夏 目 漱 石 『 門 』 の 冒 険 者

"Bokensha(Adventurers)" in Natsume Soseki's Mon


 武 田 充 啓 (Mitsuhiro TAKEDA)


章立て

 一 御米と宗助

 二  〈空間〉と〈時間〉

 三  「言葉(文字)」と「冒険者」たち

 四  安井と宗助 あるいは 「自然」と「頭」
 


  一 御米と宗助

 たとえば、御米と宗助の〈現在〉は、次のように描かれている。

夫婦は例の通り洋燈の下に寄った。広い世の中で、自分達の坐つてゐる所丈が明るく思はれた。さうして此明るい灯影に、宗助は御米丈を、御米は宗助丈を意識して、洋燈の届かない暗い社会は忘れてゐた。彼等は毎晩かう暮らして行く裡に、自分達の生命を見出してゐたのである。(五)



 御米と宗助は、不倫を犯して結ばれた夫婦である。そのために彼らは、「一般の社会」(十四)から追放され、その片隅でひっそりと暮らしている。「彼等は、日常の必要品を供給する以上の意味に於て、社会の存在を殆んど認めてゐなかつた。彼等に取つて絶対に必要なものは御互丈で、其御互丈が、彼等にはまた充分であつた」(同)。そして彼らは「道義上切り離す事の出来ない一つの有機体になつた。二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至る迄、互に抱き合つて出来上がつてゐた」(同)のである。

 彼等は此抱合の中に、尋常の夫婦に見出し難い親和と飽満と、それに伴なう倦怠とを兼ね具へてゐた。さうして其倦怠の慵い気分に支配されながら、自己を幸福と評価する事丈は忘れなかつた。(十四)

 「単調」(同)な生活だが、彼らは自分たちの〈現在〉を「幸福」だと認めている。「宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかつた」(同)。しかし、「仲の好い」ことという「幸福」の鍵は、彼らの側にではなく、「社会」の側にある。語り手の云うように「要するに彼等は世間に疎い丈それ丈仲の好い夫婦であつた」(同)からである。彼らの「幸福」は、彼らの「罪」と同じく、彼らが築いたというよりは、たまたま「世間」が彼らにもたらしているものなのである。そしてそのような「世間」を司っているのは、「自然」なのである。

 宗助は当時を憶ひ出すたびに、自然の進行が其所ではたりと留まつて、自分も御米も忽ち化石して仕舞つたら、却つて苦はなかつたらうと思つた。事は冬の下から春が頭を抬げる自分に始まつて、散り尽した桜の花が若葉に色を易へる頃に終つた。凡てが生死の戦であつた。(十四)

 世間は容赦なく彼等に徳義上の罪を背負した。然し彼等自身は徳義上の良心に責められる前に、一旦茫然として、彼等の頭が確であるかを疑つた。彼等は彼等の眼に、不徳義な男女として恥づべく映る前に、既に不合理な男女として、不可思議に映つたのである。(同)

彼等は自然が彼等の前にもたらした恐るべき復讐の下に戦きながら跪づいた。同時に此復讐を受けるために得た互の幸福に対して、愛の神に一弁の香を焚く事を忘れなかつた。彼等は鞭たれつゝ死に赴くものであつた。たゞ其鞭の先に、凡てを癒やす甘い蜜の着いてゐる事を覚つたのである。(同)

 そもそも彼ら二人を結び付けたのが、「自然の進行」であった。「不合理」で「不可思議」な「自然」は、二人を「世間」から孤立させ、同時にそうすることによって二人を「仲の好い夫婦」にさせている。彼らの「幸福」は、「糸で釣るした毬の如くに」(十七)不安定なものなのであり、それを支えるために彼らは、自分たちの「愛の神」を絶えず捏造し続けなければならないのである。
 「大風は突然不用意の二人を吹き倒した」(十四)。「彼等は残酷な運命が気紛に罪もない二人の不意を打つて、面白半分穽の中に突き落としたのを無念に思つた」(同)。「自然=運命」が、彼らの幸・不幸を操っている。彼らは、自分たちの意志で自分たちの「幸福」を、あるいは「不幸」を選んだのではない。しかし、それが彼らのもとに訪れたとき、それは「不幸=罪」として受け取らざるを得ないものであった。

 彼等は人並以上に睦ましい月日を渝らずに今日から明日へと繋いで行きながら、常は其所に気が付かずに顔を見合はせてゐる様なものゝ、時々自分達の睦まじがる心を、自分で確と認める事があつた。その場合には必ず今迄睦まじく過ごした長の歳月を溯のぼつて、自分達が如何な犠牲を払つて、結婚を敢てしたかと云ふ当時を憶ひ出さない訳には行かなかつた。(十四)

 語り手は二人の〈現在〉の「幸福」を強調する。しかし、彼らが結ばれたという「過去」の「事」そのものについては、いっさい触れられてはいない。彼らが悲劇的なのは、望みもしなかった「幸福」を「不幸=罪」として、「自然」から押し付けられたことではない。彼らに訪れた「事」を、同じ一つのものとして共有し続けることが許されなかったという点である。
 二人の「過去」は、確かに一つのものであった。が、次第にそれは、二人の内側で別様のものになる。共有したはずの「過去」は、その瞬間をひとたび離れると、共有の不可能なそれぞれの「過去」として変容していくしかなかったのである。

