もう少し詳しいブックガイド (96年度) 第二部


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第二部

W 個人と社会

31  自分のなかに歴史を読む 阿部謹也  1100 筑摩 
 著者は中世ヨーロッパ史が専門の研究者であり、この間まで一橋大学の学長をしていた人である。しかし阿部は最近のインタビューで、もう自分が過去にやってきたことには興味がない。これからはやりたいことをやる、と言っていた。自分のこれから先を展望しようとするなら、これまでの歩みをしっかりと振り返っておかなければならない。未来に向けて、これからほんとうにやりたいことをやるためにも自分自身を知らなければならない。ではどうすればよいのか。まず、自分自身の歴史を振り返る。自分を知るのにこれほど確実な方法はないだろう。後ろを向くな、ひたすら前に進め。そんな言葉をよく聞くが、それは今の自分を知りたくない、知るのが怖い人間の言い訳だったりする。後ろをよく見たら、自分が今どっちに向かって歩いているのかが書いてあったりするものだ。(最近、同じ著者の 「『世間』とはなにか」 (講談社現代新書)が出た。私たちは学校では「社会」を学んでいるが、暮らしているのは「世間」である。私たちはなかなか「個人」にはなれない。なぜか。その難問に阿部は挑戦しようとしている。)

32  日本の歴史をよみなおす 網野善彦  1100 筑摩 
 著者は、ここ20年の間に日本の中世史を塗り替えてしまった。多くの人が陥っていた日本は農耕社会である、という思い込みから脱却して、非農耕民の生活に着目し、被差別民の実態の見直し、海の民や海の交通を重視することで、埋もれていた「豊かな中世」を歴史に浮かび上がらせることに成功したのである。その網野が、独自の視点から大きく、そしてやさしく私たちが日本をとらえ直すのをサポートしてくれる。近世の日本人の庶民の識字率が意外に高かったという事実なども、この本を読んで初めて知って驚いた人も多いだろう。最近出た 「続・日本の歴史をよみなおす」 もきっと読みたくなるはず。

33  「学ぶ」ということの意味 佐伯胖  1500 岩波書店 
 教師向けの本だが、学ぶことの喜びを失っている人は誰でも(もちろん学生でも)、これを読んで自分をもう一度確認すべきだ。そしてその学びの基礎となる 「『わかる』ということの意味」 (岩波)にももう一度目を向け、自分自身で確かめ直してみよう。同じ著者の 「コンピュータと教育」 (岩波新書)も大変参考になる。

34  知の技法 小林康夫&船曳健夫編 1545 東京大学出版会 
 「学問」の世界の側に、変わろうとする気持ちがあり、それがとりあえず一つの形として結実したのだから、とにもかくにもそのことには素直に拍手を送りたい。「知」の世界へのガイダンスとして、大学の門をくぐったばかりの一年生を対象に、彼らがリアリティーをもってアプローチができるように、それぞれの教官がそれぞれの工夫をしている。できれば 「知の論理」 (一年生対象) 「知のモラル」 (三年生程度を対象)と続く三部作すべてに目を通してほしい。自分の探していた世界への入り口が見つかるかも。

35   メディア論 M・マクルーハン  5150 みすず書房  
 メディアとは? 生命と環境を、人間と自然を媒介するもの? 身体? 身体の延長? 道具? 人間の手足、耳目、さらには頭脳の「延長」? 人間を「拡張」したもの? しかし「メディアにとって重要なのは、その内容ではなく、メディアそれ自体である」とマクルーハンはいう。メディアの存在自体が世界の変容だからである。したがって「メディアはメッセージである」。そしてメディアには「ホットなメディア」と「クールなメディア」とがある。「書字の技術」「活版印刷の技術」「電子の技術」という人類史上の三大メディアを軸にしながら、さまざまなメディアを考察していくマクルーハンは、人間の歴史を一つのシステムとして捉えようとしているかに見える。今から30年ほど前にマクルーハンは「グローバルヴィレッジ」というようなことをいった。それは現在私たちの目の前にあるインターネットとどう違うのか。メディアとのつきあい方を見定めていくうえでも、もう一度マクルーハンを読み直す必要があるだろう。活字メディアがどのように私たちの世界を変容させたかを徹底的に考察し、そこから新しい電子時代の文化創造へと道を開こうとした試みに 「グーテンベルクの銀河系」 (みすず書房)がある。

36   声の文化と文字の文化 W.J.オング  4200 藤原書店 
  「文字で書く」ということがいったん成立してしまうと、人々は、それ以前の「声」というかたちでの言葉とのつきあい方を決定的に変化させてしまい、それまでの言葉とのつきあい方をきれいに忘れてしまう。本書は、「書く」ことが私たちにもたらした決定的な意味を明らかにし、忘れ去られた「声の文化」の独特に構造化された思考や表現について考察する。

