経験の技法(一) ―夏目漱石『道草』を読む―

The Art of Experience in Natsume Soseki's Michikusa (T)

                       武 田 充 啓



 はじめに


 二十年ほど以前にも『道草』について書いたことがあります。そのときは、この小説が書かれたのは、漱石が作家として出発することになった当時の「過去の自己」を再確認するためであったと考えました。『道草』は作家誕生の物語としても読めるわけですが、このたび『道草』を再考するにあたっての私の関心の中心は、主人公に自己発見・自己確認をさせる物語を紡ぎながら、作家自身はどのようにしてその「現在の自己」を創造・確認していくのか、という点にあります。そしてそれを『道草』という小説を書く人間の「経験の技法」としてとらえ直してみたいのです。

 『道草』は漱石自身の過去を素材にした自伝的な小説です。主題の中心が主人公の日常的現実における自己認識の徹底化にあるとはいえ、一方でこれは他者との共生のための妥協のプロセスでもあります。そこにおいて余儀なくされるあれこれの生き方、過去の思い出し方や並べられ方、言葉の交換のされ方などを確認しながら、したがって作家が「過去の自己」を素材にして主人公を作り上げるとき、どのように彼を振る舞わせ、どのようにその過去を扱い、どのように叙述するかを確認しながら、つまりは作家が自伝的な、とはいえ「小説」を書くことを通じて、作家自身の「現在の自己」をどのように作り上げることになるのかを見極めたいと思うのです。



 


 『道草』(一九一五(大正四)年六月三日〜九月十四日、『朝日新聞』)は、漱石が初めて自らの過去を直接の素材として書いた小説です。この小説が『こゝろ』(一九一四(大正三)年四月二十日〜八月十一日、『朝日新聞』)の後に書かれているという意味で、これら二つの小説のあいだにある共通点を考えれば、それは「告白」ということになるかも知れません。漱石は、『こゝろ』という小説で、登場人物に自分の過去を「告白」させるという手法を用いました。そしてこの「告白」をより「真実」に近づけるための方法として、もう一人の登場人物にその遺書を「引用」させる間接的な形に工夫しています@。漱石の長編小説は、複数の視点人物の語りによる短篇を連ねたかたちの作品も含めて、構成的に破綻してしまうものが多かったのですが、「引用」という方法がうまくいったせいでしょうか、『こゝろ』は大きな破綻のない小説になりました。

 おそらくこのとき、作家は人間一般の心の真実を表現する試みとしては、ある程度の達成感を得たのではないでしょうか。しかし漱石は同時に、「芸術は自己の表現に始まつて、自己の表現に終るものである」(『文展と芸術』、一九一二(大正元)年)とも考えていましたから、その点ではまだ物足りない思いもあったのでしょう。『道草』ではこれまでにまだ試みていないやり方、自分自身の過去を素材とする方法を試してみようとしたのではないでしょうか。もちろん方法だけでなく、「告白」そのもの、すなわち自分自身の心の真実について表現することにも強い関心があったのだと思われます。

罪を犯した人間が、自分の心の径路を有りの儘に現はすことが出来たならば、さうして其儘を人にインプレツスする事が出来たならば、総ての罪悪と云ふものはないと思ふ。(『模倣と独立』)

 一九一三(大正二)年十二月の第一高等学校における講演において、漱石は右のように述べていました。彼が心に罪悪感をもたざるを得ないような何かを抱えていたことは、まずは疑いのないところですが、そのことに私は今それほどの関心はありません。むしろ私の注意を引くのは、「心の径路を有りの儘に現はす」という点です。

 漱石は『硝子戸の中』(一九一五(大正四)年一月十三日〜二月二十三日、『朝日新聞』)で、聖オーガスチンやルソー、オピアムイーターなどの「懺悔」(『告白(録)』などと題して翻訳されたそれらの本は、当時相当の話題になっていたようです)にふれ、「それをいくら辿つて行つても、本当の事実は人間の力で叙述出来る筈がないと誰かゞ云つた事がある。况して私の書いたものは懺悔ではない」と書いています。

 『こゝろ』を書く時点で、彼は自身の贖罪を目的とする「懺悔」の方向で自分の過去を「告白」するつもりはなかったようです。しかし自分自身の「心の径路を有りの儘に現はす」ために、すなわち「真実」を表現するために小説という方法があると考えていました。先の引用部分に続いて、漱石は次のように述べています。

総て成立しないと思ふ。夫をしか思はせるに、一番宜いものは、有りの儘を有りの儘に書いた小説、良く出来た小説です。(同)

 自伝には虚飾が混じるというのが常識です。たとえば大岡昇平はその点で「他人が公的記録や書簡、日記、同時代の証言などに基づいて構成した『伝記』の方が信用できる」としながらも、『道草』については「文体も飾りがなく、清潔で、漱石がその死の前年に達していた精神的な透明さを示して」いる点を評価していますA。

