『心』の報告者

     

Houkokusha(Reporters) in
Natsume Soseki's Kokoro

武田充啓

    
         一
 
 朝日新聞の『入社の辞』(明治四十年)には、「近來の漱石は何か書かないと生きてゐる氣がしない」とある。また、『文展と芸術』(大正元年)に漱石は、「藝術は自己の表現に始まつて、自己の表現に終るものである」と書いている。漱石にとって生きることは自己を書くことであった。
 
 自分の心の径路を有りの侭に現はすことが出來たならば、さうして其侭を人にインプレツスする事が出來たならば、總ての罪悪と云ふものはないと思ふ。夫をしか思はせるに、一番宜いものは、有りの侭を有りの侭に書いた小説、良く出來た小説です。(講演『模倣と独立』(大正二年))
 
 聖オーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、−−それをいくら辿つて行つても、本當の事實は人間の力で叙述出來る筈がないと誰かが云つた事がある。况して私の書いたものは懺悔ではない。(『硝子戸の中』(大正四年))
 
 「有りの侭に現はすこと」は、単に自己の過去の事実をそのまま打ち明けることではないし、自己を正当化するためのものでもない。それは何より自己を知るためのものであり、自己自身であろうとするためのものである。そして、漱石はそれには「告白」よりも「小説」だというのである。
 
 作品の中での「手紙」という表現装置の機能は、『行人』(大正元−二年)のHさんの「報告」から『心』(大正三年)の先生の「告白」へと変化を遂げている。正確にいうと『行人』での「報告者」は二郎とHさんである。一郎を「報告」していた二郎は、一歩退いて、Hさんが「手紙」で「報告」してきた一郎を「報告」することになる。この二重の「報告者」の構造は『心』でも基本的に変わっていない。ただ「報告者」が「報告」するのが自己自身であるというのが違いである。「報告」内容の他者から自己への変化は、『道草』(大正四年)では、漱石自身の過去を素材にした、いわば漱石が自己自身を「報告」するかたちへと発展することになる。それは、「自己の表現」を追求しようとする漱石の欲望の切実さや自己認識の深化に対応している。
 『心』では、自己を「報告」していたはずの「私」が、「手紙」による先生自身の「報告」を、つまりは先生の「告白」を「報告」することになる。「報告者」が身を引いて、別の「報告者」に席をゆずることが、ここでは無理なく滑らかに演じられているため、『門』から『行人』までにみられた長編小説の構成的な破綻から免れている。そして、スムーズになった分だけ小説の質が損なわれたり、「自己の表現」が削られたりしているわけではない。漱石は『心』で、「自己の表現」へのひとつの「方法」を掴んだといってよい。
 作品の中の「報告者」はどのような「方法」をとるのであろうか。『道草』では「報告者」漱石は小説舞台から姿を隠してしまっている。『心』はそういう観点からいえば、「報告者」が小説舞台に登場する最後の小説であり、「私」も先生も共に「筆を執つて」自己を書き伝えようとしている点からも、この問いかけに適当な作品であると思われる。
 ところで、『心』に登場する主要な人物たち、K、先生、「私」、彼ら三人には固有の名が与えられていない。
 「もし其男が私の生活の行路を横切らなかつたならば」(下十八)。自分にとって決定的な存在であったKとのいきさつを「手もなく、魔の通る前に立つて、其瞬間の影に一生を薄暗くされて氣が付かずにゐたのと同じ事です」(同)という先生は、続けて「私は其友達を此所にKと呼んで置きます」(下十九)と書き、以後その名は明らかにされることなく、Kという頭文字のまま呼ばれていく。
 小説の冒頭に記された文章をみてみよう。
 
 私は其人を常に先生と呼んでゐた。だから此所でもたゞ先生と書く丈で本名は打ち明けない。是は世間を憚かる遠慮といふよりも、其方が私にとつて自然だからである。私は其人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云ひたくなる。筆を執つても心持は同じ事である。餘所々々しい頭文字杯はとても使ふ氣にならない。(上一)
 
