「 変 化 」 に つ い て   − 夏 目 漱 石 『 そ れ か ら 』 試 論 −

"Henka(The Chenge)" on Natsume Soseki's Sorekara


 武 田 充 啓 (Mitsuhiro TAKEDA)


章立て

 はじめに

   

 

 

 
 


 はじめに

三千代は急に手帛を顔から離した。瞼の赤くなつた眼を突然代助の上に」つて、/「打ち明けて下さらなくつても可いから、何故」と云ひ掛けて、一寸、躇したが、思ひ切つて、「何故棄てゝ仕舞つたんです」と云ふや否や、又手帛を顔に当てゝ又泣いた。/「僕が悪い。堪忍して下さい」(十四)

 『三四郎』において、小川三四郎はここで三千代が口にしているような言葉を里見美禰子に対して向けることはなかった。『それから』においては、平岡三千代ははっきりと「棄て」たという言葉を長井代助に対して向けている。そして代助は菅沼三千代を「棄て」たことを認めている。この三千代を「棄て」たということが代助の「過去」であり、また彼自身の〈過去の喪失〉でもある。美禰子が「無意識な偽善家」であったのか、それとも「優美な露悪家」であったのかは措くとしても、三千代を「棄て」た当時の代助が「アンコンシャス・ヒポクリット」であったことは明らかである。三千代を友人平岡常次郎に「周旋」し、彼らを結婚させて以後代助はむしろ「露悪」を生きることになる。『それから』は、強いられた「露悪」を開き直って生きることも出来ず、「頭の中」と「頭の外」との二重生活に甘んじていた代助が、自分の「過去」の「無意識」に気づき、自身の失った「過去」を取り戻す物語である。
 『三四郎』の三四郎から『それから』の代助へと、漱石は意識的な「露悪」にせよ無意識的な「偽善」にせよ、それらを受ける側から行う側にその視点の中心を移している。そしてこの「意識」と「無意識」は、以後問われ続けることになった(という意味で漱石的といってよい)「変化」という問題に大きく関わるのである。『それから』は、「変化」という問題を美禰子のような「女」という掴みどころのない存在に象徴させて外側から示そうとするのではなく、はっきりと「意識」あるいは「意志」との関わりとして内側から問おうとする作品なのである。


 

 三千代は兄の計らいで東京に出てきた「田舎者」であり、『三四郎』における三四郎の立場にある。この女三四郎もやはり「都会」におそらく戸惑いながら、代助に出会い、そして「棄て」られ「変化」する。しかしそれでも彼女は〈変わらない〉ものを持っている。代助のいう「芸妓」(十一)ではないという点がそれである。それは彼女が三四郎=「田舎者」だからである。彼女の〈変わらなさ〉は「都会」の「芸妓」たちに取り囲まれて「自己」を失ってしまいそうになっている三四郎が成長すべき「正しい」姿として形象されている。
 美禰子は「芸妓」であり、自分が「芸妓」であることに充分に意識的な「芸妓」であった。そこから彼女の「乱暴」さも変幻自在さも出て来るのであるが、最後にはその役割をすすんで受け入れ、そうした運命に従おうとする。美禰子は「都会人」の宿命を、「都会人」であるが故に、そして「都会人」としてこれからも生きて行く形で人生を選択するが故に、「芸妓」という役割を甘んじて受け入れたのである。しかし、代助は同じく自らを「芸妓」と認めつつ、「芸妓」ではない人生を選ぼうとする。彼の場合、いわば「都会人」が「田舎者」として生きて行こうというのである。
 三千代はむしろ「自己」を捨てること、代助を信頼することによって「自己」を獲得する女である。「自己」を得るためにのみ三千代を必要とし、その結果「自己」を崩壊させてしまう代助は、「自己」の獲得のために三四郎を巻き込むことを回避し、「自己」を失ったまま生き続けようとする美禰子と結果的には同じことになる。代助が美禰子より悲劇的だとはいえまい。たしかに美禰子なら代助の未来は予測できたであろう。彼女は自覚的に代助とは逆の形で同じ答えを選んだのである。だが代助は美禰子が「森の女」として額縁の中に閉じ込めたものを、血のかよったまま生き続けさせたかった。彼はその意味で「生きたがる男」(一)であった。
 三四郎を「棄て」ると同時に「森の女」として「自己」の一部を葬り去ることで三四郎を直接的な「変化」から救いもした美禰子と違い、かつて三千代を「棄て」、彼女を「変化」させたまま、〈棄ててしまう人〉を内部に抱え込んで生きてきてしまった代助には、それでも〈変わらないもの〉を持って生き続けようとする三千代だけは「棄て」て置けないものとなった。「都会人=芸妓」であること、すなわち自身が〈棄ててしまう人〉であることに、美禰子は「棄て」る以前から自覚的であった。「われは我が愆を知る。我が罪は常に我が前にあり」。彼女の苦悩はすべてそこからくる。しかし代助の苦悩は「棄て」た後にしかそのことに気付けなかったということからくる。美禰子の苦しみは「都会人=芸妓」特有の悩みとして、より「意識」的「文明批評」的であるが、代助のそれはより「無意識」的「人間」的である。〈棄ててしまう〉ことは「人間」という存在そのものに根ざす宿命だからである。
 「棄て」ることに意識的な「現代」人には「進化」や必ずそれに伴うとされる「退化」といった言葉(二)が対応するが、無意識的に〈棄ててしまう人〉には「変化」という言葉が対応する。「進化−退化」によって「現代」人は「棄て」ることを強いられるが、自分にとって大切なものを〈棄ててしまう〉ことによって、自らが〈棄ててしまう人〉であることに後から気づくことによって人間は「変化」するのである。この二つを同時に生きた人が「森の女」美禰子であったともいえよう。しかし代助の本質的な問題は後者にあり、美禰子のように自らの「変化」を一枚の絵に閉じ込めるというようなアクロバティックな悲劇をその身に引き受け得る才能を持ち合わせていない。彼はどこまでも喜劇的にしか生きられない。一度「棄てゝ仕舞つた」ものを再び拾い上げようとする代助は、そのことによって他ならぬ自分自身を拾い上げようと夢想しているかに見える。だがそれが許されるためには、新たな「犠牲」が必要となるのである。

