夏 目 漱 石 『 坑 夫 』 の 逃 亡 者

'Tobosha' in Natsume Soseki's Kofu


 武 田 充 啓


章立て

  はじめに

  一 『坑夫』を貫く問題 あるいは 「中を行く男」

  二 自己の内なる他者(〈無意識〉と〈肉体〉)の発見

  三 「中を行く」語り手の位置夢

  四 捨てられた「過去」

  五 「潜伏者」に対する認識と「過去」を語る倫理

  おわりに あるいは 半身の逃亡者


  はじめに

 『坑夫』(明治四一、一〜四)は、東京の「相当の地位を有つたものゝ子」である一人の青年が、ある「過去」の事情のために生家から「逃亡」し、ポン引きにつかまって鉱山に送り込まれることになる境遇を、後年、同一人物である語り手が回想する形で成立している。
 この作品には、明らかな素材があり、下敷きになった荒井某の体験は聞き書きメモとしても残されている。執筆の準備に十分な時間がなかったこと@、素材がほとんどそのまま作品となっていることAなどもあり、作者のオリジナリティーという点では、とくにその《内面性》Bが注目されてきた。以後、その「心理分析」や〈意識の流れ〉Cを軸にした小説の方法論的視点から、作者自身の「理論」がいかに「実践」されたかが問われD、あるいは作者自身の「内面」をも含めたその「実生活」とこの「作品」との関わりなどが問われてきているE。
 しかし『坑夫』の最大の魅力の一つが、語り手のその語り口にあることは異論のないところである。そしてその一方で、〈人間(の心)は変わるものだ〉と主張する語り手にどこか物足りなさを、その説得力の不足を感じないでもない。この物足りなさはどこからくるのであろうか。従来、作者と素材の関係は研究されてきたが、語り手が自分の過去をどう扱うかという視点からは、あまり論じられていないように思われる。
 したがって私がここで試みるのは、語り手の「過去」の扱い方を中心に、彼の〈現在〉までを含めて考察しつつ、『坑夫』を読み返してみることである。そこでまず、『坑夫』という作品全体を貫いている問題を確認することから始めたい。

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  一 『坑夫』を貫く〈問題〉あるいは「中を行く男」

 『坑夫』は、男が感想をもらす場面から始まる。

さつきから松原を通つてるんだが、松原と云ふものは絵で見たよりも余つ程長いもんだ。何時迄行つても松ばかり生えて居て一向要領を得ない。此方がいくら歩行たつて松の方で発展して呉れなければ駄目な事だ。いつそ始めから突つ立つた侭松と睨めつ子をしてゐる方が増しだ。

 「絵」よりも現実の松原の方が「長い」。しかし、「歩行」ていることと「突つ立つた侭」でいることとの違いがはっきりしないのだとすれば、現実の松原もまた「絵」と区別はつかないことになる。ここにすでに『坑夫』を貫く問題が顔を出している。
 問題はさらにはっきりしてくる。男は、松原を抜ける途中の掛茶屋で「袢天だか、どてらだか分らない着物を着た男」(「袢天とどてらの中を行く男」「袢天とどてらの合の子」とも表現される)に出会う。そうしてこの人物の「ぢりぢり」とした「何処迄も落附いてゐる。がそれで滅法早い」眼差しに捉えられるのである。男を鉱山へ連れていくことになるこのポン引きの「服装」や「白眼」の描写は、AだかBだか「分らない」が、AのようでもありBのようでもある「合の子」が、ひたすらAとBの「中を行く」ことになる主人公のこれからの生き方を暗示しているのである。

一旦飛び出したからは、もうどうあつても家へ戻る了簡はない。東京にさへ居り切れない身体だ。たとひ田舎でも落ち付く気はない。休むと後から追つ掛けられる。昨日迄のいさくさが頭の中を切つて廻つた日にはどんな田舎だつて遣り切れない。だから只歩くのである。

 冒頭から現れる文中、文末の否定形の多用は、ここでもまだ続いている。男を「追つ掛け」てくるものは彼の「過去」であり、男が歩き続けるのはそれから逃れるためであることが明かされる。「足より松より腹の中が一番苦しい」のは、男が未来を持てないでいるからである。過去と未来のはざまとしてあるはずの自身の〈現在〉の位置どりに「一向要領を得ない」まま、男は「只歩く」しかない。

顔の先一間四方がぼうとして何だか焼き損なつた写真の様に曇つてゐる。しかも此の曇つたものが、いつ晴れると云ふ的もなく、只漠然と際限もなく行手に広がつてゐる。(中略)歩くのは居たゝまれないから歩くので、此のぼんやりした前途を抜出す為に歩くのではない。抜け出さうとしたつて抜け出せないのは知れ切つてゐる。

