えている、というより、「作者」には最初から道也に自己を相対化させ、そこから自己変革に向けて歩を進めさせる気などさらさらないのである。

同化は社会の要素に違ない。仏蘭西のタルドと云ふ学者は社会は模倣なりとさへ云ふた位だ。同化は大切かも知れぬ。其大切さ加減は道也と雖ども心得て居る。心得て居る所ではない。高等な教育を受けて、広義な社会観を有して居る彼は、凡俗以上に同化の功徳を認めてゐる。たゞ高いものに同化するか低いものに同化するかゞ問題である。此問題を解釈しないで徒らに同化するのは世の為めにならぬ。自分から云へば一分が立たぬ。(一)

世が容れぬなら何故こちらから世に容れられやうとはせぬ? 世に容れられ様とする刹那に道也は奇麗に消滅して仕舞ふからである。道也は人格に於て流俗より高いと自信して居る。流俗より高ければ高い程、低いものゝ手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である。高いと知りながらも低きに就くのは、自から多年の教育を受けながら、此の教育の結果がもたらした財宝を床下に埋むる様なものである。自分の人格を他に及ぼさぬ以上は、折角に築き上げた人格は、築き上げぬ昔と同じく無功力で、築き上げた労力丈を徒費した訳になる。(中略)学問は綱渡りや皿廻しとは違ふ。芸を覚えるのは末の事である。人間が出来上るのが目的である。(同)

 ここで言われているのは次のようなことである。自分より「高い」ものには「同化」してもよいが、「低い」ものには「同化」すべきでないし、したくない。「高い」自分は、「低い」誰かを「感化」すべきなのであり、それが自分の使命なのである。
 「人格に於て流俗より高いと自信して居る」道也は、決してその先を自問したり、自分を疑うようなことはない。道也はすでにそうした問題を超越した「崇高な」「一人坊つち」なのであり、彼自身が自分の「滑稽」さに気づいて「低きに就く」ようなことなど起こりえないのである。『野分』に、道也に対する根本的な相対化があるとすれば、百円の金によって著作の出版と借金の返済という問題が一挙に解消されることになる、その結末以外にはないのである。これについてはのちに見る。
 学問にとって「芸を覚えることは末の事」であり、本当は「人間が出来上がるのが目的」である。道也はそう考える。しかし「世は名門を謳歌する、世は富豪を謳歌する、世は博士、学士迄も謳歌する」(三)。なぜか。「公正な人格に逢ふて、位地を無にし、金銭を無にし、もしくは其学力、才芸を無にして、人格其物を尊敬する事を解して居らん。人間の根本義たる人格に批判の標準を置かずして、其上皮たる付属物を以て凡てを律しやうとする」(同)からである。つまり「付属物が本体を踏み潰す世」だからである。「あの時分は今とは大分考へも違つてゐた。己れと同じ様な思想やら、感情やら持つてゐるものは珍らしくあるまいと信じて居た。従つて文筆の力で自分から卒先して世間を警醒しやうと云ふ気にもならなかつた」(三)。
 では「付属物」(文学士という肩書き)でできる教師をやめて「文筆の力」という「本体」で生きようとすればどうなるか。「江湖雑誌の編輯で二十円、英和字典の編纂で十五円」、合わせて三十五円が月々の定収であり、「此外に」新聞や雑誌に「毎日毎夜筆を休ませたことはない位に」書いて、「たまさか二円、三円の報酬」を得られるだけである。したがってもちろん妻や兄からは「無考」「困つた男」「訳がわからない」「変人」「無鉄砲」「どうかして居る」「馬鹿」「無暗」「頑固」などと罵られ、中野からは「愛嬌のない男」「あれで文学士」と軽蔑されるのである。
 道也は「文学はほかの学問とは違ふ」のだと言う。確認しよう。では道也のいう「文学」とは何であり、「文学者」とは誰であるのか。

「(前略)文学は人生其物である。苦痛にあれ、困窮にあれ、窮愁にあれ、凡そ人生の行路にあたるものは即ち文学で、それ等を嘗め得たものが文学者である。文学者と云ふのは原稿紙を前に置いて、熟語字典を参考して、首をひねつてゐる様な閑人ぢやありません。円熟して深厚な趣味を体して、人間の万事を臆面なく取り捌いたり、感得したりする普通以上の吾々を指すのであります。其取り捌き方や感得し具合を紙に写したのが文学書になるのです、だから書物は読まないでも実際其事にあたれば立派な文学者です。従つてほかの学問が出来得る限り研究を妨害する事物を避けて、次第に人世に遠かるに引き易へて文学者は進んで此障害のなかに飛び込むのであります。」(六)

