2005/12

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December 31, 2005 編集
■[life]『今年の総決算』

2005年の3月8日から今日までに紹介したfilm、VIDEO、DVD、bookは以下のとおり。

film16作
2005-12-23 『Mr.&Mrs.Smith』
2005-11-03 『恋すがた狐御殿』
2005-10-09 『蝉しぐれ』
2005-08-24 『ヒトラー 〜最期の12日間〜』
2005-07-30 『アイランド』
2005-07-17 『バットマン ビギンズ』
2005-07-10 『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』
2005-06-08 『ミリオンダラー・ベイビー』
2005-05-25 『きみに読む物語』
2005-04-24 『阿修羅城の瞳』
2005-04-16 『サイドウェイ』
2005-04-03 『オペラ座の怪人』
2005-04-02 『エメラルド・カウボーイ』
2005-03-22 『ブリジット・ジョーンズ きれそうなわたしの12か月』
2005-03-13 『あずみ2 Death or Love』
2005-03-09 『アフガン零年』

VIDEO5作
2005-07-02 『フェリーニのアマルコルド』
2005-06-29 『マグダレーナ/「きよしこの夜」誕生秘話』
2005-05-11 『ハムレット』
2005-05-04 『ボンベイ』
2005-04-17 『デリダ、異境から』

DVD158作 
2005-12-31 『殺しの烙印』
2005-12-30 『野獣の青春』
2005-12-29 『ラスト・マップ / 真実を探して』
2005-12-26 『座頭市と用心棒』(シリーズ第20作)
2005-12-25 『座頭市喧嘩太鼓』(シリーズ第19作)
2005-12-20 『座頭市血煙り街道』(シリーズ第17作)
2005-12-15 『座頭市鉄火旅』(シリーズ第15作)
2005-12-11 『座頭市海を渡る』(シリーズ第14作)
2005-12-10 『座頭市の歌が聞こえる』(シリーズ第13作)
2005-12-08 『座頭市地獄旅』(シリーズ第12作)
2005-12-07 『座頭市逆手斬り』(シリーズ第11作)
2005-12-06 『座頭市二段斬り』(シリーズ第10作)
2005-12-05 『座頭市関所破り』(シリーズ第9作)
2005-12-04 『座頭市血笑旅』(シリーズ第8作)
2005-11-30 『座頭市あばれ凧』(シリーズ第7作)
2005-11-29 『座頭市千両首』(シリーズ第6作)
2005-11-28 『座頭市喧嘩旅』(シリーズ第5作)
2005-11-27 『座頭市兇状旅』(シリーズ第4作)
2005-11-25 『新・座頭市物語』(シリーズ第3作)
2005-11-23 『続・座頭市物語』(シリーズ第2作)
2005-11-22 『座頭市物語』(シリーズ第1作)
2005-11-20 『兵隊やくざ 強奪』(シリーズ第8作)
2005-11-19 『兵隊やくざ 殴り込み』(シリーズ第7作)
2005-11-18 『兵隊やくざ 俺にまかせろ』(シリーズ第6作)
2005-11-17 『兵隊やくざ 大脱走』(シリーズ第5作)
2005-11-15 『兵隊やくざ 脱獄』(シリーズ第4作)
2005-11-14 『新兵隊やくざ』(シリーズ第3作)
2005-11-13 『続兵隊やくざ』(シリーズ第2作)
2005-11-12 『兵隊やくざ』(シリーズ第1作)
2005-11-07 『嘆きの天使』
2005-11-06 『愛の悪魔〜フランシス・ベイコンの歪んだ肖像〜』
2005-11-05 『サルバドール・ダリ 世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生』
2005-11-04 『バットマン&ロビン〜Mr.フリーズの逆襲!!〜』
2005-11-03 『バットマン・フォーエヴァー』
2005-11-02 『バットマン・リターンズ』
2005-11-01 『バットマン』
2005-10-26 『ドイツ零年』
2005-10-25 『戦火のかなた』
2005-10-24 『無防備都市』
2005-10-20 『ブレード・ランナー』
2005-10-18 『海を飛ぶ夢』
2005-10-17 『トウキョウ アンダーグラウンド』
2005-10-14 『オランダの光』
2005-10-13 『靴に恋して』
2005-10-11 『孤独な場所で』
2005-10-06 『暗黒への転落』
2005-10-03 『イタリア旅行』
2005-10-02 『ストロンボリ/神の土地』
2005-09-27 『アモーレ』
2005-09-26 『テープ』
2005-09-22 『ビフォア・サンセット』
2005-09-21 『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』
2005-09-16 『ヴィタール』
2005-09-14 『犬猫』
2005-09-12 『雲 息子への手紙』
2005-09-09 『山猫』
2005-09-05 『伯爵夫人』
2005-08-31 『恋に落ちる確率』
2005-08-30 『ニュースの天才』
2005-08-29 『シルヴィア』
2005-08-27 『ステップ・イントゥ・リキッド』
2005-08-25 『アドルフの画集』
2005-08-23 『パッチギ』
2005-08-22 『ぼくの瞳の光」
2005-08-21 『ペッピーノの百歩』
2005-08-20 『風の痛み』
2005-08-19 『ビハインド・ザ・サン』
2005-08-18 『デッドマン』
2005-08-17 『五線譜のラブレター DE-LOVELY』
2005-08-16 『Ray/レイ』
2005-08-15 『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』
2005-08-12 『父、帰る』
2005-08-11 『崖』
2005-08-02 『道』
2005-08-01 『ジンジャーとフレッド』
2005-07-31 『ヴォイス・オブ・ムーン』
2005-07-28 『ノー・マンズ・ランド』
2005-07-27 『西部戦線異状なし』
2005-07-26 『ウェルカム・トゥ・サラエボ』
2005-07-25 『真珠の耳飾りの少女』
2005-07-24 『リオ・ロボ』
2005-07-21 『エル・ドラド』
2005-07-19 『リオ・ブラボー』
2005-07-18 『PiCNiC』
2005-07-16 『シェフと素顔と、おいしい時間』
2005-07-15 『ロッテとアンナ』
2005-07-14 『ショコラ』
2005-07-12 『僕の彼女を紹介します』
2005-07-11 『まぼろし』
2005-07-08 『永遠の語らい』
2005-07-07 『スウィングガールズ』
2005-07-05 『dot the i』
2005-07-04 『モーターサイクル・ダイアリーズ』
2005-07-03 『サテリコン』
2005-06-30 『オールド・ボーイ』
2005-06-28 『マレーナ』
2005-06-27 『カビリアの夜』
2005-06-24 『81/2』
2005-06-23 『インテルヴィスタ』
2005-06-22 『汚れた血』
2005-06-21 『フェリーニのローマ』
2005-06-20 『甘い生活』
2005-06-17 『シ−クレット・ウィンドウ』
2005-06-16 『ターミナル』
2005-06-14 『CODE46』
2005-06-13 『2046』
2005-06-12 『男と女』
2005-06-10 『オルフェ』
2005-06-09 『丹下左膳 百万両の壺』
2005-06-07 『誰も知らない』
2005-06-06 『マーティン・スコセッシ 私のイタリア映画旅行』
2005-06-05 『茶の味』
2005-06-03 『下妻物語』
2005-05-30 『69 sixty nine』
2005-05-28 『隠し剣 鬼の爪』
2005-05-27 『フォーチュン・クッキー』
2005-05-26 『ゲート・トゥ・ヘヴン』
2005-05-23 『歌追い人』
2005-05-20 『上海家族』
2005-05-19 『地球で最後のふたり』
2005-05-17 『友へ チング』
2005-05-14 『キッチン・ストーリー』
2005-05-12 『ハムレット』
2005-05-09 『永遠の片想い』
2005-05-08 『子猫をお願い』
2005-05-07 『カリスマ』
2005-05-06 『はじまりはオペラ』
2005-05-05 『ウォルター少年と夏の休日』
2005-05-03 『ピアニストを撃て』
2005-05-02 『CASSHERN』
2005-05-01 『アイ、ロボット』
2005-04-30 『シークレット』
2005-04-29 『赤目四十八瀧心中未遂』
2005-04-22 『恋人たち』
2005-04-21 『ビッグ・フィッシュ』
2005-04-20 『愛の落日』
2005-04-19 『白いカラス』
2005-04-15 『パッション』
2005-04-14 『映画に愛をこめて アメリカの夜』
2005-04-12 『クリビアにおまかせ』
2005-04-11 『イヴの総て』
2005-04-09 『サンセット大通り』
2005-04-08 『スタア誕生』
2005-04-07 『柔らかい肌』
2005-04-05 『大人は判ってくれない』
2005-04-04 『恋のエチュード』
2005-04-01 『北京ヴァイオリン』
2005-03-31 『ほえる犬は噛まない』
2005-03-28 『バティニョールおじさん』
2005-03-27 『失はれた地平線』
2005-03-26 『スミス都へ行く』
2005-03-24 『Mr.ディーズ』
2005-03-21 『小さな中国のお針子』
2005-03-19 『おばあちゃんの家』
2005-03-16 『わすれな歌』
2005-03-14 『或る夜の出来事』『我が家の楽園』『オペラハット』