 男は、未来を見い出そうとはしない。また自分の「過去」を検証しようとするのでもない。「どこ迄も半陰半晴の姿で、どこ迄も片付かぬ不安が立て罩めて居る」彼の〈現在〉をたださまよい続けるのである。そしてこれが『坑夫』を貫いている「中を行く」という問題である。「暗い所」「人の居ない所」といった言葉が多用され、そこが彼のとりあえずの「目的」の場所として選ばれてはいる。しかし、男の本当の目的は「生涯片付かない不安の中を」片付かないまま「歩いて行く」こと、そのことなのである。
 こうしてこの「中を行く」という問題が、『坑夫』を貫いていることを見て取れば、たとえば男が鉱山へ向かう汽車の中で耳にすることになる「亭主と泥棒」の話(強盗に入った泥棒がその家の主人から贋金をつかまされ、その主人を贋金使いとして振れて歩くという話。この二人の「何方が罪が重い」かが問われる所で会話は途切れている。)が、前後の脈絡なしに出てくること、またすぐその後に「睡眠」が話題になることなども、不自然なことではなく、むしろ計算され選ばれてそこに並べられていることがわかる。いずれも「片付かない」ことであり、「中を行く」ことだからである。
 「睡眠」は、「生き戻り損なう危険も伴つてゐないから」「自滅の一着として、生きながら坑夫になるものに取つては、至大なる自然の賚である。其の自然の賚が偶然にも今自分の頭に落ちて来た」。男は「生きてゐる以上は是非共其の経過を自覚しなければならない時間を、丸潰しに」できたのである。「先づ凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である」。しかし「正直に理想を云ふと、死んだり生きたり互違にするのが一番よろしい」ということになる。
 汽車を降り、「大きな宿の」「心持の判然する程真直」な「広い往還の真中に立つて遥か向ふの宿外を見下した」ときの男の「一種妙な心持」についても、「実世界の事実」と「夢」の「合の子」のようなものとして考えることが出来るであろう。「魂が寝返りを打たないさき、景色が如何にも明瞭であるなと心附いたあと、−−其の際どい中間に起つた」。「明らかな外界を明らかなりと感受する程の能力は持ちながら、是れは実感であると自覚する程作用が鋭くなかつた為」「事実に等しい明らかな夢と見た」。現実だと確かめることは出来る。「出来ると云ふ事はちやんと心得てゐながらも、出来ると云ふ観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象丈を眸のなかにうけながら立つてゐた」。ここでは〈低徊趣味〉がはっきり見て取れる。この「心持」は、一個の事件ででもあるかのように、その真相を明らかにすべく「魂」「自覚」「観念」と視点を移しながら何度も言い換えられ、説明されている。そしてその「低徊」は、やはり「中を行く」ものを対象としているのである。
 山中の「破屋」の場面では、男は「昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然と区別がついた様」に思え、「かう心に連続がなくなつては不思議な位自分で自分が当にならなくなる。要するに人世は夢の様なもんだ」と考える。ここでも「睡眠」が彼に不連続感をもたらすのだが、この意識の不連続は「中を行く」問題と密接に関わっている。先の「睡眠」の話でも明らかなように、そして「自覚があつて死んでたらこんなだらう。生きてるけれども動く気にならなかつた」というここでの男の心情に今また注意すれば、男が意識の不連続の状態を一種の理想郷としていることが確認できる。「夢」と「現実」とを区別し、「夢」の中に住んでいたいというのではない。『坑夫』では、「現実」と「夢」とが、いわば同じ位相(片付く)にあり、この一つの位相に対して、「中を行く」(片付かない)というもう一つの位相があるのである。
 「山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて」男がいよいよ鉱山のある町に着いたときにも、その目の前に現れた銀行、郵便局、料理屋と「凡てが苔の生えない、新しづくめ」の町を、むしろ「全く夢の様な気持で」眺めることになる。そうして彼は「何だか又現実世界に引き摺り込まれる様な気がして、少しく失望した」のである。これは「夢」と「現実」の逆立の表現ではない。彼はここでも「中を行く」世界にいるのであり、その世界に留まりたいという願望を素直に表明しているのである。
 このようにして見てくれば、坑夫体験の中心舞台となる鉱山のいわゆる「シキ」の中で、彼がどのような体験をすることになるかについても、またおおよその見当はつくのである。しかし「中を行く」問題にすべてを還元することがここでの目的ではない。それは『坑夫』における「中を行く」という問題を一般化してしまい、その固有性を見失うことにもなる。「中を行く」という問題が、『坑夫』におけるいわば縦糸だとすると、その横糸として編み込まれているのが、「自殺」と「過去」の問題である。この二つの問題の問われ方が、『坑夫』という作品をどのような模様に編み上げることになるかについて、以下に考察してみたい。

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  二 自己の内なる他者(〈無意識〉と〈肉体〉)の発見

 「自殺」については、『坑夫』の冒頭近く、次のような形で早くも言及されている。

今考へると馬鹿々々しいが、ある場合になると吾々は死を目的にして進むのを責てもの慰藉と心得る様になつて来る。但し目指す死は必ず遠方になければならないと云ふ事も事実だらうと思ふ。

 語り手は、十九歳の当時の自分の行為が、一方で「自殺」のもくろみでもあったことを明かしている。「自殺」は、〈生〉から〈死〉へと向かうものである。「中を行く男」が、〈生〉と〈死〉の「中を行く男」でもある以上、片付かないことに耐えかねて「一層の事」を望んでみたところで、片付くことはあり得ない。〈死〉は出来るだけ「遠方」に引き延ばされる。実際には、青年は〈生〉と〈死〉の間の行きつ戻りつを、振り子のように繰り返すことになるのである。「暗くなつた所を又暗い方へと踏み出して行つたら、遠からず世界が闇になつて、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだらう。さうなれば気楽なものだ」。しかし青年は、一旦通り過ぎたはずの「茶店の方へ逆戻り」する。「暗い所から一歩立ち退」くというこの行為が、〈生〉と〈死〉の間で演じることになる以後の青年の振る舞いを暗示している。
 〈生〉から〈死〉へと向かっていくはずのものが、再び〈生〉へと足を向けることになる「矛盾」について、語り手は「性格なんて纏つたものはありやしない」「本当の人間は妙に纏めにくいものだ」と、その「無性格論」を披露する。だが注意しなければならないのは、この「無性格論」が、自己の内なる他者の発見を含んでいるという点である。
 「無性格論」は、彼の「宿命論」と重なるように見える。というのは、語り手は(初めて入った「シキ」の中で、案内の初さんに「まだ下りられるか」と聞かれて「下りませう」と答えるまでの心理を説明する箇所において)、次のようにその由来を説いてもいるからである。

かう云ふ時の出処進退は、全く相手の思はく一つで極る。如何な馬鹿でも、如何な利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片が附く。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生築き上げたと自信してゐる性格が、滅茶苦茶に崩れる場合のうちで尤も顕著なる例である。−−自分の無性格論は此処からも出てゐる。

 「自分の性格」ではなく、「周囲の事情が運命を決する」。おそらく、そういう「場合」を実際に数多く体験することになった語り手は、「近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしてゐる」というのである。しかし、語り手が「運命」の鍵は「自分」ではなく、「周囲の事情」が持っているというとき、その「周囲」のうちには、もう一人の「自分」も含まれていたのである。
 坑道の「どん底」の八番坑で、一人取り残された青年は、疲労のために意識が次第に希薄になっていく「嬉しさを自覚してゐた」。「駆落が自滅の第一着なら、此の境界は」「終局地を去る事遠からざる停車場である」。しかし青年の意識が「愈零に近くなつた時」、突然その連続性が失われるのである。

眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思ふと、「死ぬぞ、死んぢや大変だ」迄が順々につながつて来て、そこで、ぷつりと切れてゐる。切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作になる。つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやつて、やつてからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れてゐる。それで全く続いてゐる。続いてゐる証拠には、眼を開いて、身の周囲を見た時に、「死ぬぞ‥‥」と云ふ声が、まだ耳に残つてゐた。慥かに残つてゐた。自分は声だの耳だのと云ふ字を使ふが、外には形容しやうがないからである。形容所ではない、実際に「死ぬぞ‥‥」と注意して呉れた人間があつたとしきや受け取れなかつた。けれども、人間は無論ゐる筈はなし。