 もちろん『道草』には、いくつかの種類の言葉が並べられています。主人公健三の言葉、健三の養父母の言葉、養父と健三とを仲介する人物の言葉、残された証文、妻の言葉、姉・義兄・兄といった親族たちの言葉などです。これらの言葉と主人公から十分に距離を置いた位置にいる語り手の言葉との組み合わせによって、この小説は語り手とは別人の人生を描く「伝記」風の装いにされているのです。

 しかし「自伝」は発表の意志なく書かれたものがよいとする大岡氏は、『道草』に現れた漱石像については「綺麗事ですみすぎている」とし、新聞という大きなメディアに発表された『道草』には粉飾と隠蔽が避けられなかったと見ています。それは「何か含むところがあるようないい廻し」(これはのちに清水孝純が「方法としての迂言法」と名指したものですが、これについては続稿でくわしく見るつもりです)にだけ現れているのでなく「自画像に問題がある」として、「客観的自我」に迫ろうとしつつも、方法の制約上、「思いこみ自我」を出られなかった、としているのです。

 『道草』という小説が、他人が思っていると予想される自画像、すなわち、すでに地位の定まったベストセラー作家という自画像に乗っかった作品であるという限界をもつにしても、それにもかかわらず大岡氏が評価しようとするのは「客観的事態に迫ろうとする気迫と誠実さ」です。これによって『道草』は、「説得力のある文章になっている」と氏は書きます。これは見方を変えれば、健三の「異様の熱塊」(『道草』三)の行く先がそこに落ち着くことになったと見ることもできます。すなわち、矛先の向けようもなく自らもてあましていた健三の情熱が、やがて小説家としての漱石の「真実」を表現しようとする姿勢・態度として形を得たということです。

私は『道草』全体をやはり小説つまりフィクションだと思っています。これは悪口ではないので、「人は小説によってしか真実に到達できない」と私の尊敬するスタンダールはいっています。B

 もちろん小説であっても言葉という媒体による表現である以上、書く自己と客観的事実との間にあるギャップは埋められません。大岡氏もいうように「その中間にある『言表された真実』しかないのです」。「真実」に到達するためには小説しかない。これはまた漱石自身の認識でもありました。



 


 『道草』は漱石自らの過去を素材にしている点では、作家の「告白」であるという見方もできます。しかし『こゝろ』の「告白」が登場人物の直接の心情の吐露ではなく、小説を「真実」に近づけるための装置として置かれていたように、『道草』にも「過去の事実」が、そのまま自伝として並べられているのではなく、むしろ小説にするべくそれらに選択や加工が施されてあるのです。『道草』が小説であるかぎり、そこに「告白」的な目的が混じり込んでいるにしても、そのための素材となる過去は、厳密に過去の事実そのものである必要はありません。過去という素材は真実に向けて構築されてしかるべきものなのです。

小説、ノ尤モ有義ナル役目ノ一ツトテ、/particular case ヲ ge-neral case ニ reduce スル┏/×general case ヲ general case トシテハ陳腐/×particular case ヲ particular case トシテハ奇怪、/×新らしき刺激アリテ然モ一般に appeal スル為ニ第一ノ如クスル必要アリ、/×吾人ハ effect ノ為ニ然スルノミナラズ、人道ノ為ニ然セザル可ラズ(『断片』)

 これは一九一五(大正四)年一月頃から十一月頃までの間に書かれたと推定される漱石のメモですが、『道草』と絡めていうと、ここでいわれている「particular case」が、漱石自身の「過去の事実」のこと、「reduce」が、その「選択」や「加工」にあたります。漱石の場合、一般への「appeal」は「人道」のために、すなわち「感化」のためにという意味になりますが、では奇怪な事例に終わらせないように、自分だけの特殊な過去をどのようにして「general case」へと切り詰めていくのでしょうか。しかしそれを問う前に、何のためにそうするのかの目的、「なぜ」について今少し詳しく見ておきたいのです。それによって漱石の小説作法、「どのようにして」のあれこれについても、それぞれその意味が変わってくるからです。

 もちろん自分自身の過去を「一般に appeal」できる形に加工するということは、それだけ表現を「真実」に近づけるという意味であり、それこそが小説の効用なのですが、なぜ漱石はそんなことをしようとするのでしょうか。「reduce」は、たとえば取り扱う過去の時期の限定というかたちでまず問題になります。『道草』で扱われているのは、諸説がありますが明治三十五年からの数年間ですC。

自分ノ書いたものを見て呉れと云つた人ニ話セシ事。 社交ニアラズ、自己ノ弱点ヲサラケ出サズニ人カラ利益ハ受ケラレナイ、自己ノ弱点ヲサラケ出サズニ人ニ利益ハ与ヘラレナイ(同『断片』)