彼等は余り多く過去を語らなかつた。時としては申し合はせた様に、それを回避する風さへあつた。御米が時として、
 「其内には又屹度好い事があつてよ。さうさう悪い事ばかり続くものぢやないから」と夫を慰める様に云ふ事があつた。すると、宗助にはそれが、真心ある妻の口を藉りて、自分を翻弄する運命の毒舌の如くに感ぜられた。宗助はさう云ふ場合には何にも答へずにたゞ苦笑する丈であつた。御米が夫でも気が付かずに、なにか云ひ続けると、
 「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間ぢやないか」と思ひ切つて投げ出して仕舞ふ。細君は漸く気が付いて口を噤んで仕舞ふ。さうして二人が黙つて向き合つてゐると、何時の間にか、自分達は自分達の拵えた、過去と云ふ暗い大きな窖の中に落ちてゐる。(四)

 宗助と御米の一生を暗く彩どつた関係は、二人の影を薄くして、幽霊の様な思を何所かに抱かしめた。彼等は自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでゐるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合つて年を過した。(十七)

 「過去」はそれぞれに変容していく。彼らの「不幸=罪」の抱え込み方にはズレが生まれている。しかし彼らは、すでに別々のものであるしかない「過去」を同じ一つの「不幸=罪」として、すすんで錯覚し、偽りの「幸福=愛の神」を築こうとする。二人は、そのことに気がつきながら、しかもそれに目をつぶっている。この「幸福=愛の神」という虚構を、そのように絶えず更新し続ける以外に、自分たちを包む「残酷」で「不合理」で「不可思議」な「自然=運命」を納得する手だてがなかったからである。
 不倫という共通の「過去」を持つ共犯者として、御米と宗助は、「世間」との交渉を避け、「互に抱き合つて、丸い円を描」(十七)くようにして生きてきた。自分たちを翻弄する「自然=運命」に対して、正面切って抗うことなく、むしろそれらに対して従順ともいえる態度で暮らしてきた。しかし、二人の人間のけなげな努力に支えられた「愛の神」というこの虚構は、やはり「自然=運命」の脅威にさらされている。彼らが「向き合つて」落ち込んでいる「暗い大きな窖」というのも、二人で「拵えた」一つのものではなく、実は別々の「窖」でしかないのだとすれば、なおさらである。「自然」の「不合理」性を質さないまま、彼らは、その「単調」な「幸福」をどこまで持続できるのであろうか。

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  二 〈空間〉と〈時間〉

 冒頭の一章に描かれた、象徴的な場面を思い出そう。宗助が御米に思い出せない漢字を尋ねる場面である。
 そこで宗助は、「近来」の「近」という字が思い出せず、というより正確には、見知っているはずのその字が疑わしく、「何だか違つた様な気が」して、確信できないので、それを御米に聞き質してみている。しかし、これはすぐ後に「神経衰弱の所為かも知れない」「左様よ」の会話で片付けられてしまう。おそらく、そのとおりなのであろう。日常慣れ親しんだものが、持っているはずのその意味をふいっと放棄してしまって、同じ形でそこにあるにもかかわらず、だからこそ同じようには見えずに不安になってくる。
 しかし、注意すべきなのはむしろ、御米がそれを「近江」の「近」だとして、それに答えていることであろう。つまり、宗助のそれが〈時間〉の問題として立ち現われている(彼は「今日」の「今」の字に対しても同様の懐疑を抱いた)のに対して、御米はそれを〈空間〉の問題として処理しようとしているという点である。同じ問いに対する二つの異なった捉え方が、ここに現われている。そして、この捉え方の違いが、両者の「過去」の抱え込み方の差異を決定づけているのである。
 一つのものであるべく抱え込まれた彼らの「不幸=罪」が、それぞれ別々の共有不可能な「過去」であるということ。それは、彼らに共通の「不幸」である宗助の弟小六(=「世間」)が、彼らの生活空間に介入してくることによって、いっそう明らかになってくる。
 これまで叔父の家で生活し、学資を受けていた小六は、その供給が絶たれたために宗助夫婦と同居することになる。結果、小六は鏡台の置かれた「家中で一番暖かい部屋」(九)である御米の六畳の居間を奪うのである。宗助が「自家の経験から割り出して、深く胸に刻み付けてゐ」る、「凡ての創口を癒合するものは時日であるといふ格言」(十七)とは裏腹に、子供に恵まれない彼女の苦しみを緩和してくれていたのは、実際は〈時間〉ではなく、むしろ〈空間〉だったのである@。
 御米が、自らの「過去」を「不幸=罪」をとして刻みつけざるを得なかったのは、それが、広島、福岡、東京と移る土地ごとに身ごもった子供がそれぞれ流産、早産、死産という形で、つまりは「子供は決して育たない」(十三)という「罰」の形で、繰り返し彼女の身を襲ったからである。御米は鞭打たれた体を癒す〈空間〉を必要としていたのであり、それが小六のために明け渡すことになった「六畳」だつたのである。事実彼女は、子供のことが話題になるたびに一人で「そつと六畳へ這入つて、自分の顔を鏡に映して見た」(五)り、「たつた一人寒さうに、鏡台の前に坐つてゐた」(六)りしていた。とすれば、これは「御米の避難場を取り上げたと同じ結果」(九)になるのである。
 宗助もまた自身の「格言」を裏切る〈空間〉の人であるかのようだ。「毎朝例刻に先を争つて席を奪ひ合ひながら、丸の内方面へ向」(二)い、「日当の悪い、窓の乏しい、大きな部屋」(同)で、「六日間の暗い精神作用」(三)を余儀なくされている彼が必要としているのは、七日に一度の日曜日というよりも、「精神的な行動」としての「散歩」だからであるA。

