夏 目 漱 石 『 道 草 』 小 論

A Consideration on Natsume Soseki's Michikusa


 武 田 充 啓


章立て

 一 はじめに

  二 「過去」と「現在」、あるいは「社会」の規範と「個人」の正しさ

  三 「社会」と「神といふ言葉」、あるいは〈身代わり〉と〈死に遅れ〉

  四 「夫婦」と「仲裁者としての自然」、あるいは「過去」と「技巧」

  五 健三と〈内的時間〉、あるいは存在と倫理

  六 「神」と「自然」、あるいは「道草」と漱石

  七 おわりに



  一 はじめに

 『硝子戸の中』(大正四年一−二月)で、漱石は自身の過去を次のように振り返っている。

聖オーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、−−それをいくら辿つて行つても、本当の事実は人間の力で叙述出来る筈がないと誰かゞ云つた事がある。况して私の書いたものは懺悔ではない。私の罪は、−−もしそれを罪と云ひ得るならば、−−頗ぶる明るい処からばかり写されてゐただらう。其所に或人は一種の不快を感ずるかも知れない。然し私自身は今其不快の上に跨がつて、一般の人類をひろく見渡しながら微笑してゐるのである。今迄詰まらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、恰もそれが他人であつたかの感を抱きつゝ、矢張り微笑してゐるのである。

 このとき、漱石が「跨がつて」いると思えたその場所が、いかなる場所であったかについて、想いを巡らしてみるのも無駄ではあるまい。『道草』(大正四年六−九月)を前に、彼は「跨がつて」立っているつもりの、その場所を確かめるためにも、そこから帰って来なければならなかったからである。
 「一般の人類」と「自分」との間に架け渡された橋の上にでもいるかのように、「過去」を遠く他人事のように「見渡して」みせる漱石の「微笑」は、天上と地上とを自由に往還する術を身につけた証であるかにみえる。しかし、同じ「微笑」は、二度と漱石の面を覆うことはなかったのである。
 『道草』を書き終えた『點頭録』(大正五年一月)では、漱石は「近頃の私は時々たゞの無として自分の過去を観ずる」といい、「過去は一の仮象に過ぎない」とする一方で、「これと同時に、現在の我が天地を蔽ひ」「一挙手一投足の末に至る迄此『我』が認識しつゝ絶えず過去へ繰越してゐるという動かしがたい真境」からいえば、「過去」は「炳乎として明らかに刻下の我を照らしつゝある探照燈」でもあるとし、自らの「過去」が、「無に等しい」ものとしての「過去」と「探照燈」としての「過去」との、「一体二様」として存在していることをいっている。
 『硝子戸の中』の漱石の「微笑」は、おそらくこの「探照燈」としての「過去」に襲われ、その下で閉ざされたのである。
 ところで、周知のように『道草』の冒頭には、「健三が遠い所から帰つて来て−−」とある。この「遠い所」が「倫敦」とはっきり名指されるのが五十三章における一度きりであり、「異国」「遠い国」といった、その輪郭を曖昧にした用いられ方が、評家による様々な象徴的解釈を誘うのである。
 たとえば越智治雄は、「遠い所」が《熊本(三十五)についても使用されている》ように、多義的な意味を持つことを指摘しつつ、それはむしろ《漱石が修善寺の三十分の死を通じて遠い時空のあわいからまさに帰って来たことをこそ想起するほうがよい》とし、《存在の深い淵にただ一人で立った男》、その《漱石がいまあらためて遠い所からの還路をたどろうとしている》のだといっている@。
 また「帰つて来」たという言葉については、たとえば江藤淳が、『道草』は《英国という都会から日本の東京という田舎に帰って来た人間の幻滅》を主題とする小説であるとし、《田舎から出て来た人間の自己実現の欲望を中心にして書かれる》私小説と区別して、それが非私小説であることを強調しているA。
 評家は、「遠い所」や「帰つて来」たという言葉から始めて、たとえば存在論的視点によるアプローチを試み、あるいはエゴイズムの否定の過程を辿ろうとするのだが、健三は、そして漱石は、一体何のためにそこから「帰つて来」たのか、という問いに対する答えは、ほぼ一致しているのである。
 佐藤泰正が諸家の言を要約してみせた簡明な言葉を借りれば、それは、「この日常的現実という相対の場における作家としての自己発見(あるいは自己確認)」Bをするため、ということになる。小論においても、この『道草』の主題把握から自由であるわけではない。
 ただし、「作家としての自己発見(あるいは自己確認)」という場合、桶谷秀昭のように、漱石が健三という人物をまさに「現在」の自己自身の課題として生きてみせる過程において、自己相対化からさらに一歩進んで、《絶対の「根拠」》《「徹底即妥協」、「絶対即相対」》を目指したとする見解Cのあることも付け加えておかねばならない。
 そこで、まさに《『道草』の思想を解くキイ・ワードは》(桶谷)何か、という問題において、桶谷氏と佐藤氏の見解は、それぞれ「自然」という言葉と「神」という言葉とに対立しているのであるが、ここでは、両氏の見解を最終章において確かめるべく、先に見た「自己発見」の主題を私なりに再確認する形で、小論をすすめていきたいと考えている。

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  二 「過去」と「現在」、あるいは「社会」の規範と「個人」の正しさ

 『道草』という小説は、健三が「帽子を被らない男」(二)と遭遇することから始まる。私たちがその冒頭から立ち会うことになるのは、「過去」という不可思議な生き物が、「現在」を呑み込もうとする瞬間である。
 まもなく健三は、男と二度目の遭遇をする。もはや偶然ではあり得ない。男の再度の出現は「とても是丈では済むまい」(同)と健三に不快な確信を強いる。しかし、健三がそう考えたときすでに、彼が今給費で留学を終えたばかりのエリートであるという事実の確かさ、「異様の熱塊」(三)を抱えて邁進してきた学者としての生活の確実さ、つまりは自身の「現在」を失っているのである。「何の為に生きてゐるのか殆ど意義の認めやうのない此年寄」(八十九)、この島田と呼ばれる男のかつては養子であったという事実だけが、にわかに確かなものとなる。そしてこれを契機にして、健三を取り巻く「日常」は、まさしく「現実」性を帯びて彼に迫ってくることになるのである。
 では「日常的現実」とは、具体的にはどういうものをいうのか。妻は生活費の不足を訴え、姉は小遣いを要求し、今では縁も切れたはずの昔の養父が無心にやってくる。要するにそういうことだ。夫を理解しない妻お住、「わざとらしい仰山な表情をしたがる」(七)姉御夏、「何か出来さうなもの」(三十四)の何一つしようとしない兄長太郎、やはり無心に現れる昔の養母お常、体面を繕うために金を必要としている妻の父親、そうした「周囲のもの」(三十三)たちが、彼らなりの「論理」で生きている世界のことだ。
 「遠い所」から「帰つて来」た健三に、それがどうして「実質」の伴ったものにみえようか。お住はいう。