 このメモは実際に『硝子戸の中』で取り上げられ、次のような叙述になっています。

私は女に斯んな話をした。――/「是は社交ではありません。御互に体裁の好い事ばかり云ひ合つてゐては、何時迄経つたつて、啓発される筈も、利益を受ける訳もないのです。貴方は思ひ切つて正直にならなければ駄目ですよ。(中略)こんな事を云つたら笑はれはしまいか、恥を掻きはしまいか、又は失礼だといつて怒られはしまいかなどと遠慮して、相手に自分といふ正体を黒く塗り潰した所ばかり示す工夫をするならば、私がいくら貴方に利益を与へやうと焦慮ても、私の射る矢は悉く空矢になつて仕舞ふ丈です。/「是れは私の貴方に対する注文ですが、其代り私の方でも此私といふものを隠しは致しません。有りの儘を曝け出すより外に、あなたを教へる途はないのです。(『硝子戸の中』十一)

 漱石は「書いたもの」を見ることを世俗的な「社交」とは別のものと考えていたようです。ここでは「正直」になることが「啓発」「利益」と、すなわち「教え/教えられる」関係に立つことと結びつけて考えられています。おそらく小説を書こうとするときにも、漱石は「教え/教えられる」関係に立とうとしていたのだと思われます。そしてそれが簡単にできることではないことを彼は十分に承知していました。だからこそ「もつと卑しい所、もつと悪い所、もつと面目を失するやうな自分の欠点を、つい発表しずに仕舞つた」(『硝子戸の中』三十九)とも書いたのでしょう。

 今まで自分が書いてきたものを振り返ってそう書いたのですから、これから書くものについては、ぜひ自分の「欠点」を含んだ「ありのままを曝け出」したいという思いも当然あったでしょう。しかし『道草』において、自分の特殊な事例を一般の事例とするために直近の過去や現在をその材としなかったのは、なぜでしょうか。たとえば、秋山公男は次のように指摘しています。

『道草』の背景が他のいずれの時期でもなく帰国直後の時期でなければならなかった所以は、それが「己れの作家的出発の時点」であったからというより、寧ろ逆に作者から顧みて最も醜悪かつ盲目の時期であったからに他なるまい。D

 秋山氏によれば、「過去が選ばれた理由は、その創作意図が帰国直後の己れの卑小な生と精神の検証におかれていたが故」、すなわち『道草』が「過去の自己の冷厳な検証を目して構想された作品」だからということになります。

『道草』は後期三部作とは異なり、現在からする過去の検証ではなしに、「継続中」の過去からする現在の検証を特質とする。少なくとも作品の構造に限定するかぎりそういえる。しかし作者に即して言うなら、執筆の現在(大正四年)から、過去(帰国後の一時期)の「事実」の検証が図られた作品であるといえるだろう。E

 もちろん秋山氏がいうように、「健三の現在」とそれを過去と見て冷厳に俯瞰する「作者の現在」との間には、明確に距離があります。しかし氏が指摘するように「弱点」「欠点」を抱えていた時期の検証として「過去」が選ばれたのなら、現在の作者はそのような「弱点」「欠点」を(かなりの程度)克服しているということになります。はたしてそうなのでしょうか。秋山氏自身ふれているように、「健三の幼児期体験は、現在の自己凝視に不可欠な視座として繰返し反芻され」ています。そして作者は「過去の自己」を反映する健三という人物をやはり作者自身の「現在の自己凝視に不可欠な視座として」必要としたといえるのではないでしょうか。

彼は過去と現在との対照を見た。過去が何うして此現在に発展して来たかを疑つた。しかも其現在の為に苦しんでゐる自分には丸で気が付かなかつた。(『道草』九十一)

 たしかに『道草』の語り手は健三を「突き離」しています。しかしこの語り手の示す認識がそのまま漱石の認識であるとしても、それは健三(過去の自己を反映した人物)に対してとりえた距離から得たものであって、だからといって現在の漱石自身に対して「冷厳に俯瞰」できる距離をとり得ているとは限らないのです。右の引用のすぐ前に次のような言葉があります。

「然し今の自分は何うして出来上つたのだらう」/彼は斯う考へると不思議でならなかつた。其不思議のうちには、自分の周囲と能く闘ひ終せたものだといふ誇りも大分交つてゐた。そうしてまだ出来上らないものを、既に出来上つたやうに見る得意も無論含まれてゐた。(同)

 ここでいわれている「誇り」や「得意」が、では健三を批評している語り手自身に、入り込む隙はないのでしょうか。仮に「隙なし」という理想的な設定が権利上あり得るにしても、そうした絶対的視座をこしらえて『道草』を書きつつある漱石自身が、「現在の為に苦しんでゐる自分」に無自覚なままでいられたでしょうか。

 対象に対して十分な距離をとることが「真実」への接近の王道であるとすると、そうした距離をとりにくい現在に対しては別の方法によるアプローチが必要になります。冷厳に俯瞰できる距離がとれないからといって、『道草』が現在を問題にしていないとはいえません。私はむしろ漱石は自身の現在を問題にするために『道草』を書いたと思っています。それこそ「まだ出来上らない」何ものかが、現在を生きる作家自身のうちに、継続してあっただろうと思うからです。

