仕事の周辺  2004

 以前、某新聞の夕刊に「仕事の周辺」という著名人のエッセイの連載がありました。
 それほどのものではありませんが、たまに何かお役に立つ情報があるかもしれません……。


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12月27日
 以前、村上春樹のエッセイに、誕生日といってもろくなことはないので、同じ誕生日の人がごそごそと集まって「いいことありませんねえー」といって過ごすのがいいかもしれない、という旨の文章があった。
 実はこの数年、期せずしてこれと同じようなことをやっている。友人(大学院の後輩)と私の誕生日が同じ日で、ちょっと時間のできるこの年末に、「お誕生会」と称して二人でちょっと張り込んで食事をする。仕事の都合などで誕生日当日ではないことも多いけれど(今年もそうだ。今日はちょうど「代休」がとれた)。
 いつの頃からか(確か、私が大阪で彼女の家の近くに下宿しはじめた頃から)恒例になったこの行事、いわば年忘れも兼ねてリフレッシュできる。この友人とは付き合いも長い。事ある毎に行動を共にする。オーバードクター時代、一緒に大学構内を歩いていたら、お会いした先輩に「まあー、きょうだいみたい」と言われた。学会等で一緒に遠出をするとなぜか「珍道中」になる。向こうの親御さんに私は(友人の)「お姉ちゃん」と呼ばれているらしい。
 私の就職が決まって奈良に引っ越すという時はうちの姉が「○○ちゃん(友人のあだ名)、寂しがるわね」と言った。でも今でも大学に行ったりする度に相変わらず一緒に遊んでいる。お互い、教えている学生の年代がほぼ一緒なので、よく情報交換もする。一応「姉」としてはやはり心配なので、前に一度「私とばっかり遊んでいないで、誰か男の子と食事でもしたら?」と言ってみたら「鍵本さんと一緒にいる方が幸せです〜」と言われた。そりゃ嬉しいけど……。

(追加)誕生日、いいこと(?)があった。車の運転で右左折した直後、ハンドルの復元性を利用してスルスル〜とすべらせて戻すのができるようになっていた。要するに今までは力が入っていた……。

12月23日
 神戸から奈良に帰る時に、駅の自動改札で引っかかる。表示は「枚数超過」。??そういえばパスケースに、普段使っているICカード以外に昨日買った「神戸ルミナリエ」の記念ICカードが入っていた。ICカードの仕組みに改めて感心。でも、改札を通過するため、わざわざパスケースからICカードを出してかざしていたのは我ながら情けなかったりする。

12月17日
 国語の試験採点終了。「舞姫」の感想を書かせるという問題で、答案に「エリスは豊太郎本人から(日本へ帰国することを)聞きたかったと思います」というのが結構あった。確かにそういうことはありますね……学生の指摘に考えさせられる。

12月16日
 このところ水曜日に某大学で、盗難に遭った学生の訴えを二週続けて聞く。若いながらも一応社会人学生である。それでもショックから抜けきれないと言う。うちの十代の学生ならなおさらだろう。
 私もある事情で9時21分のバス(もちろん帰りのバス)に乗りにくくなってしまった。まあ私のは、事務スタッフに大笑いされ、同僚の先生からもからかわれるような「ネタ」になってしまったのだが(親にも「暗くて詳しくわからなかっただけや」と言われた……24日付記)。
 とにかく学生の皆さん、貴重品の扱いには気をつけてね。

12月12日
 私の車の担当者であるT社の営業スタッフから電話。車の調子はどうですか〜?というのと、来月の6ヶ月点検の案内であった。
 車の営業というのも大変ですね。最初、納車の時、納車をすませた営業マンはどうやって帰るのだろうと不思議に思っていたのだが、初心者マークの客であろうが試運転をさせて、その助手席にびくびくしながら乗り、最寄り駅まで送ってもらう、というのが正解だった……(気の毒)。私としては初日から乗る気はなかったのだが(一応免許証は持っていた。もし持っていなかったら「免許証不携帯」である)。
 また、その電話でアドバイスとして、冬場はバッテリーが上がりやすいので、週に1回、15分ぐらいは乗ってくださいね〜、とも言われた。確かに車は時々乗った方がいい(「車を転がす」という言い方を聞いたことがある)、と言われているし、自分の練習の面から、週に1、2回は必ず乗っている。「T社の車だから大丈夫、と言われたけど?」とお世辞を言ってみると、実はバッテリーはT社製じゃないという。確かに部品は下請けのことが多いけれど。またバッテリーは一度上がると、性能がひどく落ちるらしい。
 というわけで、今日は夕方小雨が降り出したけれど、たまには雨の日も練習しよう……と、愛車と共に買い物に行くのであった。(12月21日アップロード)

12月8日
 今日の某新聞の社説に「さて、今日は何の日?」とあったが、これは自信がある。両親の某記念日が12月7日で、大学生の頃だったか、「パールハーバー前日」(もちろん年は違うが)と知り、それ以来何となく覚えてしまった……というより、新聞などに「真珠湾」の文字が出ると「あ、そういえば……」と、記念日を思い出す、というほうが正確だ。テストの時間割を見ると、明日は「歴史」がある。きっと学生の皆さんは、いろいろと暗記するのに必死だろうけれど、何かに結びつけて覚えると楽ですよ……とアドバイスしておきます。

12月4日
 テスト直前。今回の試験範囲は「舞姫」が中心である。
 何せ出だしから「石炭をばはや積み果てつ。」だ(せめて「石油」なら学生もまだわかるかも)。この文語調の小説、実は「近代的自我の覚醒と挫折」が描かれている……といっても難しいだろうな。
 正直なところ、自分も高校の時に国語の授業で読んでいるのに、最後をあまり覚えていなかった。原因を考えてみたのだが、途中の盛り上がりの割には話の終わり方があまりにあっさりしていて、がっかりしたのかもしれない。学生の方も、「エリスを棄てた豊太郎は悪い奴だ」というような感想が多いのに違いない。
 導入には「『坊っちゃん』の時代」(関川 夏央,・谷口 ジロー作の漫画。第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作)から抜粋したプリントを使った。今使っている「国語便覧」にも収められている有名なシーン。日本に来たエリスに対し、森林太郎は「わたしは日本だ 日本がわたしだ……日本そのものがいま普請中なのだ……だから……」エリスとは一緒になれなかったという。
 おそらく今の社会だって、「普請中」であるし、いつの時代もそうだろう。今、本当に「自由」か、というと、やはりそうではないところがあって、だから「舞姫」の提示する問題は、今日的でもある……。という面を一応授業で話はしてみたが。大人になって国語の教材を読むといろんなことを考える。

11月27日
 これも意識しているわけではなかったのだが、神戸に帰る度に、必ず私の愛車と同じ車種を見かける。
 私の車はマイナーな車種で、奈良ではまず見かけない(地元では、同じ型の車で販売系列の異なる「兄弟車」というものを、近鉄の最寄り駅近くの家で1台、JRの駅近くの駐車場で1台発見したぐらい。同じ車種のベージュ色も見かけたが、あの色は現在パンフレットにも載っていないので謎。買い物に行ったスーパーの駐車場では同じ車種のシルバー色を見かけたが、それは和泉ナンバーだった)。それが三宮付近を歩いていると、なぜか私の目の前を横切った車が同じ車種ということが多い(色はほとんどがシルバー。私と同じ色やローズ色は見かけない)。今日は実家の最寄り駅付近で初めて黒を見た。色のせいか雰囲気が異なって見え、最初は違う車種かと思ったけれど、ふと車名が目に入ってきたのでわかった。
 もしかして私の車は「神戸っ子」好みの車なのだろうか。服なども相変わらず三宮で買っていたりする。ちなみに時々食事に行く店も、いわゆるチェーン店だが、三宮店はとても良いように思う(同じ神戸でもハーバーランド店はおすすめしません。店の作りのせいか、ちょっと喧噪が激しくて落ち着かない。三宮店は案内係の女の人がとてもしっかりしていて安心できるというのもある)。駅で見かけた某キャンペーン、「立花駅〜三宮駅間限定の携帯ストラップ」というのも他の景品よりややおしゃれに見える。ここまでいくと単なる身びいきかもしれないが。

11月25日
 記録というものは、意識していると却って達成できず、意外なところで更新できたりするものかもしれない……。

11月17日
 「今日の運勢」ではないけれど、やはり流れみたいなものはあるのか、あることに関して、同じようなことを複数の人から聞かれた。お世話になった所からのせっかくのお話を断るのは辛いのだけれど、自分の気持ちに正直に、よく考えた結果です。自分の選択が正しいかどうかは誰にもわからない。とにかく、今まで(考えたらすごい年月だ。改めて数えて我ながら驚く)のことに感謝しつつ、あと数回、頑張ろうと思う。

11月16日
 人間の身体とは正直なもので、数日前から口内炎ができている。この2年ほどはできなかったのに。このところさすがに食生活がおろそかになっていて、玄米をほとんど食べていなかった(6月18日の記事参照)。やっぱり食事は大事です。ちなみに、親知らずも数年ぶりに2日ほど痛んだけれど、これも玄米食と関係あり?

11月14日
 あまり下調べもせず来てしまったが、熊本大学は旧制五高(第五高等学校)。夏目漱石やラフカディオ・ハーンも教壇に立っていたし、卒業生にも有名人が多い。学会の合間に学内にある五高記念館を見るだけで結構楽しめた。なかには寮のストームとやらで褌一枚で踊っている学生達の写真もあった。とすると、高専創立100周年のころには先日の「マツケンサンバ」(知る人ぞ知る)も記念館入り!?(……は無理かも。というのは当時は写真そのものが貴重品なので)
 夏の出張が「熊野」で秋が「熊本」。間に高岡行きを挟む。最近出張でしか旅行をしていないけれど、今回は市電にも乗ったし、これで二年分ぐらい電車に乗ったような気がする……。

 (おまけ1) またJRが遅れた。たぶん報道はされていないが、夜行列車が「沿線の火事で」20分ほど遅れる。朝6時にアナウンスが入り、熊本駅で「つばめ」に乗り継ぎ予定の人は、次の停車駅の鳥栖で「リレーつばめ」に乗り換えて遅れを取り戻してくれという。熊本到着までまだ一時間ほどあるのに。結構多くの人がばたばたと降りていった。気の毒。私はその分寝られたので却ってラッキーだったのだが。
 帰りも、大阪駅辺りで遅れがあったらしいが、私は新大阪から地下鉄に乗ったので、何も知らず帰宅した。相変わらず電車運だけはいい私である(3月28日の記事参照)。
 (おまけ2) 熊本駅前のホテルニューオータニの喫茶はよかった。朝、トースト(2枚)とコーヒー(お代わり可で2杯半飲んだ)で、落ち着いた雰囲気の中、ゆっくり本を読んで、手元の地図で市内の交通を調べて、気持ちを切り替えて、800円ちょっとでした。(11月21日アップロード)

11月11日
 しっぷーどとー(疾風怒濤)の一週間が過ぎ、今日になってやっと、今週末の学会行きの列車の切符を買いに行く。土曜日は午前中仕事がある。午後の講演会にはどうせ間に合わない。日曜日の発表を聞きに行くだけである。9月頃、行こうかどうか迷っていたら、天の啓示(大げさ)。偶然大阪駅の案内板で「なは」の文字を見かける。時間の節約を考えて、往路はこれで行くことにする。帰りはせっかくだから「つばめ」(正確には特急「リレーつばめ」)に乗ろう……。
 と、思っていたら、駅で「つばめ」は満席だ、と言われた。私が希望した時間だけではなく、他の時間帯のも埋まっていると言う。みんな「つばめ」に乗りたいんだな、キャンペーンもやっていたし……。結局復路は他の列車にする。ちょっと残念。
 でも、駅員さんが親切に「これだったら往復割引切符で行く方が安いですよ」と教えてくれて、予定よりかなり安くなった。(新幹線で往復するなら高専生協でばら売り回数券を買う手がある。東京〜京都・新大阪なら取り寄せなくてもその場で買える。と宣伝しておきます(^^))
 ちなみに安くついたので、使わなかった一万円札をくずすため近くのスーパーでいろいろと買い物をしたら、お釣りで「野口英世」を入手した。初めて見る新千円札。これもJRのお陰?