「傍から見れば馬鹿々々しいやうですけれども、其中に入ると、矢つ張り仕方がないんでせう」(八十六)

 これほど眩しい言葉を素直に受け入れるには、健三の「牢獄生活」は長きに過ぎたといえようか。だが、一体誰が「傍から見」ることを許されるというのか。誰もが「其中」でしか生きられないとすればだ。

過去の牢獄生活の上に現在の自分を築き上げた彼は、其現在の自分の上に是非共未来の自分を築き上げねばならなかつた。それが彼の方針であつた。さうして彼から見ると正しい方針に違ひなかつた。(二十九)

 健三の「現在」を支えているかに見えた「教育」や「学問」は、「周囲のもの」たちの無理解、彼らなりの「論理」によって無化される。彼らには、健三の「学問」は「金」をもたらす道具、「技巧」に過ぎぬものであり、また是非そうでなくてはならないのである。したがって健三にとって、「過去」に抗う「現在」は、「正しい方針」であり、これのみなのである。
 たとえば、島田の代理人が訪ねて来る場面(十一)で、健三は「会つても好い」という。「厭だけれども正しい方法だから仕方がないのだと考へた」からである。「海にも住め」ず「山にも居られ」なかった(九十一)彼があえて選ばざるを得なかった〈場所〉、しかし、もはやその「牢獄」にさえ篭ることが許されず、「金」と「技巧」の「過去」から逃れることができないのだとすれば、健三には、「遠い所」、その「牢獄」の中で「異様の熱塊」をもって手に入れたはずの〈正しさ〉だけが、「過去」に抗い得る唯一つの武器なのだ。
 むろん健三は、無心にくる島田に「金」を遣ることが「正しい方法」だと考えているわけではない。そういう形でしか〈正しさ〉があり得ないような自分と島田の「関係」にむしろ苛立っているといってよい。健三は「世話になつた」「事実」に「義理」で応えているのではない。「現在」の自己を確認するために、またその「異様の熱塊」を無意味なものにしないために、〈正しく〉あろうとしているのである。だから、島田の問題に一応の決着を見ることになっても、「片付いちやつた」(百二)とする「周囲のもの」たちとは別に、「彼には遣らないでもいゝ百円を好意的に遣つたのだといふ気ばかり強く起つた。面倒を避けるために金の力を藉りたとは何うしても思へなかつた」(同)のである。
 さて、こうして読まれてくれば、先にみた主題を踏まえて次のようにいうことができよう。『道草』とは、健三の「異様の熱塊」が「日常的現実という相対の場に」おいて、「異様の熱塊」自身を確認する物語である、と。
 「異様の熱塊」が、他者との間に共在している時間においてではなく、彼の個的な、いわば内的な時間において生きられているものであることは明らかであろう。そして、それはそのかぎりで、健三にとっては「自然」に育まれたものなのである。「日常」が健三にとって「過去」そのものであるとすれば、つまり、健三は「過去」という生き物に対して、「異様の熱塊」を生みまたそれを通して個 的に引き受けてきた〈内的時間〉の固有性をもって、そしてその〈内在的自然〉(−外的規範(あるいは倫理)に対峙する裡なる本然のもの、その倫理の基底とも、核とも言いうるもの、またその気質・性癖ともつながるもの−(佐藤))の倫理性をもって対抗しているのである。
 お住とのやりとりに代表されるように、健三に〈対話〉がないのは、彼が〈共在的時間〉よりもその〈内的時間〉を、外的規範よりも自己の〈内在的自然〉の〈正しさ〉を重視しているからであり、それを共有しない相手に〈他者〉を認めようとしないからである。 したがって、いま一度換言すれば、『道草』とは、健三の〈内的時間〉の固有性と〈内在的自然〉の倫理性が、「過去」を契機として自己検証される物語といってよいのである。
 つづいて私たちは、この自己検証がどのように展開されるのかを、「社会」、「夫婦」、「個人」のそれぞれの視点から見ることにしよう。

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  三 「社会」と「神といふ言葉」、あるいは〈身代り〉と〈死に遅れ〉

其時健三の眼に映じた此老人は正しく過去の幽霊であつた。また現在の人間でもあつた。それから薄暗い未来の影にも相違なかつた。(四十六)

 「過去」という生き物は、「時間」という不可思議な現象を貫いて活動する。妻は「子供を生むたびに老けて行」(二十九)き、姉は「自然と末枯れて」(二十五)行く。そうした「周囲のもの」たちが生きる〈共在的時間〉の上で、「今の自分は何うして出来上がつたのだらう」(九十一)、「何の為に生きてゐるのか」(八十九)、「己自身は畢竟何うなるのだらう」(六十九)といった、健三の〈内的時間〉の問題はその解答を得ることがない。
 「過去」は、答えの代わりに「神といふ言葉」となって健三の〈内的時間〉に侵入する。

 「彼は斯うして老いた」
 島田の一生を煎じ詰めたやうな一句を眼の前に味はつた健三は、自分は果して何うして老ゆるのだらうかと考へた。彼は神といふ言葉が嫌いであつた。然し其時の彼の心にはたしかに神といふ言葉が出た。さうして、若し其神が神の眼で自分の一生を通して見たならば、此強欲な老人の一生と大した変りはないかも知れないといふ気が強くした。(四十八)

 健三は「事実の上に於て突然人間を平等に視」(六十七)る。「無教育な」(七)姉も「気の毒」(三十七)な兄も、そして「異様の熱塊」を抱えてはいるこの自分さえも、「徒らに老ゆるといふ結果より外に何物をも持ち来さない」(二十九)という意味では、誰もが同じ存在なのだ。

赤ん坊が何処かで一人生まれゝば、年寄が一人何処かで死ぬものだ(略)/「つまり身代りに誰かゞ死ななければならないのだ」(八十九)