 先生にとってのK、「私」にとっての先生、それぞれのあり方の違いが彼らの呼び方の違いに現れている。Kの生前、先生が彼をどのような名前で呼んでいたにせよ、遺書に書くときにはKという「頭文字」で呼ぶことになったのであり、「私」は、先生をその死後においてもやはり「先生」と呼び続けるのである。そして「私」は、「頭文字」を「餘所々々しい」ものと表現している。
 名前のないこと、呼び方のズレに留意しつつ、その関係をみていくことで彼らの「自己の表現」を考えてみたい。
 
         二
 
 Kと先生には「同郷の縁故」(下十九)がある。だが、先生は両親の残した財産を狙う叔父の裏切りによって、Kは「養家先」の意向に背いた「自分の偽りを白状して」(下二十)しまうことで、彼らは二人ともその故郷を喪くしてしまう。しかし、故郷の喪失は彼らには必然だったのである。
 叔父の裏切りを受けた先生はいっている。
 
 私の世界は掌を翻へすやうに變りました。尤も是は私にとつて始めての經驗ではなかつたのです。(中略)私は世の中にある美しいものゝ代表者として、始めて女を見る事が出來たのです。今迄其存在に少しも氣の付かなかつた異性に對して、盲の眼が忽ち開いたのです。それ以來私の天地は全く新らしいものとなりました。(下七)
 
 彼の「世界」を一変させ得たものが、故郷喪失以前にすでに存在しており、そしてこの<恋愛>への秘められた神聖視こそが、従妹との結婚を不可能なものにし、叔父の裏切りを招き、つまりは故郷を捨てさせることになるのである。
 一方「母のない男」(下二十一)Kには、勘当による以前にすでに故郷は奪われていたといってよい。先生が持ち得た「もう一度あゝいふ生まれたままの姿に立ち歸って生きてみたい」(下九)というような帰るべき場所、<自然>なる世界は、最初から与えられていなかった。「養父母を欺く」ことさえ「構はない」(同)といわせる「道」は、一人きりの世界に生きるKが持たざるを得なかったものである。
 故郷喪失の事件以前にすでに彼らの内にあった理想は、彼らに故郷を戻り得ぬ場所とさせるだけでなく、以後の二人の存在根拠となる。理想は、そこにあるべき彼ら自身の本来の姿として、つねに彼らを先行し、彼らを誘う。そこに到達できないかぎり、彼らは彼ら自身ではあり得ない。彼らの理想をここでは<先行者>と呼び、それに寄り添いつつ、彼らの跡を辿ってみる。
 
 「氣高い心持」をみせるKに対して、「美しいもの」を尊ぶ先生は精神的な同族意識を持っていたとみてよい。しかし、やがてこの同族者の持つ<先行者>は、次第に先生のものとは別のものであることが明らかになる。
 
 道のためには凡てを犠牲にすべきものだと云ふのが彼の第一信条なのですから、攝慾や禁慾は無論、たとひ慾を離れた戀そのものでも道の妨害になるのです。(下四十一)
 
 「其頃から御孃さんを思つてゐた」(同)先生は、「慾を離れた戀」に現実の対象を得た以上、ただKを畏敬するだけではいられない。
 
 私は其人に對して、殆んど信仰に近い愛を有つてゐたのです。私が宗教だけに用ひる此言葉を、若い女に應用するのを見て、貴方は變に思ふかも知れませんが、私は今でも固く信じてゐるのです。本當の愛は宗教心とさう違つたものでないといふ事を固く信じてゐるのです。(下十四)
 
 Kが「道」をめざす「宗教家」であるならば、先生は<恋愛>を信仰する、やはりひとりの「宗教家」である。しかし、信条を別にする二人の宗教家は、そのことからただちに反目しあうわけではない。それぞれの<先行者>に忠実に、各々のやり方で固有の名を得ようとするだけなのである。
 先生の<先行者−恋愛>は、<自然>と不可分であり、それは喪くした「故郷」のことだといってよい。もちろん、その「故郷」とは、彼が「何うかしてあゝいふ生まれたままの姿に立ち歸つて生きてみたい」というときの、その「生まれたままの姿」が許される<場>としてのそれである。<恋愛>は、叔父の裏切りによって「故郷」が許されなくなった彼に残された、<自然>再現への唯一の可能性なのである。
 一方、Kには帰るべき「故郷」はなかった。彼は自分の生きる「現在」を自身で「尊とい過去」(下四十三)にしていかなければならなかった。彼はそれを「未来」の自己自身への「道」として選んだのである。
 しかし、「道」を焦るKが人間らしさを失くし、そこに喪くした「故郷」をみた先生が「家に連れて來」(下二十二)てその<自然>を復活させようとするとき、二人の宗教家に試練が訪れる。
 