11月2日
 昨日の続き。それにしても毎年この申請書類のために、大量の紙を無駄遣いしている気がする。一応テスト印刷の時は、不要書類の裏を使っているのだが。記入のための説明文も結局プリントアウトしているし。
 オリンピックじゃないけれど「出すことに意義がある」のか、それとも宝くじのように「出し続ければそのうちに当たる」のか。「ビギナーズ・ラック」だったという人もいる(それじゃ、馬券か……)。

11月1日
 某申請書類。何か変だと思っていたら、自分の年齢を間違われていた……。そもそも私は12月生まれなので、この時期に「来年4月1日現在の年齢」といわれても、自分でも一瞬考えてしまう。「えっと、今年が申年だから……」などととんでもない数え方しているし。

10月30日
 あれから一週間が経った。この機会に、去年の夏書きかけてそのままになっていた文章を一部抜粋して載せておく。
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 (前略)
 あの地震からもう8年半が経ちますが、私も未だにあの時のことを思い出すと泣きそうになります。……で話をした時に、例として阪神大震災の話を入れたのですが、その時も泣きそうになって困りました。まさかここで泣くわけにはいかないと、何とか気を取り直して続けたぐらいです。
 当時の春休み、時々大学に行くため、昼間のそれほど混んでない阪神電車に乗り、瓦礫の中を通っていく。窓から見える家は皆押し潰されている。それだけで泣きそうで、周りの乗客も皆押し黙って……。
 あの後初めて大阪に行った時、街は何事もなく、にぎやかでショックでした。神戸があんな状態なのに、何なのこれは、と思いました。子供っぽいとは思うけれど、訳もなく怒りと、哀しみがこみ上げてきて、明るい地下街の喫茶店に入りましたが、注文さえうまく言えませんでした。
 私の場合は家が神戸の高台にあったため、建物はそのまま、電気もその日の昼には復旧しました(水道は10日ぐらい、ガスは2ヶ月近くかかりましたが)。けれども会う人会う人「うちは全壊ですわ」「うちは半壊」という話で、家の残っているのが「異常」で、申し訳ないと思われました。そして大阪の人にこの話をしても「そんなあ」と笑うのです。当然かもしれませんが。(中略)
 被害のほとんどなかった私でもそのような状態でした。
 (後略)
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 新潟の一日も早い復興を願う。そして、人々の精神的な傷の回復も。

10月26日
 先々週の木曜日、ゴミ当番(ゴミ置き場に学生が持ってきた教室のゴミを、分別されているかどうかチェックするというもの)が当たっていた。「燃えるゴミ」の中に紛れ込んでいる缶やペットボトルを私があんまり目ざとく見つけるものだから、学生に感心された。思わず「私が何年ゴミ当番やってると思ってるの。」と言うと、学生に「先生、外回り多いですね。」と言われてしまった。確かに。
 先週の木曜日も今年3回目の草刈りに参加し、その後、学生と一緒にクリーンキャンペーン(学校周辺のゴミ拾い)。それから、クリーンキャンペーンの間に終わっている可能性もあった会議の場所に行ってみたら、案の定まだ続いていたので、草刈りの間に服に付いた「ひっつき虫」(盗人萩の類の雑草)を取りながら、話を聞く。
 そして今週になっても自分の研究室の床に「ひっつき虫」が落ちているのを発見し、一人苦笑したりする。

10月16日
 学会で高岡(富山県)に来ている。
 確か十年ほど前にもこの地で同じ学会があった。その時はまだ学生で、初めて遠方の学会に行くというようなこともあってか、大学院生仲間4人で大阪駅から自由席に乗って来た(まだ「雷鳥」が主流だったような気がする)。途中、車内販売のワゴンが来て、「お弁当一個」と言っているのを同級生が聞きとがめ、「弁当って、一折(ひとおり)やろ」。そんなことを思い出す。その彼も今は一児の父である。
 また、前回は時間があったので学会終了後さらに一泊し、一人で万葉ゆかりの地を回った。大伴家持の歌に詠まれた雨晴海岸というのを見に、氷見線というローカル線(桜井線に似ていた)にも乗った。天候が悪く(小雨の降る中、歩き回った覚えがある)、とても寂しい所だった。それが今騒がれている、いわゆる北朝鮮による拉致現場だった。海水浴シーズン以外は地元の人でもあまり行かない物騒な所らしく、あとで他の大学の先生から「よく一人で行ったな」と言われた(だって、知らなかったんだもん)。
 今回は時間的余裕もなく、今朝慌ただしく支度をして家を出た。一人でぼんやり電車に乗って上記のことを思い出している間に着いてしまう。途中目に付いたものとしては、敦賀駅のカメラの放列(どうも「鉄道の日」のイベント列車を狙っていたらしい。発車時に、私の席とは反対の窓の方にちらっとSLが見えた)。それから金沢駅の線路の脇にあった機械油の容器(某先生が自転車点検時に持って来てくれたものと色まで一緒。置き忘れか、連結作業のために置いてあるのか)。
 そのほか小松駅や高岡駅前も綺麗になっているし、今この文章を書いているホテルまでも、実は前回と同じ所を予約してみたのだが、改装されていて設備が新しい。あれから十年以上経ったのだ。
 今日の講演会が終わってから、「万葉の杜」(これは、高岡出身の藤子不二雄にちなんだ、ドラえもんの像が並ぶ広場だったりする。前はまだ無かったかも)を通り、高岡大仏に挨拶に行く。まさか、また来るとは思わなかった。ライトアップされた大仏を見上げる。当然何も言ってくれない。「苦しみなさい、悩みなさい」といった眼差しをしている。それでいい、と思う。そして私が思うのは……。  (10月21日アップロード)

10月11日
 いつも行っている大阪の美容院が改装工事でしばらく休業していたのだが、リニューアルオープンしたので行くことにする。「眺めがよくなったんですよ」と、トリートメントの間、外の見える席に案内される。大阪駅にほど近く、環状線の電車の行き交うのがよく見える。中には大和路快速やオーシャンアロー、関空快速の車両も。手前のほうの神戸線などは美容院の入っているビルの真下になるので却って見えないが、向かい側のガラス張りのビルに電車の走っているのが映っているのでわかる。
 大学時代も、通学経路の阪急十三駅で、電車の待ち時間にいろいろな電車がホームに入ってきては出ていくのをよく眺めていた。急行電車が「急」の丸いプレートをバッジのように付けて走っているのが妙にかわいかったのも覚えている。特に主要駅では多くの電車が入って来て、それぞれに人が乗っており、またそれぞれの場所に向かっていく。そういうのを眺めていると、何となく感慨深くなり、そして人を信じる気持ちになる。
 人が駅という場所にひかれるのは、こういったことからかもしれない。

10月8日
 このところさすがにいろいろ仕事が重なって、更新が滞っていました。以下、この十日ほどの間の出来事をいくつかまとめておきます。ついでに言うと、車も全く運転していないので、次に乗る時がとても不安……。

10/8
 また台風が来るという。明日は毎月1回ある社会人講座の日。7月の講座の日にも警報が出たが、9時過ぎに解除になった(7月10日の記事参照)。今度こそ、警報で休みになりそうだけれど、世の中当てにしていると来ないものなので、一応準備はしておこう。さて、どうなることやら。

10/7
 やっぱり「予定は未定」だった……。

10/6
 本日のテーマ「うろたえるな」。
 昔から典型的なA型人間だった。無駄のないように、予定はきっちり組む。例えば大学時代、教職関係の単位を取ろうと思うと曜日によっては時間割が1限と5限になったりした。90分授業なので、10:30〜16:20が空き時間というひどいものである。どちらかをサボればいいのだが、律儀に授業に出ていたので、その空き時間に、図書館での調べもの・昼食・昼寝(図書館の座席確保がポイント)・サークルの仕事等々、その週によって何をしようか考えていた。大学院時代も、「30分あったら、その時間に源氏(物語)の用例が調べられる」と後輩に言っているところを指導教授に聞かれ、感心された。でも逆に言うと、「臨機応変な対応」というのが苦手で、0型人間の友人が、「まあ何とかなるだろう」と、アバウトに構えているのが、実はうらやましかった。
 そして、社会人になると、「予定は未定」。絶対に突発事は起こるし、急な変更だって当たり前だ。
 その時は、とにかく「うろたえるな」。その時点でできることを考える。できるだけのことはする(といって、あまり細かいことまで考えて「気を遣い過ぎ」になるのも問題で、加減が難しい)。
 以前は、急に思わぬことが入ってくると、そのたびにうろたえたり、いつまでも気にしたりしたけれど、だいぶんましになった。もちろんはたから見ているとまだまだだと思うけれど。でも単に忙しくて気にする時間もないだけかもしれない……。

9/30
 某学校行事で学生がポートボールをするという。あの競技はゴール用の台が要る。それを学生が自分達で作りたいと言い出した。気持ちはわかるけど安全性がね……と言うと、「じゃあ、CADで仮想加重かけてシミュレーションすればいいんですか」などと専門的なことをのたまう……。でも結局学校行事なので、市販の台を購入することにする。お手製っていうのも楽しそうだけど、そのあたりは学校側としてきちんと判断しなければならない。それが今の仕事である。
 で、早速学生と一緒にスポーツ用品のカタログを見に行く。ポートボールの台って、紅白2台1組で、2〜3万円ぐらい。私が小学校の頃は、緑色っぽい、古くさい台でやっていた覚えがあるが、最近はカラフルなんですね。ポートボール用のボールというのもあった(これは買わないでバスケットボールで代用)。
 他にもいろいろ用意するものがあるが、その辺は学生が結構きちんとやっている(と思っていたらやっぱり直前にいろいろある。でもすっかり動じなくなっている自分が恐い……10月12日付記)。あとは当日の天候。今度こそ晴れますように。