book60冊
2005-12-28 『日本映画史3』
2005-12-27 『日本映画史100年』
2005-12-17 『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』
2005-12-09 『波状言論S改』
2005-12-02 『もうひとつの愛を哲学する−−ステイタスの不安』
2005-11-26 『近代文学の終り』
2005-11-24 『意味に餓える社会』
2005-11-16 『限界の思考』
2005-11-11 『バンビ〜ノ!(2)』
2005-11-10 『パンク侍、斬られて候』
2005-11-09 『SOIL(3)』
2005-11-08 『書 筆蝕の宇宙を読み解く』
2005-10-31 『ヴァルザーの詩と小品』
2005-10-28 『「脳」整理法』
2005-10-27 『直筆商の哀しみ』
2005-10-21 『詩とことば』
2005-10-08 『陰陽師13』
2005-10-07 『告白』
2005-10-04 『愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュV』
2005-09-29 『知の教科書 フロイト=ラカン』
2005-09-19 『嗤う日本の「ナショナリズム」』
2005-09-18 『偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性』
2005-09-08 『〈民主〉と〈愛国〉』
2005-09-06 『幻獣標本博物記』
2005-09-03 『アメノウズメ伝 神話からのびてくる道』
2005-09-02 『戦争が遺したもの』
2005-09-01 『対話の回路 小熊英二対談集』
2005-08-23 『日本とドイツ 二つの戦後思想』
2005-08-17 『風』
2005-08-16 『海辺のカフカ』
2005-08-15 『コンセント』『アンテナ』『モザイク』
2005-07-25 『音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ』
2005-07-20 『北原白秋』
2005-07-06 『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』
2005-07-02 『僕が批評家になったわけ ことばのために』
2005-06-22 『アースダイバー』
2005-06-21 『時のしずく』
2005-06-02 『他界からのまなざし −臨生の思想』
2005-05-31 『批評理論入門 −『フランケンシュタイン』解剖講義』
2005-05-24 『世界が変わる 現代物理学』
2005-05-22 『信長 イノチガケ』
2005-05-16 『本についての詩集』
2005-05-13 『性のお話をしましょう 死の危機に瀕して、それは始まった』
2005-05-10 『忘れられる過去』
2005-05-06 『考えあう技術 −教育と社会を哲学する』
2005-05-02 『世にも美しい数学入門』
2005-04-28 『河岸忘日抄』
2005-04-18 『半島』
2005-04-10 『評伝 西脇順三郎』
2005-04-06 『詩人たちの世紀 西脇順三郎とエズラ・パウンド』
2005-03-29 『良心の領界』
2005-03-23 『環境考古学への招待 −発掘からわかる食・トイレ・戦争−』
2005-03-20 『今夜、すべてのバーで』
2005-03-17 『死と身体−コミュニケーションの磁場』
2005-03-15 『奇人と異才の中国史』
2005-03-11 『ポストコロニアリズム』
2005-03-08 『お父さんのバックドロップ』『ガダラの豚』
皆様、どうぞよいお年をお迎え下さい。

☆☆☆[DVD]『殺しの烙印』

モノクロを感じさせないスタイリッシュな映画。
主人公はプロの殺し屋。
ランキングに本気で一喜一憂できるのは、男だけだ。
そして、蝶に気を取られてしまうのも。
妖しい魅力の真理アンヌもいいが、どうしても憎めないのだ、米が炊ける匂いに性的に興奮する殺し屋、宍戸錠は。

1967年、日、鈴木清順監督作品。


December 30, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『野獣の青春』

原作はハードボイルド作家大薮春彦の「人狩り」。
罠にはめられ殺された同僚の復讐をするために暴力団に潜入する元刑事。
ジャズが映像にバッチリはまっている。
主演の宍戸錠も、もちろんいいのだが、敵役のナイフの名人でサディストの小林昭二、その弟でカミソリを使うやはりサディストの川地民夫が、またいい。
同僚の妻渡辺美佐子の正体がわかり、謎が解けるラスト、自分で手を下さず、言葉を利用するのだ、われらが錠は。
ちょうど短銃で弾を2発撃ったときの擬音がそうだが、米兵相手の街娼だった母親のことをその言葉で揶揄されると、川地は得意のカミソリで相手の顔をズタズタに切り裂いてしまう癖があるのだった。

1963年、日、鈴木清順監督作品。


December 29, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『ラスト・マップ / 真実を探して』

4代にわたる男たちによる、家族の絆を確認していく旅。
ニューメキシコに行ってみたくなる。
Michael Caine の名人芸、美しい夕景、Christopher Walken の踊りがイイ。

銀行員のジェイスン(ジョシュ・ルーカス Josh Lucas)は、妻のサラと別居して、離婚の調停中。
足の悪い彼は、死期が近い祖父ヘンリー(マイケル・ケイン)と息子ザック(ジョナ・ボボ Jonah Bobo)の3人で暮らしている。
そこに30年間音信不通だった父ターナー(クリストファー・ウォーケン)が突然、訪ねてくる。
ヘンリーは息子が帰ってきたことを心から喜ぶが、ジェイスンは素直には喜べない。
ジェイスンの母は、彼が2歳の時に自動車事故で亡くなり、その時に彼も足を怪我したのだと聞かされていた。
母の死後、ターナーはジェイスンを置き去りにして蒸発したのだった。
ある夜、ヘンリーはザックを連れ出し、行きつけのKFCで遺書を書き、死んでしまう。
ターナーとジェイソンはうち解けないまま、ヘンリーの遺言に従ってしびしぶ、ザックと3人でオンボロのミニバンによる旅に出るのだった…。

『AROUND THE BEND』、2004年、米、ジョーダン・ロバーツ監督作品。


December 28, 2005 編集
☆☆☆[book]『日本映画史3』

佐藤忠男は、60年代の記述をはじめるにあたって、増村保造の言葉(「ある弁明」『映画評論』1958年3月号)を引いている。

 私は情緒をきらう。何故なら、日本映画における情緒とは抑制であり、調和であり、諦めであり、哀しみであり、敗北であり、逃走だからである。(中略)私は……率直で粗野で利己的な表現を買う。何故なら、日本人はあまりにも、自らの欲望を抑制しすぎて、自分の本心を見失い易いからである。p4

増村は、日本人の大部分は「環境の中に埋没している」から、映画も人間より環境が描写されがちで、「人間は精々その環境にふさわしい置物程度にながめられ」てしまうのだと、従来の日本映画に対する不満を述べている。

 かように私は、「情緒」と「真実」と「雰囲気」に背を向けて、生きる人間の意志と情熱だけを誇張的に描くことを目的としている。環境に拘束されない青春や恋愛の、ひたむきな姿を見つめたかった。p5

「何故こんな考えにとりつかれたか」、それは「二年間のイタリヤ生活の影響である」と、増村は自問自答する。
1952年に、彼はイタリアから奨学金をもらいローマの映画実験センターへ留学している。
日本が国家としての独立をやっと回復したばかりのこのころ、欧州に留学できたのはごく限られた人たちだけであった。
佐藤は、増村とほぼ同年輩の監督たち(日活の中平康や今村昌平、東宝の岡本喜八、東映京都の沢島忠(のち正継)ら)には、「センチメンタリズムの否定」と「登場人物たちの旺盛な行動力を賛美すること」において、共通した特徴があった、としている。
テレビの影響を述べた部分を引いて、先に紹介&引用した『日本映画史100年』(四方田犬彦)を補っておこう。

 一九五八年に、日本での映画観客数は年間のべ一一億二七四五万二○○○人だった。国民一人当り年間一二・三回であり、これが日本映画史上の興行面での絶頂である。この年、日本映画は五○四本、外国映画は一七一本が公開された。他方、すでにテレビ放送は一九五三年から始まっており、一九五八年には受信契約数はようやく一五五万六八○○台に達していた。
 翌年から映画の観客数は徐々に減るが、一九六一年からはとくに急激に減りはじめ、六三年には五億一一一二万人と半減してしまう。テレビのほうは逆に一五一五万台と、五年前の一○倍にふえている。以後、テレビ台数の増加と映画入場者数の減少は正確に対応してゆき、一九七○年には入場者数は二億五四八○万人。日本映画の公開本数は四二三本に減る。ただし、この製作本数のうち、半数近くは極端な低予算による独立プロ作品なので、大手の作品は全盛期の半分ぐらいである。p17