 御孃さんの態度になると、知つてわざと遣るのか、知らないで無邪氣に遣るのか、其所の區別が一寸判然しない點がありました。(中略)さうして其嫌な所は、Kが宅へ來てから、始めて私の眼に着き出したのです。(下三十四)
 
 自分の「嫉妬」なのか、彼女の「技巧」なのか決定できないこのような恋愛は、先生がかつて夢想していた完全かつ安全な<自然なる恋愛>とは、明らかに異なっている。「慾を離れた戀」はその存在を許されず、先生はそうした自身の苦悶をKに語れない。
 KはKで、かつて先生が経験した、異性による世界転回の洗礼を初めて体験することになる。だが彼には捨てられない信条と、築き上げたはずの「尊とい過去」があるのだ。
 宗教家たちはそれぞれの信仰への困難さのまえで苦悩し、新たに立ち現れた共有できぬ偶像のまえで煩悶する。房州での旅中、彼らが象徴してみせた「行商の態度」(下三十一)は、二人がそれぞれの<先行者>に忠実な「宗教家」ではなく、本来的自己たろうとするロマン的な欲望の、その引取り手を捜しあぐねる行商人となってしまったことを告げている。先生はKに対して、殺人の身振りを装うことまでしておきながら、ついに御嬢さんへの気持ちを打ち明けることができず、Kは「後向きの侭、丁度好い、遣つて呉れ」(下二十八)と死をも厭わぬ答えをしながら、やはり「寺」を訪ね歩く他にないのだ。
 
         三
 
 「二人の親しみに自から一種の惰性があつたため、思ひ切つてそれを突き破る勇気が私に缺けてゐた」(下三十一)と先生はいう。Kは先生のためらいをよそに、御嬢さんへの気持ちを先生に告白する。何故、先生の方からはそれができなかったのか。先生がのちに「私」に語る<恋愛の階段説>とでもいうべきものをみてみよう。恋は罪悪かと尋ねる「私」に、先生は「たしかに」と答える。
 
   「何故ですか」
   「何故だか今に解ります。今にぢやない、もう解つてゐる筈です。あなたの心はとつくの昔から既に戀で動いてゐるぢやありませんか」
  (中略)
   「今それ程動いちやゐません」
   「あなたは物足りない結果私の所に動いて來たぢやありませんか」
   「それは左右かも知れません。然しそれは戀とは違ひます」
   「戀に上る楷段なんです。異性と抱き合ふ順序として、まづ同性の私の所へ動いて來たのです」
   「私には二つのものが全く性質を異にしてゐるやうに思はれます」
   「いや同じです。私は男として何うしてもあなたに満足を與へられない人
  間なのです。それから、ある特別の事情があつて、猶更あなたに満足を與へられないでゐるのです。私は實際御氣の毒に思つてゐます。あなたが私から餘所へ動いて行くのは仕方がない。私は寧ろそれを希望してゐるのです。然し‥‥‥」(上十三)
 これを先生とKとの関係で考えれば、先生にはKの存在が、その「戀に上る楷段」への「順序」としてあったということ、そして「餘所へ動いて」その対象を御嬢さんの方に移していったということが明らかになる。
 先生は、故郷喪失前後の一時期を共にしたKにいわば<第二の故郷>を見、それの復活を望んだのだといってもよい。しかし、それが再現されるべきものとして発見されたときには、先生はすでにそこを離れて、「戀に上る楷段」を御嬢さんの方へ一歩進めた後であった。そうして初めて、先生はKが自分の<恋人>であったことを知るのである。同様に、以前の故郷喪失のときにはおそらく、先生はその「楷段」をKの方に一歩進めていたはずなのだ。先生の<先行者>はつねに喪くした後に見い出されている。後の先生の<恋愛の階段説>が物語るのは、「故郷」とは実は自らが捨てるものであり、それは「戀に上る楷段」にいるかぎり、避けられない宿命なのだという真実であり、したがって先生が「一種の惰性」のうちにみせる逡巡は、この「運命」への彼にできる精一杯の抗いの姿勢であったともいえるのである。
 「戀に上る楷段」は、彼の<先行者−恋愛>とは相容れないものとなっていく。それは、「慾を離れた戀」以上に続く階段であり、そこからは「生まれたままの姿」では上れない階段となる。先生は「人間らしいといふ言葉」(下三十一)でもってKに<自然>を取り戻させようとした。しかし、それは当の<自然>を捨てようとしている自分自身への「辯解」でもあったのだ。先生はKのいうように、「此人間らしいといふ言葉のうちに」「自分の弱點の凡てを隠して」(同)いたのである。
 先生に向けられたKの告白は、捨てられようとする過去の恋人の最初にして最後の愛の告白である。それは、これまでみせてきた「變に高踏的な彼の態度」(下二十九)を改めて、初めて先生に<正面>から向かい合おうとしたことだともいえよう。しかし、それは一歩遅かった。後に先生がいう「罪」とは、このKの姿勢に対して先生がとらざるを得なかった姿勢のことであり、向かい合おうとすることがつねに一歩遅れたかたちでしか許されない「運命」のことである。
 先生は、御嬢さんにもその「後姿」をしか見ることが出来ない。Kの来る以前、母親も含めた三人の間で彼女の結婚話が出たとき、
 