 『道草』では、人々は一見〈身代り〉可能な「関係」を生きている。たとえば比田は妻御夏の〈身代り〉に「変な女に関係をつけて」(五)おり、その御夏にとっては養子の彦ちやんが死んだ実子作太郎の〈身代り〉である。島田はお常の〈身代り〉を求めてその「関係」を断ったのだし、お住はお縫の〈身代り〉となりかねない。健三が求めているのは「矢つ張姉のやうな亭主孝行な女」(七十)であり、また逆に、お住も「たゞ女房を大事にして呉れゝば」夫の〈身代り〉は「泥棒だらうが、詐欺師だらうが」「構はない」(七十七)。誰もが誰かの便宜的な〈身代り〉的存在なのである。
 しかし、「新しく生きたものを拵へ上げた」(八十五)ときに起こる問題、新しい世代の生死の問題となると、簡単に〈身代り〉は許されない。健三の兄長太郎は、喜代子という「彼の最も可愛がつてゐた惣領の娘」(三十四)を亡くしている。「結核で死んだ其子の生年月を口のうちで静かに読」(三十六)むことしかできず、その〈身代り〉が許されなかった長太郎は、「何かに付けて後ろを振り返り勝な」(三十七)、いわば〈死に遅れ〉を生きる人であり、語り手が彼を「過去の人」(同)と呼んでいるのには、その意味が含まれている。
 また、同じく子を亡くしている姉御夏にしても、養子が「飽き足りない」(六十八)のは、単にその稼ぎが少ないことからだけではないのである。「新しく」「拵へ上げた」ものは、その他の誰によっても、その〈身代り〉とすることはできないのである。そして、その胎内で子を亡くしたことのあるお住もまた、そのことにうすうす感づいてはいるのである(七十八)。
 健三にも「何時自分が兄と同じ境遇に陥らないものでもないといふ悲観的な哲 学があつた」(三十三)。それは社会的な地位や経済力だけを指しているのではない。

芭蕉に実が結ると翌年から其幹は枯れて仕舞ふ。竹も同じ事である。動物のうちには子を生む為に生きてゐるのか、死ぬ為に子を生むのか解らないものが幾何でもある。人間も緩慢ながらそれに準じた法則に矢ツ張支配されてゐる。(九十三)

 健三の〈内在的自然〉の内側では、「人類」や「世代」といった「観念」(八十九)が生きられており、そこでは自己の〈死に遅れ〉的存在性が予感されている。生物的「自然」過程においては、(したがって当然、心中を完遂するというような、あまりに人間的な行為を除けば)自他の〈死〉の選択が個体に許されていないという意味で、人は誰しも〈死に遅れ〉的存在であるしかないのである。 健三の〈生〉は、「神」(=〈超越的自然〉)の前では、誰とでも〈身代り〉可能な「小刀細工」(百一)のようなものとして、またその生物的「自然」過程においては、〈死に遅れ〉的存在として生きられている。
 注意しておきたいのは、健三の〈死に遅れ〉意識が、〈身代り〉を希望してそれが許されないという認識から来ているのではなく、〈身代り〉を拒否してそれが許されないという認識から来ている、という点である。これは、彼が実際にまだ子供を亡くしていないということより、本質的には、彼が抱く「異様の熱塊」のためであり、またその未熟(〈内的時間〉、〈内在的自然〉の未検証)のためなのである。そのために健三の〈死に遅れ〉意識は、実際には子供に対する苛立ちや不安となって現れている。それは彼が自分の子供たちを「化物」「肉塊」(八十一)「怪物」(九十三)として扱う態度に窺える。そして、そうした態度は「物品」「我楽多」「出来損なひ」(九十一)として自分を扱った実父の似姿以外のものではないのである。
 「神といふ言葉」によって、健三の〈内的時間〉の特権性(「教育」や「学問」による「誇りと満足」(一))は否定される。〈内的時間〉といえども、それが〈他者〉の〈内的時間〉と交感されず、誰とも共有されることがないかぎり、そもそもその固有性(「異様の熱塊」)からしてがあり得ないのだ。
 では、〈共在的時間〉の上で、〈身代り〉と〈死に遅れ〉を生きざるを得ない〈生〉には、「過去の人」々と手を携えて生きていくことしか許されていないの だろうか。健三は、その〈内的時間〉の扉を〈共在的時間〉へと開け放ち、その〈内在的自然〉に「周囲のもの」たちの規範を受け入れることになるのだろうか。

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  四 「夫婦」と「仲裁者としての自然」、あるいは「過去」と「技巧」

細君の読み上げる文章は、丸で旧幕時代の町人が町奉行か何かへ出す訴状のやうに聞えた。其口調に動かされた健三は、(中略)昔も思い合された。然し事実の興味が主として働きかけてゐる細君の方では丸で文体などに頓着しなかつた。(三十二)

 「過去」を「事実」としてのみ捉えるお住は、〈内的時間〉の「文体」に「引つ懸つて」いる健三を理解することはなく、またその逆も同じことである。これが彼らの基本的な〈隔たり〉である。この〈隔たり〉は、そこに「技巧」が加わるときに決定的なものとなる。着物や帯を質に入れる妻を見かねて、健三が勤めを増やして「家計の不足」を補おうとする、周知の場面を見よう。

 其時細君は別に嬉しい顔もしなかつた。然し若し夫が優しい言葉に添へて、それを渡して呉れたなら、屹度嬉しい顔をする事が出来たらうにと思つた。健三は又若し細君が嬉しさうにそれを受取つてくれたら優しい言葉も掛けられたらうにと考へた。それで物質的の要求に応ずべく工面された此金は、二人の間に存在する精神上の要求を充たす方便としては寧ろ失敗に帰してしまつた。 
 細君は其折の物足らなさを回復するために、二三日経つてから、健三に一反の反物を見せた。 
 「あなたの着物を拵へやうと思ふんですが、是は何うでせう」
 細君の顔は晴々しく輝いてゐた。然し健三の眼にはそれが下手な技巧を交へているやうに映つた。さうしてわざと彼女の愛嬌に誘われまいとした。細君は寒さうに席を立つた。(二十一)

 健三は、病的なまでに「技巧」を忌み嫌っている。「金」や「技巧」が、お住との「精神上の要求を充たす方便としては」「失敗に帰してしまつた」ことが、彼には、むしろ〈正しい〉ことなのである。夫婦の〈隔たり〉は、「金」や「下 手な技巧」によって埋められてはならない。それは何故か。 健三にとって「技巧」とは、島田やお常に刻み込まれた「過去」そのものだから、といえば足りるだろうか。「技巧」で生きて来たお常が、何故かその「技巧」を捨てた女として現れたときの健三の態度を見よう。

 遠慮、忘却、性質の変化、それ等のものを前に並べて考えて見ても、健三には少しも合点が行かなかつた。
 「そんな淡泊した女ぢやない」
 彼は腹の中で斯う云わなければ何うしても承知が出来なかつた。(六十四)