〔「章立て」に戻る〕


  

 こうした道也の考える「文学者」とは対照的に、「付属物」としての文化、あるいは文学を生きる人間として形象されている青年が中野輝一である。
 彼の部屋にあるヴィーナスは「無論模造」である。彼の目の前で輝く婚約者のダイヤモンドは、彼女の父親が競馬の「賭」で儲けた五百円の金で買った指輪であり、その「美しき手」に必要な「貴き飾り」である。また中野が話題にするメリメのヴィーナス像が動き出して男を死なせてしまう話も、「出来合の指環」に対する「本物」の持つ力の恐ろしさを伝えている。そこで中野の恋人は、彼女自身が中野の「装飾品」にすぎないことをほとんど自覚してでもいるかのように、本気で怖がってみせるのである。しかし「甘き恋に酔ひ過ぎたる」中野は性懲りもなく「愛嬌に醋をかけた様な」「此酸味に舌を打つ」のである。

二人の世界は愛の世界である。愛は尤も真面目なる遊戯である。遊戯なるが故に絶体絶命の時には必ず姿を隠す。愛に戯れる余裕のある人は至幸である。/愛は真面目である。真面目であるから深い。同時に愛は遊戯である。遊戯であるから浮いてゐる。深くして浮いてゐるものは水底の藻と青年の愛である。(七)

 「水底の藻」が次作『虞美人草』において、小野の暗い出自や彼の内面をあらわす喩として用いられることになるのはまだ先のことである。そしてヴィーナスが隠蔽しようとした「過去」の蘇りとして〈動くこと〉に本気で恐れることになるのもまた。
 しかし注意すべきなのは中野の「恋愛論」である。「現代青年の煩悶に対する解決と云ふ題」にふさわしい「高説」とは、どうしても思えない軽薄なものとして、「作者」はそれを紹介しているのだが、そこには見過ごせない言葉が含まれているのである。

「我々が生涯を通じて受ける煩悶のうちで、尤も痛切な尤も深刻な、又尤も激烈な煩悶は恋より外にないだらうと思ふのです。(中略)我々が一度び此煩悶の炎火のうちに入ると非常な変形をうけるのです」/「変形? ですか」/「えゝ形を変ずるのです。今迄は只ふわふわ浮いて居た。世の中と自分の関係がよくわからないで、のんべんぐらりんに暮らして居たのが、急に自分が明瞭になるんです」/「自分が明瞭とは?」/「自分の存在がです。自分が生きて居る様な心持ちが確然と出てくるのです。だから恋は一方から云へば煩悶に相違ないが、然し此煩悶を経過しないと自分の存在を生涯悟る事が出来ないのです。(中略)夫だから恋の煩悶は決して他の方法によって解決されない。恋を解決するものは恋より外にないです。恋は吾人をして煩悶せしめて、又吾人をして解脱せしむるのである。」(三)

 「世の中が、どれ程悲観すべきものであるか位は知つてる積りだ」という中野は、書物の上でだけではなく「実際だつて、是で中々苦痛もあり煩悶もあるんだよ」と高柳に言ってみせている。むろん高柳は「高い山から谷底を見下ろした様」に、中野を相手にしない。「訳は段々話すよ」という中野の「訳」は決して話されることはない。高柳は「公然とにやにや笑つた。些つとは察しる積りでも、察しやうがない」からである。中野は恋の「理論家」であって恋の「実際家」ではない。しかし彼が否応なく実際家として生かされてしまったときには、必ず嘗めるであろう「煩悶」を、すでにその存在の深奥に潜ませているのである。『こゝろ』において結晶することになる、「恋」とそれによる存在の「変形」という主題の淵源は、『野分』のこの中野の言葉にあるのである。
 唐突に思われるかも知れないが、『こゝろ』を取りあげたのは、他にも理由がある。『こゝろ』の先生が青年の「私」に告げる、「恋に上る楷段」説とでもいうべきものが、ここ『野分』においても、同様にあてはまりそうに見えるからである。

