夏 目 漱 石 『 そ れ か ら 』 の 「 自 然 」

A Consideration of "Shizen" in Natsume Soseki's Sorekara


 武 田 充 啓 (Mitsuhiro TAKEDA)


章立て

 はじめに

   

 

 
 


 はじめに 

 『それから』(明治四二・六〜十)全編を貫いているのは、長井代助の恋愛と結婚の問題である。友人平岡の妻三千代との恋愛と父親得をはじめ周囲の家族から勧められる結婚との間に立って苦しむ代助は、「自然」か「社会」か@、あるいは「自然」か「人為」かAといった二者択一を迫られ、結果的には「自然」に向かうことになる。
 小宮豊隆は、『それから』の悲劇は《社会に背むいた恋の叶へられぬ点にあるのではない》とし、むしろ代助が《頭の中の世界と頭の外の世界とを並べて、其調和平衡に生きてゐる》《ハムレツト型の人間》であり、その彼が《イリユージヨンに生きて其イリユージヨンを一直線に現実化しやうとする》《一種のイデアリスト》としての《ドンキホーテたらん事を冀つて、しかもドンキホーテたり得ざる処にある》と指摘しているB。
 小論の主眼は、代助の「頭の中」にある「自然」と「頭の外」にある「自然」との関係を読み解き、「ハムレツト」が如何にして「ドンキホーテ」たり得なかったのかを問い直すことにある。


  

 「二十世紀の堕落」(九)を生きる『それから』の人物たちは、誰もが二元的な存在である。「相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互いに黙知しつゝ、談笑しなければならない」(同)という言葉がそれを示している。つまり誰もが「頭の中」と「頭の外」との対立を生きる「ハムレツト」なのである。しかし少数の例外を除いて、多くは自己の二重性を自覚せずに(できずに)一元的な存在者らしく調和を装っている。
 たとえば維新前の「道義本位の教育」(同)に執着しながら、一方で「生活欲に冒され易い実業に従事」(同)している父がそうである。自らは「道義」の人であることを疑わない。しかし「利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて」(十三)いるその姿は、代助にとっては「自己を隠蔽する偽君子か、もしくは分別の足らない愚物」(九)としか映らない。「泰西の文明の圧迫を受け」(八)る「劇烈な生存競争場裏」(同)においては、「膨張した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊を促が」(九)すことになる。したがって人は「道義」のうちに潜む「利己」に対して意識的にならざるを得ないはずなのである。
 代助の批判はこうした二重性の隠蔽と自己欺瞞に向けられる。しかし「融通の利く両つの眼が付いてゐて、双方を一時に見る便宜を有して」(十五)いる代助は、そのためにかえって「即かず離れず現状に立ち竦んでゐる事が屡」(同)である。彼は父を「腹の中で」「侮辱してゐる」(九)だけで、面と向かって批判しようとはしない。代助は「煮え切らない」(十二)「元来が何方付かずの男」(十五)なのである。
 「『先祖の拵らえた因縁』」(三)のある佐川の娘との結婚を強いられた代助は、「父の人格に」「疑を置」(十三)き、「結婚其物が必ずしも父の唯一の目的ではあるまい」(同)とまで考える。しかも彼はそのように父を疑うことを「不徳義とは考へ」ず、したがって自分は「不幸」ではないとする(同)。父のような「人の為」を衒った「道義」ではなく、むしろ自分を偽らない「疑」のほうが、「堕落」ではあれ「徳義」にかなう。そういう独自の論理が彼の幸・不幸を決定している。「貰へば貰つても構はなかつた」(七)はずの代助が、それでも結婚に抵抗するのは、そこに彼特有の欺瞞を許さぬ倫理があるかのようである。しかし、代助の倫理は徹底し得ない。
 代助は「父と違つて」「自然を以て人間の拵えた凡ての計画よりも偉大なものと信じてゐた」(十三)。

たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明かな事実を握つて、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でゐた。だから、結婚を必要条件と、初手から断定して、何時か之を成立させ様と喘る努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。(七)

 代助の倫理の基準は「自然」である。「自然」には「今利他本位でやつてゐるかと思ふと、何時の間にか利己本位に変つてゐる」(三)というようなことがない。「利己」を隠蔽し、偽善的に「利他」を装うのは「不自然」であり「不徳義」である。しかしそうした罪悪から自由でいるために、代助がその「自然」を押し進めればどういうことになるか。