 むろん漱石はここで、誰が真に「執拗」であるのかを描いているのではない。誰もが「執拗」であるしかない「関係」をありのままに写しているのである。健三がどこまでも「執拗」なのは、「技巧」だけは見えなくなったとしても埋まることのないお常との〈隔たり〉が、彼にははっきり見えるからに他ならない。
 このとき健三は、お常と共有した「過去」の「事実」に苛立っているのではない。「世話になった」人に「嫌悪の情」(十三)を抱いてしまう、そんな〈内在的自然〉を育てた、自らの〈内的時間〉の「文体」に「引懸かつて」(九十七)いるのであり、また自分の「過去」をどうしようもなくそうであらせたもの、つまりここでいう「運命」(八十二)にこそ不可解さを感じ、なんとかそれに抗おうとしているのである。
 健三は「事実の上において突然人間を平等に視た」。しかし、「文体」の上においては決して「人間を平等に視」たりはしない。「金」や「技巧」は、他者との〈共在的時間〉が生む「事実」の〈隔たり〉を埋めることが出来るかも知れない。しかしそのことは、埋まり切らない〈隔たり〉が確実に存在することを知らしめるだけだ。それこそが、健三のいう「文体」の問題、すなわち自己の〈内的時間〉と他者の〈内的時間〉との〈隔たり〉、したがって自己の〈内在的自然〉と他者の〈内在的自然〉との〈隔たり〉であり、また個々の〈内在的自然〉と〈超越的自然〉との〈隔たり〉なのである。
 〈超越的自然〉の前で誰とでも交換可能な〈身代り〉的存在を生きねばならず、生物的「自然」過程において〈死に遅れ〉意識を生きざるを得ない健三が、〈他者〉と関わるときには常に「過去」と関わっている。このとき、健三に必要なのは、「過去」からは独立した形で〈他者〉と取り結び得る固有の「関係」なので ある。それは「現在」を生きるものでなくてはならない。健三にとって、その可能性はお住との間の他にない。だからその「関係」の中に〈隔たり〉があるとしても、そこに自分の暗い「過去」そのものともいえる「下手な技巧」が入り込むことには、健三は「我慢」出来ないのである。 お住は「実質」を要求する。

「単に夫といふ名前が付いてゐるからと云ふ丈の意味で、其人を尊敬しなくてはならないと強ひられても自分には出来ない。もし尊敬を受けたければ、受けられる丈の実質を有つた人間になつて自分の前に出て来るが好い。夫といふ肩書などは無くつても構はないから」(七十一)

 健三は「人格」を要求する。

「女だから馬鹿にするのではない。馬鹿だから馬鹿にするのだ、尊敬されたければ尊敬される丈の人格を拵へるがいゝ」(七十一)

 彼らは互いに「実質」や「人格」を求めている。しかし、彼らがここで用いている「尊敬」という同じ言葉にこそ注意しなければならない。その意味するものが異なっているからである。健三とお住の互いに対する要求が、微妙にそして確実にズレるのは、この一点である。
 「泥棒だらうが、詐欺師だらうが」「たゞ女房を大事にして呉れゝば、それで沢山」(七十七)だと、お住が云うとき、彼女は健三に対して社会的に通用する「実質」を望んでいるのでないことは明らかである。お住はただ、家族の一員としての「夫」という役割を「事実」において果たすこと、また「自分の前」で保つべき〈一人の男〉としての「実質」を要求しているのであり、そうした「事実」と「実質」さえあれば、その役者は誰とでも〈身代り〉可能なのである。
 対する健三にとつて、「尊敬」するされるということは、互いが互いにとって他の人間と〈身代り〉不可能な、ただ一人の相手として認める認められるということを意味している。健三はお住に対して、自分にとって〈身代り〉の利かない〈ただ一人の女〉であれ、といっているのである。
 男と女が互いの前でただ一人の女であり男であるとき、そのときだけは、互いに共有されなかった〈共在的時間〉の生む〈隔たり〉も解消されるのではないか。 少なくとも互いの〈内在的自然〉の〈隔たり〉を「上部丈」埋めようとするような、自分を偽り自分を縮小させる、「下手な技巧」からは逃れ得るのではないか。(〈共在的時間〉を共有するだけではなく、〈内的時間〉を共有すること、共通の〈内在的自然〉を共に生きること、それができれば、)そこだけは「過去」が〈内的時間〉や〈内在的自然〉に及ぼす力から自由な、人間と人間との「自然」な「関係」の〈場〉ではないか。
 このもともと〈個人〉に向けられるべき要求が、健三においては、「人格」という言葉の使用の裏側で、お住の存在が〈女〉として一般化されてしまうところに問題がある。このとき、お住は〈身代り〉可能なただの〈女〉になってしまうのである。
 「女だから馬鹿にするのではない」と健三はいう。が、実際のところ、彼の妻への同情は「女の義務」(五十三)に対するものであり、〈女〉というものへの「慈愛」(五十四)からのものだ。そして彼の妻への非難は、つまるところ「女には技巧があるんだから仕方がない」(八十三)ということになるのである。「夫の為にのみ存在する妻を最初から仮定して憚からな」(七十一)い健三は、「夫と独立した自己の存在を主張しやうとする細君」(同)、すなわち〈個人〉としてのお住を認めようとはしないのである。
 したがってこのとき、彼は自己の〈内的時間〉の固有性の存立条件を自身で否定してしまっているといってよいのである。しかも、彼はそのことに無自覚的なだけでなく、さらに自分一人きりの〈正しさ〉、〈内在的自然〉の倫理性を、「論理」でもってお住に認めさせることによって、その要求を押し付けようとするのである。
 しかし、「論理」はそれがいくら「技巧」からは遠くとも、お住にとっては「空つぽう」な「理屈」(九十八)に過ぎず、また〈ただ一人の女〉でなく、〈ただの女〉として、夫の「妻」、子の「母」といった役割しか演じることが出来ないお住が、健三に近寄るにはどうしても「技巧」的でしかあり得ずに、それが健三にとって「心の束縛」(四十一)にしか過ぎないとすれば、彼らに共有できるものは、互いの身体でしかなかろう。
 「過去」によって〈内在的自然〉の「天真」を損なわれた健三にとって、〈内的時間〉の固有性を認め合い、〈内在的自然〉の〈正しさ〉を共有し得る、〈身代り〉不可能な〈他者〉を得ること、その相手と「手を携へ」(七十一)、「現在」を生き得る「関係」を築くこと、そのことは、「過去」や「世間」、あるい は「親族」といったものから独立し得る可能性として目指されている。しかしそれは、「異様の熱塊」そのものの未熟な性格によって不可能なものとなっているのである。そして、彼のそうした個的な営為を無効にするかのように、〈超越的自然〉は訪れるのである。

非情に緊張して何時切れるか分らない程に行き詰まつたかと思ふと、それがまた自然の勢ひで徐々元へ戻つて来た。(六十五)