テレビに持っていかれたのは「子どもと主婦と老人」であり、彼らが嫌う「性的、暴力的な場面」で映画は生き延びようとし、「日本映画の観客は、男子の若年層に極端に偏った」ものになると同時に、性や暴力だけでなく「映画表現上の試みも相当に奔放に行われ」「思想的に明確に反体制的な作品なども受け容れられるようになった」。大島渚や吉田喜重、若松孝二、土本典昭、小川紳介らは、こうした背景の中から出てくる。
任侠映画についても引いておこう。

 任侠映画のストーリーはあまり多彩とは言えない。(中略)
 主人公とその兄弟分が二人で殆ど無言のままゆっくり歩きながら死地に乗り込んで行く場面が絵画的な様式性をもって演出されるのは、歌舞伎の心中ものの”道行き”の様式を受け継ぐものであり、一緒に死ぬことを覚悟した者同士の愛と信頼こそが何よりも純粋で美しいという心中ものの伝統的な美意識の復活である。p51-52

『日本映画史100年』(四方田犬彦)では「任侠映画の物語にはそれほど多様性があるわけではない」(p172)という叙述に、対応する部分である。
佐藤は「この時期の日本の社会が高度経済成長を通じて急速に振り捨てようとしていた多くのもの」が任侠映画にはあったとして、資本主義の発達とともに「雇傭関係」が近代化される以前の日本社会に「普遍的な原理」としてあった親分子分、親方子方関係をあげている。
そして任侠映画では、それに歌舞伎ふうの「美々しい演出」がほどこされ、「昔の同業の組組織間にあった連帯協力の美風へのノスタルジアをかきたてるものになった」(p52-54)とするのである。

 こうして任侠映画は、その異様なまでに時代錯誤的な耽美主義を通じて、滅びゆく封建的人間関係への現代の日本人の愛憎こもごもの思いを謳いあげるものとなった。それは葬り去るべきあまりにも美しいもの、なのである。従って任侠映画はつねに悲愴である。また任侠映画のスターたちは、ギャング映画のスターたちのようにただ獰猛であればいいのではなく、それと同時に悲しい美しさを持たなければならない。東映の鶴田浩二と高倉健は、それまでもギャング映画などで荒々しく活躍していたが、任侠映画の主役になると、失われた封建社会の理想に殉ずるためにいつも死を覚悟している悲劇的なストイックな人間といった一種の崇高美を漂わせるようになり、熱狂的なファンを持って一九六○年代後半の最高の人気スターたちとなった。たとえばそのファンの一人に作家の三島由紀夫があり、…… p54

最後に、座頭市&勝新太郎について。

日本のチャンバラ映画には、おそらくは古い中国の武侠物語の影響で、盲目の剣士机竜之介、片目片腕の浪人丹下左膳、片目の剣士柳生十兵衛、同じく片目のやくざの森の石松と武将の伊達政宗など、身体障害者の豪傑がしばしば登場するが、座頭市はその決定版であろう。勝新太郎はこの役を、たんに異常な能力を持った男として見事な剣さばきを演じて見せただけでなく、外見的にはへり下っていながら本心では敵を圧倒しているといったところで存分にユーモアを示したし、盲人としての疎外感を厳しい孤独感と人なつっこさの交錯する複雑な演技で表現した。p62

彼に襲いかかってくる悪党どもを瞬時のうちに斬って捨てて途方もない大量殺人を続けるこの怪物のような男が、同時に途方もなく豊かな愛嬌の持主であるというところが重要で、これは狂言や歌舞伎などの日本の伝統演劇の喜劇的な部分でもっとも重要な要素をなしてきたものである。愛嬌とは、身分の低い者がへり下ったユーモアの力によって自分より目上の者を包みこんでしまうもので、卑屈さと紙一重のふるまいをしていながら、いつのまにか威張っている相手に対して優位に立ってしまったりするものである。勝新太郎はその愛嬌において伝統芸能のもっとも重要な要素のひとつを映画に持ち込んだのである。p63

December 27, 2005 編集
☆☆[book]『日本映画史100年』

日本映画は一九六○年に五四七本を制作し、産業として栄光の頂点に立った。その九九%までが、大手六社が週におよそ二本ずつの割合で観客に送り届けてくるプログラム・ピクチャーだった。だがこれを頂点として、映画産業は急速な衰退を見せることになった。新東宝は制作本数が追いつかなく、六一年に制作中止となった。すでに観客数は一九五八年の一一億強の時点で最高となり、その後ゆるやかに下降の動きを見せはじめていたが、六三年には途端に半分以下の五億一一一二万人へと落ちこんでしまった。p160

新人たちはきわめて多様だったが、いくつかの点で五○年代に活躍した独立プロの新人たちとは、決定的に異なっていた。彼らはもはや社会主義リアリズムや大衆啓蒙路線に対して、いかなる希望も幻想も抱いていなかった。したがって民主主義的なるものをめぐる素朴な信頼も、成立しなかった。戦争体験をもつ者は既成の図式を離れてそれに拘泥し、戦後社会を虚妄と見る者は、いささかシニックな角度からそれを批評した。彼らの眼前には同時代のハリウッドとヌーヴェルヴァーグがあり、戦前の日本映画の遺産や伝統は、できればどこかに封印しておきたいものであった。こうした監督たちがしばしば困難な状況のなかで日本映画の主題、話法、言語を一新させていったのが、一九六○年代なのである。p162

今日ではもはや喪われてしまった仁義を前提として、伝統的な共同体への帰属を図るという意識こそが、任侠映画の世界にあっては無上のユートピア的幸福をもたらすことになる。前近代をめぐるこうしたノスタルジアは、戦前・戦後を通して時代劇にはありえないものだった。それは日本が急速に高度成長をとげていた六○年代においてこそ、一種の感情的倒錯として生じたものである。任侠映画を熱狂的に支持したのは、六○年代後半に新左翼的心情を抱いていた学生たちと三島由紀夫だった。その理由は簡単で、彼らはともに自分たちが個人主義を放棄しないままに埋没することのできる共同体を求めていたのであり、自己同一性を保証してくれる儀礼の体系こそが、まさに戦後の子である彼らに欠落していたためであった。p173-174

December 26, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市と用心棒』

シリーズ第20作。

記念の大作は、土砂降りの雨の中での斬り合いから始まる。
「地獄は飽きた。からだの中を風が音を立てて抜けていきやがる。雨はやだ、風も。
そよ風、せせらぎ、梅の匂い。そんな夢みたいな里があったっけ」

かつては梅の香りが漂いのんびりした蓮華沢の里であったが、三年ぶりに再訪した座頭市(勝新太郎)は、その荒み果てた里の変わりように驚く。
里は小仏の政五郎(米倉斉加年)一家が牛耳っており、そこには用心棒の浪人佐々大作(三船敏郎)がいた。
一家に唯一対抗できるのは、政五郎と絶縁した彼の父親で生糸問屋を営む烏帽子屋弥助(滝沢修)だけであり、牢屋から助け出された市はその烏帽子屋のやっかいになる。
「市さん、知恵を貸してくれないか」
「按摩はツエはありますが、チエはありません」
烏帽子屋は、金座改役をしている次男後藤三右衛門(細川俊之)を江戸から呼び寄せる。
弥助は三右衛門と結託して、莫大な量の金を隠しており、本人以外に誰も隠し場所を知らないそれを、皆は狙っているのだった。
やがて短筒使いの殺し屋九頭竜(岸田森)が里に乗り込んでくる。
彼は跡部九内という、じつは公儀の隠密で、先に浪人として送りこまれた、やはり隠密である佐々大作が、手をこまねいていると見てやって来たのだ。
四つ巴、五つ巴に絡まって話は展開する。
金の隠し場所も、そして座頭市と用心棒との闘いも、最後まで見るとわかる。

親子の間に愛はなく、ただ憎しみと金への執着があるばかり。
公儀の名の下に行動する人物たちも、私的な欲望の塊でしかない。
用心棒が市を「バケモノ」と、市が用心棒を「ケダモノ」と、互いに呼び合っているように、ここにはまともな「人間」がいない。
わずかに「人間」に近いのは、無縁仏を彫り続ける兵六(嵐寛寿郎)か、男たちの欲望にまみれながらも、何とか独立した人間であろうと、毅然とした姿勢でいつづける居酒屋の女将梅乃(若尾文子)くらいか。