9月26日
 最近、車を運転しなければという強迫観念(!?)もあって、休日はなるべく隣駅のスーパーまで買い物に行っている。お陰で昨日はいい秋刀魚を買えた。
 だいぶん前の新聞に載っていた記事を参考に、昨日2匹(というか2尾のほうがいいのかな)とも焼いて、1尾は熱いうちに大根おろしで食べ、今日残り1尾の身をほぐして、胡瓜や錦糸卵とあわせてちらし寿司にする。なかなか美味しくできた。材料も無駄にならないし。
 それにしても残業の加減と勘案して晩のおかずを考えているというのはいいのか悪いのか……。

9月24日
 人のことは言えないもので、夜ふと思い立って見回りに行くのに、去年の夏から研究室に備えておいた懐中電灯を手にすると、点かない……。電池が液漏れしていた。おまけにこの間の地震で、置いてあった位置から移動していたから、もしかしたら変にスイッチが入っていたのかもしれない。あんまり教訓が生かされていないなあと反省。

9月23日
 試験の採点のため午後から休日出勤。出かけに、干していた布団を取り入れようかどうかで迷う。降水確率は30%、一番迷う値だ。結局取り入れていったのが大正解。夕方にひどい雷雨が来る。こんな中、車を運転する自信はない。愛車を気にしつつ、しばらく採点する。
 落雷のため16:45から1分間ほど停電、おまけに断水。うちの水道って、たぶん電動ポンプ式なんだろうな、これじゃあ地震の時どうしようもないよ……などと考える。
 ようやく雨がやんだので帰る。雨のお陰で、却って愛車はきれいになったみたい。擬人法を使って言えば、一応寂しくない場所に停めてあげたし。さて、明日はどうしよう。車で行くかどうかで真剣に悩む。

9月18日
 神戸の市立博物館に行ったら、周りの街路樹やプランターの植木が、この間の台風の塩害で茶色く枯れていた。新聞にもその記事は載っていたけれど、こんな所まで……と思っていたら、さらに実家でも、ベランダの植木も塩害で茶色くなったと、母親がぼやいていた。私の実家は海抜約250メートルの、かなり山のほうなのに。近所の人が試しにベランダのガラス窓を指でなぞってなめてみたら、本当に塩の味がしたそうだ。実家の北の窓から見える六甲山の木が一部茶色くなっているのも、紅葉ではなくどうも塩害らしい。
 普通は台風というと、雨と風が来るものだが、今回は、雨は全然降らず、風ばっかりだったのでこんなことになったらしい。おまけにあの台風で40棟近くある団地のうち、実家近くの2棟ほどが停電した。その瞬間、実家までバチバチッという音が聞こえたという。奈良は内陸部で「高潮警報」も「波浪警報」も出ないけど、余所はいろいろあったんですね。やっぱり現地に行かないとわからないこともある。
 ちなみに、博物館の展示「栄光のオランダ・フランドル絵画展」もよかったです。静物画もすごく立体感があって、野菜なんて手に取れそうだった。図録ではそれがわからない。

9月10日
 同じものを見ても、あるクラスでは「先生、何でシャツ、右側だけ出ているん?」と言われるし(状況を説明すると、背の高くない私は、黒板を有効に使うには、一行書く度に((注:国語は唯一「縦書き」の板書))伸び上がって書かなければならない、そうすると、服装によっては、ブラウスの右側が、ウエストからはみ出しやすいのです)、別の場所では「先生、そのブラウスかわいいですね。」と言われる(ありがとう)。
 この差は何なんだと笑えるのだけれど、とにかく、いろんな人がいて、いろんな見方があるのはいいことだ。私の出身大学なんて、週刊誌か何かの評価である程度の順位に入っていたが、その理由は教育でも研究でもなく、「いろいろな学生がいて、交友関係を作るうちに視野が広がる」などというものだった。確かに2〜3万人の中にいきなり放り込まれたら、いやでも自分自身で何か考えないと生きていけない。
 でも、うちだって数は少なくても、「いろいろな学生」がいるし、「いろいろな先生」もいる。そしてその違いを面白いと思うことができたら……。

9月9日
 確かにその仕事を担当したのは私だし、詳細を知っているのも私なのだけれど、そんな大層な会議で報告する羽目になるとは思わなかった……。

9月8日
 「お忍び」2回目。見回り業務のついでに、窓から愛車の姿を確認するのはちょっと嬉しい。でも普段あの場所は空いていないはず。次はどこに停めようか。

9月5日
 「お忍び」で職場に行く。帰る時、守衛さんには見られてしまった。自転車に乗った学生が大勢いる平日に行く自信はまだないなあ……夜もまだ恐いし(←これでは帰れない……)。

 地震は時として人の運命にいたずらをする。でも、もう迷わない。過去を棄てるわけではないし、そんなこともできないけれど。

9月4日
 某メールに「ある会社からの寄贈」とあったが、その寄贈された本のタイトルで、社名は皆すぐに分かったはずだ。

9月3日
 立て看板作りの作業というのは、基本的には昭和の時代から変わっていない……とはある先生の発見。確かに、学生の時にサークル勧誘や学会準備でやっていたのと同じだ。変わったことといえば、A0プリンターの導入ぐらいかな。これを画期的と言うべきか。それとも、通行人の「何やってんの?」という視線を浴びつつ、嬉々としてこんなことをやっている自分自身を学生時代から進歩していないと見るべきかも。

8月30日
 仕事がらみで某冊子を見ていたら「遵守」(じゅんしゅ)が「尊守」になっていた……。
 (ちなみに「遵」という字は常用漢字表にもあるが、マスコミ等では「順守」と書き換えることが多い)

8月27日
 この夏、どこにも行かなかったので、実家のドアから歩いて2分の駅からケーブルカーに乗り、山の上で1泊する。ぶり返した暑さで、あまり涼しくなかった(むしろ山の上ではまだミンミン蝉が全盛期。真夏の暑さを思い出してしまった)けれど、まあ束の間の夏休み気分。このケーブルで毎夏1回は夕涼みに上っているし、学生時代に切符売りのアルバイトもしていたので、例えばトンネルが4つあって、2つトンネルを通った真ん中で2台のケーブルカーがすれ違うとか、その時に必ず緑色のケーブルカーは右側を、赤いケーブルカーは左側を通るとか、「巻き上げ」の原理がいわば井戸のつるべと一緒とか、変にトリビアだけは知っている。そういえば、アルバイトの山上駅勤務の時は、ケーブルカーで「通勤」していた(もちろんタダで)。結構楽しかった。

8月26日
 学生に課題として出している「読書の記録」。追加の用紙を自由に持って帰れるようにと置いていたら、いつの間にか無くなっている。皆たくさん本読んでいるのかな。休み明けにちょっと期待。

8月22日
 「万葉集」の読み方について「まんにょうしゅう」と読む説がある。これは、中世の「連声(れんじょう)」という現象で、例えば「天王寺」は、そのまま読めば「てんおうじ」だが、それが「てんのうじ」になる、といったように、n音のあとの音がナ行になるようなものである。印欧語のリエゾンと似ている。
 先月の社会人講座でこれを説明するのに、「冬のソナタ」の主人公の名前「チュンサン」が、名字の「カン」に続ける時には「カン・ジュンサン」と発音される、あれと同じようなものだ、と言うと、女性の聴講者は盛り上がり、男性は静かだったのが妙におかしかった。

 (蛇足) 昨日の最終回。ヒロインがある家の建築デザインをして模型を作っていたが「実現は出来ない」と言われていた。その模型をもとに、チュンサンが図面を引き、その家を実際に建ててしまう、といったものだった。出来ない、と言われていたけれど……。

8月21日
 昨日、いつもの練習に行こうとしたけれど、暗かったせいか、なぜかとても恐くて、結局近所のガソリンスタンドでガソリンを入れただけで帰って来てしまった。こういう時は無理しない方がいいと思う。今日は午前中に行き、結構順調だった。
 「何でみんな普通に運転できるんだろう……」と悩むけれど、一度にいろいろ欲張ってもいけないのだろう。物事には必要な時間というものがある。(でも私って時間かかり過ぎ……)

8月15日
 終戦記念日である。私の親は一応戦争を知っている世代である(私は両親の間にかなり遅く出来た子だ)。母親の終戦の記憶というのは、例の「玉音放送」は雑音だらけで何を言っているか全く聞こえず、そのうちに2、3日して「なんや戦争終わったらしいで」という噂が伝わってきて、「そういえば空襲無いなあ」という感じのものだったらしい。テレビでよく流される映像の印象とは随分違う。
 そして何よりも考えさせられたのは、「まさか日本が負けるとは思っていなかった」という一言。うちの母親ははっきり言って頭がいい。勉強もよくできた。でも、そういう子供のほうが飲み込みが早い分、だまされやすいのだ。だから、教育は恐い。
 母親がせっかく教育系の学校まで行きながら、「先生にはなりたくない」と別の大学に入って一般企業に就職したのも、もしかしたらそういった経験が少しは影響していたのかもしれない(本人が言うには「普通の勤めのほうが面白そうだったから」らしいが)。
 教育は恐い。でももしあの時代にこの職に就いていたら、私はどう行動していただろうか。小学校の頃読んだ漫画の中にこんな台詞があった。「自分が間違っていないと信じたら、決してひるまない人間になるって、難しいことね……」。意外にあっさり寝返ってたかもしれないな。情けない。
 そして今なら、何ができるだろうか。

8月13日
 大和小泉駅まで往復するだけなのに、前の晩から落ち着かないし、かなり疲れた。とりあえず無事だった……。

8月9日
 奈良に引っ越して随分経つのに、どこでどう個人情報が漏れたのか、未だに実家に時々「あなたが宝くじに当たりました!ついては手数料***円を振り込んで下さい!」という郵便物が届いたりする(もちろん詐欺商法)。
 しかし、今日来たはがきは新手のものだった。

電子消費料金未納分請求最終通達書
 この度ご通知致しましたのは,貴殿のご利用された「電子消費料金未納分」についてご契約会社および回収業者から委託を受けましたので当局までご連絡ください。
 こちら「電子消費者民法特例法」上,法務省認可通達書となっておりますので,連絡無きお客様につきましてはやむを得ず裁判所からの書類通達後,指定裁判所へ出廷となります。また裁判後の措置と致しまして給料差押え及び,動産物,不動産差押えを強制執行させて頂きますゆえ当局と執行官による「執行証書の交付」を承諾して頂くようお願いすると同時に,債権譲渡証明書を一通郵送させて頂きますので承諾の上ご返送下さい。なお,書面での通達となりますのでプライバシー保護の為,請求金額・支払い方法は当局職員ご連絡ください。以上を持ちまして最終通告とさせて頂きます。」