 さつき迄傍にゐて、あんまりだわとか何とか云つて笑つた御孃さんは、何時の間にか向ふの隅に行つて、背中を此方へ向けてゐました。私は立たうとして振り返つた時、其後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が讀める筈はありません。(下十八)
 
 あるいは、Kと一緒にいるその笑い声を聞いて駆けつけたとき、
 
 然し御孃さんはもう其所にはゐなかつたのです。私は恰もKの室から逃れ出るやうに去る其後姿をちらりと認めた丈でした。(下三十二)
 
 Kが同居するようになって初めて、やっと向かい合えたと思ったときには、意味をすり抜けていく「例の笑ひ」(下三十四)にはぐらかされ、あるいは「何處へ行つて好いか自分でも分らなく」(下三十三)なるようなめまいのうちに、その瞬間は過ぎていった。
 「後姿」とは消え去った本体の残像ではなく、いまここにあるはずの全体の一部であるということ。それは当然そこに向こう側、すなわち<正面>を併せ含んだ存在であるということ。<正面>は、<自然>は、<真理>はすぐそこにあるのだが、いまは向こうを向いていて、ここからは窺えない。このことが彼をして「後姿」を追わせることになるのである。むろん、<正面>が「生まれたままの姿」を意味するかぎりにおいて、彼はそれを希求するのである。だが、<正面>とは、むしろ<空白>を意味するのではないのか。「生まれたままの姿」とは、叔父の裏切りを受けた瞬間のめまいが<空白>の彼方に夢見た幻ではなかったか。先生はKの<正面>に出会したとき、「恐ろしさの塊り」「苦しさの塊り」「何しろ一つの塊り」(下三十六)であるしかなかったではないか。<自然>とは、「後姿」の向こう側に見る夢に過ぎないのではないか。「人類」への不信から、御嬢さんや奥さんまでをすら疑わざるを得なかったことはそれを語っているのではないか。彼は幾度かそのロマン的欲望を挫折させてきたのである。
 「後姿」がせつなく印象付けられてしまうのは、先生のロマン的な<想い>が彼の内部に引き起こす一切の苦悩が、その深刻さにもかかわらず、彼女にとって、また現実世界にとって、何らの意味も持ちはしないという隔絶、孤悶、なかんずく先生の欲望の死、無化される彼の存在を象徴して見せるからに他ならない。
 先生にとって<恋愛>は、本来の自己であり得る唯一の可能性である。しかし、そこでそれだけは見ることのできる「後姿」の姿勢とは、彼の欲望や情感が喚び起こす幻影ではないし、<女性>に纏わる捉えどころのなさといったものの喩でもない。それは彼のロマン的な憧憬の対象としての<女性>のイメージそのものであり、ロマン的対象として<女性>を得ることの現世的可能性それ自体である。すなわちそれは<恋愛>の、真に愛されることの、真に存在することの不可能性そのものなのである。そして、だからこそ先生はそのロマン的欲望を、つまりは自分自身を、殺してしまわないためにも、「後姿」を追い続けるより他にないのである。彼の<恋愛>への<想い>は、同時に<自然>への絶望を抱えているのである。
 