 もし馬鈴薯が金剛石より大切になつたら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考へてゐた。向後父の怒りに触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に噛り付かなければならない。さうして其償には自然の愛が残る丈である。(十三)

 父親に「金銭」を頼っている以上、父親がそこから金を得ている社会に対しても中途半端な態度でいるしかない。彼が「 nil admirari の域に達して仕舞つた」(二)のはその結果であり原因ではない。代助の「人間」を「駄目」にしないためには、父親や社会が、つまりは「金銭」が必要であるということを彼は知っている。当然、彼の文明批判も父親批判も徹底したものではあり得ない。
 代助は「金剛石」によって隠蔽された「利己」を抱えている。彼は自己の二重性に意識的である。そしてその「利己」を倫理的に救済するために一元的「自然」を持ち出しているのであるC。しかし「自然の愛」を真に生きることができない彼は、とりあえず父や社会を「『怒らせない様に』」(十二)して、自分を救う「頭の中」の「自然」の延命を図らねばならないのである。そういう意味では代助の「頭の中」の「自然」は、「利己」を隠蔽するための「金」で支えられた虚構に過ぎないのである。
 代助の兄誠吾もまた「利己」と「利他」の二重性を生きる男である。しかし「親の金とも、兄の金ともつかぬもの」(三)という言葉が示しているように、長男である兄には、〈家〉と自己との境界が不明瞭である。
 平岡夫婦のために借金を申し出た代助は、兄からはっきりと断られるのだが、そのとき彼は「連借でもしたら、何うするだらう」と兄を「試験して見たく」思うのである(六)。兄は父のような偽善的「利他」主義者ではない。では「利己」主義者のはずの兄が以前代助に代わって「放蕩費を苦情も云はずに弁償して呉れた」(同)のは何故か。兄は「利他」の人なのか、それともやはり〈家〉=自分のためを考える「利己」の人なのか、という疑問は解消されないままである。
 兄への「試験」はひとまず中止されるのだが、自身の「利己」に関して曖昧なまま「煮え切らない」でいる代助が兄の二重性を暴こうとするのは、彼自身そう思うように「性質が能くない」(同)のである。
 代助にとって誠吾は「蔓のない薬缶と同じことで、何処から手を出して好いか分らない」(五)。だが兄もまた弟が分からないのである。「試験」は回避されたわけではない。終盤、父に宛てた平岡の手紙を持って訪ねて来た誠吾は「今迄折角金を使つた甲斐がないぢやないか」(十七)という言葉を口にする。「つい此間迄全く兄と同意見であつた」(同)代助が「自然」に向かうとき、兄の正体ははっきりとする。むろん兄を「試験」するために代助の〈恋愛〉があったわけではない。しかし、そこまで徹底しなければ肉親でさえその正体はつかめはしないという、人間やその「利己」に対する疑いと絶望の深さが「試験」の一語に込められているのである。「今度と云ふ今度は、全く分らない人間だと、おれも諦らめて仕舞つた。世の中に分からない人間程危険なものはない」(同)。この兄の言葉は〈家〉の言葉でもあり社会の言葉でもある。代助にとって父がそのまま世間であったように、兄もまた「世の中」そのものであったのである。
 〈家〉のために生きるのか生きないのか。結婚問題を通じて、代助が突きつけられ強いられるのは〈家〉の論理に従った二者択一的言説である。代助には〈家〉のために生きることが自分のために生きることであるとは思えない。彼は自己の二重性をできれば一元的なものにしたいのだが、そこに虚偽が含まれることを拒むのである。〈家〉の論理から逃れるための苦肉の策が彼の「頭の中」の「自然」である。「利己」に関する欺瞞の有無、「自然」か否かの判断基準によって、代助は〈家〉や社会と一定の距離を保っている。しかし彼の倫理は自身の「利己」に関して曖昧な点を残しており、したがって〈家〉や社会を批判する有効な論理を持ち得ない。不快な二重性を甘んじて生きる代助の「煮え切らない」言説は通用性を持たず、彼の周囲は「悉く暗黒」(六)なのである。
 しかし、たとえば「胆力」を有難がる父に対して「御父さんの様に云ふと、世の中で石地蔵が一番偉いことになつて仕舞ふ」と一緒に「笑つた事がある」嫂梅子は別格の存在である(三)。代助は「一家族中悉く馬鹿にして」(七)いるのだが、そんな自分を嫂の前では素直に認めることが出来るのである。「天保調と明治の現代調を、容赦なく継ぎ合せた様な」(三)彼女は二重性を隠蔽することなくそのまま生き得る人なのであり、〈家〉の言説が強いる二者択一的世界から自由な存在なのである。「代助は此嫂を好いてゐる」(同)。その嫂が「父や兄と共謀して」(十一)代助に結婚を迫ることは、つまりは彼女を父や兄と同類と見なさざるを得なくなることであり、社会を拒む代助は〈家〉における最小限の自由度さえ失い、全くの二者択一的世界を生きなければならなくなることを意味する。だから「代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた」(十二)のである。
 「三千代の引力」とは「其所にわが安住の地を見出した様な気」にさせる力である。三千代だけは「芸妓ではない」と思わせる力といってもよい。代助はその「頭」では「男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受け」ており、その意味で「都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓」であると考えている。だから自分の三千代に対する「情合」も「たゞ現在的のもの」で「渝らざる愛」でないことを認めている。しかし「心」ではそう感じられない。彼は「渝らざる愛」を「口にするものを偽善家の第一位」に考えるが、そのとき三千代の姿が浮かぶのである。そして「或因数は数へ込むのを忘れたのでは」と疑うのだが、平岡敏夫の指摘にあるように、こうした代助の《都会人芸妓説なる論理は、鋭い現実批判(アイロニー)であると同時に、たんなる『道楽』の論理に落ち込むもの》でもあるD。代助が忘れているのは彼自身の倫理である。彼は「随縁臨機」を「自然」と混同し、非「偽善」をそのまま非「利己」であるかのように扱っている。代助の倫理=「頭の中」の「自然」は、やはり曖昧なのである(十一)。
 「安住の地」は、「たゞ、かれの心の調子全体で、それを認めた丈であつた」(同)。しかし、三千代の存在に曖昧なものはない。彼女はそれが自らの宿命ででもあるかのように、生活を共にする相手を親から兄に、母と兄を亡くして再び父に、そして父から平岡へと移し変え、その生きる場所を「東京近県」(七)の田舎から東京に、東京からまた田舎に、結婚後東京から関西に、さらに関西から再び東京へと入れ替えてみせる。この二者択一というよりは二者の往復に彼女の意志や「計画」はない。〈往復の人〉三千代は偽善や欺瞞から自由に生きている「自然」の人なのであり、その意味においては一元的な存在なのである。
 代助の「頭」は、彼の「心」や彼の「頭の中」の「自然」を支えるものが「物質的状況」(十六)であり、それが「日糖事件」(八)に代表されるような日露戦後の社会情勢にからんで脅かされつつあるという現実も、また父の勧める結婚がその解決策の一つとしてあるということさえも理解するであろう。しかし代助が曖昧な倫理を抱えた「頭」に頼っている限り、二重性をそのまま生きることが許されず、虚偽や欺瞞を含んだ二者択一を強いられる「薄弱な生活」から逃れられないのだとすれば、「方法は、たゞ一つ」、「矢つ張り、三千代さんに逢はなくちや不可ん」(十一)のである。こうして「三千代の引力」は、「暗黒」から「安住の地」へ、「頭」から「心」へ、言説から行為へ、批判から実践へ、それが自己の本来の生存のあり方なのだという方向に代助を導くのである。
 しかし代助はその三千代を恐れている。そこでは当然代助の個人的な倫理の曖昧さが質されることになる(それは具体的には「自然の児」か「意志の人」かの選択決定に関わる「自然」と「意志」の関係を読み解く問題となる)だろうし、「物質上の供給」(十六)を持たない代助の倫理や彼の「頭の中」の「自然」がどのような形で存在し得るのか(代助の〈恋愛〉がどのような種類のものかという問題)も問われるだろうからである。