 この超越的な「仲裁者としての自然が二人の間に這入つて来た」(五十五)とされていること、「神といふ言葉」がそうであったように、向こう側から一方向的にやって来ていることには注意しておかねばならない。
 彼らの意志に関わりなく働くこの〈超越的自然〉は、ときには「仲裁者」として、彼らの〈内在的自然〉をもっぱら身体的な、あるいは性的なレベルにおいて共有させてみせるのだが、〈正しさ〉、すなわち〈内在的自然〉の倫理的なレベルにおいては、まったくの「傍観者」(同)としてあり、それを調停したりすることはないのである。
 「神といふ言葉」は、「社会」という場において、彼の「異様の熱塊」に〈自己=他者〉を発見させることになったが、そうした〈自己=他者〉たちはしかし、「過去」を生きる人でしかなかった。「夫婦」という場において、「仲裁者」や「傍観者」として現れる〈超越的自然〉さえ、自己の〈正しさ〉を自身の存在の根拠とする健三に、その「現在」を生きることを保証しようとはしない。そのとき、健三という「個人」の「異様の熱塊」は、如何にして真に「現在」を生きる〈自己=他者〉を発見することになるのだろうか。

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  五 健三と〈内的時間〉、あるいは存在と倫理

其処には往来の片側に幅の広い大きな堀が一丁も続いてゐた。水の変らない其堀の中は腐つた泥で不快に濁つてゐた。所々に蒼い色が湧いて厭な臭さへ彼の鼻を襲つた。(八)

 江藤淳の鋭い嗅覚は、健三の〈内的時間〉に回想される「水の変らない」場所に、《「我執」という悪臭をはなつガス》を嗅ぎとり、またその場所が、《日常 の「悪臭」を嗅ぎとった生活者の必然的におちいらなければならぬ地獄》、すなわち健三の孤独を象徴していることを指摘するD。
 しかし、江藤氏が続けて《彼の内部の葛藤は、この「沼」と、それを干拓しようとする egocentric な意志との間で演じられる》とするとき、そこには若干の修正が施されねばならない。ここでの主題は、そのイメージと結び付けて語られる場合、この「沼」を「干拓」すること、つまり埋めてしまうことではなく、そうした〈淀み〉を〈流れ〉にすることだからである。
 お常が「生家の話」(六十二)をするときに、その「床の下を水が縦横に流れてゐるといふ特色が、彼女の何時でも繰返す重要な点であった」(同)ことを思い出そう。この点を見逃すとき、お常がその「技巧」を捨てた女として健三の前に現れるという謎が、真に謎として機能することがないからである。
 むろん健三は、お常の「技巧」が消えたことに対するのと同じように、このお常の言葉を疑ってみせている。しかし、漱石がこの水の〈淀み〉を(それを〈埋める〉ことにではなく)〈流れ〉に対応させていることは明らかなのである。
 〈淀み〉に橋を架け、その〈上〉に立つこと。『硝子戸の中』で、漱石が一度は「跨がつて」立ったと思えた場所とは、そこではなかったか。「一般の人類」と「自分」とに架けられた橋の上に立つこと。私たちの文脈でいえば、それは〈共在的時間〉と〈内的時間〉との橋の上に立つこと、になるだろうか。
 しかし、その橋の〈上〉とは、〈淀み〉を〈流れ〉にする試みが徹底されぬまま、その試みの困難さを回避して〈仮構された場所〉ではなかったか。そのことを問う前に、私たちはいま少し健三の生きる時空を確かめておこう。
 三十八、九章に代表される、健三の〈内的時間〉が引き寄せる「過去」の風景において、彼が〈上下〉の方向にこだわっている点については、すでに蓮實重彦の指摘があるE。

健三は時々薄暗い土間へ下りて、其処からすぐ向側の石段を下りるために、馬の通る往来を横切つた。彼は斯うしてよく仏様に攀じ上つた。(略)其先は何うする事も出来ずにまた下りて来た。(三十八)

赤い門の家は狭い往来から細い小路を二十間も折れ曲つて這入つた突き当りにあつた。(略)此狭い往来を突き当つて左へ曲ると長い下り坂があつた。(略)彼は草履穿の侭で、何度か其高い階段を上つたり下つたりした。(同)

 健三が生きる平面は、「右にも左にも折れ曲つてゐ」(三十九)る町であり、あるいは誰もいない「伽藍堂」のような広い家(同)である。健三が、ここで迷路のような、また空虚な〈平面〉に対して〈上下〉にこだわっていることは明白である。そしてここに、「過去」と「あまりに変りなさ過ぎ」る、健三の「現在」があるのである。
 図式的にみれば、『道草』を生きる健三の時空は、次のようにいうことが出来るだろうか。「過去」という生き物は、平坦であったはずの健三の「日常」に起伏を生じさせたが、その「日常」の平面を〈水平〉に作用する力は、近親者や金銭として迷路のように健三の周囲を取り巻き、「遠い所」で手に入れたはずの彼の「誇りと満足」(一)を剥ぎ取る。そして、やがて空虚になった彼の「異様の熱塊」を、〈垂直〉に貫く力が、その下降線の深奥から存在の根底を揺さぶり、倫理を上昇線の彼方にある〈絶対〉の高みへと誘うことになるのである、と。
 たとえば、存在論的な不安を如実に示しているとされる、健三の幼少期の「緋鯉」体験は、蓮實氏の指摘にもあるように、「彼を水の底に引つ張り込まなければ「まない其強い力」に「彼は恐ろしくなつて、すぐ竿を放り出し」(三十八)ていること。同じく分娩されたばかりの「胎児」を取り上げる場面でも、「健三の眼を落してゐる辺は、夜具の縞柄さへ判明しないぼんやりした陰」になっており、そこで「彼は「を得ず暗中に模索」し、「ぷり  した寒天のやうなもの」に「恐ろしくなつて急に手を引込め」(八十)ていたこと。つまり、そこでは健三の視線が〈下〉に向けられていること、彼がその身体を〈下〉に「引つ張り込ま」れるのを拒んでいるということを確認することが出来るのである。
 〈下〉からの存在の不安に脅かされつつ、しかもそこでしか生きることを許されない「日常」の平面において、空虚になった「異様の熱塊」を抱えた健三の生活は、どのように成立するのか。「肝癪の電流を何かの機会に応じて外へ洩らさなければ苦しくつて居堪まれな」い彼は、子供の鉢植を「無意味に」「蹴飛ばして見たり」、「罪もない」下女を叱ったりする。

「己の責任ぢやない。畢竟こんな気違じみた真似を己にさせるものは誰だ。其奴が悪いんだ」/(略)/無信心な彼は何うしても、「神には能く解つてゐる」と云ふ事が出来なかつた。もし左右いひ得たならばどんなに仕合せだらうといふ気さへ起らなかつた。彼の道徳は何時でも自己に始まつた。さうして自己に終るぎりであつた。(五十七)