 では「過去の自己」を扱いながら「現在の自己」を問題にするとは、どのようにして可能なのでしょうか。それにはベルグソンの記憶についての考え方が参考になります。



 


 現在東北大学に残されている「漱石文庫」には、ベルグソンの著作が三冊ありますF。『道草』(四十五)には、主人公の健三がそのベルグソンの『物質と記憶』にある「記憶に関する新説」を青年に向けて語る場面もあります。

 以下、ベルグソンの著作に関する内容は全面的に澤瀉久敬『アンリ・ベルグソン』Gにおける理解に頼りながら進めます。ベルグソンは人間の記憶を身体的記憶と意識的記憶とに分けて考えました。暗誦を例にあげてそれを説明しています。一つは出来上がってしまった記憶、その全文が流れるように暗誦できる記憶で、今一つはそのような暗誦を準備した一回一回の朗読の記憶です。前者が身体的記憶、身体が覚えこんでしまった記憶であり、ベルグソンはこれを「演ぜられる記憶」と呼び、それに対して後者をスゥヴニール(思い出)という言葉で表わし、「表象される記憶」と呼びました。
 では、この二種の記憶と能動的主体としての身体とはどのような関係にあるのでしょうか。身体は、たんに身体的記憶だけを身につけている限り、ただ記憶を演ずるのみで、主体的で能動的な行為は何もできないのです。

ところが思い出をもっている意識的な存在としての身体では、そうではない。そのような身体にあっては、現在外から与えられる知覚に対して過去の思い出が現在に呼び起こされ、その思い出に従って現在なすべき行動が決められるのである。もし思い出がいくつもある場合にはそれらを相互に比較して、そのうちで現在の行動に最も役立つ思い出を選択し、それに即して現在の行動を決定する。(『アンリ・ベルグソン』H)

ベルグソンは、注意とは「現在の知覚に対する意識の集中と拡散」ではなく、「過去への問い合わせ」であると考えました。

意識は時間的にも空間的にも脳を大きくはみ出しているとベルグソンは言う。ではそのはみ出した意識はどこにあるのか。時間的なはみ出しについて見るなら、時間的なはみ出しとは過去の思い出であるが、思い出があるとはその思い出は現在の身体の行動にとって「有用である」、「役に立つ」、ということであり、思い出がないとは「無用である」ということである。いったい過去の思い出が全部現在の意識にあるとすれば、即刻行動を決定せねばならぬ我々は必要適切な行動を行ない得ないであろう。不要な思い出は現在の意識に存在しないことが望ましいのである。(『アンリ・ベルグソン』I)

 したがって、ある人が生命の危機にあたって急にその未来が塞がれたときには、すなわち「有効なる動作の興味を棄てて、いはば夢想の生活裡に身を投ずるときは、それ(吾々の過去―引用者注)は何時にても識閾を超える力を得てくる」(『物質と記憶』J)。要するに、溺れかかった人などが、「自分の過去全体を一瞬間の記憶として、その頭に描き出す」(『道草』四十五)ことになるのはそのためであるというのですが、この記憶に関する考え方を小説を書くことに応用できないでしょうか。

 ベルグソンによれば、ふだん人は思い出を、それが「有用」であるかどうかによって、それらを採用したりしなかったりしています。たとえば健三が彼の過去を思い出すのは、彼の現在にとってその思い出が「役に立つ」からなのです。それと同じように、自身の過去を選択して小説に採用しようとする作家においては、その「過去」が作家の「現在」にとって有用だから、つまり「過去の自己」が「現在の自己」の「役に立つ」から、そんなふうには考えられないでしょうか。

 ベルグソンはいっています。

意識は、未来へと傾きつつこれを実現しわがものにしようとつとめる過去のこの直接的部分を、あらゆる瞬間にその光で照らし出す。こうして不確定な未来を確定することにひたすら専念している意識は過去へいっそう遡った私たちの状態でも、私たちの現在の状態すなわち直接的過去と有益な結合をとげる部分には、その光をいくらか及ぼすことができるであろう。他の部分は依然として暗がりである。私たちが、行動の法則である生の基本的法則によってあくまでも位置するのは、私たちの歴史のこの照らされた部分の中である。闇の中に保存されているような記憶のことを考えるとき、私たちが感ずる困難もそこからきている。したがって、過去の完全な保存をみとめることに私たちが反発するのは、私たちの精神生活の方向そのものに由来するわけで、精神生活は諸状態のまぎれもない展開なのであり、そこで私たちが熱心に見つめるのは、現に展開しつつあるものであって、完全に展開を終わったものではない。(『物質と記憶』K)

 そして漱石もまた、おそらくは彼の「現に展開しつつある」現在を「熱心に見つめ」つつ次のように書いているのです。

「人間の運命は中々片付かないもんだな」(『道草』八十二)

 秋山氏が鋭く見抜いていたように、『道草』には過去から現在にまで「継続中」の何ものかが、それこそが小説の本当の主役のように扱われています。それは『硝子戸の中』において、すでにふれられていました。病気が治ったようで治りきらない「私」は、「継続」という言葉を手に入れて、それからは「何うか斯うか生きてゐます」という挨拶を「病気はまだ継続中です」に改めるのです。