 文章は下手だし、下線部に誤植(「……職員ご連絡……」。「まで」等が抜けている)もあるし、意味も通らないし、「裁判所」「差押え」「民法」という用語を多用して、見せかけだけ迫力を出している(「電子消費者民法特例法」上の「法務省認可通達書」などというものは存在しない)。だいたい「プライバシー保護」なら、なぜはがきで来るのか??
 これは、かなり有名なだましの手口で、テレビ番組でも取り上げられていたらしい。身に覚えのない請求には気をつけましょう。そもそも、実家にはインターネットはもちろん、携帯電話も無いし、クーラーさえ無いんですけど……。テレビだって未だにチャンネルを回すタイプを使ってるし(昔のテレビは意外に壊れない……)。

8月8日
 神戸の実家に帰ると、炊飯器が新しいものに変わっていた。実家はずっとガス炊飯器を使っている。私よりやや若い(?)、20年以上使っていたものが、ついに火がつかなくなったらしい。新しくてきれいなのはよいのだが、欠点が2点。
 @内釜で米が研げない……別のボールで洗うのは結構面倒。昔は電気炊飯器もこういうのが多かったが、私が一人暮らしを始める時に電器屋さんで「内釜で米が研げるのが欲しい」というと、「最近の電気炊飯器はほとんど研げますよ」と言われた。ガス炊飯器はまだまだ遅れている。
 A炊きあがった後、しゃもじで混ぜるのに蓋がじゃま……これも、見せてもらうと、私の電気炊飯器とは蓋の開く向きが逆。母親には、混ぜる時に釜の向きを変えるようアドバイスしたが。(ちなみに前の古い型のは、普通の鍋のように蓋が本体とは離れるタイプだった)
 というように、ちょっとしたことなのですが、もし高専生の皆さんが将来、家庭用品の開発に関わった時は、現場の声(主婦の使い勝手)を十分聞いてやって下さい。よろしく。

8月6日
 顧問をやっている弓道部の学生から、高専大会(於:明石)のおみやげの「たこせん」をもらう。こういうのをもらったのは初めて。とても嬉しい。弓道部の皆さん、ありがとう(^-^)

7月30日
 最近いただいた温かい励ましとあまり温かくない励まし。
 「まあ、慣れですから。」 「大丈夫ですよ。最初だけ恐いけど。」 「○○さんでも乗っているんだから(気の毒なので名前を伏す)。」 帰省時に母親が「並列駐車のポイント」の新聞記事の切り抜きをくれる。
 お店で「運転に自信のない方にはこういうものもあります。」と、コーナーセンサーやバックモニターのパンフレット。(迷わず「付けて下さい!」と注文する。はっきり「運転の下手な人」と言ってもらって構わないのだけれど。確か村上春樹の『日出(いづ)る国の工場』に、「アデランス」の接客マニュアルでは「ハゲ」ではなく「薄毛のお客様」と言うことになっている、とあった。それと同じか)
 学食にて。「へー、買うの?どこまで乗るん?ジャスコまで?」(私の家からジャスコまでは歩いて約265歩である……) 「写真撮って広報関係に載せたるわ。」(やめて下さいっ!) 「まさか一人で乗るんとちゃうやろな。」(周囲爆笑。教習車じゃないって)
 ……結局納車前に、教習所の「ステップアップコース」(要するにペーパードライバー養成)に行った(1回¥6,300(税込)×2)……。
 でも、あれだけ劣等生だった私がほめられた。「3ヶ月のブランクがあったとは思えない。」 マニュアル車で免許を取っていると、オートマチック車の時に、それだけ余裕ができるらしい。確かに楽だった。最初は左足が所在なくごそごそしたりしたけれど、ギアチェンジのない分、運転に集中できる。ただ、オートマチック車はすぐ加速するし、エンジンブレーキも利きにくいので、その点注意が要るが。
 費用や時間、その他個人の都合はあるだろうけれど、これから普通免許を取る学生の皆さんにはできればマニュアル車免許を取ることをお勧めします(「昔はMT免許しかなかったんだし」)。もちろん4学年の夏休み以降に、ね。

7月24日
 研究とは全く関係のない某会合で、大学院の後輩と会う。大学院時代には、こんな場所で、こんな立場で会うとは思わなかったな……年をとったような、学生時代と同じように話せて嬉しいような……。何となく感慨に浸る。
 今はお互い教員ということで、学生指導の話など共通する話題で盛り上がる。よく言われることだけれど、やはり学生時代の知り合いというのは、本音で話せるという面もあるし、また、特に解決策が見つかるわけではないけれど、同じような悩みを持っているというのが分かり、話ができてとても楽しかった。
 ところで、すっかり忘れていたのだが、大学院の時に、彼に私が「『笑ける』という言い方があるけれど、文法的に謎」というような話をしたのを彼が覚えていて、最近ある先生から「笑いこける」の略ではないかとご教示いただいた、という話をしてくれた(よく覚えていたなあ……)。その京都在住の先生(六十歳代)は「笑ける」という言い方を日常的に使っているらしい。彼(大阪の豊中出身)や私(神戸出身)は小学校時代に一時使っていただけで、いつの間にか使わなくなっていたのだが。もとは京都の言い方かも。私は方言学は専門ではないのですが、覚え書きまで。

7月21日
 下記(17日)のような小ネタはともかく、熊野行きでの出来事。
 往路、新宮にて予定通り熊野速玉大社に寄る。個人的に厄払いと運試しのつもりだった。まず神籤を引く。いろんな種類の神籤があったが、一番シンプルなものにする。番号は「二番」。この十年ほど、平均年一回神籤を引いているが、こんな一桁の番号引いたことがない。確か十三番か何かは凶だった……。と思いながら開けてみると「吉大 勢運」。えっ……現代式表記では「運勢 大吉」。どうしよう、と却ってうろたえてしまう。お参りする必要もないのかな、と思いながらやっぱり感謝してお参りする。
 次の日の試合で某部があれよあれよと全勝したのも、某部が私の到着後に勝ち始めたのもこの余韻だったのではないかと勝手に思っている。
 実際には、奈良に帰ってきてから、特にそういった出来事もない(どちらかというと、その対極に位置することが起こる)けれど、大吉にもいろいろあるらしく、私のは「何事も末の見込みがある」というもの。多分最初は失敗を重ね、迷ったりしながら進んでいくのだろう。熊野では、久しぶりに海岸を散歩して一人でぼおっとしたり、いろんな場所に寄ったり、気分転換もできた。ちょっと新鮮な気持ちで、また明日から頑張ろうと思う。

 そのほか寄った所については、とりあえず期間限定で写真だけ紹介しておきます。興味のある方はこちらへ。

7月17日
 出張先の熊野で「冬のソナタ」を見る、というのは流行の最先端?!(……なわけないか)

7月16日
 昨日の夕方、研究室で仕事をしていたら、蛍光灯が一瞬暗くなる。ブレーカーでも落ちたのかと心配したが、別に何ともなかった。使用中のパソコンも無事。誰も気がついていないようなので忘れていたが、外部の事故の影響で電圧が下がったのかもしれないとわかり、ちょっと安心する。省電力の呼びかけの厳しい時期、こういうのは結構気になってしまう。(7月20日記)

7月10日
 @《気象警報》
 今年度で4年目になる社会人向け講座の初回の日。朝いきなり大雨洪水警報が出る。
 去年も8月に一度警報が出て、受講者の安全のため、休みになった覚えがある。でも、今日は雨も短時間でやんだし、インターネットのポイント予報でも降りそうにないし、仕事先の公民館が開く9時過ぎに判断して電話しよう……と思っていたら、9時5分に警報解除になる(これもパソコンの画面で知った。やはりインターネットは今や必需品)。
 休みになるのもちょっぴり期待したけれど、やっぱり初回から「雨女」にならずにすんでよかった。

 A《またまたJRの遅れ》
 ということで、昨年度と同様、JR郡山9時32分発の普通電車で仕事先へ……と駅に着くと、9時28分頃という半端な時間に大和路快速が来る。???。雨のせいか、電車が遅れていたのだ。空いていたので、それに乗って余裕で王寺に着く。他の路線も若干遅れていたようで、王寺では少し苛立った雰囲気も。
 仕事を終え、昼食をすませて、王寺から帰りの電車に乗ろうとすると、また電光掲示板に「調整中」の紙が貼ってある(奈良方面だけ)。こんなに晴れているのに今度は人身事故か、と少し身構えたが、「環状線内で、急病人が発生したため」遅れるとのこと。結局13時14分発の電車が28分頃到着。そして「加茂行きのところ、木津行きに変更」とのアナウンス。まあ、私は10分ほど待っただけだし、別に構わないのですが、加茂に行く予定の乗客はどうなるのだろう……。
 昨日、仕事の打ち合わせで、来週の早朝作業に必要な物品を、「交通機関による影響の一番少ない人」(=私)が預かることになり、最近JRはよく遅れるとの話をしていた矢先にこの出来事。駅で電車を待ちながら、「カウンター、私が預かっておいてよかった」などと考える(でも寝坊できない……)。

 B《七夕伝説》
 講座で使わなかったネタ。七夕の話にはいろいろなバリエーションがある。
 一番オーソドックスなのは、天帝の娘織女が牽牛と結婚したが、その後二人が仕事をしなくなったので、天帝が怒って二人は年に一度しか会えなくなった、というパターン。他に羽衣伝説と結びついたものなどもある。これらの説話には、住む世界が違う、あるいは織女のほうが身分が上という、悲劇のもとになる要素が含まれているらしい(昔の社会では、男のほうの身分が上という結婚は許される)。
 さらに、名古屋のほうには、川を挟んだ二つの里にそれぞれ働き者の男女が住んでおり、互いにひかれあうが、ある時男が川を泳いで女に会いに行こうとして溺れてしまう、その後女も後を追い、二人は星になった、という話がある(http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/ta77jpn.htm#0参照)。これを、川を挟んでいるということから、この二つの里では文化圏が異なる、または「水争い」などの対立があった、と見るのは私の深読みだろうか。

7月9日
 大学時代、人類学の授業で、「祓い(はらい)=払い」であり、神様に対価を払う(供え物をする)ことで、厄災を追い出し、幸運を与えてもらうことになる、というようなことを聞いた。その名残で現在でも、厄払いと称して人はご馳走を食べに行ったり、買い物で散財したりするらしい。
 とすると、今日のはかなりの厄払いになったはずだけれど、果たしてこれは吉と出るか。使いこなせないかも。とりあえず、夏休みに練習する予定(……でも、とても不安)。
 ちなみに、必要な書類などは全て揃えていったつもりだったのだが(勤め帰りで「認め印」もしっかり持っていて、お店の人に感心された)、「印鑑証明」が要ることまでは気付かなかった。一つ賢くなった、かな。