 では「死ぬぞ‥‥」は誰が言ったのか。「神は大嫌だ」という語り手は、またそれを「自分の影身に附き添つてゐる」人々(たとえば「恋人」)の「魂」だとすることも潔しとはせず、「本能に支配され」たもの、「矢つ張り自分が自分の心に、あわてゝ思ひ浮かべた迄であらう」と結論する。自分自身が「全く離れてゐる。それで全く続いてゐる」のだとすれば、自分の中にもう一人の自分、すなわち他者が存在していることになる。「気を附けべき事と思ふ」。ここには、自己の内部に意識の連続から切り離されたもう一人の人間がいることの発見がある。(この他者は、また別の側面から「潜伏者」とも呼ばれることになるが、「潜伏者」については、後に語り手の「過去」の問題と絡めて問うことにしたい。)この他者の発見が、彼の「無性格論」なり「宿命論」なりの母体となっていることを確認しておきたい。
 こうして青年は、自己の内なる他者に裏切られ、「自殺」あるいは「自滅」という秘かな欲望を殺されることになるのだが、その一方で、青年の「運命を決する」「周囲の事情」に、彼自身の肉体もまた含まれるものであったことが明らかになる。「健康の証明書」をもらうために「診察場」に向かう場面である。

自分も、もうやがて死ぬんだなと思ひ出した。死んで此処の土になつたら不思議なものだ。かう云ふのを運命といふんだらう。運命の二字は昔から知つてたが、たゞ字を知つてる丈で意味は分らなかつた。(中略)けれども人間の一大事たる死と云ふ実際と、人間の獣類たる坑夫の住んでゐるシキとを結び附けて、二三日前迄不足なく生ひ立つた坊つちやんを突然宙に釣るして、此の二つの間に置いたとすると、坊つちやんは始めて成程と首肯する。運命は不可思議な魔力で可憐な青年を弄ぶもんだと云ふ事が分る。

 しかし、診察場の「臭い迄が夢の様な不思議に」なり、「本人からしてが、何物だか殆ど要領を得ない。本人以外の世界は明瞭に見える丈で、どんな意味のある世界か薩張り見当がつかな」くなりはしても、青年の思い描く「運命」は、彼自身の肉体によって覆される。医者の診断は「気管支炎」である。しかし「肺病の下地」であるはずの青年の肉体は、彼の幾分かロマンティックな〈死〉の空想を許さない。現実の〈死〉を青年と背中合わせのものにすると同時に彼から無限に引き離しもするのである。〈死〉は、本人の意志や意識とは無縁の位相にある。肉体がそれを教える。肉体もまた、自己と「全く離れてゐる。それで全く続いてゐる」他者なのである。
 「中を行く」はずの男が「自殺」などできないことは知れている。しかし「中を行く男」は、「人の居ない所」へと歩を進めながら、「自殺」という秘められた自己の欲望を横切ることで、自己の内なる他者としての〈無意識〉や〈肉体〉を見い出すことになる。「暗い所」だからこそ見えるものがあるのである。 「坑夫と聞いた時、何となく嬉しい心持が」し、「尤も死に近い状態で作業が出来」ることを「当初の目的にも叶ふ」と考えていた青年と、「難有い誨を垂れ、尊とい涙を流した」相手の安さんも「矢つ張り仕舞には金さんの様に」「死ぬだらう」と考えながら「涙も、情も」「未練も、心残りもなかつた」青年との間には、〈死〉に対する認識の明らかな違いが認められる。そしてたしかに「坑夫」以前の青年の認識と、「死は必ず遠方になければならない事も事実だ」と指摘し、安さんとの出会いを「全くの小説である」と言明する語り手の認識との差もはっきりしているF。
 しかし、たった二三日の出来事であるこの坑夫体験の間に、あるいはその後に、当時の青年が得た認識と、語り手が今抱えている認識との間にそれほど大きな違いが見られないのであるG。「自殺」や〈死〉に対する認識については特にそれがいえる。「運命が何とか始末をつけて呉れるだらう。死んでもいゝ、生きてもいゝ。華厳の瀑抔へ行くのは面倒になつた」というのは当時の青年である。語り手を待たずとも、青年はすでに「宿命論者」なのである。だとすれば、語り手が十分に長い時間を経た今、あらためて過去を回想し叙述することの意味はどこにあるのだろうか。
 語り手は「正体の知れない」自己を真に今〈現在〉生きているといえるのだろうか。このことは「無性格論」や「宿命論」を口にしながら、したがって〈無意識〉や〈肉体〉といった自己の内なる他者の存在に気付いていながら、叙述においてはその発見指摘にとどまり、それ以上の発展展開がなされないことと関連している。語り手は本当に《真に自己自身であろうとした》Hのであろうか。以下では、語り手がどのように設定され、どのようにその「過去」を取り扱い、どのように彼の〈現在〉を生きようとしているのかを、やはり「中を行く」問題を軸にしつつ見ていきたい。

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  三 「中を行く」語り手の位置

 『坑夫』の語り手に関して、森田草平氏は、《主人公みずから過去の閲歴を語る体になっているがいっこう自分で自分の経験を物語っているようには思われない。主人公の行動と語る人の気持ちとがかけ離れている》。《語る者と語られる者とは、なにかその間に一脈相通ずるものが必ずあってしかるべきはず》なのに《『坑夫』の語り手には少しもそれがない》として、次の点を批判している。
一、あれだけの苦楚を嘗めてきた人にしてはじめてこれだけのことが言われるんだと思うようなところがない。
二、言うことがすべて学究的である。
三、一度は坑夫にまでなりさがった人間として、いまは何をしているんだかさっぱり見当がつかない。
 そして、要するに『坑夫』の語り手は「作者自身」、つまりは漱石その人としか思えないというのであるI。森田氏の指摘は、『坑夫』における語り手の問題について、重要な手がかりを与えてくれる。
 たとえば作者自身は、主人公と語り手との距離について、そしてその距離がもたらす功罪について、次のように述べているJ。

 あれに出てる坑夫は、無論私が好い加減に作つた想像のものである。坑夫の年齢は十九歳だが、十九の人としちや受取れぬ事が書いてある。だから現実の事件は済んで、それを後から回顧し、何年か前のことを記憶して書いてる体となつてゐる。従つてまア昔話と云つた書方だから、其時其人が書いたやうに叙述するよりも、どうしても感じが乗らぬわけだ。それはある意味では文学の価値は下る。其代り(自分を弁護するんぢやないが……)昔の事を回顧してると公平に書ける。それから昔の事を批評しながら書ける。良い所も悪い所も同じやうな眼を以て見て書ける。一方ぢや熱が醒めてる代りに、一方ぢや、さあ何と云つて好いか−−遠い感じがある。当りが遠い。所謂センセーシヨナルの烈しい角を取ることが出来る。これは併しある人々には気に入らんだらう。(「『坑夫』の作意と自然派伝奇派の交渉」)