 「今それ程動いちやゐません」
 「あなたは物足りない結果私の所に動いて來たぢやありませんか  」
 「それは左右かも知れません。然しそれは恋とは違ひます」
 「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合ふ順序として、まづ同性の私の所へ動いて來たのです」
 「私には二つのものが全く性質を異にしてゐるやうに思はれます  」
 「いや同じです。(中略)あなたが私から餘所へ動いて行くのは仕方がない。私は寧ろそれを希望してゐるのです。然し‥‥‥」(『こゝろ』上十三)

 恋は罪悪ですよ、それは貴方もよく分かっているはずです、と先生は青年の「私」に言う。そこで先生が言っているのは、人は「恋に上る楷段」を上がっていくのだが、自分が今どの段に足を乗せているかは知り得ない、気がつくのは、いつも決まって「楷段」を一つ上ってしまった後からにすぎない、ということである。ちょうど「故郷」が捨てられて初めて「発見」されるように。
 「もとは極親密でした。然しどうもいかんです。近頃は――何だか――未来の細君か何か出来たんで、あんまり交際してくれないのです」(六)。実のところ、中野は高柳を捨てて「異性」の恋人のもとに走ったのであり、高柳はまた中野を離れ「異性と抱き合ふ順序として、まづ」道也先生の所へ動いていったのである。「異性」が、たんに女性をのみさすのではなく、彼の憧れや理想を振り向ける対象となるものの喩であることはいうまでもない。もっとも高柳には、その時点ですでに、「異性」へと「楷段」を上っていくための時間が与えられていないという点が異なってはいる。しかしそのために高柳の「恋」は「順序」としてのものを超えた、ある特別なものになるのである。

〔「章立て」に戻る〕


  

 しかし、まずは高柳と中野の関係から見ていこう。

同じ年に卒業したものは両手の指を二三度屈する程ゐる。然し此二人位親しいものはなかつた。(中略)此両人が卒然と交を訂してから、傍目にも不審と思はれる位昵懇な間柄となつた。(中略)/天下に親しきものが只一人あつて、只此一人より外に親しきものを見出し得ぬとき、此一人は親でもある、兄弟でもある。さては愛人である。高柳君は単なる朋友を以て中野君を目しては居らぬ。(二)

 中野の「住む半球には今迄いつでも日が照つて居た」。だから自分の足の下に真っ暗な半球があると気がついたところで、「嘸暗い事だらうと身に沁みてぞつとする事はあるまい」。

高柳君は此暗い所に淋しく住んでゐる人間である。中野君とは只大地を踏まへる足の裏が向き合つて居ると云ふ外に何等の交渉もない。縫ひ合はされた大島の表と秩父の裏とは覚束なき針の目を忍んで繋ぐ、細い糸の御蔭である。此細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河が横たわって居る。(二)

 高柳にとって中野は「親」であり「兄弟」であり「愛人」である。と同時に中野は、また足の裏を向き合わせている以外に「何等の交渉もない」人間である。この落差は何なのだろうか。これはたんにその精神生活と経済生活とを分けてそう言っているだけのことなのであろうか。高柳と中野の関係は、道也とその妻お政の関係に似ている。

 博士になり、教授になり、空しき名を空しく世間に謳はれるが為、其反響が妻君の胸に轟いて、急に夫の待遇を変へるならば此細君は夫の知己とは云へぬ。世の中が夫を遇する朝夕の模様で、夫の価値を朝夕に変へる細君は、夫を評価する上に於て、世間並みの一人である。(中略)従つて夫から見ればあかの他人である。(中略)道也は自分の妻を矢張りこの同類と心得てゐるだらうか。至る所に容れられぬ上に、至る所に起居を共にする細君さへ自分を解してくれないのだと悟つたら、定めて心細いだらう。(中略)順境にある者が細君の心事をここ迄に解剖する必要がない。(中略)病気も無いのに汚いものを顕微鏡で眺めるのは、事なきに苦しんで肥柄杓を振り廻すと一般である。只此順境が一転して逆落としに運命の淵へころがり込む時、如何な夫婦の間にも気まづい事が起る。親子の絆もぽつりと切れる。美しいのは血の上を薄く蔽ふ皮の事であつたと気がつく。道也はどこ迄気がついたか知らぬ。(一)