さうして明日から又例によつて例の如く、せつせと働かなくてはならない身体だと考へると、今日半日の生活が急に惜しくなつて、残る六日半の非精神的な行動が、如何にも詰らなく感ぜられた。(二)

 普段は気が付きさえもしなかった「広告を三返程読み直し」、電車を降りて通りの店々の商品をのぞき込み、街頭の物売りから「護謨風船の達磨」を買って帰る。「宗助に少なからぬ満足を与へた」とされる神田を散歩するこの場面(二)ですでに明らかなように、宗助のいう「精神的な行動」には、御米との時間は含まれていない。
 「残る六日半」について、岩波版全集の注解には、「役所勤めの宗助の拘束されている、『五日半』或は大ざつぱに『六日』とあるべきところであろう」とあるが、この部分はむしろ、日曜すなわち精神的という意味ではなく、宗助が一人で散歩する=一人で行動することすなわち精神的という意味にとってよいのではないか。そしてそうだとすると、宗助は御米と共有する〈現在〉の時間をそのまま「精神的」だとは考えていないということになる。御米にとっての「六畳」がそうであったように、宗助がその「精神的」な部分を自己の存在確認の基盤としているのだとすると、二人はその共通の日常の生活空間とは別に(その内部であれ外部であれ)、自分自身のために一人きりの〈空間〉をそれぞれ必要としているわけであるB。
 「精神的な行動」を必要とする〈空間〉の人宗助は、裏庭の崖を転げ落ちた泥棒が残していった手文庫をきっかけに、崖の上に住む家主坂井と知り合い、坂井の「洞窟」(十六)に招かれるようになる。あらゆる点において、宗助とは対照的なこの人物は、いわゆる「世間」を象徴する存在だといってよいだろう。「世間」から疎外された宗助が〈内〉の人であるならば、「世の中で尤も社交的な」(同)坂井は〈外〉の人であるということになるのだが、坂井と宗助の交流が可能になるのは、お互いが人間として一方にないものを他方に求めるからという理由だけでなく、坂井もまた「洞窟」という日常の生活空間とは別種の場所を必要とする〈空間〉の人であるからなのである。
 坂井が一見〈外〉の人のように見えて、実は〈内〉の人でもあった、というのとちょうど逆の形で、〈内〉の人宗助も〈外〉の人としての要素を背負わされている。かつては「当世らしい」「世間向きの」「頭」(十四)を持っていた宗助は、「自分がもし順当に発展して来たら」(十六)と考え、坂井その人を思い浮かべる。そして彼が今も「精神的な」ものを必要とする「頭」を持つ限り、彼は〈外〉の人たらざるを得ないのである。宗助の「精神」は、この点では御米や坂井と同じく〈空間〉的であるように思える。日常の生活空間の〈内〉であれ〈外〉であれ、無防備に自らの「精神」をさらけ出せる異種の〈空間〉を求めざるを得ないという点で、彼らは共通しているのである。
 しかし、それでも宗助は本質的に「近江」の「近」ではなく、「近来」の「近」の字を必要とする〈時間〉の人なのである。たとえば、やはり〈空間〉の人である小六は、実は徹底的に宗助の〈時間〉を脅かす存在であるC。

 宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生して、自分の眼の前に活動してゐる様な気がしてならなかつた。時には、はらはらする事もあつた。又苦々しく思ふ折もあつた。さう云ふ場合には、心のうちに、当時の自分が一図に振舞つた苦い記憶を、出来る丈屡呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼の前に据え付けるのではなからうかと思つた。さうして非常に恐ろしくなつた。此奴も或は己と同一の運命に陥るために生れて来たのではなからうかと考へると、今度は大いに心掛りになつた。時によると心掛りよりは不愉快であつた。(四)

 「己ももう一返小六見た様になつて見たい」と云つた。「此方ぢや、向が己の様な運命に陥るだらうと思つて心配してゐるのに、向ぢや兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」(同)