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 『それから』における「変化」をここではその性格から二つに分け、一つは人為的−非本質的変化と見て、それをここではとりあえず〈空間的変化〉とし、もう一つは自然的−本質的変化と考へ、それを〈時間的変化〉と呼ぶことにする。そして〈時間的変化〉というときの「時間」とは物理的な時間のことではなく、個体の〈内的な時間〉のことを指している。むろん後者がここで問題となる漱石的な「変化」である。「変化」は「棄て」る側にも「棄て」られる側にも共にある。
 まず意志−非意志の観点から「棄て」られる側、すなわち三千代や平岡の存在を考えてみたい。『それから』では、「意志」を働かせて世界−運命に対して積極的に生きようとする人間が何者かに「棄て」られて「幸」(十四)を奪われ、逆に「意志」を抑制して世界−運命に対して消極的に生きようとする人間がむしろ(一瞬の「夢」ではあれ)「幸」を手にすることを許されているかに見えるからである。
 三千代は「意志」とは無縁の人であるかのようである。生活を共にする人間を親から兄に、母と兄を亡くして後再び父に、そして父から平岡へと移し変え、生きる場所を「東京近県」(七)の田舎から東京に、東京から田舎に、結婚の後東京から関西に、さらに今また関西から東京へと入れ替える。この「変化」のうちに見られる〈往復〉の運動において、彼女の「意志」は介在しない。その意味で三千代の存在のあり方は「自然」に擬せられている。三千代にとってそうした〈往復〉的な「変化」は、彼女の存在のあり方を根本から変えてしまうような種類のものではない。交換可能で非本質的な〈空間的変化〉に過ぎないのである。
 三千代が本質的な「変化」を受けたのは、代助に「棄て」られるという事件の只中においてである。しかし彼女の〈時間的変化〉は語り手によって隠されている。このあたりの事情は代助の告白を受ける直前になるまで明らかにされず、しかもただ次のような形で暗示されるだけである。

「あの頃兄さんが亡くならないで、未だ達者でゐたら、今頃私は何うしてゐるでせう」と三千代は、其時を恋しがる様に云つた。/「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」/「別な人にはなりませんわ。貴方は?」/「僕も同じ事です」/三千代は其時、少し窘める様な調子で、/「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、/僕はあの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた侭、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。三千代は忽ち視線を外らした。さうして、半ば独り言の様に、/「だつて、あの時から、もう違つてゐらしつたんですもの」と云つた。(十四)

