迷路への断片 '98

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ヒトかサルかと問われても ”歩く文化人類学者”半生記』,西江雅之,1600,読売新聞社,98-12

 タンガニイカのダルエッサラームにたどり着いて初めて「ここはアフリカだ」と、実感した。顔に物凄い入れ墨をほどこした男が、夜のキャンプに一人だけ居残っている私の脇に座り、留守番を手伝いながら黙ってナイフを研いでいる。とても親切な人物なのだが、彼がそばにいることの方が一人でいるよりも恐ろしかった。それから何日かして、わたしたちは内陸に進み、ある村で水を求めた。しかし、そこの村の若者たちはひどく不親切で、くれるどころではない。その村から追い出そうと、すごい剣幕でわたしたちを取り囲んだ。

 わたしも負けてはいられない。何か彼らに対抗するアイディアはないものかと探し始めたら、隊長の田辺先生が総入れ歯であることを思い出した。そこで、「先生、みんなの前で、ちょっと入れ歯を取り出して見せて下さい」と頼んだ。真面目な先生は、その意味をつかみかねて戸惑った様子だったが、とりあえず一気に入れ歯を取り出した。すると、その瞬間に、目の前の意地悪な連中の顔つきがサッと変わった。顔色が黒から紫になったのだ。多分、目の前の老人が自分の頭蓋骨を抜き出したとでも思ったのだろうか。あまりにも強烈な彼らの反応に、こちらの方が驚いてしまい、みんな一斉に車に飛び乗ってその場から逃げ出してしまったのだった。(p121-122)

宗教学講義−いったい教授と女生徒とのあいだに何が起こったのか』,植島啓司,660,ちくま新書,98-11

教授 まずは、@相手にテキストを無料で渡したり、映画・ビデオを見せに連れてったり、「災いをとるために祈ってあげたり」する。これはですな、まあ、直接の効果もあるのでしょうが、なによりも「わざわざ自分のために時間を割いてくれたのだから、最低限その好意にだけは応えてあげたい」という気にさせることを目的としています。

生徒 わっ、わかります。

教授 それから、A隔離された場所に連れ込んで、他人と接触する機会を剥奪する。おわかりですな、相手が複数で自分一人がそれに対抗するとなると、どちらが正しいか判断する基準が揺らぎ始めます。「もしかすると彼らの言ってることにも一理あるかもしれない」と思い出したら危険信号ですな。

生徒 わたし、すぐにそうなりそうですわ。

教授 さらに、B外部の情報を遮断して、相手にとって都合のいい情報だけを注入する。しかも、その相手が自分に好意をもってくれる人々であったり、かわいい女の子(または男の子)だったりで、いかにも楽しそうに振る舞っていたらどうでしょうかな。

生徒 まあ。

教授 そして、C相手を徹底的に褒めちぎることによって心を開かせたり、または逆に、内的な秘密を告白させて罪や恥の意識を強め、それまでの自己を否定させ、従来の価値観を崩壊させる。いかがですかな、ここまでくればもうこっちのもの、いや、相手の思うままではありませんか。(略)

教授 それでは、まあ、続けましょう。Dプライバシーを剥奪して、物事を自由に考える機会を与えないようにする。いよいよアウトですな。

生徒 こ、こわい。

教授 そしてE他のメンバーとの共同意識を高め、集団の一員であることを自覚させる。そのためにもいろいろな技法がありますが、もっとも効果的なのは当人に外の人間を勧誘させることでしょうな。

生徒 外の人間を?]

教授 つまり、F街頭などで他人に署名やアンケートを求めさせたり、勧誘・説得させることで、自己の信念を強固なものにさせる。また、営利活動を行わせて、教団への忠誠心を高めるというのもあります。(略)

教授 それに、G自分の信念や思考を首尾一貫したものにしたいという欲求を利用して、教えを段階的にインプットしていくというのもあります。(略)

教授 集団への帰属ということでは、H新しい呼び名(「ホーリーネーム」)を与えたり、集団内部にしか知られない事柄を打ち明ける、というのもあります。(略)

教授 まあ、このあたりから事態はいよいよ深刻になってくるのですが、たとえば、一般に監禁などはしませんが、外部との交流は相当制限されるようになってきます。で、I食事や睡眠を極端に制限して思考停止の状態に追い込む。(略)

教授 (無視して)まあ、思考停止といってもいろいろあります。大きく分けると二つ。J日常的な動作(座る、唱える、歌う、書く、歩く、など)を単調に繰り返させる。または、K通常とは異なる身体動作を強いる。それを通じて批判的思考をストップさせるのです。

生徒 日常的な動作って?