 小六は、「過去」を映し出す鏡のように、宗助の前に現われる。宗助は、それを「天」がそう仕向けたのではないかと疑い、恐れ、心を乱している。彼が心配しているのは、弟の未来ではない。「運命」によって「変化」(十七)を余儀なくさせられた自身の〈現在〉について心を痛めているのである。誰も「変化」などしているようには見えない。望んで得られる「発展」(十六)など真の「発展」ではない。それは、いわば〈空間〉的な問題に過ぎない。真の「変化」や「発展」は、期せずして、突如結果として、つまり〈時間〉的な問題としてしかやってこないのだ。そして彼は、自分自身の「変化」についてだけは疑うわけにはいかないのである。
 彼らと宗助との差異は決定的である。坂井は「洞窟」を必要とし、御米もまた「六畳」を必要としていた。だが、それら〈空間〉の人たちは、その自分たちの特別な場所を持ちながら、いささかも「変化」したり「発展」したりはしないのだ。『門』において、とりわけ宗助において、「変化」や「発展」といったものが否定的に捉えられているかのように見えるのは、実は「世間」においては、誰も皆、真に「変化」「発展」などすることがない、という作者の認識が反映しているためであろう。「世間」の人たちは、その幾つかの、性質の異なる〈空間〉を単に往復するか、循環しているに過ぎず、そこに真の〈時間〉性を見ようとはしないのである。
 御米は「『貴方は人に対して済まない事をした覚がある。其罪が祟つてゐるから、子供は決して育たない』」(十三)という易者の「此一言」(同)を、ついに宗助に打ち明ける。この告白が延ばされていたのは、それが「二人の共有してゐた事実に就いてではなかつた」(同)ためなのである。しかしそれは、御米が一人で易者を訪ねたことをいっているのではない。子供が育たないという御米の「不幸」を宗助が共有していないという意味である。
 宗助は、ここでは「わざと鷹揚な答をして」(同)御米に対する気遣いを一応示してはいるのだが、御米の苦しみを自分の苦しみとして理解せず、またしようともしていない。というのは、御米は「過去」の「罪」意識(=「人に対して済まない事をした」)に悩まされているのではなく、〈現在〉の「不幸」を追認する易者の「言葉」(=「子供は決して育たない」)によって「心臓を射抜かれ」ているからである。宗助の関心は、むしろ「罪が祟つてゐる」(=〈時間〉的問題)の方にあり、そしてにもかかわらず、「占の宅へ」など「そんな馬鹿な所へ」は「行かないが可い」(同)と、〈空間〉的問題として処理している点からも明らかであろう。
 御米の「罪」意識は、安井に対する行為と直接に結びついているとは言えない。少なくとも、彼女自身がそう考えているという場面は、描かれてはいない。三人の子供を死なせてしまったこと、絶えず反復され更新されていくこうした〈現在〉の「不幸」を、「過去」(=「人に対して済まない事をした」)と結びつけようとしているのは、むしろ易者(=「世間」)であり、宗助(の〈時間〉的問題意識)なのである。
 宗助が、安井の出現による心の動揺を御米に知らせることが出来ないのも、やはりそれが、「二人の共有してゐた事実」ではあっても、〈現在〉共有している「不幸」ではないからである。宗助は安井の名を決して口にしようとはしない。安井は、二人の共通の「過去」でありながら、すでに共有できないものとして立ち現われている。宗助は、あえてそれを〈時間〉的問題として御米と共有しようとはしない。彼は、あくまでも御米を〈空間〉の人として扱おうとする。それは、共に「幸福=愛の神」という虚構の〈現在〉を支える相手への気遣いなのか、それとも御米は、そもそも宗助にとっての本質的な〈時間〉的問題(=「過去」)の共有者としての資格を持たないということを意味しているのか。いずれにせよ宗助は、そこでは、自分一人で、近来の「近」の字を、今日の「今」の字を思い出そうとしているのである。
 彼らの平安な日常は、「自然=運命」や「世間」に対する消極的な姿勢によって支えられている虚構の産物である。「生死の戦」を二人して鞭打たれながらくぐり抜けてきた、いわば同志としての連帯感は、ここには見られない。彼らが求めているものは、「御互」ではなく、「仲の好い」ということ、ひたすら「無事」というそのことであり、もはや「御互」は、それを支えるための方便に過ぎなくなってしまったかのようだ。
 宗助が、御米の「不幸」に連帯できず、また自身の「不幸」を御米と共有することなく参禅するといった事態が明らかにしているのは、彼らがかつて共有した「生死の戦」が、いつの間にか個々別々の「過去」に対する闘いに移行していたという事実である。

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  三 「言葉(文字)」と「冒険者」たち

 小六によって、その一人きりの〈空間〉を奪われた御米は、自身の肉体の内部に新たな〈空間〉を探そうとでもするかのように、度々「発作」を引き起こす。

宗助は、蘇生つた様にはつきりした妻の姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退いた時の如くに、胸を撫で卸した。然し其悲劇が又何時如何なる形で、自分の家族を捕へに来るか分らないと云ふ、ぼんやりした掛念が、折々彼の頭のなかに霧となつて懸かつた。(十三)