37   文字の歴史 ジョルジュ・ジャン  1300 創元社 
  「知の再発見」双書 として企画されたシリーズのトップ・バッターとして出てきた本で、コンパクトながら、天然色の色刷りの図版が、200あまりあるページの半分はあるかと思われるほど多い。フランスの人だからフランス中心になるのは仕方のないことだが、そのあたりは監修者(矢島文夫)が適当に切り捨てて、世界全体に目がいくように配慮してくれている。後半の資料編も役に立つ。同じ著者による 「記号の歴史」 が同じシリーズで出ている。

38  思考のエンジン 奥出直人  1800 青土社 
 英語で Writing on Computer という題が添えられている。文章を書くということは、どういうことか。考えるとはどういうことか。コンピュータで文章を書く自分を見つめ直すときに何が見えてくるか、というのがこの本の主題である。91年が初版のこの本に出てくるソフトは、今となっては古い。同じ名前で現在も発売されているものでも、違う種類のソフトに変わっていたりする。しかし、体験を通して具体的に描かれるディーテイルにはリアリティーがあるし、ある種60年代的なアメリカの雰囲気というか、かつてのマックが持っていた「夢」への可能性といったものと共振する感性が、全編にわたってビートを刻んでいる。人文系の学者がどんな勉強をどんな風にやっていくのかを、リアルタイムで覗き見しているような錯覚を経験できるのも楽しみだ。同じ著者の 「物書きがコンピュータに出会うとき」 (河出書房新社)は、もっと実践的な内容の本で、さらに一年前に書かれたものだ。

39  ライティング スペース J・D・ボルダー  4635 産業図書 
 電子テクスト時代における、ライティング=書くこと、とは何か。書くことの(主に西洋的な)歴史的考察をふまえつつ、すでに到来しつつある本格的な電子時代のテクスト文化論を試みている。もっと実用的に、レポートや書類の作成に役に立つような本はないのかという問い合わせには、 B・ミント「考える技術・書く技術」 (ダイヤモンド社)はどうだろう。「書くこと」がシステマティックに扱われていて、整理された説明は明瞭である。あとは実践あるのみである。

40  本とコンピューター 津野海太郎  2300 晶文社 
 本も好きだし、コンピュータも好きだ、という人に読んでもらいたい本。本とコンピュータは、どういうところで対立し、どういう点でつながるのか。この本は、特にその「つながり」に重点が置かれている。パーソナルなコンピュータの持つ夢を語った本であるといってよいだろう。同じ著者の近刊 「本はどのように消えていくか」 (晶文社)も本好きを裏切らない本である。

X 環境と生命

41  1995年1月・神戸 中井久夫他  1545 みすず書房
 中井久夫は神戸大学医学部の教官、精神科の医師である。神戸大学の医師や看護婦たちが震災にどう対処することになったか、どのように人を助け、人に助けられたかが書かれている。人をたよって遠くからでも人が集まってくる。もちろん、専門的な知識や技術がないと力になれない場合も多い。しかしコミュニケイションやネットワークの核は、人であり人柄なんだな、と思う。そしてやはり私は巻末の中井の日記の記述に引き込まれてしまう。早いもので、この本の続編にあたる 「昨日のごとく」 (みすず)がもう出た。これにも巻末に中井の日記が付されている。私は中井の文章を読むと(かなりエキセントリックでファナティックな所もある文章なのだが)心が落ち着く。中井には、 「記憶の肖像」「家族の肖像」 の二冊のエッセイがあり、現代ギリシャ詩人たちの詩の翻訳がある。最近 P・ヴァレリー の訳詩集も出た(以上、すべてみすず書房)。それから心のケアの問題については、 B・ラファエル「災害の襲うとき」 (みすず)を繙いてみることで、こういう研究をしている人もいるのだとひとまずは安心しておきたい。

42  ボランティア もうひとつの情報社会 金子郁容  岩波新書  
 ボランティアとは自分を開くことである。しかしオープンなものは実に傷つきやすい。それでもその弱さをプラスとして積極的に生きていく人たちがいる。そういう人たちは、他人を助けるのではなく、自分が幸せになるのだという。同じ著者に 「ネットワーキングへの招待」 (中公新書)があり、彼のボランティアも、もともとはここから出てきている。また 「空飛ぶフランスパン」 (現物がいま手元になく出版社不明、現在はどこかの文庫で出ていたような……)という奇妙な(題だけでなく中身も!)本もある。私はここから入っていったが、ここから著者の対談の相手でもある友人 田中優子 へと手を伸ばして「江戸」関連の本を読み出せば、最近「江戸」にまで進出してきた英文学者 高山宏「江戸の切り口」 丸善ブックス)に出会うことになるだろう。この人は学生時代に自分の大学の図書館にある数万冊の本の図書カードを一人で作ってしまうくらいに「読み」に憑かれた人であるが、最近は猛烈に本を「書く」人になっている(「アリス」から「庭園」にいたるまでの「読むこと/見ること」について!)から恐ろしい。その高山氏の友人に 荒俣宏 がいるが、このW宏に首を突っ込んだら、古今東西のアナザーワールドを引き回されて空中浮揚から降りてこれそうにないが、それもまた悪くないかもしれない。