 語られる主人公と語り手との違いは、十分に与えられたその後の「時間」である。「時間」は、語り手の語りに「遠い感じ」と「公平」さをもたらすことになるが、「遠い感じ」の現実性(臨場感)の欠如というマイナス面が、〈非人情〉的視点からむしろプラスとして考えられていること、また「公平」さが、客観性を保証するものとして重視されていることが確認できる。
 語りの現実性(臨場感)を高めるという意味では、語られる人と語る人が同一であること、すなわち「本人」が自己を語るというだけでなく、その〈現在〉をリアルタイムで語ることが望ましい。しかし『坑夫』では、語り手自身「俗人は其の時其の場合に書いた経験が一番正しいと思ふが、大間違である。刻下の事情と云ふものは、転瞬の客気に駆られて、飛んでもない誤謬を伝へ勝ちのものである」と述べているように、〈正しさ〉を優先する観点から〈現在〉を語ることは退けられている。ではそれほど語りの客観性あるいは〈正しさ〉を重視するのであれば、語られる人と語る人とをいっそ「別人」にすべきだとも考えられるが、やはり「本人」がその語り手として選ばれているのである。
 このことは、おそらく『坑夫』が扱う〈人間の(心の)変化〉という問題と関わっている。ここでは「変化」が、外部からではなく、内部から〈意識の流れ〉の上で問われようとしており、だとすれば語り手として「本人」以上の適格者は他にないことになるからである。ただしこの「本人」による叙述をより〈正しい〉ものとするための必要条件として「時間」が付加される。「時間」が語り手を「別人」に近づけてくれるからである。 
 「本人」であると同時に「別人」であること。これが『坑夫』の語り手に課せられた条件である。「時間」は、語り手の存在条件として『坑夫』に持ち込まれることになるが、このことは、語り手が語られる人「本人」であることと「別人」であることとの「中を行く男」であること、また「中を行く男」であらねばならないことを意味している。「中を行く男」がその両端の一方に片寄れば、「変化」を正しく問えなくなり、もう一方により近寄れば、「作者」という「別人」が顔を出すことにもなる。「中を行く男」自身が「中を行く」問題を扱うこと、また「変化」を今生きつつある男が「変化」を問うこと、『坑夫』の試みの困難さはここにある。
 しかし一方、『坑夫』の魅力の源泉が、語り手とその語り口にあるのもまた事実である。たとえば小宮豊隆氏は《人間は刻刻に流動して止まない、生きものである。生きて流動する以上、矛盾もあれば撞着もある》《従つて生きた人間を、最も自然に描き出さうとするならば、その人間は所謂「無性格」に描き出されるより外に途がない》と語り手の「無性格論」を擁護するJのだが、『坑夫』において最も「生きた人間」を感じさせるのは、語り手の描き出す青年ではなく、むしろ語り手自身なのであり、「最も自然に描き出」されているのは、彼の語りそのものなのである。
 文末を「た」でくくるのを基本にしつつ、しかし「作者」の「作意」を裏切るかのように、随所に現在形(文末「る」)を実況中継的に取り入れる。加えて語り手は、意識的に過去の時間と現在の時間を混同させ、臨場感を高めてもいるK。自然描写など、文が長くなることもあるが、例外的で、一般に一文は短い。独白よりは対話に近いテムポで刻まれた短い文の重ね合わせから、一種の軽みを帯びた独特のリズムが生み出される。そして森田氏が批判の第一の点としてあげていた問題の原因の一つは、この文体の持つ一種の〈軽さ〉が、「昔」の青年の未熟を伝えるのには適していても、「今」現在の語り手の成熟の証としては、むしろ反証として機能してしまうという点にある。
 『坑夫』の語り手は、人間は変わる、と主張する。しかし森田氏が批判の第三の点としてあげているように、語り手は自分の「今」を明らかにしない。それでいてその人間の変化を示すためには、変化の結果を語りそのものの内に込めて表現する他にない。そして皮肉なことに、その語りは〈軽さ〉を印象づけてしまうために「昔」と「今」とで彼の性格は不変となる。森田氏のいう「一脈相通ずるもの」がこれで、しかもこれだけだとすれば問題の解決にはなるまい。これもまた「本人」と「別人」の「中を行く」べき語り手が、「別人」の方に片寄りすぎたための弊害の一つと考えられなくもない。しかし語り手の〈軽さ〉には、その設定上の「中を行く」条件とは別のレヴェルの、より本質的な原因があるように思われる。そしてそれは彼の「過去」の取り扱い方と深く関わっているのである。 

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  四 捨てられた「過去」

 「此の鉱山行だつて、昔の夢の今日だから、此の位人に解る様に書く事が出来る」。「其時の自分を今の眼の前に引擦り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たとひ是程にだつて到底書けるものぢやない」。語り手は、自分の「過去」を叙述するにあたって、〈現在〉の「余裕」をことさらに強調してみせる。そうして、人間に「変化」があることを主張し、それを肯定しようとするのである。

一体人間は、自分を四角張つた不変体の様に思ひ込み過ぎて困る様に思ふ。(中略)−−自分の心の始終動いてゐるのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変つちや大変だ、罪悪だ抔とくよくよ思つて、年を取つたら−−只学問をして、月給をもらつて、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかつたら、又内省が出来る程の心機転換の活作用に見参しなかつたならば−−あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転と、あらゆる漂泊と、困憊と、懊惱と、得喪と、利害とより得た此の経験と、最後に此の経験を尤も公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかつたなら−−難有い事に自分は此の至大なる賚を有つてゐる、−−凡て是等がなかつたならば、自分はこんな思ひ切つた事を云やしない。

 「鉱山行」の途中、同行することになる赤毛布や小僧との出会いによって、青年自身が自己を相対化して見ることが出来るようになったとき、語り手は青年が「一生の一大事の様に」「生死の分れ路の様に考へてゐた」「逃亡」を「坊ちやんとしての駆落」と書き換えている。しかしこのとき、意識的にか無意識的にか、語り手は何か大切な「過去」を切り捨てたのではなかったか。
 青年の「逃亡」の原因は、三角関係と目される人間関係のもつれからのように語られている。澄子と艶子という「二人の少女」の間に立った青年は、「第一の少女の傍に居たら、この先どうなるか分らない、ことに因ると実際弁解の出来ない様な怪しからん事が出来するかも知れないと考へ」る。彼が実際の人間関係からではなく、自分自身から逃げ出そうとしている点については、従来から指摘されている。しかし注意すべきなのは、彼がそれまでのような「中を行く男」ではいられなくなることを恐れて「逃亡」しているという点である。つまり彷徨する青年は、その生まれからして、いずれか一方に「片付く」ことを恐れる「逃亡者」なのである。
 「両立しない感情が攻め寄せて来て」青年の「乱れた頭はどうあつても解けない」。

到底思ふ様に纏まらないと云ふ一点張に落ちて来た時に−−やつと気がついた。つまり自分が苦しんでいるんだから、自分で苦みを留めるより他に道はない訳だ。今迄は自分で苦しみながら、自分以外の人を動かして、どうにか自分に都合のいい様な解決があるだらうと、只管に外のみを当にしてゐた。