 平岡との結婚生活における彼女の「変化」は、子供を亡くしたことを除けばすべて〈空間的変化〉である。子供の死は平岡との生活においては重要な「変化」であるが代助との関係を中心に見る今は措く。また三千代が代助と会うときに髪を「銀杏返し」に結ってみたり、二人の思い出である「白い百合の花」を提げて行ったりしている(十)「変化」もここでは問題としない。そうした行為が彼女の無邪気さ、友人としての自然な振る舞いとして済ませるからというのではない。それらは代助の告白とそれを受け入れる三千代の真の「変化」があって初めて遡って発見される「変化」なのであり、別の見方をすればそれらは彼女が〈変わらない〉でいることを証拠だてるものともいえるからである。代助から贈られた指環を取り戻したことを平岡に話さないでいること(十三)も同様である。三千代は代助の告白を受け入れる(十四)。彼女はそのとき初めて自ら「変化」を「意志」するのである。それまでの彼女の「変化」はすべて受け身のものである。また先に見た彼女の〈往復〉運動は様々な歴史的条件によって規制されたものであり、〈往復の人〉は同時代のどの「女」がそうであってもおかしくは ないのである。その意味でも彼女は「人形」だったのである。「自然−人形」は初めて「人間」らしく振る舞おうとする。三千代の「覚悟」(十四)は、その強いられた〈往復〉を完了させ以後の〈往復〉運動を自ら断ち切ろうと決意することであり、すなわち彼女が個人としての「自己」を獲得しようと「意志」することである。三千代は〈時間的変化〉を表面化させる。結婚前の三千代にとって代助は彼女のロマンであったかも知れないが、今彼女の目の前にいる代助は彼女のロマン的な欲望の対象ではない。彼女は少なくとも一度はそうしたロマン的欲望の〈死〉を経験している。そしてほとんど「自己本位」をさえ生き得ているかに見える彼女は、しかしその「自己本位」確立の困難さをもまた同時に示しているのである。「自然」であった三千代が「人間」を「意志」したその瞬間、彼女の「幸」は奪われてしまうからである。
 平岡についてはどうか。平岡には血縁がない。少なくとも『それから』にはその描写がない。書生の門野でさえその家族について言及されているにも関わらず、平岡からは親・兄弟が省かれているのである。「三千代は、父と平岡ばかりを便に生きてゐた」(十三)。しかし平岡には三千代しかいない。彼こそは三千代だけを頼りに、彼女を必要として生きる人物ではなかったのか。「行為に渇いてゐた」(十三)平岡が、むしろ代助よりも「ニル・アドミラリ」(二)を徹底して生きていた可能性がある。「代助は言葉の上でこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届ける事は出来なかつた」(十三)。代助には「自然」という「夢」が残されているが、平岡にロマンはない。そして彼は一人きりである。その孤独は「現代」や「文明」などという言葉とは関わりがない。生活のために情勢に迎合し社会にすり寄っていく平岡の「変化」の姿勢は、彼の孤立の結果であって、その原因ではない。三千代を妻に求め得た過去の一時期のみが彼にとっての「幸」であり、以後平岡には「仕方がない」(二)世界ばかりが残される。「有為多望」(六)で「自己将来の希望、色々あつた」(二)若者の一人として「世 の中」に出たはずの平岡は、三千代との結婚によって、つまりは代助に三千代を「棄て」させることによって、以後は自身が「棄て」られ続ける男になる。部下の不始末の「責を引いて辞職」(二)するかたちで「銀行」から追われる。代助の兄からは借金も就職も「御免蒙る」(六)の一言で断られる。そして彼がやっとありついた職としての「新聞」は象徴的である。当時の社会的地位や彼の学歴を考え合わせるまでもなく、「新聞」は社会を観察し得るという意味で、社会の外にあるものなのである。この時点で平岡はすでに「世の中」から「棄て」られているといってよいのである。彼は「遊蕩」や「放埓」へと「外へ許出て」(十三)生きるしかない「漂泊者」(十六)なのである。にも関わらず、心の「落魄」(同)に身震いし「自家特有」(二)の世界に閉じ込もることなく「働らいてゐる。又是からも働らく積」(六)でいる。「新聞にゐるうちは、新聞で遣る」(十三)という平岡は「少々芸者買をし過ぎて、其尻を兄になすり付けた覚はある」(五)といってすませることができる人間ではないのである。彼の「変化」はどこまでも〈空間的変化〉であるかに見える。だが三千代が「変化」し てしまうということについてはどうか。

「三千代さんは淋しいだらう」/「なに大丈夫だ。彼奴も大分変つたからね」と云つて、平岡は代助を見た。代助は其眸の内に危しい恐れを感じた。(略)夫婦が離れゝば離れる程、自分と三千代はそれ丈接近しなければならないからである。代助は即座の衝動の如くに云つた。−−/「そんな事が、あらう筈がない。いくら変つたつて、そりや唯年を取つた丈の変化だ。成るべく帰つて三千代さんに安慰を与へて遣れ」(十三)