 むろん宗助はここで、御米だけの健康を心配しているのではない。「悲劇」は、「自分の家族を捕へに来る」。彼は自分自身をそこに含めている。というより、むしろ自分のことだからこそそれを案じている。
 以前は、いわば御米という鏡の中に映る自分だけが自分で、それが安心できる自分自身の〈現在〉であった。しかし、その自己同一性を保証してくれるはずの御米という鏡が曇り始めると、宗助には本来の自身を映し出す鏡が必要になる。だが床屋の鏡に映る自分の顔は、「何うも字と云ふものは不思議だよ」と御米に訴えた文字のように「こりや変だと思つて疑ぐり出すと分らなくなる」(一)。「彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、不図此影は本来何者だらうと眺め」(十三)ざるを得なくなる。そしてこの問いを〈空間〉的に解くことは、しかし許されないのである。彼には「首から下は真白な布に包まれて、自分の着てゐる着物の色も縞も全く見えなかつた」からである。宗助は、「成らうことなら、自分丈は陰気な暗い師走の中に一人残つてゐたい」(同)とさえ思う。
 自分とは誰か。この問いを抱え込まざるを得ない〈時間〉の人の不安が宗助にあり、この不安の反映が、御米の存在の安否(=死)を気遣うという形で現われている。その逆ではない。御米という鏡が曇り始めたから不安になったのではなく、もともと不安があったから曇った鏡に見えてきたのである。では、御米以外の何が宗助の〈現在〉を保証するのか。
 「根がぐらぐらする」(五)歯の治療に寄った宗助は、歯医者の待合室にあった「『成効』と云ふ雑誌」を取り上げる。

不図仮名の交らない四角な字が二行程並んでゐた。夫には風碧落を吹いて浮雲尽き、月東山に上つて玉一団とあつた。宗助は詩とか歌とかいふものには、元から余り興味を持たない男であつたが、どう云ふ訳か此二句を読んだ時に大変感心した。対句が旨く出来たとか何とか云ふ意味ではなくつて、斯んな景色と同じ様な心持になれたら、人間も嘸嬉しからうと、ひよつと心が動いたのである。(五)

 続けて、「此二句」が「雑誌を置いた後でも、しきりに彼の頭の中を徘徊した」ことが記される。ここでは、宗助の「心持」と実際の「景色」=〈空間〉が同格に扱われている。そしてしかし、自己を離れること、自分以外のものになることへの〈空間〉的希求は、やはりここでも限界づけられている。「彼の生活は実際此四五年来斯ういふ景色に出逢つた事がなかつた」とされるのである。その夜、宗助は「珍らしく書斎に這入つた」。

 「今夜は久し振に論語を読んだ」と云つた。
 「論語に何かあつて」と御米が聞き返したら、宗助は、
 「いや何もない」と答へた。(五)

 「言葉」は「頭」を離れない。しかしむろん、「論語」を「一時間程」読んでみたところで、彼が本当に探している「文字」が見つかるわけでもないのだ。

 彼は黒い夜の中を歩るきながら、たゞ何うかして此心から逃れ出たいと思つた。其心は如何にも弱くて落ち付かなくつて、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知に見えた。彼は胸を抑えつける一種の圧迫の下に、如何にせば、今の自分を救ふ事が出来るかといふ実際の方法のみを考へて、其圧迫の原因になつた自分の罪や過失は全く此結果から切り放して仕舞つた。(十七)

 「何うかして此心から逃れ出たい」。いったい何処へ。しかしそれは、〈空間〉ではないはずだ。宗助は、いったい何から救われようとしているのだろうか。妻からであろうか。その偽りの〈現在〉からであろうか。それとも自分自身から、あるいは絶えず自己確認を迫る「自然=運命」からであろうか。彼は「口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれども」それは、「果敢ない文字であつた」。「宗教」は、彼にとって、真に〈時間〉性を持った「文字」ではなかったのである。
 宗助は、坂井がその弟や安井たちを評して言った「冒険者」という言葉に脅える。「宗助は此一語の中に、あらゆる自暴と自棄と、不平と憎悪と、乱倫と悖徳と、盲断と決行とを想像して」(十七)みせる。そうして「斯様に、堕落の方面をとくに誇張した冒険者を頭の中で拵え上げた宗助は、其責任を自身一人で全く負わなければならない様な気がした」(同)のである。それは何故か。実は彼もまた、というより彼こそが真の〈冒険者〉だからである。
 近来の「近」の字を、今日の「今」の字を、思い出せずに困惑し続けている者(〈空間〉の人御米は、「近」の字を近江の「近」と答えていた)。〈冒険者〉とは、満州や台湾、蒙古や朝鮮といった〈空間〉を「漂浪いてゐる」者たちのことではない。「変化」や「発展」を欲望するというよりは(それは欲望して得られるといったものではなく、突然に結果として訪れるものだからである)、そもそも「変化」や「発展」とはいかなるものなのかを問おうとする者、あえて「漂浪」することさえも辞さず、自身の〈生〉における真の〈時間〉性を見極めようとせざるを得ない者のことである。

彼は此晩に限つて、ベルを鳴らして忙がしさうに眼の前を往つたり来たりする電車を利用する考が起らなかつた。目的を有つて途を行く人と共に、抜目なく足を運ばす事を忘れた。しかも彼は根の締らない人間として、かく漂浪の雛形を演じつゝある自分の心を省みて、もし此状態が長く続いたら何うしたら可からうと、ひそかに自分の未来を案じ煩つた。今日迄の経過から推して、凡ての創口を癒合するものは時日であるといふ格言を、自家の経験から割り出して、深く胸に刻み付けてゐた。それが一昨日の晩にすつかり崩れたのである。(十七)