教授 たとえば、ずっと座るのは「座禅」、ずっと唱えれば「声明」、ずっと書けば「写経」ということになりますな。(略)

教授 できれば眠っているときでも教えを学べたらどんなにいいか。ああ、そうそう、そういえば、L薬物の使用によって「神秘的な体験」をシミュレーションさせるっていうのもありましたな。(略)

教授 さらに、それと関連するんですが、Mさまざまなセッションやメディテーションを通じて死と再生を疑似体験させる。それによって、新たな人格を発見させるというのもありますな。

生徒 わたし、発見したくなんかありません。

教授 まあ、そうこうしたあげく、Nいよいよ全財産を寄進させ、それまでの社会的地位を捨てさせ、経済的にも社会的にもその集団に依拠せざるをえなくする。こうなれば、まず初期の目的は達成ということになりますな。

生徒 そ、それは出家ということですか。

教授 まあ、大なり小なり、そういうことになりますかな。

生徒 最悪の事態ですね。

教授 「悪い宗教にはまった」という意味では最悪ですが、もっと視野を広くもつと、また別の見方もあるんです。

生徒 はあ。

教授 だいたい日本の文化というのは、ほとんど出家した人々によってつくられたものなんですな。

生徒 たとえば、どんな方が?

教授 伝統的な詩歌をつくりあげた西行らもそうですが、方丈記の鴨長明、能の世阿弥、お茶の利休、連歌の西山宗因、俳句の芭蕉、みなそろいもそろって出家者ですな。あまりに出家者ばかりなので、それを疑って「世阿弥や芭蕉は忍者だった」とする説もあるぐらいです。

生徒 忍者?(略)

教授 いかなる時代でも、体制の中からは何も新しいものは生まれない、これは永遠の真実ではないでしょうかな。

生徒 ああ、先生、わたし、ちょっと疲れましたわ。そろそろおいとましなければなりません(立ち上がろうとして、ちょっとよろける)。(p67-76)


演劇入門』,平田オリザ,640,講談社現代新書,98-10

 これまで見てきたように、演劇は、以下の三つの対話を要請し、また内包する表現である。

・演劇作品内での、役柄同士の対話
・演劇集団内での、劇作家、演出家、俳優といった個々人の対話
・劇場における表現する側と、それを観る側との対話

 しかも、この三つは、「参加する演劇」においては、地続きにつながっている。演劇はすべての局面において、対話を要請し、それがなければ成り立たない構造を持っているのだ。

 重要なのは、「私のテーマ」「私のコンテクスト」を、作品を通じて他者に伝えることではない。対話を通じたコンテクストの摺り合わせ、そしてコンテクストの共有、新しい共同体の新しいコンテクストの生成が、演劇作品を演劇作品たらしめる要素である。

 繰り返し注意しておくが、このことは、私の中にテーマやコンテクストがないということを意味しない。私には、確固としたテーマ、確固としたコンテクストが存在するのだ。

 だが「対話」においては、その過程において、他者のコンテクストとの摺り合わせにより、自己のコンテクストが変容していくことに寛容であることが前提となるのだ。いや、その変容は表現者にとって喜びとさえなるだろう。

 だから私は、私のテーマが確実に伝わることを期待して作品を創っているわけではない。私は、私の作品を観た人々が、作品との(私とのと言い換えてもいい)内的対話を通じて、コンテクストの摺り合わせを行い、一人ひとりにとっての新しい世界像を生み出すこと、あるいは一人ひとりの世界像がより明瞭になることを期待しているだけだ。