 三千代の何かが「変化」した。「唯年を取つた丈の変化」ではない。平岡はそのことを感じている。では何が変わったのか。平岡家は経済事情が変化したし、平岡の行動も変わった。三千代は子供を産んですぐに亡くし、心臓を病んでしまっている。確かに平岡も子供を亡くしたという「変化」に関しては三千代と共有するものがあるらしい(六)。だがそんなことなのだろうか。むしろ三千代の「変化」とは、平岡にとっては彼女が〈変わらない〉でいるということであろう。しかし彼にそれは見えない。はっきりしているのは三千代が妻や母親としての役割を以前と同様には果たし得なくなったということである。平岡はもはや奔走することをせず「あんまり外へ出なくなつた。疲れたと云つて、よく宅に寝てゐる。でなければ酒を飲む。人が尋ねて来れば猶飲む。さうして善く怒る。さかんに人を罵倒する」(八)。平岡は「夫」としての務めを放棄し始める。しかし平岡の不満は三千代に対するものとしてではなく、「妻」に対するものとしてしか現れない。語り手は「平岡は、ちらり  と何故三千代を貰つたかと思ふ様になつた」(八)と後悔をさせている。しかし平岡は三千代という個人に対す る批判ができない。平岡は代助に「妻帯の不便を鳴ら」(十一)すだけなのである。平岡は代助に三千代を「棄て」させたとき、彼もまた三千代という個人を見失っており、そんな平岡に三千代という個人−〈変わらないもの〉が見えるはずがないからである。

「どうも運命だから仕方がない」/平岡は呻吟く様な声を出した。二人は漸く顔を見合せた。/(略)/「では云ふ。三千代さんを呉れないか」と思ひ切つた調子に出た。/平岡は頭から手を離して、肱を棒の様に洋卓の上に倒した。同時に、/「うん遣らう」と云つた。さうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。/「遣る。遣るが、今は遣れない。僕は君の推察通り夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない。けれども悪んぢやゐなかつた。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方ぢやない。寝てゐる病人を君に遣るのは厭だ。病気が癒る迄君に遣れないとすれば、夫迄は僕が夫だから、夫として看護する責任がある」(十六)

 平岡はここまで来てもまだ「夫」としての「義務」をしか発想できないでいる。平岡は「運命」に従う以外に「仕方がない」人である。平岡の「意志」は常に媒介されていた。彼は三千代を「貰ひたいと云ふ意志を」代助に「打ち明けた」(十六)のだし、「身体を動かして、三千代の方を纏めたものは代助であつた」(七)からである。平岡が銀行を辞職するのは「支店長から因果を含められて、所決を促がされた」可能性のあることを代助は指摘している。平岡は一見そう見えるような「意志」の人なのではなく、実は一番「意志」から遠ざけられ離れているしかない人なのである。「運命」に親・兄弟はない。そして彼の存在のあり方自体が「運命」そのものであることによって、平岡は本質的な「変化」の経験をあらかじめ奪われてしまっている人なのである。

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 次に意識−無意識の観点を加えた形で「棄て」る側、すなわち代助を中心に見ていきたい。
 代助は入眠時の「意識」の行方を追いかける実験を繰り返している。「うとうとし掛けると、あゝ此所だ、斯うして眠るんだなと思つてはつとする。」「しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所だと思ふ。」「自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇を検査する為に蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味する為に独楽を抑へる様なもので、生涯寝られつこない訳になる。と解つてゐるが晩になると又はつと思ふ。」「三四年前」のこととされる「此困難は約一年許りで何時の間にか漸く遠退いた」のだが、代助は平岡夫婦が引越しを済ませた夜に「睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持」になる体験をしている。眠る前に気になった「袂時計」を枕の下に押し込んで「其音を聞きながら、つい、うとうとする間に、凡ての外の意識は、全く暗窖の裡に降下した。が、たゞ独り夜を縫ふミシンの針丈が刻み足に頭の中を断えず通つてゐた事を自覚してゐた。所が其音が何時かりんりんといふ虫の音に変つて、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いてゐる様になつた」というものである。そして以前の「困難とを比較して 見て」代助は「正気の自己の一部分を切り放して、其侭の姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す方が趣があると思つた」り、「同時に、此作用は気狂になる時の状態と似て居はせぬかと」考えたりしている(五)。
 注意したいのは代助が「意識」を「無意識」へとゆだねることが不安でたまらず、「意識」の一部を「意識」のまま「夢」に譲り渡すことに安心を見い出しているという点である。しかしそれはまた同時に狂気への一歩ではないかという新たな不安をも生むのである。