 道也が妻を「金さへ取れゝば」よいと考えている人間だと見なしているように、高柳は中野を「生活には困らないし、時間は充分あるし、勉強はしたい丈出来るし、述作は思ふ通りにやれる」「実に幸福」な人間だと決めつけている。「妻君は次第と自分の傍を遠退く様になつた」と書かれ、壁に「細君の影が写つてゐる。其影と妻君とは同じ様に無意義に道也の眼に映じた」とされる。「至る所に起居を共にする細君」はしかし、やはり道也にとって「何等の交渉もない」人間なのである。

中野君は無論上等である。高柳君を顧みながら、こつちだよと、さも物馴れたさまに云ふ。今日に限つて、特別に下等席を設けて貰つて、そこへ自分丈這入つて聴いて見たいと一人坊つちの青年は、中野君のあとを付けながら階段を上ぼりつゝ考へた。己れの右を上る人も、左りを上る人も、又あとからぞろぞろついて来るものも、皆異種類の動物で、わざと自分を包囲して、のつぴきさせず二階の大広間へ押し上げた上、あとから、慰み半分に手を拍つて笑ふ策略の様に思はれた。(四)

 『こゝろ』の「楷段」にせよ、『野分』の「階段」にせよ、それらが、本人の意志や意識にかかわらず、自動的に人を運んでいくようなものとして描かれている点で共通している。そこでは人は「一歩でも退く事はならぬ」のである。
 中野は「余裕」があるという点で高柳より高い位置にいる。しかし、おなじその「余裕」のために高柳の真の不幸に気がつかない、聞き出し得ないという点で、高柳に「高い山から谷底を見下ろした様に」見下げられてしまうのである。高柳は、のちに道也には告白する自分の「過去」を、中野には一言も打ち明けてはいない。だから中野は恋人に高柳の出身を尋ねられて、「農、なんでせう」などと寝ぼけたことを言わざるを得ないのである。高柳と中野はこの程度に「親しい」間柄だと言わねばならないのである。
 高柳は、自分の上っている「階段」がどうも違う、中野の後を追いかけていくのでは、いつまでたっても自分が自分らしくあることはできないのではないかと思っている。しかし、それ以外にどうしていいのかわからないのである。

〔「章立て」に戻る〕


  

 つぎに高柳と道也の関係を見よう。
 高柳は道也の「知己」として扱われることになるのだが、その前から、道也の「同類」であることが明らかにされている。それは「零落」した「服装」において「伯仲の間」であるというだけではない。高柳もまた彼なりの「本体」論を持っていることである。「入らない切符抔を買ふのかい」「穿めもしない手袋を握つて歩いてるのは何の為めだい」(四)と高柳は中野に言っている。そしてこの高柳の「本体」論は、彼の文学観とも深く関わっているのである。

「自然なんて、どうでもいゝぢやないか。(中略)僕のは書けば、そんな夢を見た様なものぢやないんだからな。(中略)たとえ飛び立つ程痛くつても、自分で自分の身体を切つて見て、成る程痛いなと云う所を充分書いて、人に知らせて遣りたい。呑気なものや気楽なものは到底夢にも想像し得られぬ奥の方にこんな事実がある、人間の本体はこゝにあるのを知らないかと、世の道楽ものに教へて、(中略)恐れ入つたと頭を下げさせるのが僕の願いなんだ」(二)