 しかし、先生がKを出し抜いて御嬢さんという現実の女性を手に入れるとき、彼が失うことになるのは彼女の「後姿」であり、したがって本来の彼自身である。
 
   「いや考へたんぢやない。遣つたんです。遣つた後で驚ろいたんです。さうして非常に怖くなつたんです」(上十四)
 
 「人間らしい」というしかない、こうした行為に導いていくものこそ「不可思議な力」(下五十五)であろう。恋愛に対してあれほど頑なだったKに、愛の告白をさせたのもこの力であった。ひとは誰しも彼なりの<先行者>を持っている。しかし、どのような<先行者>を持っていようと、彼が立っているのは「戀に上る楷段」なのだ。そしてそこにあるかぎり、誘われざるを得ないのがこの「不可思議な力」の働く<場>なのである。そこでは、その時間、その空間を同時に生きること、経験することが許されていない。それらは先生がいうように、常にそこを離れた後に、振り返って見い出される何ものかでしかない。その意味で、わたしたちには真の<経験>が許されていないといってよい。そして、経験し得ないが故に、その<空白>の内にいる間だけは<幸福>なのだ。
 Kが先生に背を向けられることで知らされたのは、おそらくそうした「力」に翻弄されざるを得なくなる瞬間の<空白−人間の自然>と、その場に居続けるわけにはいかない<不幸−人間の存在>であったのだろう。「弱點」を含んだ<人間の自然>を拒否し、一人きりの世界に殉じた彼は、その遺書に殆ど何も書かずに自殺する。
 暗闇で交わされた「襖越」(下三十八)のやりとり、あるいはそれが二尺ばかり開けられるときには、「洋燈の灯を背中に受けてゐる」ためにそうとしか見えない「黒い影法師」(下四十三)。これらに象徴されるように、Kは愛の告白を除いて一度も先生にその<正面>を見せていない。房州への旅で先生が見せたKへの殺人の身振りが、「後から」(下二十八)されたのであれば、実際にKが死んだときに「向ふむきに突ツ伏してゐる」(下四十八)こともまた、当然なのかも知れない。先生はKの死顔とさえ向かい合うことが許されない。
 
 私は突然Kの頭を抱へるやうに両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかつたのです。然し俯伏になつてゐる彼の顔を、斯うして下から覗  き込んだ時、私はすぐ其手を放してしまひました。慄とした許ではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。(中略)私は忽然と冷たくなつた此友達によつて暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。(下四十九)
 
 ここでは先生が<先行者−K−死>を持つことを余儀なくされたことが理解されよう。先生がこれまでに経験した<空白>は、いわば<小さな死>である。しかし、時間をこちら側にしか与えず、それでいてそれを通り過ぎて振り返って見ることをさせない「死」という最大の<空白>は、些かの<幸福>をも許さず、あらゆる意味付けを呑み込む。そしてKの「後姿」を永遠のものとすることで、先生にそれ以外の<先行者>をあり得なくさせるのである。
 先生はKという個人への複雑な<想い>を、妻の母親を「懇切に看護」(下五十四)すること、「出來る丈妻を親切に取り扱つて遣」(同)ることといった、全人類的な「大きな人道の立場から來る愛情」(同)へと移し変えることによって、その最大の<空白>から逃れようとする。しかし、そうした努力は、むしろ彼の存在を希薄にするだけである。孤独の極みに至って先生は気付く。<空白>に導く「不可思議な力」とは、実は「偶然外から襲つて來る」(同)ものではなく、「自分の胸の底に生れた時から潜んでゐるもの」(同)だということを。だとすれば「生まれたままの姿」とは、<自然>とは何であったのか。
 