ウエバーと云ふ生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減らしたり、随意に変化さしたと書いてあつたので、平生から鼓動を試験する癖のある代助は、ためしに遣つて見たくなつて、一日に二三回位怖々ながら試してゐるうちに、何うやら、ウエバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした。(七)

 「意識」が連続しているべきであるのと同様に「変化」もまた連続しているべきである。これが代助の見方である。そして彼は「変化」を「意志」によって望むことを恐れている。たとえば「自己本位」というものが可能となるためには、むろん「自己」の同一性が保たれているという前提がなければならない。それを保証するものは「意識」の連続である。そして保証されたその同一性のもとにおいて「変化」があるべきなのである。「変化」の主体はあくまでも「自己」であり、同一なる「自己」でなければならない。「意識」の連続がそうであるように、「変化」もまた持続の相のもとに捉えられようとしている。「無意識」という非連続を拒否することは死の恐怖から逃れることであり、そのこと自体が生の不安である。二つのものは一つにつながっていなければならない。しかしまたそのつながっていること、連続であることそのことが安心でもあり、不安でもあるという両義的なものなのである。
 「変化」というものに対する恐れ、非連続に対する恐れは「自己」の同一性が保てなくなる不安である。仮に「変化」というものの主体が「自己」の同一性の流れの上にあるのでなく、まったくの〈外〉からやってくるものだとすれば、そのとき「自己」とはいったい何者であるのか。そしてそうした〈外〉からの「変化」の可能性を抱えたものが「自己」であるとするならば「自己本位」というものにいったいどんな意味があるのだろう。

「君は三千代を三年前の三千代と思つてるか。大分変つたよ。あゝ大分変つたよ」と平岡は又ぐいと飲んだ。代助は覚えず胸の動悸を感じた。/「同なじだ、僕の見る所では全く同じだ。少しも変つてゐやしない」/「だつて、僕は家へ帰つても面白くないから仕方がないぢやないか」/「そんな筈はない」(十三)

 三千代という〈外〉にあるものの「変化」は代助の「現在」を不安にさせる。代助の彼女に対する「気の毒」(十三)は彼に「過去の行為」(二)を思い出させずにはいないのである。

「何だつて、まだ奥さんを御貰ひなさらないの」と聞いた。代助は此問にも答へる事が出来なかつた。(略)其時代助は三千代と差向で、より長く坐つてゐる事の危険に、始めて気が付いた。自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆つて、準縄の埓を踏み超えさせるのは、今二三分の裡にあつた。(十三)