 青年は問題を現実的に解決するのではなく、「内面」の問題として処理しようとする。だがすぐに「鏡に写る自分の影を気にしたつて、どうなるもんぢやない。世間の掟といふ鏡が容易に動かせないとすると、自分の方で鏡の前を立ち去るのが何より」と考える青年は、いったんは抱え込んだ「内面」をまるで物のように、再び「外」に放り出すかに見える。自分自身の「過去」もまた一つの「鏡」であり、しかもその前から立ち去ろうにも立ち去れない「鏡」であるということに十分意識的とはいえない青年が、「自殺するより外に致し方がない」と結論したところで、そこにどんな重さをも感じないのは当然であろう。
 しかしここで確認しておかねばならないのは、青年が「外」の現実であれ「内面」の心理であれ、〈現在〉というものに対して極めて冷淡な姿勢をとっていること、そしてこの姿勢が語り手にも共通していることである。語り手は、自身の〈現在〉についてほとんど叙述しようとはしないのである。
 青年の軽薄さや短絡さは、その後「自殺はいくら稽古しても上手にならない」「自殺が急に出来なければ自滅する」「生家に居ては自滅しやうがない」「どうしても逃亡が必要」と次々に変心していく過程でも貫かれており、青年の性格の、あるいは人間の一種の〈軽さ〉を決定づけている。そして『坑夫』を読む場合に重要になるのは、この〈軽さ〉が否定的なものとして、あるいは乗り越えられるべきものとして設定されているのではなく、むしろそれこそが必然的、現実的なものとして積極的に肯定されるべく存在しているという点である。
 「中を行く男」にふさわしいこの〈軽さ〉については、「昔」を語る語り手となった「今」も事情は変わってはいない。変わったとすれば、その自覚においてであろう。未だ「片付かない」男としての自覚があるからこそ、〈軽さ〉を抱えながら、しかし禁欲的に彼は〈現在〉を語らず「過去」だけを語るのである。

逃亡をしても此関係を忘れる事は出来まいとも考へた。又忘れる事が出来るだらうとも考へた。要するに、して見なければ分らないと考へた。たとひ煩悶が逃亡に附き纏つて来るにしても夫は自分の事である。あとに残つた人は自分の逃亡の為に助かるに違ひないと考へた。のみならず逃亡をしたつて、何時迄も逃亡ちてゐる訳ぢやない。急に自滅がしにくいから、まづ其一着として逃亡ちて見るんである。だから逃亡ちて見ても矢張り過去に追はれて苦しい様なら、其の時徐に自滅の計を廻らしても遅くはない。それでも駄目と極まれば其時こそ屹度自殺して見せる。

 追いかけてくるはずの「過去」は、しかし叙述されない。語り手は「過去」を選択する。『坑夫』には「過去」から逃げようとする当時の青年がいて、「過去」と向かい合おうとする〈現在〉の語り手がいる。『坑夫』が問題にする「過去」とは、青年を追いかけてくる三角関係がらみの「過去」ではなく、その結果として青年が嘗めることになる坑夫体験という「過去」である。この二つの「過去」は単に別個のものというだけでなく、全く種類の異なる「過去」である(この点は後に見る)。おそらく語り手は「過去」から逃れられないことを知っている。しかし青年が単に「過去」から逃れるためだけでなく、「中を行く男」でなくなることを恐れて「逃亡」した、その初志を貫徹しようとするかのように、語り手は自分の「過去」の一部には向かい合いつつ、一部には背を向けようとする。この意味でも語り手は「中を行く男」なのである。
 以下では、「過去」と向かい合う姿勢もまた「中を行く」ことにならざるを得ない語り手の事情について、彼の「理論」とその「実践」という観点から詳しく見てみたい。 

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  五 「潜伏者」に対する認識と「過去」を語る倫理

 語り手の持つ「一つの理論」、すなわち〈潜伏者の理論〉を見ておこう。

病気に潜伏期がある如く、吾々の思想や、感情にも潜伏期がある。此の潜伏期の間には自分で其の思想を有ちながら、其の感情に制せられながら、ちつとも自覚しない。又此の思想や感情が外界の因縁で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯其の思想や感情の支配を受けながら、自分は決してそんな影響を蒙つた覚がないと主張する。(中略)自分が前に云つた少女に苦しめられたのも、元はと云へば、矢つ張り此の潜伏者を自覚し得なかつたからである。此の正体の知れないものが、少しも自分の心を冒さない先に、劇薬でも注射して、悉く殺し尽くす事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだらうに。

 この「理論」によって語り手が「潜伏者」を扱うのには、次の三つのレヴェルがある。
 一つはそれが「虚栄心」「娑婆気」「芝居気」などとして、その正体がはっきりと名指される場合である。たとえば青年が赤毛布と自分を比較して「心底から、此の若い男は自分と同じ人間だ」と気づいたとき、「こんなものか」と「興を醒まして」しまうのは「虚栄心」のためであり「人間の虚栄心はどこ迄も抜けない」と評言される場面。あるいは坑内八番坑の「どん底」で「死を転じて活に帰す経験」をした後に、梯子を上る途中で今度は逆に「活上より死に入る作用」によって「死んじまへ」と「手を離しかけた時」のことである。「今迄浮気に自殺を計画した時は、いつでも花々しく遣つて見せたい」「人が賞めてくれる様に死んで見度いと考へてゐた」「どうしても便所や物置で首を縊るのは下等だと断念してゐた。其虚栄心が、此の際突然首を出した」とされる場面などに見られる。
 二つ目は「潜伏者」が関わっているらしいものとして取り上げられるが、「虚栄心」のようにはっきりとは名指されない場合である。たとえば鉱山へと向かう汽車の中で「自分の隣りに腫物だらけの、腐爛目の、痘痕のある男」が乗り込んできたとき、青年が「急に心持が悪くなつて席を移」す場面では、「矢張り醜ないものゝ傍へは寄りつき度くなかつた」と説明される。これも一種の「虚栄心」と考えられなくもないが、語り手はそれを「虚栄心」と名指しては呼ばないし、別の名で呼んだりもしていない。語り手はその青年の態度について「それなら万事かう几帳面に段落を附けるかと思ふと、さうでないから困る」と、同じように「醜ない」はずの長蔵や茶店のかみさんに対したときとは異なることを取り上げ、その矛盾を指摘しつつ、しかしそれ以上の追及は避けているのである。 
 三つ目のレヴェルは、「解剖」そのものを放棄している場合である。語り手は、青年が坑夫になることを決意する場面で、すでに「元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だつて、斯うだとは云ひ切れない。況して過去の事になると自分も人も区別はありやしない。凡てがだらうに変化して仕舞ふ。無責任だと云はれるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきも危しい所はいつでも此の式で行く積りだ」と宣言してもいるのである。
 こうした語り手の「潜伏者」の扱い方の三つのレヴェルは、素材としての「過去」の取り上げ方としては、次のような形で対応することになる。
一、解剖・批判のできる(「潜伏者」を名指せる)素材としてそれを取り上げる。
二、解剖・批判はできない(「潜伏者」を名指せない)が素材として取り上げる。
三、解剖・批判ができないので素材としては取り上げない。
 たとえば、語り手はこう語っている。