         四
 
 「死」と同義となったKの名は、先生の固有の名に代わって存在し、彼を先行する。そうした状況のもとで、「私」が登場する。その先生との出会いは、彼らが言葉を交わす以前から始まっている。
 
 先生が昨日の樣に騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急に其後が追ひ掛けたくなつた。(中略)すると先生は昨日と違つて、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ歸り始めた。それで私の目的は遂に達せられなかつた。(上二)
 
 次の日私は先生の後につゞいて海へ飛び込んだ。さうして先生と一所の方角に泳いで行つた。二丁程沖へ出ると、先生は後を振り返つて私に話し掛けた。(上三)
 
 もう明らかであろう。先生は「私」の<先行者>となるのである。しかし、彼はそのことに無自覚ではいられないだろう。先生は「私」の固有の名を奪うわけにはいかないし、自分自身の名を取り戻さなくてはならないのだ。
 「私」の「新しい命」として「宿る事」(下二)。Kの名を一個の頭文字に移し変えること。その試みは当然、「御孃さん」が「妻」と呼び変えられた場合とは別の形を取らねばならない。彼はそのとき、誰とも向かい合うことなく彼女を手に入れたために、「新らしい生涯」(下五十二)に入ることが出来なかった。したがって、先生はこの場合、「振り返つて」「私」に向かい合わねばならない。また「私」は先生のいるところまで、少なくともその手前までたどり着く必要がある。「私」に先生を追わせるものが<先行者>なのだとすれば、このかぎりで先生はそれを引き受けることになるだろう。
 
 Kの葬られている雑司ケ谷の墓地まで先生の「後を跟けて來た」(上五)「私」は、彼を驚愕させる。また、それを何事でもなかったかのように次回の墓参の「御伴を」(上六)せがむ。無邪気に<自然>を振りまく「私」に対して、先生は「迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片付けられない微かな不安」(同)を示さずにはいられない。しかし、彼は「私」の<自然>を否定するわけではなく、むしろそれを見守り、あるいは受け流しつつ、そうすることによって「私」の<先行者>を演じ続けるのである。
 先生は、「私」がいずれその<自然>なる世界を失うことを知っている。かつてKを畏敬した頃の自分の似姿を、「私」に見ているといってよい。今や、先生は人間らしさを奪われたKである。Kが<自然>を復活させたのは、先生の「人間らしいとか、人間らしくないとかいふ小理屈」(下三十一)ではなく、御嬢さんの<自然>である。しかし、猛進するだけの「私」の<自然>は、先生を振り返らせはしない。
 「君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知つてゐますか」「とにかく戀は罪悪ですよ、よござんすか。さうして神聖なものですよ」(上十三)など、こうしたやりとりに代表される先生の「私」への気遣いの「言葉」は基本的に独言であり、独白的である。それらはつねに新たな謎へと導く誘いとして立ち現れており、「私」はそれに引き込まれていくしかない。先生の体験をなぞることが、「私」に強いられた課題なのである。
 
 先生はそれに氣が付いてゐる樣でもあり、又氣が付かない樣でもあつた。私は又輕微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く氣にはなれなかつた。寧ろそれとは反對で、不安に揺かされる度に、もつと前へ進みたくなつた。もつと前へ進めば、私の豫期するあるものが、何時か眼の前に満足に現はれて來るだらうと思つた。私は若かつた。(上四)
 