 逆説的に聞こえるかもしれないが、私は、芸術家がその見えている世界、感じ取っている世界のありようを力強く示せれば示せるほど、観客の側により強い主体性を生むことができると考えている。ただ、その場合には、芸術家の持つ強いコンテクストを批判的に受け止められるだけの能力、アートリテラシーが要求されるのだ。(p201-202)

ホワイトヘッド 有機体の哲学』,田中裕,2524,講談社,98-7

読者 それは、ヘーゲルのほうが現実的な立場だと思いますよ。無矛盾というのはあくまでも運動する現実を理想化した観念的なモデルの特徴であって、現実そのものを把握しようとするときに逆説に出会うことは避けられないのではありませんか。ただ、ヘーゲルのように「同じものが同時に同じ場所にあってかつない」と言い切ってしまうのはずいぶんとお手軽な話だという懸念を持っています。そんなふうに言ったところで、運動の矛盾そのものは別に解消されたわけではないでしょうね。矛盾する現実をあるがままに受け入れるという立場は、矛盾を解消する立場とは違うでしょう。
 大事なことは、生成を語る言説のレベルと、存在を語る言説のレベルを混同せずに区別したうえで、正しく関係づけることではありませんか。ホワイトヘッドの場合は、一体どういう立場だったのでしょうか。

田中 ホワイトヘッドの場合は、そもそも現代の数学的論理学の大成者であったわけだから、矛盾を許容するような論理を受け入れていたわけではない。そんなことは、アリストテレス流に言えば、「言論の仕方も心得ぬ無教養な連中」の仲間入りをすることになるからね。
 彼の立場は、今君が言ったような言説のレベルを区別するというのに非常に近いと思う。「存在」すなわち「もの」言語で生成の結果を語る言説は「形態論的分析(morphological analysis)」と呼び、「生成」を語る言説は「発生論的分析(genetic analysis)」と呼んでいる。

読者 その二つの語り方の違いは、どこにあるのですか。

田中 「形態論的分析」は、ベルグソンが「時間の空間化」といって非難したものであるが、ホワイトヘッドは、空間的な語りかたも、真の意味で時間的と言える発生論的分析と混同しない限り、事柄をゆがめるものではなく、むしろ時間的なものと相補的な関係にあるという捉え方をしている。(p167-168)

自由の牢獄−リベラリズムを越えて」(『季刊アステイオン』49,98年夏号所収),大澤真幸,1000,TBSブリタニカ,98-7

 芹沢が紹介する次の例は、よりいっそう興味深く、われわれの思考を刺激せずにはおかない。その男の子は、誕生時に親に捨てられ、施設に収容された。一一ヶ月のときに養子縁組が決まり、養父母は彼に「フレデリック」という名を与えた。だが、成長したフレデリックは知力障害や便失禁などの精神病的な症状を呈し、七歳になってもそれが消えなかったので、ついに両親は彼を精神分析医フランソワーズ・ドルトのところに連れていった。この事例は、ドルトの著書からの引用である(ドルト『無意識的身体像』言叢社,1994,原著1984)。

 ドルトの治療はすぐに一定の効果をあげたのだが、完全ではなかった。一つの症状がどうしても消えなかった。フレデリックは、文字を読もうとも、書こうともしなかったのだ。だが、フレデリックは書く能力をもたないわけではなかった。その証拠に、彼は描く絵の随所に「A」という文字を書き込んでいた。ドルトはこの「A」が人の名を指すのではないかと推測した。フレデリックの、養子になる前の名前が「アルマン」だったのだ。

 ドルトはフレデリックに「A」は「アルマン」の頭文字ではないかと尋ね、「あなたは養子にもらわれたときに名前が変わったのでつらい思いをしたのでしょうね」と話しかけてみた。しかしこの解釈と語りかけは、フレデリックにいかなる効果をももたらさなかった。絶妙だったのは、このあとのドルトの対応である。ドルトは、精神科医としての彼女の直観から、フレデリックを直接見つめずに、そして声の調子や強さをいつもとは変えて「アルマン」という名を呼びかけてみたのである。彼女は、顔をあらぬ方向に向けて、天井やテーブルの下などに向けて、まるでどこにいるのかわからない人に声をかけるように呼びかけたのだ。「アルマン…アルマン…」