 自分は自分の生活中尤も色彩の多い当時の冒険を暇さへあれば考へ出して見る癖がある。考へ出す度に、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮つて、縦横十文字に自分の心緒を切りさいなんで見るが、其の結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔しだから忘れちまつたんだ抔と云つては不可ない。此の位切実な経験は自分の生涯中に二度とありやしない。二十以下の無分別から出た無茶だから、其の筋道が入り乱れて要領を得んのだと評しては猶不可ない。経験の当時こそ入り乱れて滅多矢鱈に盲動するが、其の盲動に立ち至る迄の経過は、落ち着いた今日の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。

 叙述は一見矛盾しているようにも見えるが、それは「分かる/分からない」とするその対象が途中で別のものに変わっているためである。しかし語り手がここで、「過去」一般としての、「要するに分らない」ものとしての「過去」(先の第二、三のレヴェルに関わるもの)があるということ、そしてそれとは別のレヴェルで、その「経過」が解剖され批判されてそこに潜んでいた「潜伏者」をはっきりそれと名指すことができるような「過去」(第一のレヴェルに関わるもの)があるということを語っていることは確認できる。
 『坑夫』の語り手の「過去」に対する三様の態度を押さえたうえで、もう一度青年の三角関係に関わる「過去」の問題を振り返ってみることにしたい。これは、先に見た素材としての「過去」の取り上げ方でいえば、第二、第三のレヴェルに関わるものであるが、『坑夫』が取り上げずに捨ておいた、あるいは取り上げはしても「解剖」の放棄されたままであるこの「過去」に特にこだわるのは、この問題が語り手の〈現在〉とどう関わるかによって、この作品が抱え込む問題の質や広がりに大きな違いが出てくると思われるからである。「過去一年間の大きな記憶が、悲劇の夢の様に、朦朧と一団の妖氛となつて、虚空遥に際限もなく立て罩めてる様な心持ちであつた」とされる青年のこの「過去」は、彼を「暗い方へ」「人の居ない所」へとひたすらに歩ませた元凶であり、「生涯片付かない不安の中を」歩み行く男として決定づけた当のものである。「中を行く男」がそうであり続けるのは、この「過去」によるのであり、語り手が今なお「中を行く男」であるかぎり、この「過去」は彼の〈現在〉の問題であるはずだからである。この「過去」は、第一のレヴェルの「潜伏者」の正体を明かし得たよう な「過去」と同列に扱うことはできない。また、この「過去」こそがその原因である以上、「中を行く」問題一般としてこれを取り扱うこともできないのである。

遉に親の名前や過去の歴史はいくら棄鉢になつても長蔵さんには話し度くなかつた。長蔵さん許りぢやない、凡ての人間に話し度くなかつた。凡ての人間は愚か、自分にさへ出来る事なら語り度くない程情ない心持でひよろひよろしてゐた。(中略)本当を云ふと、当時の自分はまだ嘘を突く事を能く練習して居なかつたし、胡摩化すと云ふ事は大変な悪事の様に考へてゐたんだから、聞かれたら定めし困つたらうと思ふ。

 安さんが「今でも腹ん中にある」という「昔」、「ある女と親しくなつて」「それが基で容易ならん罪を犯した」という「過去」と比べると、青年の「過去」には大した「罪」らしきものもなく、飯場で南京虫に刺されて泣きながら「艶子さんよりも澄江さんよりも、家の六畳の間が恋しく」思えてしまうといった姿にいたっては、いかにも青年らしい浮ついた問題に過ぎないもののようでもある。しかし、それはあくまで当時の青年にとっての「過去」であり、「一二年前から一昨日迄持ち越した現在に等しい過去」なのである。
 「君はどうだ」と安さんから質問されて「用意の返事を持ち合せなかつたから、はつと思つた」青年は、すぐにも「自分の心事を」「打ち明けて仕舞はうかと思つた。すると相手は、さも打ち明けさせまいと自分を遮る如くに、話の続きを始め」るのである。このことは、語り手が今もなお彼の三角関係に関する「経験」を語らないでいることが、語り手の〈現在〉のうちに、語り得ない「潜伏者」としてそれが抱え込まれていることを暗示しているように思われる。
 語り手自身は、このことに関して「そつくり其の侭書き立てたら、大分面白い続きものが出来るんだが、そんな筆もなし時もないから、まあ已めにして」と言い訳している。語り得る(解剖・批判が可能な)ものについては「人に解る様に」語る。語り得ない(「小説」になりそうな)ものについては沈黙する。こうした語り手の〈語りの理論〉は、解剖・批判がきちんと出来れば自身の「過去」を「小説」としてではなく、「事実」として語り得るという確信(たとえそのようにして「事実」だけで出来上がったものが「小説」とは呼ばれなくても、そんな小説作品があってもよいというメタレヴェルの主張が含まれている)が、その前提としてある。この「理論」に従って解釈すれば、彼のいわゆる三角関係に関する「過去」については、それを「事実」として叙述できそうになく「小説」になりそうなので割愛した、ということになる。三角関係の「過去」は語り手の「意識の表面に出て」きてはいる。が、彼の「頭脳」は〈現在〉未だそれを解剖し批判し得るほどに「落ち着い」てはいない、と考えることが出来るのである。
 しかし、語り手が〈潜伏者の理論〉を持ち合わせている以上、それが彼の〈現在〉を脅かすものとして自覚されているかどうかはともかくとしても、少なくとも彼は「潜伏者」としてそれを抱え込んでいることもまた「事実」なのである。
 『坑夫』の矛盾は、語り手が〈潜伏者の理論〉を持ち合わせながら、したがって当然「潜伏者」として扱われてしかるべきはずの、この生きられている「事実」の問題が、もう一つの〈語りの理論〉のために、彼の〈現在〉の問題としてはどこにも位置づけられずに切り捨てられていること、それに対して、取り上げられている坑夫体験が、語り手の〈現在〉や未来に影響を及ぼす「潜伏者」としてではなく、彼がすでに「公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去」った、いわば死んだ「事実」として、その多くが並べられてしまっているところにある。そしてこの観点から見れば、彼の語りの〈軽さ〉も、この死んだ「事実」を生きているらしく見せかける装置として機能しているとさえ言い得るのである。いずれにせよ矛盾は、語り手が〈語りの理論〉と〈潜伏者の理論〉の二つの「理論」を併せ持つこと、そしてそれらの「理論」の「中を行く」「合の子」としてしか現実化できないところからきているのである。
 こうした論者の言説は、人間とはそのように矛盾した存在であり、人間の拵えたものはまたそのように矛盾しているものである、とするこの作品の語り手自身の言葉によって、あらかじめ封じられているともいえるのだが、『坑夫』に不満を感じるとすれば、その原因の一つがここにあることは間違いがない。それは、彼が人間として成長している/いないといった問題とは別の、彼の「理論」上の問題である。その〈語りの理論〉上、語り手は自身がそれから「逃亡」している当のものについては解剖を放棄し、「逃亡」しなくてすむ「過去」にのみ向かい合うことになるからである。