 だがそれが「自然」である限り「自己」を安心してゆだねてもよさそうな「無意識−自然」というものも、また「意識」にとっては〈空白〉であり、だとすればそれは「自己」の内部に抱え込んだ「危険」な〈外〉ということになりはしないか。「代助は辛うじて、今一歩と云ふ際どい所で、踏み留まつた」(同)。
 「変化」が〈外〉からやってくるという不安から逃れきれないとき、やはり「自己」の〈外〉に〈変わらないもの−自然〉を設定し、「自己」をその〈外〉にある安全な「自然」と融合させることによって不安を解消するという方法が考えられる。三千代という〈変わらないもの−自然〉はそのようにして代助の「自己」の同一性を保つために要請された虚構の装置なのである。
 こうして「無意識」にせよ三千代という存在にせよ、代助の〈外〉にある「自然」は両義的である。それは一方で彼の「自己」の同一性を脅かすものとしてあり、他方で彼の「自己」の同一性を保証するものとして働くことになるのである。それは「生きている=死につつある」ことを確かめさせる代助の心臓の鼓動がそうであったように(一)、同じ場所で二つの色をし、同じ時間で二つの形をしているのである。
 代助は「脳の中心から、半径の違つた円が、頭を二重に仕切つてゐる様な心持がし」「夫で能く自分で自分の頭を振つてみて、二つのものを混ぜやうと力め」ている(十一)。二重のもの、たとえば「過去」と「現在」が一つにつながらないのは「過去」のある時点で非連続−〈空白〉を生きてしまった「自己」があるからに違いない。「自己」の連続を保証してくれるはずの「自然」と融合しその同一性を確保すること。それが代助の〈恋愛〉である。「自己」を「現在」において、他者との相対的な関係から同定し得ない代助は「過去」へと遡行する。だが「無意識」という〈空白〉をどのように修正し穴埋めするというのか。代助は「過去」のある時点、ある一点ではなく、「自己」の起源であり同一性そのものの源泉であるかのような「何も知らぬ昔」(十三)「自然の昔」(十四)にまで遡る。そのことによって「自己」の歴史を絶対的に保証する形で安定させようとするのである。これはロマンであり、また一種の欺瞞である。そして〈外〉に仮構されたはずのものが内部に取り込まれ、自己完結されようとしている。
 代助の〈恋愛〉は自己愛である。それは奇跡的な一瞬の「夢」として成就する。しかし代助が「自己」の起源にまで遡り、「自己」の歴史において確かに存在したはずの非連続を不問に付し、彼の「自己」の同一性が欺瞞を隠蔽する形で辛うじて保証されることになるそのとき、彼は三千代という個人を見失うのである。
 「意識」は連続している必要があるのだが、「意志」的であってはならない。これが代助の〈恋愛〉成就の条件である。彼は「無意識」を避けようとし、なるだけ「意志」を働かせまいとする。人間の「意志」には「虚偽」や「計画」が、つまりは「利己」が入り込むためであり、それによって不純となった彼の「自己」の同一性へのロマン的欲望は、〈変わらないもの−純粋〉にとけ込むことが出来ないからである。代助は「意識」の一部を「意識」のまま「夢」にゆだねる。しかしそのようにして「過去」の非連続を質すことなく、つまりは自己否定を回避したままで「夢」を手にしてしまった代助は「現在」をどのようにして生きるというのだろうか。
 代助は後悔し三千代に謝罪してみせている。しかし「夢−ロマン」もまた一つの〈空白〉ではなかったか。かつてロマン(「友情」)との合一のために見落とされ「棄て」られてしまうことになったというそのことが、このとき、ロマン(「自然」)との融合の只中で今再び繰り返されてしまっているのではないか。しかしだとすれば〈外〉を排除し、ただ「自己」のみによって〈変わらないもの−自己〉を完全に保証し、しかも〈棄ててしまう〉という「罪」から逃れ得るためには、非連続そのものの永遠なる連続、すなわち死以外にはあり得ないのではなかろうか。

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 こうしたアポリアを〈成熟〉という観点から乗り越えようとする試みは可能であろうか。代助の観念世界は崩壊し、彼は否応なしに現実世界へと出て行かねばならない。たとえば越智治雄は『三四郎』『それから』『門』と「漱石は確実に青春から遠ざかって行く」とし、その主人公たちの「青春との距離の設定」は「青春」というものの「意味の確認に通じ」、「観念」から「現実世界への接近を絶えず意図しつづけ」ることによって、「不合理」で「不可思議」なものとしての「青春」の「把握は、明確になって行く」と書く。

『坑夫』(明四一・一〜四)から『門』に至る行程が、漱石生涯の作家的営為の中で、独特の意味を持つのは、彼がこれら諸作ににおいて観念に憑かれた自身の絶えざる自己否定を試みていたことによる。青春の迷い、惑いは所詮いつかは終わりを告げるだろう。より困難なのは成熟という時間の迷路への旅なのである。実人生においては、もちろん漱石は青春に遠いだろう。しかし、その彼がここであえて青春から出発して、そこから遠ざかり行く作品を書きつづけたのは、その内部に成熟の主題が鳴っていたからにほかならない。(「『それから』論、『漱石私論』角川書店、昭和四六・六)

 自己否定による弁証法的な現実把握の深化=進化による〈成熟〉。越智氏は作品の主人公たちも作家と同レベルの認識とまではいかなくても、同じ道筋をたどって〈成熟〉してゆくと見ている。だが果たして代助はそのように生きる人物だろうか。あるいは石原千秋は、代助に「自己の内なる〈家〉への郷愁」を想定し、

三千代への〈愛〉の誠実を、「義務」「職業」「責任」「身分」「資格」等々といった、社会的に有用な〈大人〉にふさわしい言説で語ろうとする代助は、自分が連なることのできなかった「血統」=血縁の幻想による同一性の神話に、個人の自己同一性の神話=メタフィジカルな家族の神話を対置しようとしているにすぎないのだ。代助の〈恋〉が、〈家〉の論理に対峙される思想のような相貌を見せるのは、それが〈家〉の外で演じられる〈家〉の言説、すなわち成熟の儀式だからである。この〈恋〉こそが、代助の形のない/メタフィジカルな「新しい家」なのである。(『次男坊の記号学』、『国文学解釈と鑑賞』至文堂、昭和六三・八)