「世界の」三船は、その梅乃に惚れながら、ぎこちない態度しか取れず、子供のまま大きくなったような男を、無骨に自己模倣しながら演じている。
笑えるのは、その佐々が起こした騒動で、市が合掌造りの家の階上から落っこちそうになる場面。
目が見えない市は、そばに転がっていた徳利を下に落としてみて高さを測ろうとするのだが、すかさずそれを受けとめた佐々は、一、二、三と数を数えてから床に落として割ってみせる。
相当に高い所でぶら下がっていると見当をつけた市が、珍しくパニクるのをニヤニヤと佐々が見上げている、というシーンだ。
あと、市が岡本監督の肩を揉んでいる特典映像にある写真も面白い。

撮影は宮川一夫、キャストもすごい。
滋賀の蓬莱山でロケをしたらしいが、大映の京都撮影所に当時のお金で5000万円をかけて6000坪の土地に、三階も四階もある合掌造りの家をセットとして30軒も建てたのだとか。
大阪万博の年に、である。
いやはや、なんとも。
『座頭市シリーズ』は、まだまだ続くけれど、このへんにして、別の60年代作品を見ておこうと思う。

1970年、日、岡本喜八監督作品。


December 25, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市喧嘩太鼓』

シリーズ第19作。

子供たちの雀取りの仕掛けを壊してしまう座頭市(勝新太郎)。
お詫びにと豆を渡し、酒をしみこませておいて酔ったところを手づかみで取れと教えた市だが、ウソだろ、と信じてもらえない。
橋が壊れているために水に浸かって川を渡っていく市に、子供たちは忠告をするのだが、先刻の腹いせだと疑った市は、それを無視してまんまと深みにはまる。

柿が落ちてきて市、「また誰か命落とすな」。
甲州路は石和宿、荒追の熊吉(清水彰)一家に草鞋を脱いだ座頭市は、一宿一飯の義理で借金を返さない宇之吉(水上保広)を斬る。
そこへ宇之吉の姉お袖(三田佳子)が、金を工面して帰ってくる。
金だけでなく、その利子としてお袖まで連れて行こうとするヤクザたちを遮り、市は彼女を助ける。
熊吉は、お袖を本陣の旦那と呼ばれる豪商猿屋宗助(西村晃)に世話をし、利権を得ようとしていた。
宿で相部屋になったお袖に、市は同行を申し出るが、断られる。
一人旅のお袖はヤクザに襲われ、またも救ってくれた市とついに道連れになり、市を知るにつれ複雑な感情を抱くようになる。
「あなたを殺して私も死にたい」

熱を出したお袖を看病し、着物の繕いまでしてやる市。
宿代を捻出しようと賭場に出向いた市だが、目が出ずに文無しになる。
大事な杖を形にして三両の金を借りようとして断られたところに、浪人柏崎(佐藤允)が出てきて貸すという。
賭場の親分鈴屋の蝶次とサシの勝負となり、勝ったかに見えた市だが、柏崎にイカサマを見破られる。
簀巻きにされた市は、富士川に投げ込まれようとするところを、追ってきた熊吉の乾分たちに五両で買われ、なぶり者にされる。
しかし、それを救ったのは柏崎だった。

お袖が弟のために都合をつけた三十両は、彼女が身売りをして得た金だった。
諏訪の遊女屋金平楼で花車という源氏名をもらったお袖が初見世に出た夜、市は彼女を訪ねていくのだが…。

市と一緒に、夜店で鞠を投げてダルマ落としのゲームをするお袖が、いくら速く回されてもどんどん当ててしまう市を見ていて、弟を斬る市を思い浮かべてしまうシーンがあって、これがうまい。
夜店の主人役の玉川良一とその女房とのやりとりが笑わせてくれる。
草津の新吉役の藤岡琢也もとぼけたイイ味を出しているし、お袖のおばさん役のミヤコ蝶々も「らしさ」を発揮している。

1968年、日、三隅研次監督作品。


December 23, 2005 編集
☆☆☆[film]『Mr.&Mrs.Smith』

小気味のよいテンポで展開する画面、踊りを誘うようなラテン系の音楽、ブラピもアンジーもノリノリでいい。
子供も抱けず、料理もできないけれど、タフでシビアなはずのアンジーが、でも最後には「どこであれ、あなたのそばにいたい」なんてもらしちゃって、可愛い女、でラストはセラピストの前で「いい夫婦」におさまる、ってところは、ちょっとどうかと思うけれど、南米コロンビアの首都ボゴタでの出会いから、結ばれた部屋の調度、その色づかいや差し込む光の具合、そういうところだけでも、うん、見る価値があるかな、と。


December 20, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市血煙り街道』

シリーズ第17作。

勝新が歌う主題歌が流れるのは、この作が初めてなのだろうか?
第16作を憶えていないのでわからない。
「ああ、イヤな渡世だなあ」(漢字変換では「都政」が最初の候補に出た)

座頭市(勝新太郎)は、旅籠で母子と相部屋になるが、母親は病死する。
残された子の良太(斎藤信也)を連れた市は、良太の父親である前原宿の絵描き庄吉(伊藤孝雄)を訪ねる旅中、太夫のともえ(朝丘雪路)を座長とする旅芸人たちと同行することになる。
ともえのもとに箕輪の親分惣兵衛(水原浩一)からの挨拶が届くが、そこに前原の権造(小池朝雄)の配下にある金井の万造(田武謙三)一家が横やりを入れてくる。
ヤクザたちを峰打ちで追い払ったのは、浪人赤塚多十郎(近衛十四郎)であった。
万造は、自らともえを訪ねてきて、彼女を脅そうとするが、今度は市が助けに入り、万造の眉毛を一瞬の居合いで切り落とす。

そこにいると聞いて焼き物師太兵衛(松村達雄)を訪ねた市だが、庄吉はいなかった。
しかし庄吉を慕う娘のおみつ(高田美和)は、良太は庄吉に似ている、引き取って育ててもいい、というのだった。
借金の形に庄吉を軟禁し、御禁制の金粉や銀粉を使った絵皿の下絵を描かせている権造と、庄吉を逃がそうとする権造の妻お仙(坪内ミキ子)、それにワル仲間の代官手附鳥越(小沢栄太郎)や全ての証拠を消し去ろうとする公儀の隠密ら(じつは多十郎もその一人)が絡みつつ、映画は美しい雪の中での決闘シーンへと進んでいく。
(まあ定番だが、この雪の白こそが、血の赤を、その熱を、際立たせるのだ)

中尾ミエの歌が聞けたり(演歌ではなく歌謡曲なのが新鮮)、大工役のなべおさみが、犬のまねをさせられるシーンもあって、なかなか楽しめるのだが、なんといっても市と良太とのやりとりが面白い。
山道で互いに石に躓きながら意地を張り合う二人。
あるいは、石ころを飴玉と偽って差し出す良太と、口の中に入れて、すぐに石だと気づきながら、しばらくしゃぶってみせる市。
そして、切ないラスト(橋の上と下の二人)。

良太が市を河原に連れ出し、砂の上に似顔絵を描く場面も印象的だ。
「痩せてるな?」
「おっ母さんの絵になったんだよ」と良太。
「こんだは姉ちゃんの顔を描けよ」
しかし顔にヒゲをつける良太。
絵にふれた市は「!?」
「おっ母さんの顔を悪く言うからだ」

1967年、日、三隅研次監督作品。


December 17, 2005 編集
☆☆☆[book]『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』

新書ということもあって、「クラシック」をかなり見通しよく語ってくれる。
やはり、著者が専門にしている19世紀の叙述の、ノリがいい。

ツェルニーいわく、「いずれにせよ聴衆の大半は、感銘を与えるよりも、アッといわせる方が簡単な客」であり、「こうした大勢の玉石混淆の聴衆に対しては、何か途方もないものによって不意打ちする必要がある」(一八三○年に出版された教本『演奏について』)のである。繊細さや知的な面白さではなく、「スゴイ!」といわせる方が容易なこの種の聴衆の出現は、音楽のありように根本的な変化をもたらすことになる。それはいわば、作曲原理としてのハッタリである。p142