 安井の出現を予告されて、「例にない状態」(十七)に陥った宗助は、「例の様な」「常に」「何時もの」「使ひ慣れた」、つまりは日常的〈空間〉から疎外される。宗助は鎌倉へと参禅を決意する。まだなお彼は、自分の置かれた位置を〈空間〉的にずらせてみようと試みるのだろうか。しかし、そこで問題になるのは、やはり「言葉」であり、〈時間〉なのだ。

 「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考へて見たら善からう」
 宗助には父母未生以前といふ意味がよく分らなかつたが、何しろ自分と云ふものは必竟何物だか、其本体を捕まへて見ろと云ふ意味だらうと判断した。(十八)

 「髪結床」(十三)での宗助の自問は、参禅して与えられることになる公案を先取りしたものであった。むろん、ここで問われている〈時間〉性は、「只自然の恵みから来る月日と云ふ緩和剤の力」(十七)といったものとは別のものだ。それは〈時間〉の一面性に過ぎない。宗助は、「自分を救ふ」という彼の参禅の当初の目的からいっても、与えられた「父母未生以前本来の面目」という公案に対する「見解」を見い出すだけでなく、それを同時に「心の実質が太くなる」ように自分の「人世観を作り易へ」て生きて行くこと、すなわち「自己本位」(十七)の肯定とつながる形で考えねばならない。
 自己確認がされないままの「自己本位」。むろん、これは作者があらかじめ仕組んだ「循環小数」(十八)である。

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  四 安井と宗助 あるいは 「自然」と「頭」

 「月日と云ふ緩和剤の力丈で、漸く落ち付いた」はずの生活が、「安井」あるいは「冒険者」の一語で、何故こうも脆く「崩れて」しまうのか。互いを信仰し、「互に抱き合つて、丸い円を描き」(同)ながら、築き上げてきたはずの御米との生活とは何であったのか。その生活に、果して「根」は存在するのか。当然宗助は、そのことを自身に問い直さねばならない。そしてこれらの問いが、実は以前から彼の内部にすでにあったからこそ、御米に対する配慮を欠いた言葉や逃避の姿勢が出て来ることになるのである。

 「是でも元は子供が有つたんだがね」と、さも自分の言葉を味はつてゐる風に付け足して、生温い眼を挙げて細君を見た。(三)

 「御米、御前子供が出来たんぢやないか」と笑ひながら云つた。(六)

 父母未生以前と御米と安井に脅かされながら‥‥‥(十八)

 そして、安井が「如何にも不意に」(十七)、「是程偶然な出来事を借りて、後から」(同)現われようとしている今、「苦し」く、また「腹立たし」く思っている宗助は、今こそ「自然=運命」に対して正面から向かい合わねばならないはずなのである。
 宗助が、その名を御米と(さえ)共有することを拒んだ安井とは誰か。宗助の精神状態を「不安で不定」にさせる者。その「情熱」(十四)を、「暖かな若い血」(同)を分かち持つ真の共有者であり、「精神」の故郷を同じくする同郷者。それが今、宗助の〈現在〉を、本当の自分自身を確認するために必要な真の他者、誰よりも(本人よりさえも)限りなく自分自身に近い存在者として、眼前に現われようとしているのである。
 たとえば、『門』における循環する季節、「自然」の時間の流れがそうであるように、時間は空間化され得る。空間化されるからこそ時間は、〈見えるもの〉としてそこに感じ取れるのである。しかし、宗助の抱え込んでいる〈時間〉の問題は、決して〈空間〉化されることがない。それは〈見えないもの〉としてあるのである。そして、その究極にあるのは、やはり「死」の問題であろうと私は考えているのだが、ともあれ、ここで安井は、〈時間〉=〈見えないもの〉の形象化として現われている。それは、単に宗助の〈現在〉を確認する手段というだけのものではない。安井は、「過去」の宗助としてだけではなく、〈現在〉の宗助、「未来」の宗助その人としても現われているのだからである。その意味で、安井という男の存在は、〈時間〉の源泉としての「自然=運命」の象徴であるといえるのである。
 そして宗助は、「過去」〈現在〉「未来」の自己確認をせよという「自然=運命」の要求に、しかし背を向けるのである。「自然=運命」は、宗助に〈時間〉の人であること、すなわち〈冒険者〉であり続けることを強いている。宗助は宗助で、彼なりの「冒険」によって〈冒険者〉でなくなることを欲しているのである。それが宗助の参禅なのである。
 「自暴と自棄と、不平と憎悪と、乱倫と悖徳と、盲断と決行と」(十七)というように、「堕落の方面をとくに誇張した冒険者を頭の中で拵え上げ」(同)る宗助は、安井という〈時間〉的〈冒険者〉を、あくまで〈空間〉的「冒険者」として、あえて曲解することで、彼自身も〈時間〉的〈冒険者〉であることを否認し、ただ〈空間〉の人であろうとするのである。宗助は、自己を見つめ直すことを拒否したまま、「過去」からも未来からも切り離された、安全なはずの〈現在〉を得ようとする。御米と築き上げてきた虚構の〈現在〉が崩れ去った今、彼はたった一人で、自分のその「華奢な世間向きの頭」だけでもって、別の虚構を築こうとするのである。まるで、それが彼に出来る唯一の「自然=運命」に対する抵抗ででもあるかのように。