 存在の不安を倫理的苦痛に置き換えて処理しようとする試みFは、「神といふ言葉」の使用を拒み、自己に終始するしかない「道徳」によるかぎり、怒号や暴力として、自分を偽る他あるまい。「彼は自分を罵つた。然し自分を罵らせるやうにする相手をば更に烈しく罵つた」(七十八)。しかし、この彼の〈内在的自然〉は、どこまでも相対的な倫理基準でしかないのだ。
 〈水平〉の力の前で、「人間を平等に視た」健三が手に入れるのは、「周囲のもの」たちと手を携えて生きていくしかないという諦観ではなく、〈身代り〉と〈死に遅れ〉の、いわば「過去」をのみ生きる〈生〉でしかなかったことは先にみた。理由もなく生まれ落ち、意味もなく死んでいく自らの〈生〉が、誰とも共有されることがないという現実。〈下〉に引きずり込まれそうな存在の不安。そうした日々の〈生〉を釣り支え、他者の〈生〉とのつながりをも保証してくれる、倫理の絶対という高みに健三が誘われたとしても不思議ではなかろう。

少しも不快の記憶に濁されてゐない其人の面影は、島田やお常のそれよりも、今の彼に取つて遥かに尊かつた。人類に対する慈愛の心を、硬くなりかけた彼から唆り得る点に於て。また漠然として散漫な人類を、比較的判明した一人の代表者に縮めて呉れる点に於て。(六十二)

 島田が自身で「門口の泥溝も浚つた」(八)りしていたことを思えば、健三が思い出すお縫の姿が、その「門前の泥溝に掛けた小橋の上に立つて」(二十二)いることさえ意味がないわけではない。
 健三にとって、「遠い所」は二重に存在している。一つは、否定されるべき「現在」を生み出し、「未来」にまで影を投げかける「過去」として〈下〉にあり、もう一つは、そうした「過去」を超越し、「現在」を肯定すべく要請される「天」として〈上〉にある。彼は回想の「過去」においてだけでなく、「現在」もその存在を〈上下〉させているのである。
 別言しよう。健三においては、その「異様の熱塊」を生み、またその持続を通して個的に引き受けられてきた〈内的時間〉と、「周囲のもの」たちと共有され(お住の場合、共有されなかった)、またされつつある〈共在的時間〉との二重性が、特にそのズレが、生きられている。そして、このズレの生む亀裂が、健三 の「一体二様」の「過去」を〈上下〉に貫いて走っているのである。
 健三の抱える〈内的時間〉は、〈共在的時間〉を否認、できれば抹消したいのだが、それは原理的に不可能事である。「過去」という生き物が健三に強いる自己検討とは、〈内的時間〉が、〈下〉にある「遠い所」から存在論的問題を突き付けられたのをきっかけに、自己批判による自己認識をその〈内的時間〉の内部で敢行することなのだ。しかし、それが徹底されようとするときに、〈内的時間〉内ではおさまり切れずに、倫理的問題の〈共在的時間〉における解決を、〈上〉にある「遠い所」に対して、逆に突き付ける形となっているのである。
 つまり、ここで漱石が健三に問うていることはこういうことだ。健三よ、おまえが自身の内部の「遠い所」で手に入れた、「学問」や「教育」についての「誇りと満足」だけでなく、おまえにそれを可能にさせた原動力とでもいうべき「異様の熱塊」までも、ここで、(〈下〉からの、これまた自身の内部で感じられている)存在論的不安を契機として批判再検討すべきではないのか。「異様の熱塊」といえども、それが〈他者〉との接点を持たないかぎり、「温かい人間の血を枯ら」(三)すという意味では、「我執」と一般であり、それはまさしく「罪」ではないのか。それをおまえ自身の内部で問うてみよ。そう漱石はいうのだ。
 しかし、その自己認識が徹底されるためには、(〈上〉にあるはずの)「天」による倫理の絶対基準が必須となるはずではないのか。それなくしてどうして〈他者〉など認められようか。個的に抱えた〈内的時間〉の固有性や〈内在的自然〉の倫理性は何によって保証されるというのか。これが、漱石の問いに対する健三の、悲痛な叫びを伴った答えなのだ。
 「神でない以上公平は保てない」(九十六)、「神でない以上辛抱だつてし切れない」(同)という健三の独白は、むろん、この自己否定、自己相対化を通して自己認識へといたる過程での、その実践を裏付ける言葉として読まれなければならない。健三は、「天」が「傍観者」にすぎぬのなら、むしろいっそのこと自分を「神」にしてくれと、ほとんどそこまで自分を追い込んでいるのである。
 漱石はしかし、健三を『行人』の一郎のようには扱わない。逆にいえば、健三は、漱石にとって、もはや「扱う」ことのできる人物ではなくなっている。それほど健三は自律的に小説空間を生きており、かつそれほど漱石に近いのである。
 『道草』における漱石と健三との〈対話〉は、一見成立していないようにみえる。漱石は、健三の反問に答えてはいないからだ。具体的には、漱石は、健三の〈上〉への、「天」への希求を無視して、彼を「金」の世界に引き戻してみせる だけなのである。
 「天」を垣間見ようとする「と共に彼の胸には一種の利害心が働いた。何時起るかも知れないお縫さんの死は、狡猾な島田にまた彼を強請る口実を与へるに違なかつた」(六十二)。それだけではない。結末の間際、比田が金貸になる場面(百)も同様である。健三は金の貸借とは関わりのない、『虞美人草』を思わせる「銀側時計」の話を唐突に持ち出す。貰える約束どころか、自分の存在すら無視されて裏切られた、そのときの「感情を打ち殺す訳には行かない」、「己が殺しても天が復活させるから」と「天」にその感情の倫理的保証を求めようとするのである。しかし、そんな健三を横目に、お住は「御金なんか借りさえしなきあ、それで好いぢやありませんか」と、話をすぐさま金のやり取りの地平に引き下ろしてしまうのである。
 しかしおそらく、それだけが漱石にできる、健三の反問への応え方ではなかったか。ここには健三に対してというより、むしろ漱石自身の「天」への依り掛かりを戒める姿勢があるのではないか。

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  六 「神」と「自然」、あるいは「道草」と漱石

彼は普通の服装をしてぶらりと表へ出た。成るべく新年の空気の通はない方へ足を向けた。冬木立と荒れた畠、藁葺屋根と細い流れ、そんなものが盆槍した彼の眼に入つた。然し彼は此の可憐な自然に対してももう感興を失つてゐた。(百一)

 健三は「消え失せ」「変つて行く」、いわば〈母なる自然〉に対して、少しも嘆いてみせたりしていない。健三には、もはやそのような「自然」など存在しないといってよい。健三に残された「自然」は、たとえば次のような「自然」である。

健三は時々兄が死んだあとの家族を、たゞ活計の方面からのみ眺める事があつた。彼はそれを残酷ながら自然の眺め方として許していた。(六十六)

 そうした健三が「自分に対して一種の不快を感じた」こと、「苦い塩を嘗めた」ことを語り手は指摘するが、批判はしていない。

父は悲境にゐた。まのあたりに見る父は丁寧であつた。此二つのものが健三の自然に圧迫を加へた。(略)単なる無愛想の程度で我慢すべく余儀なくされた彼には、相手の苦しい現状と慇懃な態度とが、却つてわが天真の流露を妨げる邪魔物になつた。(七十六)