客の帰つたあとで私はまた考へた。――継続中のものは恐らく私の病気ばかりではないだらう。私の説明を聞いて、笑談だと思つて笑ふ人、解らないで黙つてゐる人、同情の念に駆られて気の毒らしい顔をする人、――凡て是等の人の心の奥には、私の知らない、又自分達さへ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでゐるのではなからうか。もし彼等の胸に響くやうな大きな音で、それが一度に破裂したら、彼等は果して何う思ふだらう。彼等の記憶は其時最早彼等に向つて何物をも語らないだらう。過去の自覚はとくに消えてしまつてゐるだらう。今と昔と又其昔の間に何等の因果を認める事の出来ない彼等は、さういふ結果に陥つた時、何と自分を解釈して見る気だらう。所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思ひ思ひに抱きながら、一人残らず、死といふ遠い所へ、談笑しつゝ歩いて行くのではなからうか。唯どんなものを抱いてゐるのか、他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだらう。(『硝子戸の中』三十)

 秋山氏はこの「継続中」のものと「爆裂弾」を結びつけて、「『道草』は、普段「他も知らず自分も知らないので、仕合せ」でいる「継続中」の「爆裂弾」を、敢て掘り起して意識化し、破裂させるべく構想された作品であった」とするのですが、はたして「破裂」までが可能だったでしょうか。病原らしきものを過去に探索し、それを「破裂」させてしまうこと。氏がそう考えるのも、『道草』が、「執筆の現在(大正四年)から、過去(帰国後の一時期)の『事実』の検証が図られた作品」だと仮定しているからですが、これは終わり=目的から見た発想です。

 「破裂」は目的ではありません。肝心の「継続中」のものが、それで終わってしまいます。しかし「継続中」のものは現在に至っても「中々片付かない」ものであり、そう簡単には終わらせることのできないものなのです。それは「継続中」のものが、何より「夢の間で製造した」ものであるからです。つまり、簡単には「意識化」できないものなのです。『硝子戸の中』の「私」もいっていた、「私の身体は乱世です。いつどんな変が起らないとも限りません」(三十)という覚悟こそが、「継続中」のものを今も抱えてつつ生きている現在の作家自身の偽りのない認識だったのではないでしょうか。

 ここで私たちは、容易に「意識化」できないものをどのようにして表現するか、という問題に出会います。そこで記憶と小説との違いも明らかになります。健三が過去を思い出すのは、健三の現在にとって「有用」であったからですし、ある事柄が思い出されているということが、そのままその事柄が彼の現在にとっての「有用」であることを示していたのですが、作家が小説を書くにあたっては、もう少し込み入った事情がありそうです。作家は自分の過去の記憶を蘇らせるだけでは、彼の現在にとって「有用」なものは得られないのです。すなわち作家は記憶を並べるだけでは小説を構成し得ず、彼の現在にとって「有用」なものとするために、たとえば「過去の自己」を選択し組み立て直すのです。そうすることで過去を思い出すだけでは「意識化」できないものを形にしようとするのではないでしょうか。



 


 『道草』の語り手は、主人公健三の時間的な延長線上に想定される存在ではありません。『道草』を健三自身による一人称回想小説として読むことは、こと健三をめぐる記述にかぎってはほとんど問題がないのですが、健三の妻お住ら他者の内面の表現に関しては無理があります。例えば次のような表現です。

其時細君は別に嬉しい顔もしなかつた。然し若し夫が優しい言葉に添へて、それを渡して呉れたなら、屹度嬉しい顔をする事が出来たらうにと思つた。健三は又若し細君が嬉しさうにそれを受取つてくれたら優しい言葉も掛けられたらうにと考へた。(『道草』二十一)

 金子明雄は『道草』のテクストに一人称回想体的な要素が潜在し、それを想定する読みによって読解可能となる部分が多いことを認めながらも、あくまでも三人称回想小説としての『道草』を読もうとしています。そして一人称回想小説としての読解では包みきれない言説の最大のものとして、健三の記憶をあげています。金子氏は、健三の現在の行為としての記憶が「テクストの自叙伝的構成を支える均質的時間とは異質な」時間として描かれることで、「彼の固有の存在を支えることになる」のだと指摘するのですL。

 要するに、語り手と健三が因果論的に接続されていないために、したがって語り手の「語り」と健三の「存在」が切断されているために、健三の記憶は語り手に引きつけて理解されることがない、というわけですが、私が注意したいのは、その論証の過程で氏もふれている時間構造の二層化です。

何しろ彼女は又突然健三の眼から消えて失くなつた。そうして彼は何時の間にか彼の実家へ引き取られてゐた。/「考へると丸で他の身の上のやうだ。自分の事とは思へない」/健三の記憶に上せた事相は余りに今の彼と懸隔してゐた。それでも彼は他人の生活に似た自分の昔を思い浮かべなければならなかつた。/「お常さんて人は其時にあの波多野とか云ふ宅へ又御嫁に行つたんでせうか」(『道草』四十四)