7月5日
 夏の出張先にちなんで中上健次の作品でも読もうと、先日最寄りの本屋に行ったら、見あたらなかった。結局生協のインターネット注文で取り寄せることにする。調べると文庫版は小学館文庫になっている。昔は新潮文庫などにもあったように思うのだが(さらに調べると以前は河出文庫にもあったはず)。大型書店に行けばあったかもしれないが、今や中上紀の時代だし、まあ仕方ないか。私より年下の人で中上健次を読んだ人なんてまずいないだろう。
 と思っていたら、今月1日の某紙夕刊に「今年は中上健次の13回忌」という記事が出ているし、同じ日の夜のニュースでは、熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界遺産に登録されることが決まったという。何というタイミング。いずれにせよ折角だから、那智の滝は無理みたいだけれど、熊野速玉大社ぐらいは行って来よう。
 ところで、最初「熊野」の正確な位置を知らず、新宮とは離れているとか(中上健次の出身も新宮、でもこれは許されるはず)、実は三重県だったとか(熊野市民の方、すみません……)、奈良からだと経路としては松阪で乗り換えることとか(松阪には2回も行っているけれど)、全然知らなかった。果たして無事に行けるだろうか……。
 (9日付記) 家で社会人講座用の資料を探していたら、学燈社「国文学」のバックナンバー「中上健次と村上春樹」と、「国文学解釈と鑑賞」の別冊「中上健次」が出てきた。スライド式書棚の奥の棚に入っていて忘れていた。やっぱり、必要な本がちゃんと寄ってくる。

6月25日
 今、授業で魯迅の「藤野先生」を扱っている。実は、自分が中学の時に受けた、同じく魯迅の作品「故郷」の授業だけは未だ鮮明に覚えている。その時の国語の先生が、短編集『吶喊』の序文をかいつまんで説明してくれたこと、そして何より、授業中の発問、「主人公がルントーに、「だんな様!」と呼ばれた時、「目に見えない壁が二人の間を隔ててしまった」とあるが、主人公の方は壁を作っていないか」という問い。
 私は自分のノートに「主人公は壁を作っていない。(理由)「ルンちゃん、よく来たね。」と昔と同じように呼びかけている。」などと書いた。
 しかし、その答えは間違っていた。国語の先生が、「主人公は「だんな様!」と呼ばれて、そこで反論しなかった。反論できなかった。やはり身分の差を認めていることになる」というような解説をされた。
 衝撃を受けた。そういう読みを示されたことに、また、主人公も壁を作っていたことに。
 そして、この年になって、ある種の「壁」を意識せざるを得ないことになるとは思いも寄らなかった。 そういう小説を紹介しながら、自分自身もまた「壁」の前に無力であることを認めなければならない。「故郷」には、自分の息子達の時代には、この壁がなくなるようにと記してあり、また「希望」という二文字が最後の方に掲げてある。私は……。

6月19日
 某会合に行くため、朝、猿沢池のそばを通る。まだ人もまばらで、明るい日差しの中、池では亀がいつものように甲羅干しをしており、また、この春生まれたらしい小さなかわいい亀が泳いでいたりする。もし時間があったなら、しばらくここでぼんやり過ごしたいと思ったぐらい。おそらく奈良時代から変わらぬ眺めなのだろう。人は時々、時が経っても変わらないもの、確かなものにひかれ、心動かされる。

 (付記 会合で、一応今期で役職を引退するので、立派な花束をもらう。特にこれといったことはしておらず、地域生協の方々と楽しく話をしていただけのように思うのに。恐縮です。ともあれお世話になりました。)

6月18日
 先日受診した(4日記事参照)、人間ドックの結果が今週の月曜日に届いた。細かい所はさておき、総合判定としては「今までどおりの生活をしてください」。8時から21時まで学校にいたりするのだけれど……。
 まあ食生活には自信がある。遅く帰ってもほとんど自炊しているし、もし、レトルトのカレーにするとしても、野菜サラダとゆで卵(レトルトの袋を温める前に、同じ鍋で卵をゆでるとよい)は添えるとか。和食なら魚と具だくさんのみそ汁、おひたし、その他お総菜(根菜類・たんぱく質のもの)。ご飯は雑穀入り玄米を混ぜて炊く(人の薦めで食べ始めたが、確かに玄米は口内炎ができなくなるなど、効果あり)。あと、野菜はしっかり食べる(きのこ類もほぼ毎日とっている)。
 高専は家庭科などの科目もないから、やっぱり心配。 とにかく来週は早く帰ろう(無理?)。
 ところで、「ch−E」って何なのだろう。ご存じの方教えて下さい……。

6月10日
 定期試験の監督業務で、必ずあるのは、学生の答えがあまりにばらばらで、つい吹き出してしまうこと。
 例えば「ゲーテ」「ナポレオン」「ナイル」「皇帝」「〜した人」etc……とか「1/3」「1/5」「3/5」……のような感じ(これは私が勝手に作った例ですが)。
 数学だって、「私でも解ける……」というのがある。みんな、頑張って勉強しよう!!

6月4日
 人間ドックというものに初めて行く。
 まず、いろいろ必要なものがあるので、忘れ物のないように注意。そして、朝8:30までに行かなければならないので、久しぶりに通勤時間帯の電車に乗る。といっても、JRの最寄り駅を7:13に出る電車はまだ空いていて、余裕で座れた。大阪地下鉄谷町線は最初混んでいたけれど、すぐに私鉄との連絡駅に着き、結構人が降りてくれたので、結局それほどひどいラッシュには巻き込まれずにすんだ。大阪府庁に向かう人波に紛れながら、目指す病院へ。ちょうどいい時間に到着する。
 その病院は最近改修されたそうで、以前ほど待たされたりしないらしい。待ち時間の長いのは超音波検査など。慣れているのか、しっかり本を持ってきている人を見かける。規定の検査は10時過ぎには終了。
 参ったのは「バリウムの一気飲み」。昔よりは改良されているはずだし、思っていたほどひどくなかったけれど、私はもともと、普通の牛乳や水でも、ごくごく飲めない。炭酸飲料も駄目。食べるのも遅い。咀嚼して物を食べる癖が変についているらしい。時間をくれれば飲めるのに……といじけてしまった。
 オプション検査でやや待たされたものの12時には全て終わって会計へ。オプション検査をいろいろつけたので、「洋服の○○」で安いスーツが2着買えるぐらいの金額になってしまう。そういえば、フリーター時代、あちこちの公募に応募する時に「健康診断書が必要」というのが結構あって、普通の病院では2万円するといわれ、絶句したことがある。保健所で発行してもらう場合は数千円ですむが、検査の日が地域によっては限られていたりする。しかも、いつ公募が出るか分からないから、タイミングが悪いとX線を浴びまくる羽目に。募集する立場の方は、そんなことご存じないでしょうが……。
 病院の最上階にある眺めのいい食堂で、人間ドックを受診した人にくれるサービスの食事券でコーヒーとトーストのセットを食べてほっとする。まあ2年に1回ぐらいは受けてもいいかな。(6月7日記)

5月28日
 夜中に、ほととぎすとかえるの鳴き声を聞く。もう五月も終わり。年をとると一年なんてすぐに過ぎてしまうものなのだろう。

  かむなび  いはせ もり          けなし  をか
  神奈備の 磐瀬の社の ほととぎす 毛無の岡に いつか来鳴かむ (万葉集 巻八 一四六六番歌)

5月24日
 自転車のライトについて追加。点灯時に変な音がする場合は、発電器の回転部分の当たる位置がずれているのが原因。ライトの付け根のボルトをゆるめ、回転部分がタイヤのあたりにうまく当たるように調節するといい。ということで、今日は接触不良も含め、3つほど直してしまった。あとはブレーキの修理を覚えれば一人前?!

5月21日
 毎年恒例の自転車点検中盤。先日友人に「それってまさか整備不良を見つけるわけじゃないでしょう?」と聞かれたが、実はその「まさか」。カギ・反射板・ブレーキ・ライトをチェック。この仕事を経験された先生は、だんだん手つきがよくなる。センサー式のライトだって、後ろの部分を手で隠して前輪を回せば点検できる。もちろん軍手や雑巾、シールはがしスプレー等もしっかり準備。先生によってはちょっとしたことなら直してしまう。
 例えばライト。つかない原因の一番単純なものは「線が抜けている」だけ。差し込み式になっている形状のものだと結構ある。他につかない場合、線を一度抜いて、サビを取ってやるとつくことも。それから今日知ったのは「接点復活剤」。接触が悪い時に使うスプレーらしい(研究室によってはおいてあるところがある)。チェーン用に機械油もしっかり用意されているし、学生によっては工具を借りて自分で直す子もいる(レンチを扱う手つきも見事)。
 この行事は結構「高専らしい」と思う。以前、「高専が好き、という気持ちを大事にしたい」と書いて、ある意味で批判を受けたが、それは学生に向けた文章であるということで納得していただいた。もちろん「高専が好き」といって中に閉じこもっていてはいけないだろう。ただ教員の側としては、学生がそう思ってくれることがまず大事だし、またそういった誇りを持てる学校にするのが仕事だと思う。本人が気付いていなくても、実はいいところをいっぱい持っているという場合があるのだから。

5月20日
 連休中、学校のネットワークが不調だったせいだろう、このページへのアクセス数が減少し、yahoo!への登録までも消えていたのだが、15日頃からもとのアクセス数と順位に復活。某検索エンジンは結構使える。ついでに、私の予想を超えるアクセス数の謎も、先日解けた。
 というわけで、また特別に、
    2Tの皆さん、スポーツ大会も終わったことだし、テストに向けてしっかり勉強しましょう!!
 しかし、最近このページの読者に学生の多いことが判明してきたので、かえって書きにくいこともある。いっそのこと、「自転車点検を必ず受けましょう」とか「登下校時は自転車のマナーを守ろう」とか書いておこうかな。
 ともあれ、明日の午後からは天気も回復するようです。よかった。

5月11日
 板書二題。
 @自分の板書で「安部公房」と書く時に、いつも書けなくて戸惑う。なぜ素直に書けないのか考えてみると、万葉集の歌人の場合は「阿倍」か「安倍」と表記するからだった……。
 A某所で見た興味深い板書は「政経」の授業らしい。