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 友人平岡が指摘するように、代助は「頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きてゐる」(六)人間である。しかし彼の個人的な倫理の曖昧さは、彼の論理と感性Eの両面に影を落としている。代助の論理に「『胡麻化し』」(同)があることは、三千代も見抜いている。感性の領域においては、冒頭の夢と現実、意識と無意識の二重性の境界が明瞭でなくなる場面からすでに現わされている。だがこのことは単に代助の《生の不安》Fを示しているだけではない。
 代助は「脳の中心から、半径の違つた円が、頭を二重に仕切つてゐる様な心持がし」(十一)「夫で能く自分で自分の頭を振つてみて、二つのものを混ぜやうと力め」(同)ている。二重性を生きる代助は一元的でありたいと願う人なのである。しかし「利己」や欺瞞を恐れて「意志を発展させる事の出来ない」「不調和を忍んでゐる」(六)のである。代助のこの曖昧さは彼の心臓の鼓動のように「自分は今流れる命を掌で抑へてゐるんだ」と確信させてくれるものであると同時に「自分を死に誘ふ警鐘の様なもの」でもある(一)。つまりは安心と不安の両義的な性格を持つものなのである。そして「代助は、二重の頭がぐるぐる回転するほど、風に吹かれた」ときに、「意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙に運んで行く有様が愉快」に感じられ、はじめて「気色が余程晴々して来」(十一)るのである。