 少年は、これに強い反応を示した。彼は、彼の本来の名を呼びかける声に聞き耳をたてたのだ。そして、やがてふたりの視線が出会い、ドルトはこう言った。「アルマン、あなたが養子になる前の名前はアルマンでしょ」。このとき彼のまなざしがきらりと強く光った、とドルトは記している。そして実際、二週間後に、この少年は読み書きができない状態から抜け出すことができた。(p88-89)

戦後の思想空間』,大澤真幸,660,ちくま新書,98-7

 もう少し具体的に説明します。自己を解脱するにはどうしたらよいか。そのためには、自己の意志を棄てなくてはならないどうやってか。他者の意志だけで、動けばよいのです。純粋に他者の意志で動けばよいのです。それが師(グル)への「帰依」ということです。そうすれば、自己が自己であることの根拠となる自己のアイデンティティから離脱できるわけです。しかし、このとき、他者の方が実体化され、絶対化されているんです。そうして実体化された他者が、真我です。それは、麻原という他者のうちに現実化している自我です。解脱するためには、他者に帰依しなくてはならない。自己から離脱するためにこそ、他者が同一的な実体として存在していなくてはならない。だから、自己において解除された同一性が、いわば他者の方に蓄積されていくわけです。だから、同一性からの解放は完全には果たされない。それどころか、自己の同一性からの解放のためにこそ、もう一つの同一性の執着と絶対化が必要になる。自我が解脱するためには、本物のより大きな自我、つまり真我が必要になる。デリダ風に言うならば、ここで、形而上学というものが回帰してきているわけです。ここにオウムの失 敗の原因がある。

 考えてみると、この絶対的な帰依というところに、ペーター・スローターダイクの言う、シニシズムの純粋形態があるんです。シニシズムというのは啓蒙された虚偽意識でした。それは、こう言います。「おれはそんなこと信じてないよ。信じてないけれども、そうするんだ」と。なぜ、信じていないのにそうするのか。なぜ、嘘だとわかっているのにそうするのか。それは、信じている他者が存在しているからです。もう少し厳密に言い換えると、信じている他者を想定しているからです。こういうことが純粋状態で現れるのは、いかにも資本主義的な場、たとえば株式市場です。自分では、こんな株はくだらないと思っていても、それを欲する他者がいるとすれば、その株を−−まるで自分自身が欲していたかのように−−買うことに意味があるわけです。そういう株は値上がりするからです。シニシズムは、このように、他者の意志にそった行動をとるのです。だから、意識においては啓蒙されているのに、行動においては啓蒙されていないかのような選択を行うわけです。

 真にむずかしいのは、自己への執着から離脱することではありません。他者への執着のほうがもっと逃れがたいのです。他者の呪縛は、自己のアイデンティティへの執着よりももっと強いわけです。(p229-231)

われわれはどんな時代を生きているか』,蓮實重彦&山内昌之,660,講談社現代新書,98-5

* ワルター・ベンヤミンに匹敵する才能の持ち主が、二十一世紀の知的空間に出現したと想像してみよう。その批評家が、たとえば第二帝政期のパリを十九世紀の首都とみなしたベンヤミンにならって、二十世紀の首都にふさわしい都市を考察の対象にしたとしたら、どうなるだろうか。その分析と記述は、どの都市を対象として展開され、いかなる言説におさまることになるのだろうか。(p30)


* ここで改めて指摘しておかねばならないのは、ワルター・ベンヤミンが、一九三○年代のパリでフランス第二帝政期の息の長い分析に着手したとき、その研究対象である時代がまったく流行遅れのものだったという事実である。あるいは、むしろ、公式には負の評価を蒙っていた研究の主題だったとさえいってもよい。フランスはまぎれもない共和国であり、ほんの一時の錯誤にすぎない帝政の問題など、パリ・コミューンと第三共和制の成立によってすでに清算されているというのが当時の学会の立場でもあり、国民にもそう受けとられてもいたのである。だから、フロベールやボードレールについては饒舌に語りながら、彼らが生きたナポレオン三世治下のパリについては語らずにおくという抽象的な姿勢がたやすく容認されていたのである。