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   おわりに あるいは半身の逃亡者

 語り手は、青年の当時と比べて真に変化したといえるのだろうか。「本当に煩悶を忘れる為には、本当に死なゝくつては駄目だ」が、「正直に理想を云ふと、死んだり生きたり互違にするのが一番よろしい」「其の時は正直にこんな馬鹿気た感じが起つた」。生死を自らの意志によって選択すること。そして〈生〉と〈死〉との間を自由に往還すること。「こんな常識をはづれた希望を、真面目に抱かねばならぬ程、其の当時の自分は情ない境遇に居つた」と語り手は嘆いてみせる。
 だが、人間ではなく「境遇」を問題にするのであれば、〈現在〉の境遇が当時と同じようなものになれば、今でも同じことを「理想」にしかねないのではないか。「昔し神妙なものが、今横着になる位だから、今の横着がいつ何時又神妙にならんとは限らない」という語り手は、山越えの場面でもまた次のように述べているのである。

生きながら葬られると云ふのは全く此の事である。それが、その時の自分には唯一の理想であつた。だから此の雲は全く難有い。難有いといふ感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほつと一息した。今考へると何が安心だか分りやしない。全くの気違だと云はれても仕方がない。仕方がないが、斯う云ふ自分が、時と場合によれば、翌が日にも、亦雲が恋しくならんとも限らない。それを思ふと何だか変だ。吾が身で吾が身が保証出来ない様な、又吾が身が吾が身でない様な気持がする。

 「解剖」と「批判」の「能力」は、たしかに青年当時とは比べものにならぬ。しかし、語り手に与えられた「時間」が、仮に彼の「能力」を保証するとしても、この「内省」の力は限られた「過去」を捌く=裁く力であって、〈現在〉の自己に対しては無力なのである。つまり、語り手が「経験の賜」として手にしているはずの「能力」は、実は彼の〈現在〉と切り離されている。彼の将来を左右することがない。この「内省」は彼を本質的に変えることがないのである。なるほど現実の経験によって内省力は育まれる。だが「内省」は現実を動かしはしない。彼の〈現在〉を判断する具体的な生活なり行為なりを欠いたまま、その語る立場だけが「余裕」あるものとしていくら強調されても、それだけで人間の「変化」を説得することには無理がある。読者がこの語り手に本質的な変化や成長を認めることができないのはこうした事情によっている。
 ここで人間の変化を決定しているのは、「解剖」や「批判」によって得られる認識やその深化ではなく、むしろ「境遇」であり「時と場合」であり、要するに一個の人間を超えたものなのである。「潜伏者」も基本的にはこの人知を超えた「神秘」や「運命」の圏域にあり、したがってその機能は説明されても、その機構については十分に問われることがなく、「劇薬でも注射して、悉く殺し尽くす事が出来たなら」と半ば放棄される他にない。こうして「人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸」については手つかずのまま、ただ「気の毒」として放置されることになる。語り手にできるのはただ、自分の「過去」を「乳臭い、気取つた、偽りの多いもの」とならぬように、「面白い続きもの」にしないように、つまりは「小説」にならぬように、「事実」として叙述することだけなのである。
 語り手は、自分の叙述についてこう語っている。

纏まりのつかない事実を事実の侭に記す丈である。小説の様に拵へたものぢやないから、小説の様に面白くはない。其の代り小説よりも神秘的である。凡て運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思つてゐる。

 「自然の事実」は「運命」に「脚色」される。「運命」は「坊つちやん」を「突然宙に釣るして」「人間の一大事たる死と云ふ実際と、人間の獣類たる坑夫の住んでゐるシキ」との「二つの間に置いた」。そして重要なことは、「坊つちやん」は、それを振り返って語る今も「宙に釣る」されたままである、という点である。「事実」がもたらす「神秘」とは、この〈宙づり〉のことでなくて何であろう。「小説」は「坊つちやん」に「纏まり」をつけようとし、決して〈宙づり〉のままにはおくまい。彼の経験と「時間」に見合った見識や人格をあたえるであろう。だが『坑夫』は、彼にそうした意味での成熟を許さない。語り手は「時間」を与えられ、それによって彼は過去を回顧し叙述することが可能になった。しかしそのことは、彼の〈現在〉を生きるのに適当で安全な位置が約束されたということを些かも意味しない。そして依然「坊つちやん」のままであるしかない彼は、叙述することそのことによって成長するわけでもないのであるL。
 〈宙づり〉にされた場、語り手となった今も男がそこにい、い続けようとするこの場、それこそが、かの青年坑夫がそこへと「逃亡」しようとした「中を行く」世界に他ならない。「片付かない」ということを、その身に引き受け得る「余裕」が試され続ける場の〈現在〉において、語り手の「余裕」はすでにあるものではなく、彼の課題としてあるのである。そしておそらく、追いかけてくる「過去」に対して半身で構えつつ「逃亡」せざるを得ない語り手が見せる語り口の〈軽さ〉は、「余裕」という課題に対する彼なりの前向きの姿勢の現れの一つでもあるのである。

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@ この点については、小宮豊隆「『坑夫』」(『夏目漱石』(下)岩波文庫)に詳しい。

A 比較的最近では、たとえば青柳達雄「漱石『坑夫』の材源」(「言語と文芸」一○○、一九八六・一二)が、素材と作品の異同を論じ、作者の青春期の「実生活」と照らし合わせつつ、『坑夫』のむしろ虚構性を指摘している。

B 小宮豊隆「『虞美人草』『坑夫』解説」(『漱石全集』第三巻、岩波書店、一九六 六・二) ここで小宮氏は、『虞美人草』に比べて「人間の心の動きそのものに対する漱石の関心の深さは」「一層明瞭に現はれる」と指摘している。なお氏自身は「精神分析」という語を使用している。 
  また氏は「『坑夫』建築の三大支柱」として、一つはいわゆる「無性格論」の展開、「他の一つは、云ふまでもなく、私の指摘」、「今一つは、それとは反対の、私を離れた、真面目、親切、誠実−−愛の強調」を取りあげているが、この三つ目の「柱」については後出Eによって反駁されている。