43  カミとヒトの解剖学 養老孟司  2000 法蔵館 
 この本は 19 で紹介した「唯脳論」が基礎/理論編だとすれば、いわば応用/実践編である。宗教とヒトをテーマにしつつ、死・身体・無限・心について考えていく。著者独特の歯切れの良いリズムで、分かるところはハッキリ分かり、分からないところも、それのどこがどう分からないかがハッキリ分かる。二元的な思考の方法論においても視覚系/聴覚系といった分け方は新鮮で、(その方法で 三島由紀夫宮沢賢治 を論じた文章などはその典型だが)それなりの説得力を持っている。もっとも、著者は自分の仕事がどういうものであるのかが分かりすぎたせいか、先年、定年を待たずに東京大学の医学部教授をさっさと辞めてしまった。

44  オウム真理教の深層(「イマーゴ」臨時増刊) 中沢新一編  880 青土社  
   対論オウム真理教 室生忠他  2200 三一書房   
   オウムと近代国家 呉智英&橋爪大三郎&大月隆寛&三島浩司  1500 南風社  
 オウムに関しては沢山の本が出たし、これからもますます増えると思われる。とりあえずの入り口として、3冊を同時にあげておく。社会的な意味づけや歴史的な位置づけなどについてのキチッとした研究や考察はこれからのことになるだろうけど、事件直後の反応としてどんなものがあったのかについて、ざっと見渡しておくのもいいし、上の3冊だけでも少なくとも「専門家たち」や「大人たち」の動揺ぶりは、よく伝わると思う。自分たちの感じとどうずれているのかを確かめてもいいだろう。私自身は「対論オウム真理教」における 宮台真司 の議論に親近性を感じる。

45  純粋な自然の贈与 中沢新一  2575 せりか書房 
 大切なものだからといって、しかしそれに値段をつけて友だちに売ったら、二人の仲はこれまでと違って少し距離ができる。では大事にしているものを贈り物にしてみたらどうだろうか。お金は基本的に人と人との関係を切断する(逆に言えば、ある種の関係が切れていなければ「売り買い」、つまり金銭のやりとりはできない)。それに対して、贈与は何やら不思議な力が働いて、人と人とをつなぐことになる、と著者はいう。すべてを呑み込もうとする資本主義をすり抜けていくものとして「魂」を名指すところに怪しさがあるのだが、それを承知の上ならば、この 柳田国男 を思い出さしめる、彼のしっとりと甘い日本語の独特な文体を味わいながら、21 世紀への夢を見るのも悪くないだろう。中では「序曲」「Not I, not I …」「バルトークにかえれ」(20世紀音楽論になっている)「新贈与論序説」などを面白く読んだ。

46  沈黙の春 R.カーソン   新潮文庫 
 古典的な名著なので、まだ読んでいない人はこの機会に。データがもう古いものになってしまってるんじゃないの、と心配する必要はない。この本が伝えているのは、おそらく資料/データというような「事実」に近いものだけではなく、情報/インテリジェンスといった「知恵」や「真実」に近い何ものかでもあったはずだからである。

47  環境倫理学のすすめ 加藤尚武  640 丸善ライブラリー 
 こうした分野の勉強は正直言って手薄であった。授業後半の第二部、環境を扱った部分ではこの本に大いにお世話になった。

48  生命観を問いなおす 森岡正博  680 筑摩新書
 生命倫理学は、基本的には環境倫理学とは正反対の立場をとる。しかし、著者は、その環境倫理学の現時点までの達成を最大限に評価しつつ、それを取り込んだうえで、これからのわたしたちの「生命」を、ではどのようなものとして捉えていけばよいのかについて、考えを展開していく。最近実際にあった身近な例から、ゆっくりと考えを進めていってくれるので、難しそうな問題を含んだ話でもあっという間に読めてしまう。しかし「答え」を用意してくれているわけではないので、読者はそれぞれ、ここから自分で始めるのである。

49  身体の零度 三浦雅士  1500 講談社選書メチエ 
 からだの一部に穴をあけ、色を塗る。たとえばこうしたことは、人間とって「自然」なことなのか、「不自然」なことなのか。私たちは自分のいちばん身近にある自身の身体について実はほとんど何も知らない。そこにひとたび注意を向け始めると簡単には解けそうもない疑問だらけになってしまう。人は自分の身体とどう付き合ってきたのか。これがないと個性もへちまもないはずの、身体について興味のある人には、とにかく読んで驚いてほしい本だ。ここからいろんな所へ飛んでいけるという意味でも強く薦めたい本。

50  存在と時間 ハイデガー   中央公論社(「世界の名著」シリーズ) 
 この本は、できれば入門書などを手に取らず、じかに手づかみで挑んでほしい。著者がナチの協力者であったことを考慮しても(だからこそなお)、この本は読むべき本だと思う。岩波、筑摩に文庫版があり、そこではキーになる言葉のドイツ語原語表記がなされている。

51  ???   できればこの半年の間に(少なくとも一冊を)自分自身で選び出してみよう。


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