5月7日
 TVのニュースで、片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」の部数が、村上春樹「ノルウェイの森」を抜いたと言っていた。学生にも、「『世界の……』はいいですよ。先生もぜひ。」としつこく勧められたことがある。よほど感動したのだろう。売れるはずだ。
 連休で授業がなかったおかげもあり、このところよく本が読めた。「読書の記録」という国語の課題で学生が、「その気になれば2時間ぐらいで読めますよ。」と書いていた池澤夏樹の短編は、1時間もかからなかった。連休最後の日は、やはり「読書の記録」などで気になっていた直木賞作家の本を、それこそ「2時間ぐらい」で、夜更かしして読んでしまった。
 「十代の学生に本当にこの話がわかるのかな」と思ったこともあるが、逆に「もし私が十代でこの本を読んでいたらどう思うのだろう」と考えた。もうその機会はない。学生が、私の歳になってその本を読み返すことは可能だ。だから、やっぱり若いうちに読める物は読んでおいた方がいい。私は昔から「本は買うもの」と思っていて、多くは文庫本で読んでいる。そうすれば、いつか読み返したり、また読まずにほっておいた物が必要な時に(なぜか)出てきたりする。以前読んだ時はいいと思わなかった本が、何年もたってふと読み返して助けになることもある。例えば、自分にはもうそんな資格はない、と思う時には「資格なんて考えなくてもいい。あなたがどうしたいかが大事」などといった台詞がちゃんと出てくる。
 「世界の……」も、文庫版になったら読んでもいいと思う。もともと、流行の物を読むのが何となく恥ずかしいというのもある。
 ただ、思い出話を書いておくと、「ノルウェイの森」は例外的にハードカバーで読んだ本だった。しかも何度も。実家に置いたままだが、まだ覚えている、赤と緑の二冊の本。私はたまにそういった本の読み方をする。本に私の求めている答えが書いてあるように思うのだ。また、私に必要な本が、読むべき時にきちんと寄ってくると信じている。
 「ノルウェイの森」が「世界の……」に抜かれた今は、偶然(多分偶然だろう)、その代わりだろうか、手元に赤と青の文庫本がある。

5月1/2日
 身内のための添乗員業務。「仕事の周辺」としては、次の2点。
 @ 「ばち」。奈良ではそうめんの端の商品にならない部分(干す時に棒に掛けられた箇所)を、みそ汁などの具として売っている(奈良に来た当初はそんな物があるとは知らなかった)。それを長谷寺近辺では「ばち」と書いて売っていた。私が以前奈良市内で買った時の呼び名は「つぼふし」。同じ奈良県内でも方言があるようだ。(あと、「ふし」だったか、別の表示も見かけた)
 A 教会見学。身内の希望により市内某所のホテルに泊まったのだが、朝食後、ホテルの庭をぶらぶら歩いていたら、従業員に声を掛けられた。「よろしければ教会もご案内します。」折角だから見せてもらう。ステンドグラスや扉などは、1800年代のヨーロッパの教会で使われていた物を使って建てたという。確かに扉は、塗り直しているのだろうが、結構傷が残っていたりして、重厚な感じだった。「聖心会」(聖心女子大などの母体)のシスターも見学に来るらしい。そこまではよいとして、そのあと、教会から庭に出る階段にも連れて行ってくれる(あの〜、これって結婚式の時に通るところでは……)。で、言いたいことは、その階段と庭が、最寄りのJR駅のプラットホームから丸見えで、もし誰かに見られていたら笑われそうなので、一応事情を書いておきます……ということ。(この職業に就いていると、意外なところで学生に見られていたりする)
 (付記) いかなごの釘煮(4月29日記事参照)、こちらが言わないうちから身内が買っていて持ってきてくれた。「そろそろ切れる頃だと思って」。さすが、我が親ながら感心する。

4月30日
 とうとう車の普通免許を取った。実は劣等生だったが、教習所の卒業検定と今日の学科試験はともに一回で通った。
 奈良県の運転免許センターは、聞いていた通り、証紙は全て向こうの人が貼ってくれる。受験番号は22番。好きな数字なので、幸先のよいスタート(ちなみにAT免許は300番台の番号を割り振られるようだ。やっぱりMTは男性が多かった。4月17日の記事参照)。試験内容は新傾向のものもあって(必死で覚えた積載量なんて出なかった。路面電車も出なかった。でも「左折可」と「一方通行」の区別なんかは出た)、ちょっと不安だったが無事合格。得点も書類に書いてあるはずだったのに、受験番号が若いせいか、すぐ呼ばれて写真撮影になったので、見るのを忘れた。ちょっと惜しい。
 ところで免許証、あまり人のを見せてもらったことはありませんが、前はもっとプラスチックカードっぽかったような。実際手にとってみると、わりに軽くて薄くて、紙みたいな材質だ。写真も、係員がかなり大きな画面(そこに顔が大きく映る)を見ながら撮ってくれる。それをうまく印刷してある感じだ。こういう機械はどんどん新しくなっているのだろう。教習所の人が、「その写真が何年か免許証に使われるんだから、それなりの服装で」と言っていた。思わず朝少し考えてしまった。その甲斐あってかどうかわかりませんが、一応写真写りも満足。
 この時期は免許を取る人が多いのか、終了後に話を聞く部屋では、パイプ椅子まで出して、ぎっしり座っていた。学校に戻る用事があったので、思ったより時間がかかったのにはちょっと焦りました。私のこの私用のために、先生方と事務の方をお待たせしたのですが、笑顔で許していただき、ありがとうございます。でも私の免許を当てにしないで下さい。ほんとに運転下手なんだから。

4月29日
 毎朝ご飯の時に食べている「いかなごの釘煮」を切らしてしまった。本当は先週にでも神戸に帰って、実家から持って帰ろうと思っていたので、計算がずれたのだ。滅多にないことなのだが。
 というのは、母親が物を切らしたことのない人で、例えば醤油の瓶を新しく開けたとすると、そのうちに安売りの時に必ず一本買っておくとか、石鹸などは必ず買い置きがあるとか、家では「在庫管理」がきちんとされていた。そのせいだろう、私も家でも職場でも、無くなりそうな物はチェックして、補充してしまうほうだ(だからといって、むやみに物を持ち出さないで下さい。スティック糊とホワイトボード用の青マーカー、どこいったんだろう……)。
 家事ができる人は仕事もできる、その逆も然り。
 ただ、一人暮らしの場合は、買い置きしすぎても、賞味期限が過ぎてしまったりする(薄口醤油が古くなるとあんな濁った色になるなんて知らなかった。3〜4人家族の時はその前に使い切っていた)ので、加減がちょっと難しい。

4月28日
 さらに水曜日である(下の記事参照)。他の先生が担当された仕事の件で、届いているはずの書類が届いていないという連絡が私の方にあり、阪急淡路駅から騒音の中、携帯電話をかける羽目になったり、仕事とは直接関係ないことで苦情を言われたり(まさに「仕事の周辺」?!)。やっぱり「魔の水曜日」。
 でも考えてみると、結局は私がこの曜日に残業できないので、ばたばたと物事を処理しなければいけないという事情が影響しているだけかもしれない。
 晩ご飯抜きも覚悟していたが、運良く同じ科の先生の車に拾ってもらい、さらに一足早くレストランに着いた友人に料理の注文を頼み(携帯メールで「〇〇頼んでおいて!」と連絡する。便利な世の中)、一応間に合った。心配した書類も実はちゃんと届いていたし、他の本務の仕事自体は特に問題なく終了したと思う。気の持ちようというところもある。
 ちなみに、「魔の水曜日」の語を、yahoo!で検索すると、137件出てくる。まあ週の真ん中だし、学校関係では(会社でも?)、会議日になっている所も多いので、「魔の……」になる人は多いのかな、と思っていたら、「魔の月曜日」が156件、同じく「火曜日」が119件、「木曜日」が128件、そして意外に多い「魔の金曜日」、204件。あわよくば語彙的エッセイが書けるかと思ったが、特に法則性は見出せませんでした……。

4月21日
 またまた水曜日である(4月14日の記事参照)。今日は「先負」ぐらいかな。やはり午前中はあまりおもしろくない文書を書く仕事があった。あらかたできたところでちょうど同僚の先生にお会いしたので見ていただくと、いつものことだが真っ赤になって返ってきた……。
 原因はわかっている。私の場合、事務的な文書の語彙や言い回しがまだ身に付いていないのだ。今回は、「許可」をもらうわけではなく、「ご理解下さい」ぐらいのニュアンスなので、「お認めいただきますよう……」と書いたが、それは「ご承認いただきますよう……」に直されてしまった。他にも「当〇〇〇」とか「この件に関して」等々、まあいろいろある。
 でも構成はできていたと思う。次のパターンを使えば、たいていのものに応用が利く。

    (あいさつ)
    さて、……(状況説明)
    つきましては、……
    なお、……

 他にもちょっとアンラッキーなことがあったが、「気にしないことなんでしょうね」という範囲のものだったので、気にしません。
 とにかく、文章を書けるようになるには、王道はありませんが、基本さえできていれば、あとは必要に応じて語彙を身につけていけば何とかなりますよ、というのが今日の結論。

4月17日
 最悪の日程で迎えた、自動車教習所の卒業検定。なぜか通ってしまった。
 幸い、黄信号には出くわさなかったし、松尾寺口付近の、信号機と停止線とがやたら離れている難所もうまく停止できた。横山口の交差点も今日はなぜか対向車が1台もなく、青信号でスムースに右折(注:ここまでの間に、同じ教習所の早くも「検定中止」になった風情の車を2台見かける……)。そしてゴールは民俗博物館。自分で運転するのは初めての場所があるが、朝の立ち番仕事のお陰で道はよく知っている。目標の交差点を無事に左折し、高専のグラウンド横を通ると、野球部が練習中。ちょっと苦笑いしながら、民俗博物館駐車場を過ぎたところで終了。
 ちなみに高専関係者はこのコースが当たりやすいのか、同じ教習所で免許を取った先生も、卒業検定で同じコースだったと言っていた。おまけに昨日・一昨日と、このコースの半分ぐらいは事務スタッフの運転で走ったじゃないか……。イメージトレーニングの代わりになったかも。
 教習所ネタはこれで最後になるので、ついでに書いておくと、グループでMT車教習を受ける時は必ず男性2名、女性1名(つまり私)になる。そして教官によっては私に「家の車がミッションなんですか?」と聞く。他の人には聞かないのに。そりゃ最初、半クラッチがなかなかできなかったので、第1段階ではAT免許を勧められたこともあったけれど、最終段階で、そんなことはご存じないはずなのに聞かれた。全体の人数比では男女そんなに差はないはずなので、やっぱり女性はAT免許が多いのかな。
 私がMT免許にしたのは、姉(おそらく運転はうまくないと思う。ごめん)が、「どうせ免許取るならちゃんととっておいた方がいい」と言ったのと、私自身も車というものがわかっていないから、かえって基本からきちんとやっておきたいと思ったからだ。学科試験でも「クラッチ」とか出るのに、もしAT免許だったらきっとわからないまま何となくやっていただろう。大体昔はMT免許しかなかったんだし。時間はかかったけれど、よかったと思う。
 お祝いに芍薬の花を買って帰る。明日はたぶん寝込んでいます……。

4月16日
 添乗員(と本当に言われてしまった)業務、何とか終了。天候に恵まれ、重病人も、変なもの(?)も出ずにすんだのは運がよかっただけだと思う。そして、私の気付いたところはもちろん、気付いていないところでも、いろいろな人が動いていたはずだ。出発前に前任者の先生が見送りに来てくれたのも心強かった。細かいミスは許して下さい。先生方やスタッフの皆様に感謝。