斯うした懸け隔てのない父の態度は、動ともすると健三を自分の立場から前へ押し出さうとした。其傾向を意識するや否や彼は又後戻りをしなければならなかつた。彼の自然は不自然らしく見える彼の態度を倫理的に認可したのである。(同)

 健三が依って立つのは〈絶対〉ではなく、「彼の自然」であり、「健三の自然」である。「不自然」を許すしかない「自然」である。彼は自身に〈告白〉を禁じているといってよい。彼にとっては〈告白〉でさえ、「関係」が強いる「技巧」なのだ。「関係」から生まれたものでありながら、その〈関係の本質〉を隠蔽するように働いてしまうような「技巧」を、彼は一切認めない。
 健三の認識は、社会的存在としてある人間の「関係」うちでは、ありのままの自己などあり得ないという絶望とすれすれのところにある。このとき、大切なのは感情や情念ではなく、「関係」の置かれ方であり、それを決定する「過去」に対峙する認識であり、覚悟である。そこでは健三の〈内的時間〉の固有性も、〈内在的自然〉の倫理性も、彼自身によって宙づりにされている。そして、それはまさに、健三の「異様の熱塊」が、真に「現在」を生きるために必要な、最小限度の表情をしているのであるG。
 ところで、「自然」という言葉を『道草』を解く「キイ・ワード」とする桶谷秀昭は、これを捉えて、《ここで使われている「倫理的」という言葉は、生活社会の倫理とちがう次元の、人間存在の「自然」と同質の内容をもっている。漱石は、健三の仏頂面を「不自然」という保留は依然つけながら、それが「自然」のぬきさしならず屈曲したあらわれであることを容認している》のだという。島田とのよりをもどすにあたっての健三の〈正しさ〉についても、それを《義理とか不義理とかの倫理を超えてえらばせることによって、「自然」の「根拠」を救抜しようとしたのである。「正しい」という絶対的な表現は、この「根拠」を含むのである》とし、《この「自然」がイデー化されれば「天」となり「絶対」とな る》というのである。
 それは桶谷氏が『道草』という小説を《人間が近代社会で他者と向き合って存在する仕方、その理法の必然性を、うち破る絶対の「根拠」、根源的にいかに生きるべきかの「根拠」を求めようとする実験》として読もうとする姿勢からのものだが、むろんこの姿勢にではなく、氏のこの「自然」の解釈に佐藤泰正が異義を立てている。
 佐藤氏によれば《これは「『自然』の『根拠』」の「救抜」というよりも、「自然」の「相対化」とみるべき》であり、《「倫理的に認可」したことが、この内在的な「自然」の絶対化ではない》、《それは抑止され、規制されたというにすぎまい》とされるのである。そして、氏は結論的に、『道草』を解く「キイ・ワード」はむしろ「神」である、としている。
 両氏の見解の相違は、ここでの「自然」という言葉の理解の相違に基づいている。「健三の自然」、「彼の自然」という言葉のうちに、超越的な「自然」への通路を前提している桶谷氏にとっては、当然《この「自然」の根拠と行為の間には深い暗冥がよこたわっている》はずだし、その内側で《漱石の思念はまさに弁証法的》に生きられていなければならない。
 また、そうした「自然」を「内在的な『自然』」として意味を限定する佐藤氏においては、その言葉の用法からみて、それが《人格の、倫理の、基底・核の如きものでありつつ、なお根源のものたりえぬ》ものであり、《他者につながる、より共在的、普遍的な基底の確認であるよりも、先ず個の確認として語られている》ということにもなろう。
 ただし、「天」もまた超越的な「自然」でさえも、内在的「自然」を「救抜」する「根拠」たりえぬことを逐一例証をもって論証していく佐藤氏の論述は鮮やかというほかなく、《自己に対峙する絶対者として、ある深い違和感の裡に見据えられ》た「神」、その《「嫌であつた」「神といふ言葉」が否応なしに「出た」ということは》《「其神」の前に引き据えられたということ》であり、《個の人格に対峙し、これを対象化しうるもの》は、『道草』においては「神」以外にない、とされるその結論は、かなりの説得力をもっていることは事実であろう。
 ただ、これは《この作をつらぬく相対化における自己発見という主題を成り立たしめる基軸》として、考えられたものであり、したがってこの「神」が、個の人格を対象化する「対峙」者ではあっても、桶谷氏のいう意味で「救抜」者たりうるかどうかは、また別の問題なのである。なぜなら内在的「自然」の内に超越 的「自然」への通路を前提している氏にとって、その「『絶対』の『根拠』」を目指す過程において、「自然」が「自然」を「救抜」するのは自明のことだからである。(佐藤氏は、健三が「事実において人間を突然平等に視た」後も、「文体」においてはそれをしようとしなかったことを、「相対化」の視点から軽視しているのであり、桶谷氏は「絶対化」の視点から重視しているのである。)
 しかし、両氏がより重視すべきなのは、「自然」であれ「神」であれ「天」であれ、『道草』における絶対者が、向こう側からのみやって来ているということ、そのことではなかろうか。佐藤氏自身着目しているように、「神」はまさしく「出た」のであり、そればかりではなく〈超越的自然〉もまた、たまたま「仲裁者として」健三夫婦「二人の間に這入つて来た」のである。(佐藤氏の文脈では、この「自然」は自己の客体化、対象化をなしうるものたりえないということになろうが、)超越者が一方向的に人間の世界に現れているという簡明な事実、ただし、この簡明な事実が、「人間が近代社会で他者と向き合って」生きようとするとき、どれほど戦慄的な認識を強いるかということは、それほど簡明なことではないのである。
 桶谷氏のいう「異様の熱塊」の《自然の論理》への「弁証法」は、それがどれほどの苦悩を伴おうと、そこにはいつでも微かな希望が残されている。なぜなら、個体の内在的「自然」は、「絶対」的な超越的「自然」まで成長していく可能性と道すじをそれ自身の中に持っているからだ。
 漱石と健三との距離があるとすれば、それは〈超越的自然〉に対する認識の差異である。健三は、自分の〈内在的自然〉の側から「天」への通路があることを疑いもしていないのに対して、漱石は、通路はただ〈超越的自然〉から〈内在的自然〉の方向にしかないのではないか、と疑っているのだ。(その差異の分だけ漱石は健三を相対化できるのである。)そして、ここにおそらく漱石が小説を書かねばならない必然があるのである。 超越者は、確かに一方向的に人間を訪れる。そしてそのとき、それはいつもそれが〈誰〉であるかを名指されているわけではない。