C 「内面」を「心理」ではなく、「意識」の観点から捉え、『坑夫』に〈意識の流れ〉を見ようとしたのは、中村真一郎「『意識の流れ』小説の伝統」(『文学の魅力』、東京大学出版会、一九五三・五所収)である。中村氏の指摘以後、ウィリアム・ジェームズから影響を受けた〈意識の流れ〉小説の範型あるいは祖形としてこの作品を評価しようとする見方は、『坑夫』研究に一つの流れを生み出してきた。

D たとえば平岡敏夫氏「『虞美人草』から『坑夫』『三四郎』へ−低徊趣味と推移趣味−」(『漱石序説』、塙書房、一九七六・一○所収)は、『文芸の哲学的基礎』(明治四○、五〜六)や『坑夫』執筆直後の『『坑夫』の作意と自然派伝奇派の交渉』(同四一、四)などを参照しつつ、「事件の其物の真相」に迫る方法として「推移趣味」よりは「D徊趣味」に沿った作品であること、これを個人内部の「意識の連続」の視点から成し得たこと、そのために従来のこの作者の作品の特徴であった文明批評的側面は幾分か薄められたことを指摘し、前作『虞美人草』から次作『三四郎』へとつなぐこの作品の位置づけをしている。

E たとえば佐藤泰正氏「『坑夫』−〈意識の流れ〉の試み−」(『夏目漱石論』、筑摩書房、一九八六・一一所収)は、「回想という手法は単に事柄の分析、あるいは夢幻の情趣の点綴という効果のみに終るものではなかったはずだ」とし、「『片付かぬ不安』『半陰半晴の姿』という言葉には」「作者自身の青春彷徨の影がひめられてはいないか」という視点から、その「実生活」上の「内面の機微」の反映を『坑夫』にさぐる試みを展開している。

F たとえば佐々木雅發氏「『坑夫』論−彷徨の意味−」(『作品論夏目漱石』、双文社出版、一九七六・九所収)は、「〈自殺=死〉は可能なのか」という問題が『坑夫』の「隠されて見えない真の主題」であるとし、「〈人間〉の〈死〉に対する本源的な受動性」のために「いわば彼は、希望する〈死〉を死ねず、死んだとしても、たゞ曖昧な〈死〉を死ぬしかないのだ」と指摘している。私には、『坑夫』の問題は「自殺が可能か否か」よりは、「人間が真に変化するのかどうか」あるいは「人は自分の意志や自己の認識の深化によって本当に変化することができるのかどうか」という問いの方に力点が置かれているように思える。そしてその答はどうやら否であるらしいのである。その点では、むしろ氏の指摘する「『娑婆気』と『芝居気』に執しつゝ、むしろますます多くの〈生〉を抱えながら生きるしかない」という言葉に注目したい。この諦念の深さが、語り手においては当時の青年よりはずっと徹底していて、語り手の諧謔もそこから来るものとも考えられるからである。

G たとえば丹羽章氏「『坑夫』の世界」(「四国学院大学論集」七○、一九八八・一二)は、「帰京する青年には、最早『此の先どうなるか分らない』自己自身というものから、逃走する事も、あるいはそれを回避し、保留する事も、本来かなわぬものである事だけは確認されていた筈である。自己というものが自己自身にとってさえ遂に謎でしかありえぬものならば、人はその『正体の知れない』自己を生きる他に術はない。どうしようもなく罪を犯してしまう人間というものを、生き抜く他はないのである。」と指摘している。 
  「筈である」以前の部分については丹羽氏も青年の認識であることを認めている。私が問題にしたいのは「他に術はない」「他はない」とされる後半部分である。これが誰の認識であり覚悟であるのかがはっきりしない。前半部分と後半部分との間には実に大きな距離がある。これがすでに青年のものなら、語り手の出てくる余地はない。またこれが語り手のものならば、では彼はそれを得るにふさわしい叙述を展開しているかが問題となる。何より語り手の〈現在〉が問題となるのである。丹羽氏自身はこれを「漱石文芸の重要な主題となる事柄」とし、「作品『坑夫』はまさにその事に向って一歩踏み出さんとした作品」と評価しているが、ここでは「作者」の認識を問う前に、あくまでも語り手とその認識にこだわってみたい。『坑夫』では、語り手が直接自分の「過去」を扱い、その取捨選択から解剖分析までをする形をとっているからである。

H 丹羽章 前掲Gに同じ。

I 森田草平「『虞美人草』と『坑夫』」(『夏目漱石』(一)講談社学術文庫 )

J 小宮豊隆 前掲Bに同じ。

K たとえば「坑夫と云へば名前の示す如く、坑の中で、日の目を見ない家業である。娑婆に居ながら、娑婆から下へ潜り込んで、暗い所で、鉱塊土塊を相手に、浮世の声を聞かないで済む。定めて陰気だらう。そこが今の自分には何よりだ。世の中に人間はごてごてゐるが、自分程坑夫に適したものは決してないに違ない。坑夫は自分に取つて天職である。−−とここ迄明瞭には無論考へなかつたが、‥‥」など。

L 語り手の非成熟を否定的に見る見方は、この語り手に教養小説的な成長を期待してみたり、彼の語りをいわゆる自然主義的な告白として読もうとする姿勢から生まれるのではないか。ここではむしろ、人間が真に変化することなどありえないのではないか、という疑問と背中合わせの形で「余裕」なる言葉が使用されているのだと考えたい。語り手の叙述として現れた言葉の表面では、人間が「不変体」でないことを強調しているように見えるが、同時に一方でその「不変」を肯定する表現が成立している。つまり、人間は変わる、変わる、といいながら、それを語るその語り口によって、反対のこと、すなわち人間は変わらないものだということを主張しているようにも読めるからである。 
  語り手の「余裕」を認めなければ、過去を冷静に解剖・批判しつつ報告することはできない。したがってこの「余裕」は作業仮説的に「作者」によって導入されたものである。そして人間の変化の鍵を持つのは人間を超えたものであり、人は自分の認識や意志によって真に変化したり成長したりすることはできない、という認識が「作者」のものでもあるとすれば、否定されるべく仮に認められた語り手の「余裕」とは「作者」のアイロニーに他ならない、ということにもなろう。「中を行く」べく定められた自己の宿命を自覚しつつ、なおその自身を笑い飛ばそうとする〈軽さ〉の源泉として見るならば、「余裕」は語り手の精一杯のユーモアともとれる。しかしいずれにせよ、語り手は自身の語り得る「過去」についてのみ「余裕」を持って語るのであり、語り得ぬものについては沈黙せざるを得ないのである。「潜伏者」というものがあるという認識は「余裕」とはなり得ない。「潜伏者」に対して「余裕」を持つことは原理的に不可能だからである。

 本文の引用は岩波新書版全集による。ただし原則として新字体を用い、振り仮名は必要なものに限った。

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