 健三の回想に続いて、「其時」とまるでお住自身が健三の回想の世界を覗いてでもいたかのように言葉を継ぐこの場面について、金子氏は「夫婦の会話の一部が省略されていると考えるのが最も合理的」としたうえで、次のように述べています。

語られる現在の時間の流れが二層になって、そのうち健三の記憶がテクストの前景にあらわれ、夫婦の会話が後景に退いたのである。健三の過去をめぐる語りは、彼の回想の内容と時間的持続を代理するだけでなく、夫婦の会話の内容と持続をも代理している。言い換えれば、物語世界の時間の二層構造が健三の記憶をめぐる言説によって生じていることになる。健三の記憶は、そのような特殊なかたちをとって表現されるべきものなのである。M

 これを語り手の側からいうと、語る時間の流れを二層化することで、健三の時間=記憶を相対化するとともに、逆にその現実性を高めることにもなっています。こうして『道草』は多層的な時間を含む世界の存在を予感させることが可能となり、『明暗』に比べるとまだまだ不十分なものの、語り手による自在な視点の移動についても、それを不自然なものとは思えなくしているのです。そしてこうした語り手を通じた小説的操作はまた、読者に健三と彼を囲む世界を構築する作者の側で生きられている時間を想定させることにもなります。

 たとえば次のような表現も、語り手の「語り」と健三の「存在」とが因果論的に切断されていると考えると、一人称回想小説としての読解とは異なる解釈が可能になります。

「何と云つたつて女には技巧があるんだから仕方がない」/彼は深く斯う信じてゐた。恰も自分自身は凡ての技巧から解放された自由の人であるかのやうに。(『道草』八十三)

 相原和邦はこうした表現を「反措定叙法」と名づけ、それが「健三に集中して用いられている」こと、「インテリとしての健三を庶民の側に引き下ろす働きをしている」こと、その批判が「展開の可能性をはらむものではなく、健三を行き場のない袋小路に追いやる性質を帯びている」ことを指摘していますN。たしかに秋山氏もいうように、語り手は絶対的な視点に立って「己れの我執の実態や不明に気付かずにいる健三を容赦なく暴きながら、しかしこれを矯正しようとはせず、愚昧なままに放置」Oしています。

 しかし、語り手が健三の未来を用意しなければならない理由はありません。それは語り手を健三の延長線上に想定する読者が要請する読み方のひとつにすぎません。そして繰り返していえば、語り手の視点が作者の現在に対して有効であるかどうかは別問題なのです。こうした表現の「展開の可能性」をいうなら、それはむしろ作者自身の現在の側に向けて投げ出されているのではないでしょうか。行き場を見出さねばならないのは健三ではなく、作者自身だからです。そしてそのことは自由にかかわる問題でもあるように思われます。



 


 ベルグソンが自由を論じたのは『意識に直接与えられているものについての試論』においてです。以下、ベルグソンの著作の内容に関しては再び澤瀉久敬『アンリ・ベルグソン』の解説に依拠しつつ進めますが、ベルグソン自身、この書物を外国語に翻訳するときには『時間と自由』という表題にするのがよいとしたくらいで、それほど彼の哲学にあっては時間は自由の上に成り立つものであり、自由は時間の姿なのでした。ベルグソンのいう時間とは純粋持続であり、それは自己を創造し続ける純粋自我において感得されるものでした。

時間が持続であることは、自ら時間を生きることだということである。それは流されることではなく、自ら流れること、自ら自己を生み出すこと、つまり自己を創造することである。直観はすでに作られたものから離れて、現に作られているものに結びつくものである。それは見るものではなく作るものであり、しかもただ作るものではなく、その作る自分を見るものである。そこでは見るものと作るものとは一つなのである。自ら創造しながら、その自分を捩じ曲げて自分を見るのが直観である。(『アンリ・ベルグソン』P)

 純粋自我とは、世間的な外的自我を離れて、自我が主体的な内的自我に還ったものをいいます。そこでは自我は、法律や慣習によって生かされている受動的自我ではなく、自ら生きる能動的な自我です。自己を堅持し、毅然として生きる人格的自我においてこそ自由が成立します。その自由は選択する自由ではなく、恣意的な自由でもありません。それは自ら自己を創造する自由であり、その意味で自由とは自己が自己になることなのです。

 十九世紀後半、自然科学と決定論的な思想が支配的な時代において、人間に自由があるか否かが重大な哲学的問題となったときに、ベルグソンは『時間と自由』において、「人間に自由があるか」と問う前に「自由とは何か」を明らかにすることが重要であるとして、自由とは生かされる自我から生きる自我に戻ることであると説いたのでした。