 自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張つた方針の下に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達して居る事を切に自覚した。(十四)

 代助は二者択一を迫られている。しかし「自然の児」にせよ「意志の人」にせよ、択一という方法自体が「硬張つた方針」であり、「意志」による自らの「束縛」である。代助がいずれを選択するかが問題なのではない。「寒暑にさへすぐ反応を呈する自己」の言葉によって、「自然」に対して「反応」する代助が本来「自然の児」であることが予め明かされていると見ることもできるからである。
 より重要なのは、代助の〈選択を拒否したいという欲望〉と〈選択を受容せざるを得ないという自覚〉との相剋である。代助は一方的に「意志」的であることを強いられている。ここでは、代助が自らの「意志」を働かせて未来を決定するのか、それとも別の何ものかによって「彼の生活が、一大断案を受く」ことになるのか、が問題なのである。
 代助の「頭の中」の「自然」は、たとえば次のようなものである。

代助は固より呼び出される迄何も考へずに居る気であつた。呼び出されたら、父の顔色と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心組であつた。(略)あらゆる返事は、斯う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来るのが本当だと思つてゐた。(十四)

 代助に、しかし「即席」や「臨機」は許されない。彼は「自然の児」か「意志の人」かを自らの「意志」によって選ばざるを得ない「運命」にある。代助はそうした「運命」に対し「卑怯」であり続けようとする(十四)。その姿勢は父親や嫂に「運命」の役割を代行させることになるが、彼はむしろそれを望んでいる。代助は「意志」によって行為しようとしない。できれば「相手と自分を商量」できる「顔色」が欲しいのである。だがこの「ヂレンマ」(十三)の相手は「運命」であり、また自分自身である。そして「運命」の「顔色」がわからぬ代助に自分の「顔色」が作れるはずはない。「運命」は彼の「頭の中」の曖昧な「自然」を質しているといってよい。ただ代助に自己検証がないわけではないのである。

自分が平岡に対して、比較的真面目であつたのは、三千代を弁護した時丈であつた。けれども其真面目は、単に動機の真面目で、口にした言葉は矢張好加減な出任せに過ぎなかつた。厳酷に云へば、嘘許と云つても可かつた。自分で真面目だと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段である。(十三)