 高柳は道也に対して、ある特別な出会い方をしている。それは〈生まれて初めて〉というかたちをとる。二人を媒介するのが中野であるということは見やすいが、そのきっかけは、この二人がそれぞれ〈生まれて初めて〉の経験をすることから始まるのである。
 取材のために中野を訪ねた道也は、「生まれてから未だ嘗てこんな奇麗な室へ這入つた事はない」という経験をしている(三)。そしてこのときの中野の談話が「僕の恋愛観」という表題で掲載されている同じ江湖雑誌上に、道也(憂世子)の「解脱と拘泥」も載せられていて、高柳はそれを読むことになるのであり、この道也の文章との出会いは、高柳が中野に連れられて「生まれてから、是が始めて」という音楽会(四)の経験のすぐあとの出来事として描かれているのである。
 「解脱と拘泥」を読む高柳は「今迄解脱の二字に於て曾て考へた事はなかつた」ことに気づく(五)。そして道也を訪ねた高柳は丁寧に頭を下げている。「丁寧に頭を下げた事は今迄何度もある。然し此時の様に快く頭を下げた事はない」くらいに丁寧に、「同類に対する愛隣の念より生ずる真正の御辞儀」をするのである(六)。そしてその文章を評価された道也は「然し今迄僕の文章を見てほめてくれたものは一人もない。君丈ですよ」と打ち明けるのである。
 高柳は自分の「歴史」に苦しめられている。郵便局の役人であり、公金を横領し牢獄の中で肺病死した父親から、その「罪」と「病」が「遺伝」したのではないか。そんな暗い「過去」が、輝かしい「未来」の成功を奪い、「麺麭の為め」だけに生きる「現在」に自分を縛りつけているのだと、高柳は悩むのである(八)。
 しかし〈生まれて初めて〉の経験になら、そういう「現在」から解放してくれる解脱の力があるのだとでもいうように、「作者」は「今迄」に「なかつた」こととして二人の出会いを綴っていく。そうして高柳は、道也の演説「現代の青年に告ぐ」に対してやはり、「生まれて始めてこんな痛快な感じを得た」という経験をするのである(十二)。だから中野が高柳の転地療養のために都合した百円について、「百円の金は聞いた事がある。が見たのは是が始めてゞある。使ふのは勿論の事始めてゞある」と書かれるとき、高柳はその「百円」を、いずれ道也に密接に関わるかたちで「使ふ」ことになるのだな、ということがわかるのである。

〔「章立て」に戻る〕


  

 村瀬氏も言うように『野分』の評価の鍵は、道也の『人格論』の出版と借金に関わってやりとりされる百円のめぐる回路をどう捉え、どう解釈するかにある。
 結核になった高柳は、中野に百円の金を借りて転地療養をすることになる。暇乞いに道也を訪ねると、借金取りが来ていて、百円の金の取り立てをしている。高柳は、中野に借りた手元の百円で道也の「人格論」の原稿を買い取り、それを自分の著作の「代り」として中野に届けようと「暗き夜の中に紛れ去」るのである。
 小森陽一はこの《「百円」の流通過程を客観的に見てみると、その中には多くの潜在的な裏切りが内包されて》いるとして、それらを次の四つにまとめているC。

(一)道也が「人格論」を書いたのは、そこに記された思想によって読者に働きかけるためだ。「人格論」を出版してなるべく多くの読者に自分の思想を伝えようとしていたのに、高柳の行為は道也が「文学者」となる可能性を摘み取ってしまった。
(二)借金の取り立ては、兄が、資本家を批判する道也の言論活動を封殺するために仕組んだ罠であり、高柳の行為は結果的に中野の父(道也の兄の会社の経営者)を利することになってしまった。
(三)高柳は将来の自分の著作と引き換えに百円を借りている。だとすれば高柳は中野との約束を破っただけではなく、自ら「文学者」になる可能性を摘み取ってしまっている。
(四)道也は「現代の青年に告ぐ」という演説で「人事上」に金銭の力を作用させることを批判していた。高柳自身や道也の「人事上」の問題に、金満家である中野の金を使ってしまった高柳は、その意味で道也の思想を裏切っている。  

 (四)についてはしかし、「訳のわかつた」「文学者」高柳が、「金」の使い方を「金満家」中野に教えているのだ、と考えれば、逆に道也の思想に忠実だということになる。いずれにせよこうした問題は、道也の原稿を高柳から受け取った中野が「人格論」を出版しさえすれば解消する問題である。小森氏もまた道也の「人格論」が日の目を見ないだろうことを前提にしているのである。しかし仮にそうだとしても、

(一)道也は高柳に対して「君丈」が「僕の知己ですね」といっていた。その高柳に彼自身の著作として、それ「より偉大なる」ものとして選ばれたことこそが、道也にとって真に「文学者」になることではなかったか。もともと「人格論」の出版の予定が立たなかったのも道也に「知己」や「同類」がいなかったからであり、世の中が道也  を遇する「朝夕の模様」で道也の価値を「朝夕に変える」ような〈読者〉なら「あかの他人」にすぎないと考えて、真に必要としていなかったからではなかったか。
(二)同様に、高柳はこの行為においてのみ(道也と高柳に共通する理想  としての)「文学者」の可能性を持つのではないか。