 そうした知的怠慢さにあえてさからい、ベンヤミンは、その領域では今なお何ひとつ清算されていないという事実を明らかにしようとした。おそらく、それと同じことが一九四○年代のロサンジェルスについてもいえるはずだというのが、二十一世紀の批評家の立場となるだろう。合衆国は六○年代の公民権闘争を通過しているのだから、四○年代の人種差別の問題はすでに清算されているはずだという公式の視点が見ずにいたものを、彼、または彼女は、その分析の出発点とするに違いない。(p37-38)


* 『大勢三転考』でいう「名」とは、神代に「国地広く領め賜ひて、世を治め給へりし」大名持(おおなむち)、少彦名(すくなひこな)の両大神からとった言葉らしい。これは、権力の基礎が官職から「兵権」すなわち軍事力に変わっていった時代を指している。「骨(かばね)」から「職(つかさ)」の時代への変化は、「上の御心」つまり上からの改革によっておこなわれた。それにたいし、「職」から「名」への時代の変動は「下より起こりて」とあるように下からの革命によって進行した。こう主張する伊達千広は、二つの変動を社会の深部で用意した素因として、人智によっては容易に測りがたい「時勢」という力をあげる。この点は、萩原延寿も引用している次の文章を眺めるとよく理解できるだろう。

 「つらつらと考ふるに、時勢の遷変る事は、天地の自らなる理か。凡慮の測りしるべきならねど、畢竟、人の智にも、人の力にも及ぶべき事ならず。然して、五百年ばかりの世をふる時は、自ら遷変るべき運数来りて、其時に当たりて世にすぐれたる人出来て、此の気運に乗じて大事成就するものと見へたり。和漢今昔、貫通して考ふるに、皆さる勢なり」(p164-165)


* 運命を重視する考え方は、現代に近づくほど、ややもすれば歴史の複雑さを解釈する作業から逃避したい人間にとって魅力あふれるものとなる。しかし、現代人はカフカの世界を通して歴史を眺めるわけではない。どれほど複雑な事件であろうと、カフカ文学の夢幻的な性格とちがって、明白な原因や確かめうる原因をもっているからだ。現代人は『平家物語』の時代に生きた祖先たちと比べるなら、歴史の原因との関係においてもっと明示的な探求を余儀なくされるだろう。とくに歴史家の場合はそうだ。E・H・カーの『歴史とは何か』の表現を借りるなら、歴史家と原因との関係は、歴史家と事実との関係に似た二重の相互関係を帯びている。すなわち、原因が歴史の過程に対する歴史家の解釈を決定すると同時に、歴史家の解釈が原因の選択と整理とを決定するというのだ。(p169-170)

援助交際問題から何を学ぶか 成熟社会の『自由と尊厳』」(『論座』98年4月号所収),宮台真司,780,朝日新聞社,98-4

 二十世紀が「尊厳=理想的共同体への統合」という枢軸国的立場が退潮し、「尊厳=自己表出の成功」という連合国的立場が優位になる歴史だったのは周知のとおりだ。後者の立場では尊厳とは、人間の本質属性ではなく、@好きなように自己表出していいという自由、Aそれを評価してくれる他者たちとの社会関係、に支えられる経験的成果だ。

 思想信条の自由は@の自由な自己表出可能性に、移動交通の自由はAの社会的交通可能性に関係する。こうした思考は「尊厳維持には(消極的)自由が必要だ」とまとめられる。尊厳が「積極的自由」(〜への自由)に通じるとする点で同じでも、尊厳のリソースとして「消極的自由」を重視するか「理想的共同体」を重視するかで鋭い分岐が生じている。