 「後姿」であれ「言葉」であれ、それらはいまここにあるべき真の姿、真の意味の不在を示している。そしてそのように示された、いまここで<真理>を獲得することの不可能性を否認するとすれば、できることはそれを<追うこと>以外にはなかった。しかし、「死」を向こう側に持つKの「後姿」が唯一かつ永遠のものとなった今、<追うこと>は先生にとってロマン的欲望の存続を保証することにはならない。「後姿」とそれを<追うこと>を否定すること。自身が<正面>たろうとすること。彼はそれを自己を語ることによって果たそうとする。「告白」を意味するそのことが、<恋愛>の、すなわち本来的存在たろうとする欲望の変奏であることに疑いはない。先生の「告白」は<恋愛>によってしか成り立たないものであり、<恋愛>はまた「告白」による以外には成立しないものである。そして、それらはやはり「死」以外の<場>では不可能なのだ。
 愛を迫られる女性のような、いぶかり、肩すかし、じらし、突然の深刻さといった先生の身振りは、追う「私」への課題であるとともに「振り返つて」向かい合おうとする先生自身に課せられたものの困難さを示していることにもなる。彼は、こうした身振りの内側で、Kの名を頭文字に移し変える作業をしているのである。
 当初「貴方も淋しい人間ぢやないですか」との問いかけに「ちつとも」(上七)と否定していた「私」は、「人間を果敢ないものに觀じた。人間の何うする事も出來ない持つて生まれた輕薄を、果敢ないものに觀じた」(上三十六)と洩らすようになる。先生まで後一歩のところに来ているのである。死に面してその<先行者>たる「天子樣」(中五)の死と一体化することを夢見、固有の名を奪われたまま、そのことに気付くこともなく死んでいこうとする父親をよそに、「歸つて來て、宅の事を監理する」(中十五)ことを「私」に押し付けてくる兄は、彼なりのやり方で自身の名を得ようとしている。家族の誰とも異和を感じずにはいられない「私」は、Kともごく近いところにいる。父の死は、「私」に誰とも向かい合わせることなく、故郷を過去のものとさせてしまうであろう。「私」が自身でその故郷を捨てること。それが先生の「私」に課した最後の課題である。
 父の臨終を眼の前にしながら、先生の死という<空白>に誘われて汽車に飛び乗ることになる「私」は、それ自体はまさしく<自然>な行為によって、自身の<自然−故郷>を捨てることになる。自らの手で故郷を戻り得ぬものにすることによって、自分がもはや「生まれたままの姿」ではなく、その<自然>に「弱點」を持つ存在であることに気付くのである。
 Kには最初から故郷が与えられていず、先生は誰とも向かい合うことなくその故郷を捨てねばならなかった。「私」はその故郷を捨てはしたものの、代わりに先生というひとりの人間と向かい合うことが出来たのである。三様の故郷喪失物語。むろん、それがすべてではない。
 
         五
 
 「私」は自分に何かが欠けているという思い、あるいは溢れているという思いを「何うする事も出來ない持つて生まれた輕薄」という言葉にしている。しかし、彼は自分が何かを喪くしたとは思っていない。先生はそんな「私」に対して「あなたは自分の過去を有つには餘りに若過ぎた」(下二)と書いている。喪くした<自然>を求めて<追う>のでないところに、先生は自分が喪くしたと思っている<自然>を見たのである。ただし、この<自然>は恐ろしいものを含んでいる。それは単にエゴイズムの問題ではない。自己の<自然>の肯定は他者の<自然>の犠牲の上にしか成り立たない、といったことだけではないのだ。そこには自己が自己自身であるということさえ危うくさせてしまう<自然>があるということだ。この意味で<自然>は、自己の内部にある外部、すなわち他者である。先生が「私」に与えたのは「過去」であり、自分が自分自身であることを疑わざるを得なくさせるような事件であった。そしてそれが他でもない無垢な<自然>が招き寄せたものであるということ、「不可思議な私」は<自然>な「心」の内に棲んでいるのだということを知らしめることになる。
 漱石が問題にしたかったのは、単に「自己本位」の肯定や否定といったことではない。自分が自分自身であろうとするごく当り前のことそのことがすでに「欲」であり、「罪」であるのだとしても、それを肯定するか否定するかが問題なのではない。たとえばKのように意識的にそれを否定しようとしても、そのように否定することによって支えようとしているのは、他ならぬ彼自身であるという逆説がそこに存在してしまう。あるいは無意識的にそれを肯定するような行為をしてしまう先生には、それがまさに無意識的であるということによって、自分自身であるのかどうかを確かに引き受けることができない。最後には、先生はそれを「告白」することによって肯定し、死ぬことによって否定しようとしているかにみえる。
 大切なことは、自分が自分自身であろうとすることが何であるのかというのではない。それが「善」なのか「悪」なのかと問うことのまえに、自己が自己自身であるということは一体何なのか、ということである。それを支えようとする「私」が「不可思議な私」でしかないとすればだ。
 