こうしたリストやワーグナーの標題音楽とは対照的なのが、三つ目の方向である。その代表者がウィーンの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリック(一八二五−一九○四年)で、『音楽美について』(一八五四年)における「音楽の内容とは鳴り響きつつ運動する形式である」という彼の言葉は、あまりにも有名である。「音楽は音だけでできた絶対的な小宇宙であるべきであり、文学的なものはそこから徹底的に排除されなければならない」というわけだ。「ベートーヴェンの第五交響曲は、運命に打ち勝つ英雄を表現している」といった「形式VS内容」の二分法をを、ハンスリックは徹底的に否定する。言語芸術のような、あるいは絵画のような、「意味するもの」と「意味されるもの」という二層構造は、音楽には存在しない。「この音楽は何を意味しているのか?」という問い自体が無意味であって、音楽とは音楽以外の何物でもありえず(つまり絶対的であり)、音楽の内容とは音楽(音楽の構造)である。言語に可能な表現領域を徹底的に切り離すことでこそ、音楽は「絶対的に」なる。これがハンスリックの考え方だった。p165

この力の誇示とニヒリズムとの同居の点でシュトラウスは、彼が崇拝してやまなかったニーチェととてもよく似ている。同じ「英雄の交響曲」でも、ベートーヴェンの《エロイカ》のごとき内側から湧き上がる力の横溢は、シュトラウスの《英雄の生涯》にはない。後者の賑々しい「英雄の戦い」の部分などを聴くと分かるように、シュトラウスの「英雄」は力まかせに「敵」をねじ伏せようとするが、決してベートーヴェンのような充実したフィナーレに至ることはできない。彼の英雄は諦めの中で死を迎えるのである。シュトラウスの親友だったロマン・ロランがいみじくも述べているように、ベートーヴェン作品が「打ち負かされた英雄の勝利」だとすれば、シュトラウス作品は「打ち負かす英雄の敗北」なのである。ただし、これは決してシュトラウス作品の欠陥などではなく、この時代の西洋音楽が陥っていた一つの精神的危機の兆候と考えられなければならないだろう。p190

20世紀になってからの、「調性」「拍子の一定性」「楽音」という音楽の三つの要素の破壊についての話も面白かった。
この本を読んでの収穫は、「クラシック」を実際に聴きたくなることかな。


December 15, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市鉄火旅』

シリーズ第15作。

瀕死の男が座頭市(勝新太郎)に「足利の庄太郎」とだけ言い残して息絶える。
カラスを斬る市。
「いやなものを斬っちまったな」

茶屋のそばで握り飯を食う市の耳に、旅芸人一行のお春(水前寺清子)の歌が聞こえてくる。
「襤褸はぁ着ぃ〜ててもぉ、心のぉおニシキ〜ィ」
道端で丁半ばくちを打つ馬子下野の馬造(藤田まこと)の口上。
「張って悪いはオヤジの頭、張らなきゃ食えない提灯屋だ! 男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経だ!」

県(あがた)の岩五郎(遠藤辰雄)の賭場で、イカサマの裏をかいて八両せしめた市は、追ってきた乾分たちを斬るが、屋台で知り合った鍛冶屋の仙造(東野英治郎)にむりやり家に連れていかれる。
市の仕込み杖を点検した仙造は、鍔元から三寸の所に見えない疵が入っている、あと一人斬ると寿命が来て刀は折れる、と告げる。

杖を預けた市は、仙造の紹介で下野屋という旅籠で働き始める。
下野屋には庄太郎の息子清吉(青山良彦)と姉のお志津(藤村志保)がいたが、実はお志津は仙造の実の娘で、庄太郎の養女であり、彼女は清吉に庄太郎の跡目を継がせようとしていた。
女にも刀にも目がない関八州見廻役桑山(須賀不二男)は、策を弄してお志津を妾に差し出させ、仙造が清吉に贈るつもりで鍛えた名刀にも目をつけていた…。

志津に自分たち姉弟の力になってほしいと頼まれて、キツイ言葉で断る市。
刀を奪われ、斬られて死んだ仙造が示した指の方向から、仕込み杖の場所を知る市。
桑山と斬り合う場面、刀が折れたのは、しかし桑山のほうだった。
刀身に直にふれて確かめる市。
「そうか、父っつぁん、ありがとう」

樽の中に隠れた市を、樽ごと転がせて目を回させようとの作戦。
何事もなかったかのように樽を切り裂いて外に出る市。
「バカ野郎、オレには回る目がねえんだ!」
まるで独楽のように、どんどん速くなっていく市の回転がすごい。

ラスト、座頭市と知った馬造がサイコロ勝負を挑んでくる。
顔色ひとつ変えず、市は手の中でサイコロを振り、馬造に投げてよこす。
「五一(ぐいち)の丁」と市。
馬造の掌のうえでサイコロがとまる、声のとおりの、目が出る。
これが予告編では「四三の半」になっていて、藤田まことの手のひらのうえで、やや傾いた形で目が出ているのだが、なんのことはない、撮ってから、そのときに出た目のとおりに、後から音入れをすればすむ話だが、できあがった映画を見ている分にはやはり、「なんでわかるの? やっぱり座頭市ってすごい!」となる。

1967年、日、安田公義監督作品。


December 14, 2005 編集
■[lecture]「奈良県図書館協会研修会」

午後から奈良大学に出張。
講演「正倉院の近代−宝物出版の歴史」(講師:東野治之氏)を聞く。
演目を見て、出版史のお話? どーかなーとあまり期待していなかった。
でも、(失礼ながら)予想に反して面白かった。
宝物を載せた本の話ではなくて、宝物そのものの話だったから。

正倉院は、明治8年に国有化された(当時だから、つまりは天皇家の所有になった)。
ぼくがまず驚いたのは、明治20年代に設置された宮内省正倉院御物整理掛が、徹底した復原修理を行っていた、ということ。
(戦後になって、御物=皇室財産は、宝物=国有財産となったが、今でも御物は残っているそうだ)
たとえば琵琶の背に施された、信じられないくらいに美しい螺鈿細工なども、天保4年(1833)の宝物図や明治の初めの頃の写真を見ると、ぼろぼろに剥がれてしまっている。
布が破れて中綿の出ている箱、いわゆる袴の部分のない厨子等々、1300年の時間経過相応に損傷がはげしいものも多く、思えばそのほうがむしろ当然なのだ。
琵琶の弦なんかも後から張ったものだと横からいわれると、そりゃあそうでしょう、なんて思えるけど、正倉院展の展示で見ているときには、これがこのまま残されてたんだ、すごいなあって、つい見てしまうものだ。

こういうウルウル目を助けているのが、正倉院にまつわる神話だ。
その一つが「勅封」(これがあると天皇の許可なくしては開閉できない)。

「世に千古の遺品必しも尠しとせず。然れども之等は概ね地下に埋没せるものの偶然に発見せられたるものなり。正倉院御物の如く勅封によりて千歳を地上に安泰たりしもの何処にかその例を見むや」(「紀元二千六百年記念 正倉院御物特別展覧」帝室博物館、東野氏資料より孫引き)

というわけである。
(宮内庁のHPでは、いまだに「勅封」神話が語られているようだが。 http://shosoin.kunaicho.go.jp/)
その勅封があるのは北倉・中倉だけど、しかし実際のところは、いちばん大切なものは東大寺の独自の判断で開け閉めができるよう南倉に保管され、火事など不慮の災難に対処していたらしいのだ

「南ニ上等ノ物入れて寺務ノ封斗りニシテ有火事ノ時ニハ直ニ開見込ノ由」(蜷川式胤『奈良の筋道』明治五年、東野氏資料より孫引き)

もう一つは有名な「校倉造り」。
これが実は外気と連動して温度も湿度も変化する、あんまし効果のない構造だということは、すでに知っていたことだけれど、それが昭和20年代にすでに実証済みだった、とか。
(事実は3メートルもある高い床と韓櫃のおかげらしい)
司会者もいってたけど、じゃあぼくらが小学校で教えてもらったときには、とうの昔に与太話だとわかっていた、ということだ。
ウソツキ。

大正6年(1917)3月にあったスキャンダラスな小杉事件。
(ロシア革命騒ぎで続報が断ち切れになったとか)
そのあとをうけて同年12月に帝室博物館長に任命されたのが森鴎外。
その鴎外が拝観者拡大方針を打ち出し、当時「学位ヲ有スル者」という資格のなかった山田孝雄(1875-1958、明治8年富山市生まれの国語学者、富山県尋常中学中退、彼が文学博士の学位を受けたのは昭和4年、54歳のとき)に拝観の特別許可を与えた話などの、逸話も楽しめた。


December 12, 2005 編集
☆☆☆[book]『サウンド・エデュケーション』レイモンド・マリー=シェーファー、鳥越けい子・今田匡彦・若尾裕訳、春秋社、1992/04