4月14日
 魔の水曜日(少し大袈裟な表現)。というのは、某所で「文章論」なるものを話すというこの曜日に限ってなぜか、この2週連続して、自分もしくは身辺での、文章の間違いや言葉のやりとりの行き違いが発覚する。まあ周りの人のお陰で何とかなったし、それをネタにもできるのだが。ちょっと恥ずかしい。来週は何もありませんように。

4月10日
 修理に出していた鞄が返ってきた。大学院時代、私が初めて短大に非常勤に行くという時に買ったものだ。持ち手がちぎれかけていて(2003年11月9日の「19日付記」参照)、買い換えようかと思ったのだが、結局修理することにした。まだ他の部分はすり切れたりしていないし、買い換えようにも適当なものが見あたらなかったのだ。
 私の好みとしては、書類が雨に濡れたり、貴重品がスリにとられたりしないように、開閉は天ファスナーのもの。本や書類は結構重いので、持ち手は2本付いていること。で、今回はわりにかちっとしたデザインのもので色は茶系、というのが欲しかったのだが、女性用のビジネス鞄というもの自体がそれほど売られていなかった。黒の「リクルート用」は結構あったのだけれど。男性用はいろいろあるように思うのはひがみだろうか。
 どこに修理を頼もうかとインターネットで調べ(やっぱりあると便利だ)、よさそうなところに試しに電話してみたら応対も親切で、修理の出来や費用も満足。でも、付いてきた景品がなぜか「携帯用灰皿」。どういう選定なのかしらん……。

4月4日
 本当は論文を書かなければならないのだが、この数年懸案だった自作テキストができあがった勢いで、過去の非常勤での講義資料その他の整理をする。今なら何をどう使ったか頭にある。この機会を逃すと、また数年片づけられないに違いない……結局この3日間でかなりの量の紙ゴミを捨てる。
 それから掃除。勉強部屋の絨毯に、掃除機を何回かけても埃が出てくる。去年サイクロン式の掃除機に買い換えたので、埃の量がすぐわかる。たぶんこの2年ほどプリントが野積み(?)されていたために、掃除機のかかっていない部分があり、そこに埃が地層のように堆積していたに違いない(恥ずかしい。たまに友人が遊びに来る時は普段使っている畳の部屋に入ってもらっている。もちろん友人は皆子連れなので、床の掃除はもちろん、エアコンのフィルターまで掃除している。ご安心を)。掃除機のスイッチを「強」にして3回ぐらい丁寧にかけてやっときれいになる。
 ついでに押入の防虫剤も替える。1カ所なぜか「2002年6月〜」と書いたものしか出てこない。ということは去年替えてないんだな、よっぽど疲れていたのだろう……。
 さて、これでやっと落ち着いて勉強できる……というところでまた春休みは残りわずかになっているのだった……。

4月1日
 私のこのHPに対するイメージは「宇宙のどこかにいる生命体に向けて空しく発信される、宇宙なんとかセンターの電波」のようなものだったのだが、それがなぜか同じ町内のアマチュア無線で受信されていた……という感じの出来事が続いたので思わずはにかむ……。

3月31日
 桜が咲き始めた。国語の教材で桜が出てくると、「桜の美しさは、年を取るにつれてだんだんわかるようになる。二十歳を過ぎて一定の年になると、しみじみと『ああ、きれいだな』と思うようになる。で、もっと年を取ると『あ、今年も生きてたな』(笑)」というのが私の持ちネタなのだが、私自身、以前は本当に桜の美しさがわかっていなかったようだ。
 去年の桜は違った。昨年度、いろいろと考えたり行き詰まったりすることがあり、かなり疲れていた。その頃の資料を先日ファイリングしていると、我ながらかなり思い詰めていたのがわかるほどだ。そして年度が改まり、桜の花が咲いた。
 きれいだった。本当にきれいだった。
 私がどのような一年を過ごそうとも、春になると、桜は毎年必ず美しい花をつける。人々が見向きもしない冬の間にも桜は準備をしていて、年に一度だけ、鮮やかな姿を見せてくれる。私がどんなに苦しもうと、桜は黙って、ただ一年に一度の晴れ舞台のための支度をしている。そう思うと桜を尊敬するような気持ちになった。家の前の公園の桜を、毎晩飽きずに眺めていた。
 先日知人から来たメールには、「いよいよ使命が見えてきたのではありませんか」とあった。今年の桜はどのように私の目に映るのだろう。

3月29日
 某検索エンジンによるとこのページへのアクセス数が急に増えたようだ。読者が増えたのかと思ったが、もしかしたらメジャーなTVドラマへの言及(23日記事)が、検索キーワードに引っかかっているだけかもしれない。原因は不明。
 もしご自分のHPへのアクセス数をとにかく増やしたい!という方がいたら、有名TV番組やタレントの名前を入れるといいかもしれません……。

3月28日
 どうもしばらく神戸に帰れそうにないので、母親にご機嫌伺いの電話をする(今月末日締め切りの論文をさぼっていた私が悪い……)。するとこの間(17日記事参照)、神戸から奈良に帰る時に、JRが事故で止まっていた話になる。天王寺の人身事故で関西線が止まっていたが、私が帰る時にちょうど復旧しており、奈良の家に着いたのが午後9時半頃。一応家にも順調に帰れた旨電話をし、TVでニュースを見ていたら、午後10時頃「王寺駅で脱線事故」のテロップが。電車が動いていた1時間ほどの間に運良く帰れたことになる。その話で、母親にも「あんたは運がいい」と言われた。
 実はこれまでも同じようなことがあった。奈良から神戸に帰る時、大阪駅に着いたら神戸線がちょうど復旧したところだったり(確か石山駅かどこかの事故が原因。JRは広範囲に影響が出る)、2年前の神戸ルミナリエを見に行った時も、さあ帰ろうと三宮駅に行ったら、やはり事故で午後6時頃から9時頃まで止まっていたのが復旧したところだったり(その時間、私と母親は何も知らず「今日は結構空いている」と思いながらルミナリエを見て、美味しい中華料理を食べていたのだった)。冬に大雪が降った時も、郡山駅で電車を待っていたら少し遅れはしたものの、ちゃんと来たし。
 人生においては結構回り道をしているように思うが、電車運だけはいい。別に自慢にもならないが。

3月25日
 車の免許の学科試験勉強。問題「正面衝突のおそれがあるときは、最後まであきらめないで、ハンドルとブレーキでかわすようにする。」答えは当然○だが、「最後まで……」というのにちょっと笑ってしまう。ついでに、学科試験って国語力が要る。「いかなる場合でも」「絶対に」とあるのはだいたい×だ。 
 それにしても私って車社会の常識がない。家に車がなかったせいもあるが、最初は「交差点」というと大和中央道のような(ローカルな比喩)、横断歩道と信号のある立派な交差点が浮かんでしまい、答えを間違った(それは「横断歩道」や「交通整理の行われている交差点」である……)。2段階の問題でもいきなり「FF車・FR車」が出てきて「わかんない……」状態に陥ったり(これはさんざん調べた挙げ句、「学科教本」ではなく「運転教本」に載っているのを発見する)、検査標章が「次回の」検査の時期を示すなんて知らなかったりする(そういえば昔某委員会の立ち番の時に聞いたような)。大工仕事は得意だけれど(実家の風呂の天井板が落ちた時、父親の代わりになおしたこともある)、エンジンルームの点検をする自信はない(教習所で夜見せてもらってもオイルの色なんて見えません……)。何のかんので一通り勉強するのにすごく時間がかかってしまった。
 でも何に関しても言えることだろうが、昔より覚えることは増えているはず。MT免許でもAT車に関する問題が出る。昔はAT車はなかったわけだし(AT免許もなかったはずだ)、高速道路のない時代もあったわけだ。本当は車なんて乗らずにすめばそれに越したことはないけれど、いざ必要な時に急に免許は取れないし。まあ「最後まであきらめずに」がんばろう。

3月23日
 買ってしまった。松本清張『砂の器』。べつに中居君のファンではない。たまたま先日見てしまったドラマの中で、渡辺謙(というより「今西刑事」ですね)が、会議中に聞こえてきた「殺人犯の息子はやはり殺人犯か」というつぶやきに対し、「そういった予断・思い込みがこの悲劇を引き起こした」というような台詞を言う、それが気になったからだ。原作ではこうなっている。「まず動機から申しあげますと、この点は、本人に対して同情を禁ずることができません。」もちろん設定もTVと原作とでは異なっているが、込められた思いは同じはずだ。
 事実と真実とは違う。例えばある人が殺人を犯した、これは事実である。しかし、なぜ殺さなければならなかったのか、そこまでその人を追い詰めたものは何か、それが真実だ。実社会ではとかく事実が優先するが、本当は真実のほうが大事なはずだ。小説でも、教育現場でも。誰だって、本当は順調に楽しい学生生活を送りたいのだから。
 学生の皆さんには、「今朝、同級生に会っておはようと言った」が事実で、「今朝、好きな人に会って、恥ずかしくておはようしか言えなかった」が真実、と言えば真実の大切さがわかってもらえるだろうか(どうも他に適当な喩えが思いつかない……)。

3月19日
 卒業式。壇上のある学生を見ながら思い出したことがある。
 その学生とまともに話したことはほとんどない。けれども何となく知っている。
 私が高専に採用される前、その学生の活躍が新聞に載っていた。ちょうど採用の面接試験を受ける前で、うちの高専について何の知識もない頃だったが、その記事を見て高専に親近感を覚えたことは否定できない。
 その後、採用となり勤め出してからは、そんなことも忘れていた。けれどもふとしたことで、その学生の研究室の灯りが私の研究室から見えることを知った。仕事で遅くまで研究室にいる時、その部屋の灯りがついていると、やはり意識したものだ。
 直接教えたことはないけれど、幸いあれと願う。そしてもちろん他の卒業生に対しても。私が初めて教えた学生が大勢いる。個々の事情はあるにしろ、皆「高専」を選んで来たのだ。いろいろあっても学生だってやはり「高専が好き」という気持ちを持っているだろうし、それをこれからも大事にしたい。ともあれ、おめでとう。

3月17日
 ちょっと一息つける状態になり、母親と神戸で夕食。そこの店長曰く「僕、絵が好きなんです。この間も展覧会、見に行きました。〇〇展も見に行きたいんですが、ちょっと無理ですね……。」やはりプロの料理人はそういうのを見に行ったりするんだ。小説に同じような設定のものがあって(このページの2003年10月9日記事参照)、ちょっとうれしくなる。
 神戸には、そんなに高くない値段で、きちんとした料理の食べられる店がけっこうある。たまにしか帰れないが、その度にいい街だと思う。