彼は悟といふ美名に欺かれて、彼の平生に似合はぬ冒険を試みやうと企てたのである。さうして、もし此冒険に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救ふ事が出来はしまいかと、果敢ない望を抱いたのである。(十八)

 宗助の悲劇性は、彼が坂井や御米といった「世間」の人たちと同じく〈空間〉の人であることを望みつつ、しかしそれが許されなかったということではない。禅寺という特殊な〈空間〉へと無防備な「裸=頭」をさらす「冒険」をその自らの「頭」によって企てた彼が、自己の〈生〉における〈時間〉性の確認を迫られたとき、やはりその「頭」を使って答えを求めてしまう点であろう。宗助は、その「華奢な世間向き」(十四)の「頭」を放棄しきれず、しかも〈時間〉の人になりきることも許されずに、日常に戻されてしまうのである。
 しかし、〈時間〉性の問いに捉えられているかぎり、彼にはもはやどんな〈空間〉でさえも、そこに安住することはかなわない。「門」の中に入れず、また引き返すことも許されない。「長く門外に佇立むべき運命をもつて生れて来たものらしかつた」(二十一)という認識は、ひとり宗助のみに与えられているが、これは宗助が、御米との生活から一旦自らを切り離し、その無防備な「頭」一つによる「冒険」によって手に入れた「言葉」である。「近」「今」の「文字」は、手に入りはしなかった。というより、彼はそれらの「文字」を、むしろ忘れ続けようとしたのである。そして忘れることも、はっきり思い出すことも、いずれも出来なかったのである。〈冒険者〉でなくなるための「冒険」は、宙づりにされたまま終わる。
 たとえば、『こゝろ』のKと先生との関係を考える。先生の本当の「過去=精神の同郷者」としてのK。このKという存在を、自分の「近」くのものにしようとして、自分の「今」にしようとして、言い換えれば先生は「近」「今」の文字を取り戻そうとして、それを得ると同時に死んだ。死ぬ以外にそれを得ることはかなわなかったからである。しかしそれは、「罪」に対する償いといったものではない。自身の「過去」に対して、つまりは「自然=運命」に対して、向かい合うという一つの実践的な姿勢であったのである。
 遠くない未来において、「近」「今」を手にするために一人の青年と向かい合い「告白=自死」する先生という、いま一人の〈冒険者〉を創ることになる作家は、この『門』においては、同じ〈関係〉の問題を別の方法で解こうと努力している。そして結果として、それは失敗に終わっている。
 安井は「自然=運命」の象徴としての役割が大きく、その意味では『こゝろ』のKでさえその域を脱し切っているわけではない。しかし、この非人間的な存在が真に人間的に描かれるには、『道草』を待たねばならないので、たとえば『道草』の健三の養父母などは、同じように健三の「過去」として現われるのであるが、そのとき作家には「自然=運命」に対する被害者意識はなく、〈精神的故郷〉というロマンも必要とはしていない。登場人物たちの関係(そこにはそれを描く作者自身も含まれる)を見守るもう一回り大きな〈自然〉が、作家の視野に入っているからである。

 御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
 「本当に難有いわね。漸くの事春になつて」と云つて、晴れ晴れしい眉を張つた。宗助は縁に出て長く伸びた爪を剪りながら
 「うん、然し又ぢき冬になるよ」と答へて、下を向いたまゝ鋏を動かしてゐた。(二十三)