 それが三千代に対する倫理であるかのように、代助は自らの「利己」を「解剖」し「吟味」する。しかし、それは三千代=「自然」に近づき得る十分条件とはならない。語り手は、平岡夫婦の隔たりに関する代助の無自覚を指摘している。彼は自分「と云ふ第三者」のために夫婦の「疎隔が起つた」とは「信ずる事が出来な」いし、「自分が三千代の心を動かすが為」とも「思ひ得な」い。そして自分たちの「関係を、平岡から隠す」ような、「不信な言動を敢てするには、余りに高尚であると、優に自己を評価してゐた」のである。代助の自己評価は彼の「自然」への「意志」を正当化し得ない(十三)。
 「紙の指環」(十二)に関して、代助は三千代を「罪のある人にして仕舞つた」と考える。しかしそれは「代助の良心を螫すには至らな」い。彼は「法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡も」「責を分かたなければ」と考える。代助の「良心」は「自然」に対してしか働かないのである(十三)。
 縁談の進行に伴い〈情調の人〉代助は「自然」に過敏な反応を示すことになる。「三千代の方に頭が滑つて行」くときには「美しい空に星がぽつぽつ影を増して行く様に見え」、彼女に紙入れの中身を渡したその帰りにも「高い星を戴いて」いる(十二)。佐川の娘との見合いの数日後、赤坂の「待合」で過ごした翌日に三千代を訪ねるときには、「湿つぽい梅雨が却つて待ち遠しい程熾んに日が照つた。代助は昨夕の反動で、此陽気な空気の中に落ちる自分の黒い影が苦になつた。(略)早く雨期に入れば好いと云ふ心持があつた」(十三)とあり、彼はしきりに空や天候を気にしている。代助は熱を冷ますような夜間であれば「歩きつゞけても疲れる事はなからう」(十二)としながら、昼間の太陽に対してはそれが「天」の倫理的な視線ででもあるかのように「広い鍔の夏帽」でそれを避け、「自分の黒い影」を苦にし、家に帰るとすぐに「髪を冷水に浸し」ている(十三)。自然現象に対する代助の感性は、おそらく彼の個人的な倫理と無関係ではない。
 「利己」からは自由なはずの、代助の三千代に対する「気の毒」の語を重ねた強調(十三)は尋常とは思えないほどであるが、これさえも小宮豊隆のいうように結婚問題などの外からの刺激や事実と同様、《代助の眼の上にかぶさつてゐた薄膜を、一枚一枚剥ぎとる事には役立つても、決して偶然のものを必然に押しやる働きをするものではなかつた》のであるG。
 「最後の権威は自己にある」と「腹のうちで定め」てはいるものの、代助は縁談を「断つた後、其反動として、自分をまともに三千代の上に浴せかけねば已まぬ必然の勢力が来る」と思うと「恐ろしくな」り、「不決断の自己嫌悪に陥」る。「心待に」する父からの「催促」はなく、三千代に会う「勇気」もない(十四)。

 歩きながら、自分は今日、自ら進んで、自分の運命の半分を破壊したのも同じ事だと、心のうちに囁いだ。(略)彼は何うしても、今日の告白を以て、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかつた。さうして、それから受ける打撃の反動として、思ひ切つて三千代の上に、掩つ被さる様に烈しく働き掛けたかつた。(十四)

 代助は「反動」を恐れ、しかし「反動」を求めている。彼の「意志」が実のところ「反動」の、したがって「必然」のわき役に過ぎないことは明らかであろう。ここでいう「告白」(「好いた女があるんです」)も父親にではなく「序」で嫂になされている。代助の「意志」は、はぐらかされているのである。代助に「意志」による二者択一はなく、彼は一種の消去法を取る。すなわち、「結婚」は「道徳の形式」に過ぎず「道徳の内容」に影響を及ぼさない。「心を束縛する事の出来ない形式は」彼の「ヂレンマ」を解消できない。だから「縁談を断るより外に道はなくなつた」とするのである(十四)。しかしこれは同じ論法で、逆に結婚を肯うこともできるのである。
 「決心」の翌日、代助は「床屋の鏡」で自分の「顔色」を確かめている。そして「積極的生活」を選んだかのようである。しかし、それは彼自身の「意志」によってではない。むしろ「二三日凄まじく降つた」雨のせいなのである。そして代助を許すかのように「雲の切れ間から、落ちて来る光線は」「柔らかに見え」る(十四)。おそらく作者は、この「偶然」がそのまま「必然」でもある「自然」(自然現象)によって、代助の個人的な倫理(「頭の中」の「自然」)を救ったのである。

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 代助の「頭の中」の「自然」を救うもう一つの「自然」について考えてみたい。 代助は「自分の動機や行為を、よく吟味して見て、其あまりに、狡黠くつて、不真面目で、大抵は虚偽を含んでゐるのを知つてゐる」。彼は自らの「意志」によっては動けない。その結果「社会的に安全」だが「自己に対して無能無力」となる(十三)。では「利己」から自由な「熱誠」は如何にして可能なのか。

代助の考へによると、誠実だらうが、熱心だらうが、自分が出来合の奴を胸に蓄はへてゐるんぢやなくつて、石と鉄と触れて火花の出る様に、相手次第で摩擦の具合がうまく行けば、当事者二人の間に起るべき現象である。自分の有する性質と云ふよりは精神の交換作用である。(三)