午後、Nさんから取材を受ける。
Nさんは奈良教育大で音楽教育を専攻している学生さん。
卒論を書いてる途中、web上に「静寂とは?」というぼくのページを見つけたらしい。
以前「人文科学総合」という科目で実施したアンケートだ。

音楽を教えながら、子供たちにどうやって「静寂」について気づかせていけばいいのだろう。
それを考えるために、Nさんは調査をされている。
・なぜ「静寂とは?」のような質問をされたのですか?
・アンケートから、どんな結果が得られたのでしょうか?
というのが、主な質問である。

Simon and Garfunkel は、矛盾した表現である「サイレンスというサウンド」を、でもどちらかというと否定的なものとして歌っていたような気がするが(『The Sound of Silence』)、静寂というのは、けっして沈黙とイコールではないし、また無音というのとも違う。
たしかに、人為的な音は静寂を掻き乱すことが多い。
けれど自然界の音がどこからか、ごく控えめに届けられている、そんな静寂だってアリだろう。
沈思黙考という言葉があるが、思考やコミュニケーションを損ない脅かすサイレンスだけでなく、それらを包み支えるサイレンスというものもあるはずだ。

そんな予断をもってアンケートに臨み、結果、否定的にとらえる回答が多かったのには正直驚いたのだけれど、全体的には、回答に両義的といっていいほどの大きな幅があることが面白く思えた。
否定的な回答の究極は、「無」や「死」であるが、「無限」や「生」という回答もある。
「終わり」があれば「始まり」があり、色なら、「黒」から「白」まで、光なら、「暗闇」から「透明」まで、心理的には「不安」「恐怖」から「落ち着き」「安楽」まであるのだ。
特殊な空間で、あるいは特異な時間で答えてみたり。
ぼくが好きなのは「静寂とは、水面に浮かんだ月」のように隠喩による回答である。
「澄んだ川の流れ」「満月の夜」「夜の海」「永遠の一瞬」などなど(99年度の例)。
http://www.libe.nara-k.ac.jp/~takeda/human/99seijaku.html

『サウンド・エデュケーション』のRaymond Murray Schaferは、人間の音、機械の音、そして自然の音を区別することで、サウンド・スケイプ(音風景)に陰影を与えていく。
「静寂」とは、それら3種の音がどのように配合されたものをいうのか。
当然それぞれの個人史もそれに絡んでくるから、回答は様々なものになるのだろう。

でもぼくらはいったい、いつ「静寂」なるものがこの世に存在していることに、はっきり気づいたのだろう。
ひとつのメルクマールは、「黙読(反省的に得られる自我)」ではないか。
それから、いくつかの楽器の中から自分で選んだ楽器を使って、子供たちに「静寂」を(音でもって)表現してもらう、そんな課題があってもいいのでは?
Nさんと話していて、ぼくはそんなことを思った。


December 11, 2005 編集
■[memo]『文學界』(2006年新年号)

ロラン・バルトの初訳(「スポーツと人間」)が目当てだったが、高橋源一郎の連載「ニッポンの小説」(第十三回)が面白かった。
荒川洋治の新刊「文芸時評という感想」をとりあげながら、ニッポンの小説&小説家について書いている。
詩人の荒川氏が小説を論じた文芸時評を、小説家の高橋氏がまた論じ直しているのだが、荒川氏の時評のほうが論じている対象の小説より面白い(と、これは高橋氏自身が書いているのだが)、その程度には、荒川氏の時評よりも高橋氏の文章のほうが面白い可能性はある。
(それにしても荒川氏はスルドイ!高橋氏はまたそれを引き立てるのがウマイ!)
高橋氏は書いている。

 見せる「私」はないが、見てもらいたい「私」は存在している。そこが、まことにややこしい。
(中略)
 だが、そんなことはできなくなった。小説家も、読者も、見た目には、ほとんど変わりがなくなったのである。
 だが、変わらないものが一つだけある。
 それは「私」を見て、という叫びである。近代小説にはなにが書かれているのか、それは簡単にいってしまえば、「『私』を見て」ということだ。だが、それにも関わらず、見てもらうべき「私」がないのだとすると、どうなるか。
 その代わりを探すようになる。「私」とは、小説の中に出てきて、「私です」と名乗る、作者にそっくりの登場人物のことではない。時には、「私」とはなんの関係もない、登場「人物」でさえないものが、「私」の代役を務めたりする。

☆☆☆[DVD]『座頭市海を渡る』

シリーズ第14作。

帆船、そしてタイトル。
田中邦衛演じる講談師、握り飯を食う座頭市(勝新太郎)は居直って暴れるスリ(千波丈太郎)の片腕を切り落とす。
「一つ残して置いてやるから、もうちょっと腕を磨いておくんだな」

金比羅さんの長い階段。
四国八十八カ所の札所巡りをする座頭市。
だが、人を斬るようなことにならないよう、との願いも空しく、馬に乗って襲いかかってきた栄五郎(井川比佐志)をやむなく切り捨てる市。
(二人は橋から落ちて、市は水中で栄五郎を斬っている)

栄五郎の妹お吉(安田道代)は、訪ねてきた市の肩を発作的に斬りつけたが、市の人物を見抜き、親身になって市を介抱するのだった。
借金の形に栄五郎に市を襲わせた馬喰の頭領藤八(山形勲)は、お吉の住む芹ケ沢一帯を自分の支配下に置こうと目論んでいた。
名主の権兵衛(三島雅夫)は、のらりくらりと藤八の要求をかわしながら、自分たちの手を汚さずに、市と藤八が互いに争うのを見守る算段だった。
とうとう市は一人で藤八一党に立ち向かう。
助けを求めるお吉だが、村人は家の戸を閉めて誰一人出てこない。
しかしお吉に思いを寄せる安造(東野孝彦)がついに市の助太刀をしようと出てくるのだが…。

藤八たちの乗る馬に躍動感がある。
山の中の砦といい、西部劇ふうだが、藤八の武器は弓であり、市の居合いは、藤八の放つ矢を縦に真っ二つに裂くのだ。
お吉と市が山の中で心を通わせ、一緒に湖で泳ぐシーンが印象的。
「怖かったけど、怖くなくなった。あなたがいい人だとわかった。きっといつまでもあなたのことを思い出すと思うわ。」
「いつまでも?」
「いつまでもよ。」

1966年、日、池広一夫監督作品。


December 10, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市の歌が聞こえる』

シリーズ第13作。
夕闇なのか、夜明けなのか、とにかく青い。
ヤクザたちに斬られた為吉(木村玄)は、通りかかった座頭市(勝新太郎)に、太一(町田政則)に渡してくれと金を預ける。

生まれつきの盲目である琵琶法師(浜村純)から、中途半端な存在、バケモノだといわれる市。
一の宮の宿は、雷太鼓が名物の祭りを明日に控えていたが、人々は板鼻の権造(佐藤慶)一家の横暴に手を拱いていた。
市は為吉の母おかん(吉川満子)と為吉の息子太一に、為吉から預かった金を渡すのだが、その上州屋も権造は乗っ取ろうとしていたのだった。
市が心を通わす女郎お蝶(小川真由美)と彼女を身受けしようとする権造の用心棒黒部玄八郎(天知茂)が絡む。

見せ場の一つは、太一と一緒にいた市が権造一家の乾分たちにいたぶられて、居合いの技を見せる場面。
「坊や、大きくなっても身体の不自由な人をからかってはいけないよ。」
提灯を斬って、中の蝋燭だけを刀身に乗せ、
「ほら、人間の顔じゃあねぇだろ。」
刀を払って蝋燭を別の男の髷の上に飛ばす市。

山中で法師が琵琶を弾き、市がそれを聴くシーンもいい。
「糸に頼っていると琵琶は弾けないよ。お前も仕込みに頼っているだけじゃ、生きてはいられないよ。」
このとき、すでに市は太一への影響を慮って、仕込み杖を捨てていた。
玄八郎が近づき、やがて諦めて引き返す。
「それがただの杖だというのは知っていたよ。お前の吐く息吸う息がただもんじゃあなかったからね。」
「怖かったんだよ、オレは。」

権造のところに乗り込んだ市は、返り血を浴びている。
徳利ごと酒をあおった市は、権造にも注いでやって、しかし彼が飲み干そうとする瞬間にほじった鼻糞を杯の中に弾き入れる。
「この酒はちょっと辛口でございますね。」