という疑問は残る。もちろんそれでも近い将来の高柳の死と中野の金があって初めてそれが可能になっているというのは消せない事実であり、これ以上にない皮肉であり、逆説であるのだが。
 しかし右のことが成り立つためには「文学者」とは何かをもう少し明確にする必要がある。
 たとえば中野は、療養費を負担する代わりに、高柳の「一大傑作」をもらい受け、それを「世間へ」出すという契約を申し出ていた。しかしこれは、村瀬氏の言うように《「無意味に人の世話になるのが厭」という高柳に療養費をうけとらせるための方便にすぎない》ものだったのだろうか。
 もし「方便」でそうしたのだとすれば、中野の目的は高柳を転地させ療養させることにあり、したがって中野は高柳の持ち込んだ道也の「人格論」に対して、口では貰うと言いながら、実際には(そこに「金持」批判が含まれているのならなおさら?)出版を本気で考えることなく、高柳に対してあらためて百円の金の用立てを申し出ることさえも考えられるであろう。また反対に、もし中野が「真面目」でそうしたのなら、つまりは高柳を「保護」するこれまでの一段高い立場からではなく、高柳と対等の立場で契約を申し出ているのなら、高柳自身の著作こそが中野にとっては意味があることになるのだから、高柳の「自己を代表すべき作物を転地先よりもたらし帰る代りに」という「代りに」が、いくら高柳にとって「より偉大なる人格論」であっても、中野においては成り立ちはしないだろう。
 とすれば、やはり道也から中野への「感化」の線は、切れていると言わねばならないだろう。中野にとって道也は、直接には「文学者」と呼べる(呼び合える)存在ではないのである。
 雑誌を編集し字典を編纂する三文文士と「地理教授法の翻訳の下働き」で口を糊する「筆耕」。しかし目の前の青年を「知己」と呼び「君丈です」と打ち明けた男と「先生、私はあなたの弟子です」と告白し自分自身の作物として「先生」の著作のすべて(著者名までも)を〈引用〉する男。こうした道也と高柳の特別な「関係」においてのみ、二人は「文学者」を生きることになる。そしてそこでは、「感化」と「死」とを前提にして初めて出現する「真面目/恋」以外に、「文学者」を支えるものなどありはしないのである。
 窮地を救われる道也は、たしかに道化に見える。しかし、小森氏もいうように、この事態は読者にしか把握できない。もしも漱石が理想の喪失を生きる当代青年層に対する処方箋として『野分』を書いたのだとすれば、漱石は白井道也のように生きろといっているのではない。その「滑稽」を乗り越えて、高柳周作のように生きろ/死ねといっているのである。むろん道也の「人格論」を百円の金で買った高柳のようにではない。それを自分の著作として〈引用〉し、受け取る者の進退をこそ問う形で中野に渡そうとする高柳のようにである。高柳はそこで道也という「恋人」を離れ、昔の「恋人」である中野に、対等な立場で正面から向かい合おうとしているのである。それは、いわば垂直の関係にある「感化/恋」の「階段」から自ら身を引き離し、水平の関係にある「友情」へと飛躍することであり、意志や意識に関わらず人を「押し上げ」ていく「自然」や「運命」といったものに対する、「意志」や「意識」の側からの挑戦である。そしておそらくこの行為こそが、「文学者」道也先生が望みつつ、しかし「人格論」には直接書かれていないことであり、これによって初めて「人格論」が補完され、 さらにそれを乗り越える可能性を持つという意味で、「文学者」高柳の「作物」なのである。したがって中野は、道也の「人格論」を出版するかしないかではなく、ただ「文学者/朋友」として現れた高柳にどう向かい合うかにのみ、応えればよいのであり、応えねばならないのである。

〔「章立て」に戻る〕


 註

@西垣勤「『野分』私論」(「日本文学」二一巻六号、一九七二、六 のち『漱石と白樺派』有精堂出版所収 一九九○、六)

A酒井英行「『野分』論」(「文芸と批評」五巻十号、一九八四、七 のち『漱石 その陰翳』有精堂出版所収 一九九○、四)

B村瀬士朗「流通する『文学』、『文学者』の自立 −『野分』論−」(季刊『文学』二巻一号 一九九一、一)

C小森陽一「大学屋から新聞屋へ」(『夏目漱石を読み直す』ちくま新書、第五章 一九九五、六)

 なお、『野分』の引用はすべて三十五巻本『漱石全集』(岩波書店、一九五六、六)第四巻によった。旧字体は新字体に改め、ルビは必要と思われるものにとどめた。


論文リストに戻るRecent Major Publications