 先生は人間を、そして自身を疑った。Kの死後、先生はKのように彼一人の手で彼自身であらねばならなかった。そしてついに、先生が他者を求め、信じ、自分以外の存在とともに自己自身になろうとするとき、その決意の意味するものは、一人きりで自分自身であろうとすることの否定である。
 
  私は妻に向かつてもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積だと答へました。(下五十六)
 
  私は私の出來る限り此不可思議な私といふものを、貴方に解らせるやうに、今迄の叙述で己れを盡した積です。(同)
 
 先生は、完璧なはずの<先行者−自然>に殉死するのではない。彼が死ぬことはそれを否定することであり、遺書に自己を書き残すことは「弱點」を含んだ<人間の自然>を肯定することである。
 「明治の精神」とは、<先行者>を持ち、しかもそれが彼自身と距離のない形で生き得たものの「精神」をいうのであろう。それが許される時代があったかどうかではない。先生にとってそれは、何らかの共同的な価値というよりもまず、個人の実存的な<想い>である。先生が殉死したのだとすれば、「己れを離れずして己れを超えること」を不可能だとする「運命」に抗う、先生自身の<想い>それ自体にであろう。
 先生が残すことになった「生きた教訓」(下二)とは、自らを仮の<先行者>として<後続者>の「私」を育て上げ、その教育の完成と自殺(向かい合うことと消え去ること)を同時に行うことによって、そうした<先行者>−<後続者>の図式そのものを解体してみせたことであろう。先生はそのことによって「私」の名を奪うことを回避し、<先行者>を<追うこと>によっては自身の名前など得られはしないことを教えたのである。
 Kはその遺書に自己を語ることをしなかった。書くべきことは、すでに「聖書」や「仏典」や「コーラン」といった書物に書かれていたからである。
 「私の過去は私丈の經驗だから、私丈の所有と云つても差支ない」(下二)という先生は、他の誰とも交換不可能な自己、そして「私」を信じる人である。彼はそれを信じきるためにも、自分を自分自身の言葉で書き尽くさねばならなかった。先生は自己を語るのに「何千萬とゐる日本人のうちで、たゞ貴方丈に」(同)という条件を付けている。この条件の成立が、先生をしてKのように黙して語らずに終わることから解放する。他でないこの自分を「受け入れる事の出來ない人」(同)たちには「聖書」や「仏典」がある。先生に自己を自己自身の言葉で書くことを可能ならしめたのは、「私」という交換不可能な<個人>であり、彼との<恋愛>であったが故にそれは「死」でもあったのである。
 「私」もまた、先生がそうしたように「叙述で己れを盡」さねばならないときがくる。しかし、彼はそれを先生のように自分自身の言葉で語ることを許されてはいない。彼が彼自身であることを確かめさせてくれるのは、先生という特定の個人(=過去の恋人)だけであり、過去の<恋愛>だけである。「貴方丈に」という特定の個人が目の前にいるわけではない。にもかかわらず、「私」が「私」自身であるためには、誰かに自己を語らざるを得ないのである。彼は「貴方丈に」という戒めを破り、「先生の遺書」を公開する。それは裏切りではない。先生はもはや<先行者>であってはならないのだ。彼が「筆を執つても」、先生の名を「頭文字」にしないのは、「先生」と呼び続けるかぎり、向かい合おうとする先生の姿勢が、それだけは時間を超えて生き続けるからである。むろんそれは「後姿」ではない。だが、『先生と私』、『両親と私』と書き綴る「私」が、見たはずの<正面>、向かい合ったはずの自己を書こうとするときには、めまいそのものであった「先生の遺書」を、『先生と遺書』として<引用>するしかないのだ。それは、その<正面>こそが「弱點」を含んだ<自然>、「不可思 議な私」自身だからである。そして「告白」を、<恋愛>を、「死」を許されない「私」にとって、それが自己を語るため、自己を知るため、自己自身であろうとするために残された唯一つの「方法」だったのである。
 
 名前のない三人は「先生の遺書」という<場>において向かい合うことになる。Kと先生は、この地上において漱石という名を得ることはなかった。「私」はそれを試みてはいるが、手に入れたわけではない。

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