 基本的人権の思想は、尊厳のリソースを、「理想的共同体への合一」ではなく、「消極的自由の下での自己表出」に求める「べき」だという「価値合意」を前提とする。各国憲法の「尊厳は不可侵」という文言は、尊厳のリソースたる「自己表出の自由」が、さまざまな介入から保護されなければならないという価値合意の表明だと理解できる。日本ではこうした価値合意の存在はまったくおぼつかないが、私たちは明確に、自由な自己表出の積み重ねで得られる自尊心こそ尊厳の本質だという立場に価値合意することを宣言する。(p54)

ブッダの夢』,河合隼雄&中沢新一,1300,朝日新聞社,98-2

中沢 この箱庭を見てて、箱の内側が青い色で、そこに砂がまかれているというのに、強い印象を受けます。最初にこの箱庭療法が考えられた頃にはもうこういうスタイルはできていたのですか。

河合 スイスの箱庭療法の創始者カルフさんが考えたんです。箱庭の大きさ(内法五七センチ×七二センチ×七センチ)が、適切なんです。作ったら、ちょうど自分の視野にぱっと入ります。だから、あっち向いたり、こっち向いたりということがない。砂は細かい粒子で、湿った砂と乾いた砂の二つが用意されています。ひとつの世界が作りやすい大きさになっているということと、掘ったら水が出てくるというんですか、それは大事なことですね。(p96)

哲学史のよみ方』,田島正樹,660,ちくま新書,98-2

* そもそも論理形式とは何か、端的に定義することはむずかしい。また、すべての論理形式を数え上げたり、列挙することもできない。いくつかの呈示された事例の中に、そのつどふさわしい論理形式を見て取る、というのが最良の方法であろう。実際アリストテレスは、読者に〈質料−形相〉といった論理形式をわからせようとする場合、類比というものを多用するだけである。

 哲学的難問には、論理形式をめぐる混乱に由来するものが多い。たとえば、意図と意図的行為のように、部分と全体の関係であるものを、原因と結果の関係に取り違えたり、心−身問題についてみたように、シニフィアン(身体)とシニフィエ(心)の関係を、原因と結果の関係と取り違えたりする誤解は、論理形式の取り違えによるものと言えよう。

 また、「存在の意味」とか「因果性の意味」を問い求めることが、哲学的な難問となっているのも、それらが一般に意味や用法を明確に定義できる概念とは違って、論理形式そのものであるからである。われわれが、これらの意味があまりに漠として捉えがたいと感じるのも当然である。こんな場合、無理にでも答えを出そうとすると、たいてい手っとり早く思い浮かべられた特定の存在や特定の因果に飛びつくことになり、これらをめぐる問題位相の根本性格が見失われてしまうのである。以下に見るように、「存在」や「因果性」は、それ自体それぞれ論理形式のひとつだからである。(p148-149)

* われわれがしばしば他者としての存在を否認し、自閉しようとするのはなぜか。それは過度に己れの存在を気づかい、不安に駆られながら今の己れの存在を確かなものとして確保しようとするからであろう。それはとりわけ、死への不安の中に揺曳している自己の存在を自覚することに由来する。しかしこのような自己の存在への気遣い(Sorge)は、キリスト教的伝統に照らせば、けっして真の自己認識にも、真の存在認識にもつながらない。キリスト教的伝統によれば、真の自己認識は、つねに他者の存在を経由したものであるほかはなく、存在の真の意味は他者として与えられるものだからである。神との関係、隣人との関係における愛と信頼の中に見出されないような自己は、真の自己ではないのである。この意味で「己れを得ようとする者は己れを失い、己れを失う者は己れを得る」のである。

 また、自己の存在への気遣いから存在の意味が啓示されるわけでもない。ギリシア的伝統にあっては、存在とは永遠というにほぼ等しく、そのさい、とりわけ天体や生物種が反復回帰するという形で永続することが念頭におかれていた。移ろいゆくものは、しかと存在しているとは言えない。それはいわば存在の影なのである。それに対して、キリスト教では「存在する」とは、日々新たに創造されることを意味し、他者性と異質性の中へと、躍り出るような形で創造されること(ex-istence )と見なされているいるのである。したがって与えられた存在に甘んじ、それを汲々として維持するようなことは、虚しい自己に固執する罪でしかなく、もはや半ば無へ向かって崩落しつつあることでしかないのである。(p207-208)