 「御前は必竟何をしに世の中に生まれて来たのだ」
 彼の頭の何処かで斯ういふ質問を彼に掛けるものがあつた。彼はそれに答へたくなかつた。成るべく返事を避けやうとした。すると其声が猶彼を追窮し始めた。何遍でも同じ事を繰り返して已めなかつた。彼は最後に叫んだ。
 「分からない」
 其声は忽ちせゝら笑った。
 「分からないのぢやあるまい。分かってゐても、其処へ行けないのだろう。途中で引懸つてゐるのだろう」
 「己の所為ぢやない。己の所為ぢやない」
 健三は逃げるようにずんずん歩いた。(九十七)

 健三の歩調は速い。「日常的現実」に戻って行く外ないくらいに速い。「血」(百一)の通い合わぬ、「金」だけがやり取りされる「塵労」(五十七)の日々を焦れる健三に、「金の力で支配出来ない真に偉大なものが彼の眼に這入つて来るにはまだ大分間があつた」(五十七)と語り手はいう。「真に偉大なもの」とは何か、とは問うまい。私たちにいえるのは、『野分』や『虞美人草』を書いていた頃の漱石であれば、それを「小説」の言葉として書き付けていただろうということだ。
 おそらく、「現在」の漱石にはそれが「眼に這入つて」いる。しかし、「真に偉大なもの」を「眼に」したものだけが「眼に」せざるを得ぬ、人間「存在の深い淵」をも覗かなければならなかったはずなのである。そしておそらく、そのとき漱石には、「自然」や「神といふ言葉」よりも「道草」という言葉が出たのである。

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  七 おわりに

 開かれていない〈超越的自然〉への通路を弁証法的に辿るのではなく、自らがいまここで「自然」そのものとなること。〈内的時間〉や〈内在的自然〉の〈隔たり〉の架け橋として「天」を要請するのではなく、己自身が、その〈内的時間〉の内で、その〈内在的自然〉を超越した「自然」そのものとなること。〈淀み〉の〈上〉に仮構された橋に「跨つて」立つのではなく、自らが〈平面〉を「縦横に流れ」る〈流れ〉そのものとなること。言葉を組織し、〈共在的時間〉のもとに現実せしめつつそれを試みること。漱石にとって、「小説」を〈書く〉ということは、そういうことではなかったか。
 むろんそのとき、彼は「天」になり代わるのではない。「天」や「神といふ言葉」は、人間の側から〈超越的自然〉への志向を示す形で用いられるのであり、 繰り返していえば、〈内在的自然〉の側からはそこまでしか通路はなく、〈超越的自然〉には決して届かないのである。したがって、その〈内的時間〉の固有性も、〈内在的自然〉の倫理性も、それを保証するものは自己以外にないのだ。 もう一度『點頭録』の言葉を思い出そう。

驚くべき事は、これ(「たゞの無として」の「過去」−−引用者)と同時に、現在の我が天地を蔽ひ盡して儼存してゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至る迄此「我」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越してゐるといふ動かしがたい真境である。だから其処に眼を付けて自分の後を振り返ると、過去は夢所ではない。炳乎として明らかに刻下の我を照らしつゝある探照燈のやうなものである。(略)/生活に対する此二つの見方が、同時にしかも矛盾なく両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象に就いて、自分は今何も説明する積はない。又解剖する手腕も有たない。たゞ年頭に際して、自分の此一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任せる覚悟をした迄である。

 「無」としての「過去」と「探照燈」としての「過去」。おそらく、漱石はここでは、それを〈共在的時間〉や〈内的時間〉として語ってはいまい。しかし、『道草』を通してこの言葉に接するとき、私にはそれが、〈内的時間〉を徹底して検証せよ、それは「刻下の我を照らしつゝある探照燈」としての「過去」となることによって、はじめて、「現在の我が天地を蔽ひ盡して儼存」することを可能ならしめるのだ、というように聞こえるのである。
 〈共在的時間〉の上に「神」も「天」も存在しないのだとすれば、〈他者〉などという言葉は「下手な技巧」にすぎぬ、〈内的時間〉と〈内在的自然〉の自己検証をひたすら徹底すること、そのこと以外に、外的な視点から〈他者〉を発見する術などありはしない、見つかるのはせいぜい「過去の人」たちでしかなかろう、要するに「すべて余計な事だ。人間の小刀細工だ」(百一)、と。
 おそらく、健三や漱石にとって、真に「現在」を生きる〈自己=他者〉発見の試みの実践は、やはり創作家という〈場所〉だけに、その可能性として残されているのである。
 彼らは「跪まづいて天に祈」(五十)り、「神の前に己れを懺悔する」(五十四)だろう。だが作者は、個的な「自然」を〈宙づり〉として生きるのではなく、「潮流」としてそれを生きつつ、ただ小説を生きる人物たちの〈内在的自然〉に任せておればよい。それで「現実」を有りの侭に現すことが出来たならば、それが「天」に則うということではなかろうか。しかし、これはもう『明暗』に即して吟味されねばならない課題である。

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 註

@ 越智治雄「道草の世界」(『漱石私論』一九七一・六、角川書店)。

A 江藤淳「『道草』と『明暗』」(『江藤淳文学集成1』一九八四・一一、河出書房新社)。引用文の傍点は原文。

B 佐藤泰正「『道草』−神の顕現−」(『夏目漱石論』一九八六・一一、筑摩書房)。

C 桶谷秀昭「自然と虚構(一)」(『増補版夏目漱石論』一九八三・六、河出書房新社)。

D 江藤淳『夏目漱石』第二部第七章「『道草』−日常生活と思想」(『江藤淳文学集成1』)。

E 蓮實重彦『夏目漱石論』(一九七八・十、青土社)第九章「縦の構図」。筆者はそこから多くの示唆を受けたが、本稿とはその方法並びに文脈が異なっている。

F 柄谷行人「『意識と自然』−漱石試論(T)」(『畏怖する人間』新装版一九七九・四、冬樹社)に、漱石の長編小説の「主人公たちは本来倫理的な問題を存在論的に解こうとし、本来存在論的問題を倫理的に解こうとして」いるという指摘がある。

G 大正四年の『断片』にある、「徹底の意、absolute freedom アリヤ、妥協ナリ。徹底トハ omniscient ノ上ニナル妥協ナリ」というメモは、『道草』における漱石の思想の核心として読まれることがあるのだが、桶谷氏もいうように、漱石の思念と健三の行為には《深い暗冥がよこたわって》おり、ここでの健三の態度をそのまま漱石の思想の現前と考えるわけにはいかない。

 テクストは岩波新書型全集本による。なお引用文中の旧字は新字に改め、旧仮名遣いは原文の通りとした。またルビについては必要と思われるものに限った。傍点については特に断わりのない場合、すべて引用者によるものである。


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