 「だから相手が悪くつては起こり様がない」(同)。この意味で三千代は「自然」であり、「自然」そのものでなければならない。代助は三千代の存在のあり方に「自然」を見、自分の「頭の中」の「自然」を融合させようとする。彼女が「自然」そのものであることによって、代助の「頭の中」の「自然」も倫理的に正当化され得る。「自然」としての三千代は「計画」を持たず「利己」から自由であり、それを求める代助に「利己」や欺瞞はないというわけである。
 これまで縮小を余儀なくされていた代助の「頭の中」の「自然」も、相手が倫理的に保証された「自然」であれば、その限りで拡大が許される。そういう意味では『それから』の〈恋愛〉は個人の「内面」(六)Hや「意志」の克明な描写の上に成立するものではない。私は、作者の自然や恋愛についての認識Iに忠実に従った『それから』が、それによって失敗しているとは考えない。そして作者のそうした思想の核には現在という時間に対する不信と恋愛成立の不可能性への認識があると思う。

「何だつて、まだ奥さんを御貰ひなさらないの」(略)其時代助は三千代と差向で、より長く坐つてゐる事の危険に、始めて気が付いた。自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆つて、準縄の埓を踏み超えさせるのは、今二三分の裡にあつた。(十三)

 しかし「代助は辛うじて、今一歩と云ふ際どい所で、踏み留まつた」(同)。彼は「無意識」を厭い、進みつつある〈現在という曖昧な場所〉での「自然」を信じない。では代助が信頼し得る「自然」はどこにあるのか。

もつと三千代と対座してゐて、自然の命ずるが侭に、話し尽して帰れば可かつたといふ後悔もなかつた。彼は、彼所で切り上げても、五分十分の後切り上げても、必竟は同じ事であつたと思ひ出した。自分と三千代との現在の関係は、此前逢つた時、既に発展してゐたのだと思ひ出した。否、其前逢つた時既に、と思ひ出した。代助は二人の過去を順次に遡ぼつて見て、いづれの断面にも、二人の間に燃える愛の炎を見出さない事はなかつた。必竟は、三千代が平岡に嫁ぐ前、既に自分に嫁いでゐたのも同じ事だと考へ詰めた時、彼は堪えがたき重いものを、胸の中に投げ込まれた。(十三)

 「自然の命」に従うにせよ従わないにせよ「必竟は同じ事」に過ぎぬ。代助はもう眼の前の、現在ただいまの「自然」にさえ背を向けて、ひたすら「過去」を遡る。確かに代助は三千代を平岡に「周旋した事を後悔した」(同)。しかしそれは代助が新しい生活に向かうための自己否定の認識ではなかった。彼は自分の「内面」の歴史に「虚偽」を発見し、それを正すために「思ひ出し」ているのではない。時間軸上の一点としての「過去」ではなく、さらなる「過去」へ「何も知らぬ昔」(同)へ「自然の昔」(十四)へと遡るのである。自分の「頭の中」の「自然」にこだわり、それを超える大きな「自然」に抵抗したことを悔いる代助に三千代に対する罪意識はなく、彼女にも「内面」があることを見ない。代助が遡る「過去」はもはや誰の時間軸上にあるのでもないJ。

「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云つた。斯う云ひ得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故もつと早く帰る事が出来なかつたのかと思つた。始から何故自然に抵抗したのかと思つた。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。其生命の裏にも表にも、欲得はなかつた、利害はなかつた、自己を圧迫する道徳はなかつた。雲の様な自由と、水の如き自然とがあつた。さうして凡てが幸であつた。だから凡てが美しかつた。(十四)