近代の思想構造−世界像・時間意識・労働』,今村仁司,2500,人文書院,98-1

 問題は、貨幣形式としての貨幣そのものを廃棄できるのかどうか、である。もっと一般的に表現すれば、商品形式、貨幣形式、資本形式をすべて産出する価値形式をはたして廃棄できるのかどうか。この問いをはじめて厳密に提起したのはマルクスであるが、廃棄可能性の理論的根拠は結局与えられてはいない。ロシア革命以降のあらゆる革命は貨幣廃止を目指していたはずだが、いつのまにかこの問題を脇に置き、そしてついにはわすれてしまった。現実には貨幣は廃棄されるどころか、貨幣も資本も商品も現実に存在し続けている。カンボジアの貨幣廃止の実験は、無残なまでに大量殺害に結果した。貨幣形式が暴力の痕跡であるがゆえに、暴力の現実発露を物的システムをもって回避する(つまり社会的暴力を貨幣に集中することで暴力の共同体への逆流を防ぐ)メカニズムを把握しそこねると、不用意な貨幣廃止の実験は人殺ししか結果しない。スターリンの強制集団化も毛沢東の文化革命も、同じ認識間違いをおかした結果とすら解釈できる。ここにおいて貨幣問題は、現代の最も焦眉の問題になる。死体の山しか築けない貨幣廃止論とは現代の悲喜劇でなくてなんであろう。

 近代社会は、歴史的生成の由来からして、基本的に経済社会であり、そのなかで生きる人間はおしなべて「商品語」(Warensprache)をしゃべる。経済活動に従事する人間だけが商品語をしゃべると思っていると大きな間違いだ。近代人は言語表現を商品語として表現することを運命づけられている。この運命のめぐり合わせから幾多の筋道をたどって出てくる、精神の深いところにある問題性はかならずしも自覚されているとは限らない。

 言語における商品語、貨幣形式の浸透した言語表現(レトリックというよりもトロポロジー tropology といっておこう)をめぐる論争や闘いは、近代からではなくてじつは古代以来あるともいえる(前に示唆したように未開社会の人間の発想をおもい起こせば、これは人類の歴史とともに古いとすら言えるかもしれない)。一例をあげれば、古代ギリシアにおけるソフィストとその表現は、アテネの商業都市化の現実を反映している。彼らは史上最初の知の商人であった。彼らは知識を商品として扱い、知識市場を作りあげた。彼らはどんな顧客の要求にも応えることができる。顧客の要求は、その都度具体的であり、一回かぎりの緊急性をもっている。さまざまな具体的要求に応答していく知識は、当然ながら、どの要求内容にも無関心なものでなければならない。内容に無関心であることは、抽象的形式の知識であることの特徴である。ソフィストが最初の論理学者であったのは当然である。

 あらゆるロゴスがソフィスト的であるのではない。ソフィストはロゴスを商品語に転換し、言語表現のなかに貨幣形式を内面化した最初の思想家たちである。ギリシアに生誕したレトリシャンが商品語をしゃべり、貨幣形式の一般的抽象的性格をとりいれたことは、記憶に値する。プラトンがソフィストを批判したとき、彼は何と闘っていたのかはこの文脈でみればきわめて明らかである。プラトンはソフィストの商品語と闘い、言語表現に内面化されようとしていた貨幣形式と闘っていたのである。彼が『国家』や『法律』のなかでソフィストと並べて商業を批判していることはよく知られている。ロゴスと思考のなかへの商品語と貨幣形式の浸透によるロゴス/思考の堕落を、プラトンは心底から恐怖していたのである。ソフィストとプラトンの対決は、その後の思想史をつらぬいていく通奏低音である。突き詰めて考えてみると、ハイデガーのいう「存在論的差異」も、ホルクハイマー/アドルノの『啓蒙の弁証法』における文明と野蛮の対比も、じつはソフィスト/プラトンの思想的対決がかかえていた、思考と言語における商品/貨幣問題の現代的展開とすらいえるであろう。(p231-233)

迷路への断片 '97

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