予告編では、市の耳を狂わせるために使われる太鼓の場所、黒部玄八郎との対決の場所が、本編とは異なっている。

1966年、日、田中徳三監督作品。

■[book]『波状言論S改』

哲学者・批評家である東浩紀が、同僚でもある若い社会学者鈴木謙介とともに、現在最も幅広い読者を得ている期待の社会学者たち3人と「批評化した社会学の現在」について語らった鼎談本。
例によって、気になったところの一部を引用しておこう。
宮台氏との対談における東氏の発言。

人がなんらかの超越性、宮台さんふうに言えば「強度」とか「縦の力」とかがないと生きられないというのは真実だと思うんです。世俗的価値だけでは窮屈になるだけです。
 でも僕はそこで、強度を高めるのは、意味ではなくて偶然性だと考える。これはもう学問でもなんでもない話ですが、僕の思うに、人々は「なんだかよくわからないがこうなってしまった」という偶然性=運命性にこそ強度を感じるわけで、意味があるから強度を感じているわけではない。意味があるから強度があると思うのは、あとからその偶然性を意味づけ、アクシデントを必然に変えてしまうトリックだと思う。p112

北田氏との対談における東氏の発言。

なぜリベラリズムがいま再考されなければならないかと言えば、「自由」の内実そのものが変化しているからです。僕は、最近、自由の概念を、所有権にもとづいたリバタリアニズム的なものと、社会の異種混淆性や他者への開放性を重視するリベラリズム的なものに分けるとわかりやすいと考えているんです。前者は、要は、他人の迷惑にならなきゃなにをやってもいいだろう、という自由で、後者は、他人のことも考えて皆の福祉を前提にして構築する自由です。
 そして、僕たちは、いま、リバタリアンな自由を最大限に認めることが正義なのだ、というきわめてシンプルな自由観が日々力を強めつつある厄介な世界に生きていると思うんですね。p168-169

 いま人々が求めているのは、自分を包んでくれる大きな枠組み=物語というより、思考や解釈のメタゲームを止めてくれる特効薬なのではないか。この薬を飲めば、この音楽を聴けば、この映画を見れば気持ちよくなれるということがわかっている。しかも、そのことになんの意味もないこともわかっている。けれども人々はそれにハマっていく。そして、結局それがなければ社会生活が維持できなくなっていく。これはまさにアディクションの構図です。p199

大澤氏との対談における東氏の発言。

『正義論』の有名な「無知のヴェール」論はけっこう重要なのではないかと思っているのです。……。
 というのも、「無知のヴェールを被る」という思考実験は、いまの僕たちの言葉に置きかえれば「プロファイリングしない」ことを意味すると思うからです。社会契約を結ぶにあたって、各人が自分が何者で、他者に対してどれだけアドバンテージがあるかわからない。これは実はけっこう重要なことなのではないかと思うんです。逆に、いまの社会はそういうタイプの情報をどんどんオープンする方向に向かっている。相手のことを十分に調べないでコミュニケーションを取るのは、リスクだと思われている。しかし、ロールズの議論は、そういう発想では社会がそもそも成立しない、ということを裏側からいおうとしたものなのではないか。これは、僕は、多少迂遠ではあるものの、監視社会化に抵抗するための原理として使えるんじゃないかと思っています。p328

December 08, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市地獄旅』

シリーズ第12作。
伊藤大輔の脚本が冴えている。
夜道、首なし地蔵、竹竿の先にある高い位置の提灯。
斬りかかる五人組のヤクザ(戸浦六宏ら)に傷を負わせた座頭市(勝新太郎)は、彼らに追われる。

江ノ島までの船旅で、イカサマ師たちをイカサマでカモにした市は、将棋好きの浪人十文字糺(成田三樹夫)と出会い、以後同行することになる。
イカサマ師たちの親分一家に襲われた市は、彼らを難なく撃退するが、船中で一緒だった門付け芸人お種(岩崎加根子)の連れ子ミキ(藤山直子)が、そのとばっちりを食い、そのとき受けた傷がもとで破傷風になる。
責任を感じた市は、金をこしらえ、薬を手に入れ、熱心にミキを看護する。
心を通わせた三人は箱根まで同行するが、湯治場で市は、仇討ちの敵を探す旅をしている侍佐川友之進(山本学)とその妹粂(林千鶴)に出会う。
じつは相部屋をしている十文字糺こそが彼ら兄妹の仇であり、お種もまた市をつけ狙うヤクザ五人組の一味であった…。

同じ名前である憧れのおタネさんの話をする市。
「瞼の中だけに、いつまでも生きているんだい」
酒をあおるお種。
「私だっていつまでも忘れさしはしないよ、もう一人のお種としてだけでも」
そしていきなり市の手を噛んで、
「せめてその歯形が残っている間だけでも」
そしてお種は、自分が市に斬られた男の女房で、ミキは自分の子だと告白する。
「あんたのおなごになりたかった」

山道を登りながら、そらで将棋を指しあう市と十文字が、どんなふうに刀を交えることになるのか。
佐川兄妹は、はたして敵討ちが叶うのか。
市と五人組たちとの決着は?
そしてお種やミキたちはどうなるのか。
すべては、見てのお楽しみである。

1965年、日、三隅研次監督作品。


December 07, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市逆手斬り』

シリーズ第11作。
白昼の五十叩きの刑。
もぐり博打の罪で捕らえられた座頭市は、牢の中で死罪となった片瀬の島蔵(水原浩一)と出会い、彼の無実を証明してくれる大洗宿の黒馬の仙八(原田言玄)や荒磯の重兵衛(石山健二郎)を訪ねてほしいと頼まれる。
しかし彼らこそは島蔵に罪を着せた張本人たちだった。
市と出会って同行を決め込み、市になりすまして美味しい思いをするお調子者の百太郎(藤山寛美、彼はのちに島蔵の息子であることがわかる)、仙八の所に閉じ込められていたのを市に救われる女お米(滝瑛子)らが絡む。

寛美のとぼけた演技も見物だが、チャランポランな男の哀れさを醸し出す彼の佇まいもまた絶品である。
海ぎわの断崖に立って空を仰ぎ、しょっぱい風を受ける市。
向こう岸のない海の説明をする少女との束の間の交流。
両の手の二刀での逆手斬り。
漁師小屋の並んだ浜における盛り沢山の仕掛けが連続する殺陣も楽しめる。

予告編とは違って、本編は差別語を用いての罵りがぐっと少ない印象。
手前から向こうへ背中を見せて去っていくのではなく、左から右へと市が画面を横切る動きで終わるラストも新鮮。

1965年、日、森一生監督。


December 06, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市二段斬り』

シリーズ第10作は、いきなりタイトルが出る。
白地に黒い文字。
牛が引く車の荷台に積まれた藁の上に寝そべって握り飯を食う座頭市(勝新太郎)。
どんぶり飯かお握りか、いずれにせよ市が白いご飯にパクつくのは、このシリーズお馴染みのシーンである。

座頭市は、久しぶりにあんまの師匠彦の市(嵐三右衛門)とその娘お小夜(坪内ミキ子)を麻生宿に訪ねるが、師匠は殺され、お小夜は借金の形に錦木という名の女郎にされていた。
やがて市は、師匠が宿場の親分錣山(しころやま)の辰五郎から親切ごかしの大金百両を無理矢理貸し付けられたこと、持ち金と合わせた三百両でもって京都へ検校の位をもらいに行く途中で、師匠は殺され、金もそっくり奪われたことを知る。
辰五郎の所に厄介になっている手づま(イカサマ)師イタチの伝六こと井戸尻軍十郎(三木のり平)とその娘お鶴(小林幸子、これがデビュー作とか)、それに互いに因縁のある郡代磯田幸右衛門(春本富士夫)と辰五郎の用心棒門倉小平太(加藤武)と藩の見廻り役大館甚吾(木村玄)の3人が絡む。

見所の多い佳作だが、まず笑わせてくれるのがおでん屋のシーン。
「そんなにカラシをつけたらメに悪いよ」
めためたに塗りたくった竹輪を頬張って、その辛さに踊る仕草をして見せた市。
「あんまりカラシが旨いんで、目の玉飛び出しちまって、父っつぁんの顔が見えなくなっちまった」

三木のり平とのやりとりもなかなか。
腕を揉む市にイカサマ師と見抜かれたイタチの伝六。
「おめえさんアンマだけでなく、ハリもやるのか?」
「どうして?」
「チクリと刺すからよ」

「お鶴はオレの掛けげえのねえ杖なんだ」といって泣かせる伝六=のり平はまた、同時に、いよいよのクライマクスで、その名のとおりイタチの最後っ屁で決めるべく、尻を突き出しながら、
「ん? 今日は出ねぇや!」
抜群の間合いを披露してくれる。