 三千代はいない。代助の「頭の中」にある小さな「自然」と「頭の外」にある大きな「自然」との〈恋愛〉は成就したとみてよいだろう。「自然」としての一元的存在、むろんそれは「夢」である。「やがて、夢から覚め」「此一刻の幸から生ずる永久の苦痛」が「卒然として、代助の頭を冒して来た」とき、彼は「甘い香に咽せて、失心して室の中に倒れたかつた」(同)。だが「失心」は代助に許されず、彼が再び〈死ぬ〉ことはない。
 〈恋愛〉の「夢」の瞬間が〈死〉の時間と同義的に扱われていることは、〈生〉を象徴する「赤」のイメージとは対照的な「白百合の花」(同)が使われていること、その覚醒後に代助にあらためて「流れてゐる血潮」や胸の「鼓動を感じ」(同)させていることからも明かであろう。三千代の乗る車の音が聞こえたとき、代助は「蒼白い頬に微笑を洩らしながら、右の手を胸に当て」(同)ている。「生きたがる男」(一)は〈死〉を望んでいる。しかし彼は二重の意味で三千代と一緒に〈死ぬ〉ことはできないのである。
 「『仕様がない。覚悟を決めませう』」。ここでも三千代は「自然」そのものであるかのようである。しかし彼女自身は、これまでそれを生きてきた「自然」が代助によって〈恋愛〉として共有されようとする瞬間、それが変質してしまうものであるということを知っていたのではなかったか。
 「相並んで存在してゐる」という自覚が、たとえ一刻であれ許されたことは「愛の賚」かも知れぬ。しかし「愛の刑」は、「二人の魂」が「社会から逐ひ放たるべき」ものとなったことではない。そうだとすればむしろ幸いである。たとえば『門』の宗助と御米のように、社会の片隅で「二人」して生きて行けばよいからである。
 「覚悟」の一言で、三千代はいわば大きな「自然」の象徴としての一元的存在から、一個人の小さな「自然」を抱えた二重性を生きる生身の存在に変身する。彼女の〈個人的な自然〉は蘇り、しかし間もなく息絶えるのである。「自然」と〈個人的な自然〉とは、「夢」=〈死〉以外の場所では「相並んで」は存在し得ないというのであろうか。確実なのは、かつて代助によって殺され、いま再び生きることを強いられた三千代の〈個人的な自然〉が、それを彼女が「意志」したその瞬間に、代助の求めている当のものではなくなってしまったということである。
 二重性を生きる三千代に存在する場所はない。代助は三千代への愛の告白の直後に「『万事終る』と宣告」している。「恋愛の彫刻」は三千代の死を前提にしてはじめて可能となるこれもまた一つの「夢」でしかない。それがどれほど「解剖」され「吟味」されたものであれ、どうしてもそこに「利己」を含んでしまうものであるならば、〈個人的な自然〉がそれ本来の〈生〉を「意志」するときには、別の(たとえば三千代のあるいは平岡の)〈個人的な自然〉の〈死〉をもたらすことになる。「物に襲はれた様に」泣き出したとき、彼女にはそのことさえ了解されていたのではなかったか(十四)。
 代助は「復讐」を口にする。三千代が否定しても「代助はそれに耳を貸さ」ず、「『僕は貴方に何所迄も復讐して貰ひたい』」といっている(十四)。これは三千代個人への言葉ではなく、「自然」に向けられた言葉である。「人間」は代助に罰を下すことはできない。ただ「自然」だけにそれが可能だからである。三千代は代助の「復讐」の一語を成り立たせるために、「自然」としての一元的な存在として扱われている。一元的「自然」という「夢」をのみ相手にする代助は、眼の前の二重性を余儀なくされようとしている三千代の〈個人的な自然〉を認めようとはしない。

 代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、たゞ貧苦が愛人の満足に価しないと云ふ事丈を知つてゐた。だから富が三千代に対する責任の一つと考へたのみで、夫より外に明かな観念は丸で持つてゐなかつた。(十六)