と指摘する。ここでも〈成熟〉である。血縁幻想がもたらす価値とは別個の価値を個人的に対置させようとしていると見る点で、私は石原氏と同じ認識を持つ。しかし私には代助の〈恋愛〉は「成熟の儀式」ではなく、むしろ成熟−未熟という道筋から自由になるために要請されたフィクショナルな安全地帯であったのではないかと思えるのである。むろん作者にはそれが「現実」に対抗するに有効な手段ではあり得ないという認識はあったであろう。

 彼は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思つた。けれども彼の頭の中には職業と云ふ文字がある丈で、職業其物は体を具へて現はれて来なかつた。彼は今日迄如何なる職業にも興味を有つてゐなかつた結果として、如何なる職業を想ひ浮べて見ても、只其上を上滑りに滑つて行く丈で、中に踏み込んで内部から考へる事は到底出来なかつた。(十六)

 代助が口にする言葉を「社会的に有用な〈大人〉にふさわしい言説」と見るのでなく、彼の〈恋愛〉の内実が、実は現実の社会にその対象を見い出せないような種類のものであったからこそ、逆にそうした「社会的」な言葉によって埋められようとすることになる代助の混乱をこそ、そこに見るべきではないか。確かに代助は〈家〉の論理に対抗する言説を持ち合わせてはいない。しかし、そもそも代助の〈恋愛〉は言説ではない。そのことは語り手が、いわゆる恋愛というものが言説にすぎないということに充分に意識的であり、したがって代助の〈恋愛〉を言説としての恋愛と峻別しようとしていることでもわかるのである(「舶来の台詞」(十三)「甘い文彩」「青春時代の修辞」(十四)などの執拗な排除)。明治日本という国家が西洋世界に倣って〈成熟〉という物語に寄り添い、積極的にそれを取り入れようとしたが為に「敗亡の発展」(六)があるということを知っているその人が、では人の〈成熟〉というものをまともに信じていたかどうか。
 代助が三千代に「愛」を告白する以前、「平岡の机の前に、紫の座蒲団がちやんと据ゑてあつた。代助はそれを見た時一寸厭な心持がした」(十三)という場面がある。代助には予覚があったのだろうか。告白の後それは次のような形をとることになる。

三千代は二人の間に何事も起らなかつたかの様に、/「何故夫から入らつしやらなかつたの」と聞いた。代助は寧ろ其落ち付き払つた態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据ゑてあつた蒲団を代助の前へ押し遣つて、/「何でそんなにそわそわして居らつしやるの」と無理に其上に坐らした。(十五)

 三千代は〈変わらない〉。そしてしかし確実に「変化」している。代助は彼女の「変化」に追いつけない。ここには生存というものが何よりも奪い合いであり競争であることを肉感的に捉えた代助の生理的な嫌悪感だけではなく、自らのエゴイズムに対する懸念や加えて代助の〈家〉への忌避といったものが示されていると見ることもできよう。そして〈成熟〉とはこの「座蒲団」に平気で座れるようになるということであり、座らない人は未熟なままなのである。「激烈な生存競争場裏」(八)という認識が「観念」ではなく「現実」であるならば、そういう〈成熟〉以外のどんな〈成熟〉もまた一つの「観念」に過ぎないだろう。「そわそわし」ながら座っている代助は、成熟−未熟といった世界から身をずらせて生きようとする人物なのである。不自然でしかない〈成熟〉とは「退化」を含んだ「進化」、すなわち腐敗であり、平岡のようになること以外のものではない。『それから』において、人が〈成熟〉するかどうかは問題ではない。問題となるのは人の「変化」についてなのである。
 では代助はどのように「変化」し、また「変化」しなかったのか。まず「意志」の観点から見てみよう。彼は確実に「変化」したと語り手は次のように説明している。

 彼は三千代の前に告白した己れを、父の前で白紙にしやうとは想ひ到らなかつた。同時に父に対しては、心から気の毒であつた。平生の代助が此際に執るべき方針は云はずして明らかであつた。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与へる為の結婚を承諾するに外ならなかつた。代助は斯くして双方を調和する事が出来た。何方付かずに真中へ立つて、煮え切らずに前進する事は容易であつた。けれども、今の彼は、不断の彼とは趣を異にしてゐた。再び半身を埓外に挺でて、余人と握手するのは既に遅かつた。彼は三千代に対する自己の責任を夫程深く重いものと信じてゐた。彼の信念は半ば頭の判断から来た。半ば心の憧憬から来た。二つのものが大きな涛の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生まれ変つた様に父の前に立つた。(十五)