要するに、自由とは自己が自己を生きることである。それは自己が自己を決定すること、自己が自己を創造することである。それは自己が自己の個性を生かすことであるとも言えよう。ただしこの言葉には一つの誤解が可能であり、その誤解は除いておかねばならない。というのは、一人の人間が自分の個性を発揮するとは、その人AにAという個性があり、そのAを発揮することだと考えてはならないということである。そのように既成のもの、固定したもの、出来上がったものは真の個性ではない。先ずAというものがあり、それを引き出し、あるいは表出するのではなく、人間Aは自ら自己を創造するに応じて、自己の個性をAとして示すのである。自己の個性とは何かと問うことは自己を創造することにほかならない。(『アンリ・ベルグソン』Q)

 清水孝純は『道草』における迂言法的方法について考察しながら、たとえば次のような部分を引用して「『道草』の真の主題とは〈時間〉ではないだろうか」と指摘していますR。

彼は時間に対して頗る正確な男であつた。一面に於て愚直に近い彼の性格は、一面に於て却つて彼を神経的にした。彼は途中で二度ほど時計を出して見た。実際今の彼は起きると寝る迄、始終時間に追ひ懸けられてゐるやうなものであつた。(中略)/彼はまた自分の姉と兄と、それから島田の事も一所に纏めて考へなければならなかつた。凡てが頽廃の影であり凋落の色であるうちに、血と肉と歴史とで結び付けられた自分をも併せて考へなければならなかつた。(『道草』二十四)

 「〈時間〉という絶対的な力の前に立たされた人間の悲惨、健三を取りまく人々を見る健三の光学は、そこに像を結んでいる」というわけです。もちろんこの「光学」は健三自身をも対象とすることになるのですが、ここでいわれている「光学」は健三のものというよりは語り手の「光学」であって、はっきり「像を結んでいる」ように見えるのは、語り手の視座からの「光学」によるものだからです。時間が「絶対的な力」であるように見えるのも同じことです。そもそも語り手には時間がありません。時間からは自由な存在なのです。その点で時間を、現在を、生きざるを得ない生身の作者漱石とはずれがあります。読者である私たちが、仮構された語り手の視座から、語り手にだけ可能な、いわば無時間的な「光学」に寄り添うことによって、初めてそう見えるわけです。

 漱石的な分裂を生きざるを得ない人物を知っていたかのようにベルグソンは書いています。

自己の生活を生きるかわりに夢みるような人間存在は、おそらくそのようにして過去の生涯の数限りない詳細な事情を、あらゆる瞬間にその視界から洩らさないであろう。また反対に、この記憶力を、全所産とともに斥ける人は、その生活を真に表象するかわりに、たえず演じているであろう。彼は意識をもつ自動人形のようなものであり、刺激を適切な反応へと受けつぐ有用な習慣の傾向に従うだろう。(『物質と記憶』S)

 この部分は、先にもふれた「記憶に関する新説」(『道草』四十五)に照応する部分のすぐあとに書かれています。ベルグソンは、これら「二つの極限状態」はむしろ「例外的な場合」であり、「正常な生活では」「互いに切りはなされることはなく」「内部的に相互浸透しつつ」「本来の純粋性をいくぶんか捨て去る」と続けています。

 ここで、「過去」と「現在」との関係という視点から注意しておきたいのは、「過去」のすべてが有用性をはなれて「現在」そのものになっている人物と「過去」が有用性そのものとして習慣化された「現在」を生きている人物との対比です。

 この観点からは、一方でベルグソンのいう「過去の数限りない詳細な事情」から離れられない人間存在は、「血と肉と歴史とで結び付けられた」存在としての健三と重なって見えてきますし、他方でベルグソンのいう「たえず演じている」「自動人形のような」存在は、「始終時間に追ひ懸けられてゐる」存在としての健三と重ねて見ることができます。そして主人公健三の中にそれら二面が「相互浸透」しながら存在しているように、作者にもその二面がある、というより、作者の「現在の自己」にあるそれら二面が、健三という人物の創造を通して描かれ確認されているように思えるのです。

 健三は自身の二様の過去を現在として生きています。そういう人物が生きる世界を構築しつつ、作家は当然自分が「自動人形」的でない時間を、そしてまた「夢みる」のでもない時間を、現在として生きようとしていることに無自覚ではなかったはずです。だからこそ『道草』を書き終えた後に書かれた『点頭録』(一九一六(大正五)年一月)では、自らの過去が「無に等しい」過去と「刻下の我を照らしつつある」過去との「一体二様」として存在している、と書けたのでしょう。

 健三が時間を「絶対的な力」と看取できなかったように、漱石も時間をそのようには捉えてはいませんでした。語り手と違い実際の時間を生きる漱石が、もしそんなふうに現在を生きていたとしたら、彼に自伝は書けたかも知れませんが、小説のようなものは書き続けられなかったと思います。

 『道草』は漱石の「過去の自己」を素材にした小説です。そこには過去から現在まで続く「片付かない」ものが片付かないままに描かれています。漱石は記録のつもりで、その変わらない過去を、消えない過去として、残そうとしたのでしょうか。