 「自然」そのものでなくなった三千代はまるで「世の中」そのものである。代助の「責任」や「職業」Kなど三千代は「欲しくない」(十六)。代助が「物質」にこだわるのは、それが自分の「精神」の基盤だからであり、三千代への「気の毒」である以上に自身の「夢」(「自然」との〈恋愛〉)を存続させようとする欲望なのである。それは自己保身に過ぎない。二人の生活に「金銭」が必要なのは三千代には「始めから解つてる」(同)。自分自身に向けられた〈恋愛〉を望んで「死ぬ積で覚悟を極めてゐる」(同)三千代に対し、いかにも代助は「そわそわして」(十五)いるのである。
 だが〈個人的な自然〉に「利己」という「罪」を見ざるを得ず、「意志」による選択を拒み、むしろ自身の〈個人的な自然〉を縮小させて生きてきた代助が、その拡大を許す「自然」としてではなく自らの〈個人的な自然〉を拡大させて生きようと「意志」する三千代にどうして近づき得ようか。代助と三千代では、その〈恋愛〉の対象がすれ違っているだけでなく、自身の〈個人的な自然〉の扱い方が異なっているのである。
 彼らの違いの本質は「覚悟」、すなわち自身の「利己」を他のもの(たとえば大きな「自然」)の存在を借りずに許し得るかどうかの差異にある。代助は「自己」のみによって生きてはいない。ここではむしろ三千代が、彼女自身としては一元的な〈自己本位〉を生きていると見ることも出来よう。いずれにせよ、「ドンキホーテ」は一瞬の「夢」としてはあり得ても、「ドンキホーテ」であることを自覚する「ドンキホーテ」に「それから」はない。《代助の自己回復の試み》が《彼の自己解体と同じ》Lになってしまうのは、現実の代助がどこまでも「自己」と「利己」の「双方を一時に見る」二重性を生きる「ハムレツト」だからである。しかし三千代の一元的「自然」としての存在が代助の幻想であったように、彼女の〈自己本位〉もまた「永く生きられる身体ぢやない」(十六)ことを前提にした虚構なのである。
 三千代は「自然」であり、〈変わらないもの〉(「少しも変つてゐやしない」(十三))のはずであった。その三千代は生死の境をさまよっている。おそらく「自然」は死ぬ運命にある。代助が悲劇的なのは、三千代=「自然」の死に目に会えない、死を見届けることが許されていないという点である。せめてそれが叶えば、彼は諦めの中にある種の安息を覚えつつ、二度と熱することのない「nil admirari」を生き得たであろう。「自然」がどこかで生き残っているかも知れないという微かな望みさえ抱かないそれは、〈死としての生〉を生きるということである。しかし、それさえ代助には許されず、同じく死にゆく運命にある三千代の〈個人的な自然〉をも見殺しにするしかない。代助は「自然」としての三千代とも三千代の〈個人的な自然〉とも一緒に死ぬことが出来ない。「『何故棄てゝ仕舞つたんです』」(十四)と三千代は詰る。「棄てゝ仕舞つた」ことに後から気づくことはできる。しかし〈棄てつつある〉ことに自覚的ではあり得ない。「頭の外」にある「自然」とのつながりがない以上、「頭の中」の「自然」を「生きたがる」人はそれを学習することが出来ないのである。

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@ 武者小路実篤(「『それから』に就て」、『白樺』明治四三・四)

A 安倍能成(「『こゝろ』を読みて」、『思想』昭和一○・一一)

B 小宮豊隆(「『それから』を読む」、『新小説』明治四三・三)

C 越智治雄(「『それから』論」、『漱石私論』角川書店、昭和四六・六)に「代助の自己正当化の論理として自然が提出されているとも言える」との指摘がある。

D 平岡敏夫(「『それから』論」、『漱石序説』塙書房、昭和五一・一○)

E 吉田熈生(『代助の感性−「それから」の一面』、『国語と国文学』昭和五六・一)に、「代助の〈論理〉は、実は彼の感性の喩である」との指摘がある。

F 猪野謙二(「『それから』の思想と方法」、『明治の作家』岩波書店、昭和四一・一一)に、「八重椿の花の色」は、「根源的な生の不安の、また同時に」「社会的な不安の象徴」であるとの指摘がある。

G 小宮豊隆(『それから』、岩波版漱石全集第四巻『解説』)

H 阿部次郎(「『それから』を読む」、『東京朝日新聞』明治四三・六)に、「要するに『それから』の欠点は情緒的方面の省略にある」との指摘がある。
  山室静(「漱石の『それから』と『門』」、『近代文学』昭和二九・五、『日本文学研究資料叢書夏目漱石T』有精堂、昭和五七・三、所収)に、代助の「内面から押し出す力が希薄」であり「彼の決意に、しんじつの重味が出て来ない」「とりわけ三千代のごときは、お人形すぎる」との指摘がある。

I 漱石の『日記』(明治四二・三・六)における『煤煙』に関する記述をさす。

J 伊豆利彦(「『それから』について」、『一冊の講座夏目漱石』有精堂、昭和五七・二)に、「再現の昔」は「四、五年昔のことではない」。「これは生以前の生ともいうべき、生の根源にある自然への回帰を意味する」との指摘がある。

K 石原千秋(『次男坊の記号学』、『国文学解釈と鑑賞』至文堂、昭和六三・八)は、代助に「自己の内なる〈家〉への郷愁」を想定し、「責任」や「職業」を口にする「代助の〈恋〉が」「〈家〉の外で演じられる〈家〉の言説、すなわち成熟の儀式だ」と指摘している。

L 越智治雄(前掲書に同じ)

[後記]
 本稿は先に発表した拙論「「変化」について−夏目漱石『それから』試論−」(神戸大学国語教育学会誌「国語年誌」第十号、平成三・十)の前提の役割を果たすものであり、代助の〈恋愛〉に関する考察(本稿第三章)については、一部重複する箇所があることを付記して断わっておく。


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