最後に、本作はその予告編まで面白い。
いけしゃあしゃあと別の映画のカットを使っている。
第5作「喧嘩旅」の場面の幾つかが流用されているのだ。
若くて元気な平三平にもびっくり。

1965年、日、井上昭監督作品。


December 05, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市関所破り』

シリーズ第9作

からっ風の中に立つ座頭市(勝新太郎)。
「ひでぇ埃だ。メアキだったら困るだろうな。」

島抜けをしてきた男新助(千波丈太郎)は、代官と組んで自分に殺しをさせ、あげくに裏切って自分を役人に売った土地の親分島村の甚兵衛(上田吉二郎)に復讐しようと、妹お仙(滝瑛子)と連絡をとって隙をねらっている。
市は、行方不明になった父親、太田村の名主清右衛門を捜す娘お咲(高田美和)と相部屋になり、彼女を励ます。
「こんなになった今でも生みの親と会えるかも知れないと思っている」
しかし、新助は甚兵衛たちに返り討ちに合い、お咲はとうとう父がすでに殺されていることを知る。
市は自分の親を彷彿させる飲んだくれの儀十(伊井友三郎)にお咲を預けるが、儀十は金ほしさに市を裏切り、お咲は甚兵衛一家に関所まで連れ去られてしまう…。

見せ場はやはり賭場でイカサマを見抜くシーン。
ツボ振りが、賽子をツボに入れる直前に、別の賽子とすり替え、盆にかぶせようとする瞬間。
市はツボのサイコロを斬る。
(刀のキラメキだけが瞬間的に見え、チャキンと仕込み杖の鞘に収められる音。)
「賽子は二つで勝負しておくんなさるんですね」
ツボを開けると、二つに割れたサイコロの中身に仕掛けが見える。
慌てたツボ振りの髷だけを斬り、それを自分の手で受け、中をまさぐって元のサイコロを取り出してみせる市。

用心棒沖剛之助(平幹二朗)との力のさぐり合いの場面も、ちょっと面白い。
カメラは部屋のなかで座っている市の正面を写していて、その手前を沖が歩いて横切っていく。
沖が目の前を通り過ぎざまに市は顔を右(画面左)に向けて逆手で刀を抜きにかかる。
カット。
画面は今度は逆に市の右後方から、二人の刀が一閃、同時に鞘に収める姿。
(実は平幹二朗は、刀を収め損なっている。それを全く表情に出さないのはサスガ。)
しばらくあって、やや離れたところにある碁盤が、真っ二つに割れて崩れる。
え? あんなところまで切れるの?!
(碁盤が二人から遠すぎて不自然に思ったが、似た場面が予告編にあって、そこでは碁盤近くでの斬り合いのカットにつないであった。)

もはや座頭市は超人的存在とはいえ、その登場の仕方が、音楽ともども化け物的な扱いだと感じたが、『大魔神』('66)の監督さんで、納得。
それから、田中ダイマル・ラケットにも出会えるよ!

1964年、日、安田公義監督作品。


December 04, 2005 編集
☆☆☆[DVD]『座頭市血笑旅』

シリーズ第8作。

オープニングでは、松の市、杉の市、ヨの市、ヘの市ら、盲人衆の集団が座頭市(勝新太郎)を救い、別れ際に彼に声を掛ける。
「メアキには気をつけてくださいよ」

座頭市の命を狙うヤクザの和平次(石黒達也)たち本所一家は、市が乗っているはずの駕籠を突き刺すが、乗っていたのは赤子を抱えて腹痛に苦しむ女おとよで、通りかかった市が彼女に駕籠を譲ったのだった。
市は、残された赤ん坊を父親の宇之助(金子信雄)のところまで、届けるはめになる。
「赤ん坊は正直だな」
お乳に排便と、さまざまな苦労をしながらも旅を続ける市。
侍に追われて窮地に陥った巾着切りのお香(高千穂ひづる)は、市に助けられ、三人で旅を続けるうちに、市にも赤ん坊にも情が移っていく。
「この子の顔を見てたら、アタシ恥ずかしくなっちゃって…」
しかし、市が訪ね当てた宇之助はヤクザの親分になっていて、おとよという女も子供も知らぬと市を追い払う。
市は、やむなく赤ん坊を瑞光院という寺の和尚(加藤嘉)に預けるのだった…。

子供と別れねばならない市とお香。
二人の態度はそれぞれなのだが、思いは一つ。
座頭市のシリーズを通して、子供は残酷なところもあるけれど、ピュアで無垢な存在として位置づけられている。
赤ん坊の手をとって、自分の顔をさわらせる市の姿が哀れだ。

1964年、日、三隅研次監督作品。


December 02, 2005 編集
☆☆☆[book]『もうひとつの愛を哲学する−ステイタスの不安』

愛には二種類のものがあるらしい。
ひとつは、性的な愛。
もうひとつは、世間に求める愛であり、世間から差し出される愛。
すなわちステータスへの欲求。
これがしかし、性愛に劣ることなく、しぶとく僕らを苦しめる、なかなかのヤツなのである。

「あそこにスパイサー・ウィルコクスさんたちがいるわよ、ママ! あの方たち、うちと知りあいになりたくてたまらないって話よ。声をかけてあげたほうがいいんじゃない?」
「とんでもないわよ、おまえ。うちと知りあいになりたくてたまらないって言ってるのなら、知り合いになる値打ちのない相手なのよ。わたしたちが知り合いになる値打ちがある相手っていうのは、わたしたちとは知り合いになりたくないって方がたなの!」(パンチ誌、1892年)p28

不安は、ぼくらが従う価値から生まれた場合にだけ、ホンモノになる。
既成の価値からはズレた、もうひとつ別の価値に気づくこと。
ステイタスのピラミッドを廃止するのではなく、新しい種類のヒエラルキーを築くこと。
ステイタスへの欲求を「なしにする」ことはできない。
ではそれをどこで、何で満たすか、その選択は僕らの手の中にある、とド・ボトンはいう。

後ろを向きながら前に進む、というのはベンヤミンの示した歴史に対する姿勢であったけれど、ド・ボトンは、ちょうどそんなふうに、そして社会の側からでなく、あくまでも個人の側から、生存にかかわる重大な問題(ステイタスの不安)にアプローチする。
安易に未来を語らない。
彼が参照するのは、過去だ。
その著述のスタイルからは、現在は過去から作られていて、したがって現在の問題を解く鍵は必ず過去のうちに見つかるはずだという確信のようなものが感じられる。
しかしそれは、ミネルヴァの梟は夕暮れに飛ぶ、という哲学のいつものやり方で、終わりから見れば全部が見える、とする態度ではない。
(そういえば、「ブレード・ランナー」では、アーティフィシャルな梟が、大きな部屋の中をちょうど夕暮れに飛んでいて、あれは「夕暮れ」を迎えたレプリカントたちのほうが、「世界」がよく見えるという、「悟り」というよりはむしろ「皮肉」の象徴として使われていたような。)

ボヘミアはどこにでもありうる。場所ではなく、心のありかたの問題だから。(アーサー・ランサム『ロンドンのボヘミア』1907年)
ブルジョアを憎むことは智慧の始まりである。(ギュスターヴ・フロベール)
 ブルジョアジーがステイタスを与えるのは、商業的な成功と世間の評判を基準にしてである。いっぽうボヘミアンにとって何にもまして大切なのは、間違いなく優雅な家や衣服が買える能力なんかじゃなく、世界を理解する力を持つことであり、観客であると作者であるとを問わず、感覚の主要な貯蔵所すなわち芸術に身を捧げることであった。
 ボヘミアンにとって、自分たちの価値観に殉じた人間像とは、書くために、描くために、音楽をつくるために、正規の職業の安定と社会の評価を犠牲にした人々、あるいは旅のために、友人のために、家族のために、自らを犠牲にした人々たちであった。p338-341

哲学、芸術、政治、宗教、ボヘミアと五つの領野を渉猟しつつ、ド・ボトンはただ、その該博な知識の中から、「もう一つの生き方」につながるヒントを出してきて、並べてみせるだけだ。
しかしその「もうひとつ別の」こそは、彼のポジティヴなのであり、また決して押しつけにならないその並べ方こそが、工夫であり配慮、つまりは他者への愛なのだ。
過去のほうに目を向けながら、未来のほうに歩いていく、とは彼の場合、そういうことだ。
ド・ボトンの前向きな姿勢と彼の愛にふれえた人は、きっと心が安まり、ほんの少し自分に自信をもつことができるだろう。