 「今の彼」と比較されているのが「昔」の彼、「過去」の彼ではなく、「平生の代助」「不断の彼」「平生の自分」とされているところに注意したい。彼は自身の「過去」を否定して自己変革を成し遂げたわけではないのである。「結婚」に対する認識が変わっていないのと同様、代助は「結婚」問題を通して三千代にどう向かい合うかという「愛」の認識を深めてきたのではなかった。これは代助が三千代に対して「責任」を口にする場面で「代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、たゞ貧苦が愛人の満足に価しないと云ふ事丈を知つてゐた。だから富が三千代に対する責任の一つと考へたのみで、夫より外に明らかな観念は丸で持つてゐなかつた」(十六)という点とも共通している。そして「結婚」が三千代への接近を容易にする「反動」(十四)として利用されたのと同様に、ここでは三千代が父親への断わりの「反動」として利用されているだけなのである。彼が非「意志」的人間であるということに「変化」はないのである。
 次に「意識」の観点から見るとどうか。「過去」に三千代を「棄ててしまった」ことに気づき、したがって「変化」に対して「意識」的であり、それを恐れて非「意志」的に振る舞い、〈空間的変化〉を拒みながら、しかし本質的なものである〈時間的変化〉について無防備な人が代助なのである。つまり代助は徹底的に〈成熟〉とは無縁の人物なのである。彼は三千代への「愛」の告白の直後に「『万事終る』と宣告」している(十四)。何が「終る」のか。〈家〉から「棄て」られてしまうこと。「高等遊民」の資格を剥奪され「労働」へと追いやられること。しかしそれらはなお代助にとっての本質的「変化」ではない。それは〈空間的変化〉に過ぎない。おそらくこのとき代助はもはや自分には「変化」から逃れられる安全な〈場所〉(たとえば「自己」の起源であるかのような「何も知らぬ昔」、あるいは同一性の源泉であるかのような「自然の昔」)などどこにもないのだということを自覚し、やがて自分に訪れるであろう「変化」を「覚悟」したはずである。しかしその後の代助の言動を見る限り、彼が永遠なる「独身者」でいるしかないことは明らかである。「独身者」とは「他者」と出会う ことを回避し、〈時間的変化〉を人生の教訓として学習することができない者のことである。代助は「自己」のみによって「自己」を確立させようとする不可能な欲望を抱いた冒険者である。彼はそういう形で「自己」を愛そうとする。そして「自己」の同一性を保証する「夢」という一種の〈空白〉に未だ留まり続けてでもいるかのように、代助は「現在」目の前にある三千代の「愛」と向かい合うことができず、彼女の「変化」に対応できない。それは代助の内側にロマンが生き続けているからである。代助は三千代を再び〈棄ててしまう〉以外にない。そして三千代の死の暗示はまた「自然−ロマン」の〈死〉でもあるはずなのだが、彼はその死に目に会うことが出来ない。許されていない。代助は「自己」の非連続−〈空白〉を、つまりは〈棄ててしまう〉ことを繰り返すことになるであろう。そしてロマンの〈死〉の経験を常にその都度(あるいは永遠に)遅らされ続ける「独身者」代助はその意味では決して「特殊人」(六)というわけではないのである。
 だがそれでも代助という人間は描かれねばならなかった。「自己本位」というものが抱える弱点(無自覚、無意識、偽善、露悪、エゴイズム等々)について作者は知りすぎるほどに知っていた。「西洋」がもたらした心の不安、焦燥、動揺を支え安定させてくれるものは、やはり「西洋」がもたらした「自己」という道具であった。しかしそれが「自己本位」として確立される以前に、まず「自己」そのものの成立の不可能性を疑わざるを得ないとは。「自己」という道具をむしろロマンの対象として据えざるを得ず、「自己」のみによる「自己」の確立というその欲望が見果てぬ夢として殺されようとしている事実に耐え続けること。『それから』では、「自己」を救済するために(自然現象としての「自然」、たとえば「雨」を除けば)いわゆる「他者」が導入されることはない。代助には徹頭徹尾不完全な「自己」があり、欺瞞的な自己愛があり、そして「自然−夢」があるだけである。むろん代助は作者に突き放されている。ロマン的な欲望の〈死〉を通してしか人間に真の「変化」はなく、「他者」に出会えぬ者に「自己」はない。しかしそうした認識の上にそれでもなおロマンによって支えられよ うとする「自己」はある、そう『それから』は語っているような気がするのである。

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