それで私はともすると事実あるのだか、又ないのだか解らない、極めてあやふやな自分の直覚といふものを主位に置いて、他を判断したくなる。さうして私の直覚が果して当つたか当らないか、要するに客観的事実によつて、それを確める機会を有たない事が多い。其所にまた私の疑ひが始終靄のやうにかゝつて、私の心を苦しめてゐる。/もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪づいて、私に毫髪の疑を挟む余地もない程明らかな直覚を与へて、私を此苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来る凡ての人を、玲瓏透徹な正直ものに変化して、私と其人との魂がぴたりと合ふやうな幸福を授け給はん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、ある或は疑ひ深くて人を容れる事が出来ないか、此両方だけしかない様な気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちてゐる。もしそれが生涯つゞくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだらう。(『硝子戸の中』三十三)

 ここには、すでに/いまも健三がしっかりと生きています。そしてこのあとすぐに書かれることになる『道草』の語り手の設定は、おそらくこの「苦悶から解脱」するための方便だったに違いありません。しかしそうした語り手を拵えた作者自身は「解脱」が叶ったのでしょうか。あるいは「幸福」を授かったのでしょうか。

 私は『道草』の主題は清水氏のいう「〈時間〉という絶対的な力」ではなく、自由にこそあると考えています。漱石は自由を考えようとして、あるいは自由を生きようとして『道草』を書いたのだと思うのです。自身の過去を素材にしながら、その素材をそのまま使って自伝をではなく、加工して小説を書く。外的自我から内的自我へ、生かされる自我から生きる自我へ還ること、そこになら自由はあり得る。そう漱石は考えていたのではないでしょうか。
 記憶はもちろん記録ではありません。健三が記憶を蘇らせるように、漱石は健三を作り上げるのです。漱石自身が現在必要とするからそれは創られる。『道草』を書くこと、『道草』という小説を生きること、そのことのうちに(それはベルグソンの言葉でいえば〈持続〉のうちに、ということになると私は考えるのですが)「絶対的な力」としての時間とは別の時間、すなわち自由がある、そのように思えるのです。


 以上、『道草』が「何故」書かれたのかについて、その創作意図が作家の過去の検証にあるのではなく、彼が現在を生きるためにこそ書かれていることを見てきました。続いて「如何にして」作家がその現在の自己を確認し創造していくのかを見ていきたいと思います(この稿(二)に続く)。






@この点については拙稿「無垢なるものの行方(一)」、「同(二)」(奈良工業高等専門学校紀要第三十八号、二○○三・三、同三十九号、二○○四・三)で取り上げて問題にしています。

A大岡昇平「「自伝」の効用―『道草』をめぐって―」(『小説家夏目漱石』一九八八・五、筑摩書房、p386,392)

B大岡昇平(注Aに同じ、p397,398)

C丸尾実子「民法制定下の『道草』」(「漱石研究」第九号、一九九七、翰林書房)
 秋山公男「『道草』―構想と方法」(「文学」第五十巻四号、一九八二・四)
 大岡昇平(注A前掲書、p392)
 玉井敬之「漱石と『家』」(「漱石研究」第九号、一九九七、翰林書房)
 右にあげたそれぞれの論考において、丸尾氏は健三の時間として「明治三五年初頭に外国から帰国した健三の、四月頃から翌明治三六年一月半ばまでの約九カ月」が描かれているとしている。漱石の時間としては、秋山氏は「明治三十六〜八年時」、大岡氏は「明治三十六−三十九年の四年間が約一年足らずの間に圧縮されて」いるとし、玉井氏は「明治三十五年から明治四十二年まで」としている。

D秋山公男(注Cに同じ)

E秋山公男(注Cに同じ)

Fいずれも一九一○、一九一一年に出版された英訳本で、『Creative  evolution (創造的進化)』、『Laughte (笑い)』(傍線有り)、『Time and free will (時間と自由)』(書き込み・傍線ともに有り)の三冊。

G澤瀉久敬『アンリ・ベルグソン』(中公文庫、一九八七・六)

H澤瀉久敬(注G前掲書、第二部5人間、p163)

I澤瀉久敬(注G前掲書、第二部5人間、p166)

J漱石全集(第六巻「注解」における引用、岩波書店、一九六六・五)

Kアンリ・ベルグソン『物質と記憶』田島節夫訳(ベルグソン全集第二巻第三章、白水社、一九六五・八、p170)

L金子明雄「三人称回想小説としての『道草』」(「漱石研究」第4号、一九九五、翰林書房)

M金子明雄(注Lに同じ)

N相原和邦「『道草』『明暗』の相違面」(『漱石文学の研究―表現を軸として―』第三部〈二〉二、明治書院、一九八八・二、p436)

O秋山公男(注Cに同じ)

P澤瀉久敬(注G前掲書、第二部4直観、p131)

Q澤瀉久敬(注G前掲書、第二部5人間、p176)

R清水孝純「方法としての迂言法―『道草』序説―」(「文学論輯」一九八五・八)

Sアンリ・ベルグソン(注K前掲書、第三章、p175)


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