 〈自己の自然〉を自ら選択することによって〈世間の自然〉から制裁を受けることになる『それから』の代助の狂おしい叫びも、〈大きな自然〉をその視界に収めることができずに〈小さな自然〉の内側で自己を相対化する外にない『道草』の健三の苦いアイロニーも、ここにはない。
 『門』は、宗助の「うん然し又ぢきに冬になるよ」という言葉で締めくくられる。もちろんこの言葉は、単なる繰り返しの日常を肯定する言葉としてだけ受け取られてはならない。宗助がその参禅の後に、彼の以前と同じ日常には戻ってきていないことは明らかなので、その意味で宗助の参禅は茶番でも遊戯でもありえないのである。しかし、繰り返される日常の時間という本質を認定する姿勢が、そこでそのまま留まっていて、その認定の向こう側へと越えていこうとする、日常に対する、また自己に対する、変革の意志が欠落しているのもまた事実なのであり、自身の「過去」に、「自然=運命」に向かい合おうとする積極的な姿勢は見られないのである。
 ここには、きわめて消極的な諦念がある。それは欺瞞といってもよい。「近」「今」を手に入れようとする欲望を真摯に追求することなく、それを曖昧にしたまま回避し、「自然=時間」の循環を示す「冬」という言葉で、その代用をさせてしまっているからである。いずれ宗助は近いうちに、「近」という字を忘れ、「今」という文字を思い出せなくなっている自分に、再び気づくことになるであろう。そして「近」「今」を失語したままでいるかぎり、彼は〈冒険者〉たらざるを得ず、また作家はその病名宣告を自ら創作命令として受け取らねばならないのである。
 「自然」と「人間」との調和は、すでに失われたものとして、漱石の認識の中にある。彼は、もはやそれを素直な形で希求するわけにはいかない。「自然」は「人間」と調和したりはしない。「自然」の現象について、「人間」の側が、勝手に自分たちの都合で幸・不幸を決め込んでいるだけのことである。「自然」はただ、空であり太陽であるだけで、雨であったり風であったりするだけだ。「自然」は、いわば〈非人情〉的に存在する。そして「人間」が、いわばそれに美醜や善悪の色をつけるのである。〈美醜〉の決定については、個々人に委ねられている。しかし、〈善悪〉については、これは「世間」が決定する。
 宗助は、自分たちの安井に対する行為が、いかにも「自然」なものであったとしか考えられない。あの「事」は、自分たちの意志によるものではなかったはずだ、と。そして、だからこそ彼らは、「世間」がそれに対して下した〈悪〉の決定について、少しも「罪」を感じてはいない。彼はただ、「自然」そのものに対して、「天」に対してだけ、恐れと不平の感情を抱くのである。その「不合理」や「不可思議」を受け入れるために、宗助は「愛の神」という虚構を必要としたのである。彼は、いまや「世間」から逃げようとしていたのではなく、「天」から逃れようとしていたことは明らかである。

 彼の頭を掠めんとした雨雲は、辛うじて、頭に触れずに過ぎたらしかつた。けれども、是に似た不安は是から先何度でも、色々な程度に於て、繰り返さなければ済まない様な虫の知らせが何処かにあつた。それを繰返させるのは天の事であつた。それを逃げて廻るのは宗助の事であつた。(二十二)

 鎌倉から帰った宗助は、坂井を訪ねている。その坂井から、安井は弟と一緒に「四五日前帰りました」(同)という言葉を引き出している。そして彼は、「政略的に談話を駆つた」(同)にもかかわらず、「知らうと思ふ事は悉く知る事が出来なかつた。己れの弱点に付いては、一言も彼の前に自白するの勇気も必要も認めなかつた」(同)のである。では誰になら、その「弱点」を「自白」できるというのか。何からなら、「知らうと思ふ事」を「知る事」ができるのか。
 宗助の「弱点」が、その「頭」であることは、もはや疑う余地がない。彼はその「頭」を通して自らの「過去」を覗き込み、その「頭」を通して「天」を仰ぎ見る。このとき、「頭」は生きた人間を離れて徹底的に独りきりである。「自然」に「人間」とつながる「根」は存在するのか。それは倫理の基準としての「天」ではなかろうか。しかし、「自然」はあくまでも〈非人情〉的である。「頭」はそれを「不合理」と見る。そして「運命」を突きつける「天」から逃れようとする。「父母未生以前と御米と安井に」背を向けた宗助には、向かい合う他者が、人間が一人もいない。〈時間〉の問題は残される。
 幾度も繰り返されるであろう「冬」の一語を口にしたことで、宗助の「頭」は、「運命」を、〈時間〉を、「自然=天」に本当に委ねているといえるのだろうか。彼の「頭」は、「天」に何を求めようとし、何を求めまいとし、何を絶望しようとしているのか。
 そしてこの弱い「頭」の問題が、「自然=天」に対するはっきりとした被害者意識として「内へとぐろを捲」きながら、『彼岸過迄』に続いていくのである。

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  註

@ 前田愛「山の手の奥」(『都市空間の中の文学』筑摩書房、一九八二)に、「小六の同居が宗助と御米のつなぎとめられている〈ここ〉への犯しを意味  していた」との指摘がある。

A この点については、「銭湯」(「どうかして、朝湯に丈は行きたいね」)についても同じことが言える(三)。

B 宗助は「多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでゐる」のだが、実際は「十の二三も実行出来ない」でいる。「自分の気晴しや保養や、娯楽もしくは好尚に就いて」、「節倹しなければならない」のは、つまるところ「頭」に「余裕のない」せいだとされている(三)。宗助の「頭」が、極めて〈空間〉的であることについては、小論で幾つか触れている。

C 前掲前田氏論文には、先の引用文に続いて、「安井の出現は、宗助にとって日常的な世界を現前させている〈いま〉への脅かしであった」とあり、時間と空間の二つの軸によって、御米と宗助(二人の特にその〈いま〉と〈ここ〉=現在)を読み解かれているという点で、小論は示唆を受けている。小論においては、しかし小六もまた宗助の〈時間〉を脅かす存在であるという点を付け加えるだけではなく、御米と宗助の隔たり(御米は本質的に宗助の「問題」を共有できないということ)を明確に示すために、〈空間〉の人−〈時間〉の人という二項対立の構図が強調されている。そしてこの〈時間〉に関してだけは、はっきり宗助は「特殊人」と言えるのである。


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