3月15日
 この数年来課題だった自作テキストの原稿がやっと完成。これで来年度はプリント印刷に煩わされずにすむ。
 パソコンで作っている文章というのは、気軽に改訂できるだけにいつまでも八割方完成で、未完のままFDに入っていることが多い(私の場合だけかもしれないが)。下手にちまちま手直しすると、却って混乱する。作業には細切れの時間でできるものと、何日か集中してやらないとできないものがある。
 そしてやはり最後は紙に打ち出して統一しなければならない。ディスプレイ画面では文章の間違いに気付きにくいことも多いし、一度に多くのページを見比べることも不可能だ。
 いくら機械が発達しても、高度な技術を身につけたとしても、最後は「人」。テキストにもその考えを入れたつもりですが、わかってもらえるだろうか。

3月11日
  朝、自宅で来年度の講義テキストを作成していて、私がまだWin95を導入していない時代に使った講義資料が必要になり、昔の98ノート(PC-9821 Na7。ノートといいながら厚さ5センチもある。これでも当時は画期的だった)を開ける。久しぶりと思いながらスイッチを入れ、一太郎5を起動……と思ったら立ち上がらない。そうだ、パソコンの都合により、一旦MS-DOSに落としてからadddrvコマンドで日本語変換機能を組み込むというややこしい設定になっていたのだった(こんなの、今の情報系の学生でも知らないだろうな……)。
 adddrvのあと何だっけ。どっかに書いていないかな、確か「adddrv atok9.***」だったんだけど、最後が思い出せない。昼から会議で学校に行かなきゃいけないし……と焦っても出てこない。気持ちを落ち着けて、無心に(?)手が覚えているであろう動きに任せてみる。と、立ち上がった。「adddrv atok9.dev」が正解でした。
 体で覚えたことや直感って意外に頼りになるものだ。でも焦っていたり、自分の思い込みがあるとそれが正常に働かない。占い師が自分のことは占えないというのと一緒だ。
 とにかく、やっと落ち着いて作業ができて一安心。何せいろいろな資料が家のあちこちにあって、おまけに床が土足の場所ではその資料が広げられない。私の場合、家でないと勉強できないのですが、それがわかってもらえないというのは結構辛いのですよ(あ、久しぶりに愚痴ってしまった。反省)。

3月9日
 寝不足の頭でExcelをするほど恐いものはない。ちょっと危なかった。朝から疲れました。
 夜、やっと少し落ち着いて某行事に使えそうなゲームのネタを探す。やはりインターネットは便利。はじめは「ガールスカウト」関係のページを調べていたが、ふと「こんなゲームをやっていたら、プロレスごっこになって迷惑になるのでは」と思いはじめ、うちの場合は「ボーイスカウト」のページを調べるべきだと気付く。まだ修行が足りない……。

3月4日
 家に帰ると知人より妙に暗示的なメールが届いていた。うまく言えない(書けない)けれど、人はつながって生きているということに、時々素直に感動する。

3月3日
 教習所ネタが続いて恐縮だが、今日生まれて初めて「原動機付き自転車」いわゆる原チャに乗る。先日は「応急救護処置」の教習で、止血法やマネキン人形を使った人工呼吸・心臓マッサージもやった。これって一応教職にある者としては知っておいたほうがいいですね。
 家には車という物がなかったので、この車社会の中、普通なら知っているであろう標識の意味も知らなかったし、交通法規等もわかっていないことが多かった。運転するしないはともかく、やっぱり思い切って免許を取る決心をしてよかったと思う。

2月29日
 ほぼ一ヶ月ぶりに実家に帰る。旅行会社のパンフレットを見ていて添乗員付きツアーのことを「引率」と口走り、母親に笑われてしまう。

2月25日
 車の教習所で見たビデオに「車がぬかるみにはまった場合」というのがあった。それを見ながらふと、以前某委員の仕事で駐車場の警備をしていた時に、駐車場所になっていた空き地の状態が悪く、こういうのやったなあ……と思い出してしまった。その後その空き地も整備され、今年は大丈夫なはず。
 ついでに言うと、高専に来てまもなく、教室で試験監督中にゴキブリが出て、退治する羽目になったこともある(靴で一発でしとめた。その後「これは燃えるゴミでいいのか」と悩み、結局「火葬」にした……)。
 まあ、いろいろ仕事はあります。でもそれを「笑える」自分がここにいる。

2月21日
 ついに車の仮免許というものを取った。来週から路上を走ります……そのコースには高専近辺も含まれています……というわけで、高専生の人、自転車の運転には特に気を付けるように。危ない教習車がいつ通るかわからないからねっ。

2月18日
 今日は何も書かないつもりだったが特別に。
  5Mの皆さん、明日の卒研発表頑張ってください! ~\(^^)/~
 (このページを読んでくれている学生がいるとのことなので。絵文字も付けてあげます)

2月17日
 学校のHP用写真撮影の時間になぜか私の授業が当たってしまう。こちらは授業をしているのであまりわからなかったが、かなり本式の撮影だった。そのせいもあってか、学生の皆さん、ちょっとはしゃぎ過ぎ……。

2月16日
 付近に座った人の疲労オーラ(?)が感じられたところで何もできない。もともとあまり楽しい場ではなかったのだが。せめてもう少し暖房を入れておいてほしかった。
 というわけで(どういうわけだか)、晩ご飯はこの時期恒例の天麩羅。コンロ付近は汚れるし、油の始末もあるし、床も油っぽくなるけれど、春の山菜が出回ると、なぜか天麩羅を作りたくなる。出来合いの天麩羅は、油っぽくって苦手だが、自分で作るのは材料も油も一応いい物を使うので、素人でも美味しくできる。何より揚げたてが食べられる。これで体も温まり、風邪も治りそう。
 誰だったか、外国の作家も、落ち込んだ時でもとにかく物を食べろというような言葉を残していた。やはり食事は大切です。

2月14日
 社会人対象の講座(博物館見学の引率、2月8日参照)無事終了。問い合わせの時に社会人の団体だというと、博物館の人が「65歳以上は割引がある」と教えてくれたが、「身障割引(というか無料になる)」までは頭になかった。普段はやんちゃな学生を連れてハイキング、といった企画(じゃなかった、学校行事)しかしていなかったし。今度からは(といっても当分予定はないが)覚えておこう。

2月13日
 来年度の授業計画。初めて担当する学年で、当然、初めて使う教科書だが、教材を見て、「だいたいこれは何時間ぐらいの扱いだな」と自分で察しを付けた時間数が「指導書」と一致しているのは、我ながらすごいと感心する(教師としては当たり前か)。
 あとは春休みの宿題プリント。これも以前は要領が悪くて、冬休みの課題を12月23日という日の夜9時までかかって作ったこともあったが、最近は通常の残業で印刷し、あとは学生にも協力してもらって何とかできるようになった。
 そういえば先日、とんでもないサイズの添付ファイルが開けられず、結局昨日になってこれもすごい分量(A4片面印刷で2〜3センチ!)の書類が届いたが、これはいつ印刷したのだろう……。

2月12日
 某所の「答申」などという文章に初めて関わり、大変な目に遭う。

2月8日
 社会人向け講座の下見で、大阪の博物館に行く。久しぶりに近鉄阿部野橋から河内長野行きの電車に乗った。非常勤時代はこの沿線の「矢田」や「滝谷不動」まで毎週通っていたけれど、今はなつかしいというか、もう随分前のことになってしまったなあ……と実感。電車の中で、『磁力と重力の発見』第一章を読む。

2月3日
 @某所にて、「いわゆる『腹黒い人』に共通するパターン」(2003年10月1日参照)の追加を発見。ずばり「人を見る目がない」。……そんなことを見つけてる間に仕事をせねば(しつこいけど注:勤務先の人のことではありませんって。一般論です)。
 A事務的書類で、去年の夏のとんでもないミスを発見。今更どうしようもないけれどちょっとがっかり。とりあえず今日が節分なのを思い出し、帰宅後、小さい鉄火巻きを丸かぶりして厄払い(になるのかな)。
 B「伊豆の踊子」の学生の音読。そうか、「茶店」は「さてん」と読まれてしまうのか……。


1月29日
 昨年末に注文していた本が届く。山本義隆著『磁力と重力の発見』全3巻。新聞で山本氏の経歴を知り、気になっていたら、この著作が大佛次郎賞をとった。氏は東大全共闘の元議長。当時、「将来のノーベル賞学者」といわれたほどだったが、大学紛争が終わった時、大学を去り、予備校の講師となる。私の知人の中にも、あの時代に大学を離れた人が複数いる(しかも、その方同士が知り合いだったりする。何て世の中は狭いんだ)。まだ序文しか読んでいないが、この本が手元にあるだけで、仕事と教習所通いとその他雑用で疲れ果てていて風邪も治らない……という状態でも、心穏やかになり、またやる気を奮い立たせることができるように思う。世の中にはこんな人もいるんだ。

1月25日
 「推薦による特別選抜」いわゆる推薦入試。昼前から雪は降るし、寒いし、受験生は大変だっただろう。ところで、廊下の張り紙「この階段から下りれます」は「ら抜き言葉」だと気になったのは私だけだろうか。

1月23日
 今週の現代文は「伊豆の踊子」の2回目。教科書が変わり、初めて扱う教材。前は志賀直哉の「城の崎にて」が載っており、自分が高校の時にも習っていたので、教材研究も楽だったのに、と最初は不安だった。でも他の先生に、「まあ(教材として)持つよ(笑)」と励まされ(?)、やってみると結構よかった。学生も意外に反応がいいし、静かに読んでいる。「富嶽百景」もそうだったが、やはり名作の持つ力か。逆に以前扱った吉行淳之介の「童謡」は、難しかったようだ。「もう高くは跳べないだろう」という、子供から大人への過渡期の心理について、「何となくでもいいからわかる人は?」と聞くと、さっと手の挙がったのはクラスに2名しかいない女子のみ、ということもあった。
 ところで、途中で「はにかむ」という語が出てきて、学生から質問があり説明していたのだが、ふと「ハニカムCCD」というデジカメ用語が連想されて、困った。こういうのは条件反射で、他のクラスでも授業の度に頭に浮かんでしまう……。でも、「ハニカムCCD」って、一体何のことか、正確にはわからなかったので、早速インターネットで検索。いわば画像の鮮明さに関するもので、フジのオリジナルらしい。検索途中で、予想外のことがあり、1分間ほど笑ってしまう。検索エンジンを使うってこういうことなんですね。例えば「タイトルが大事」で検索すると、このページの2003年分9月の記事が見つかったりする。

1月22日
 最近「つながっている」と思うことが多い。生協の会合で、奈良の生協の人が、あの地震の時に神戸に結構来ていたことを知る。神戸の大学の同窓会で母親がお世話になった生協職員のことまで聞くことができた。
 一つ思い出したことがある。
 あの時、家にはあと2、3日分の米しかなかった。ちょうど地元生協の共同購入の米が配達される直前だったので、買っていなかったのだ。近所の人が炊き出しをするというのに、何も協力できなかった。建物の被害はなかったが、これからどうなるかわからない……という地震の翌日、米が届いた。共同購入の品物のうち、とりあえず在庫のあるものを生協が配達してまわっていたのだ。いつも配達に来てくれる顔馴染みの生協職員が、やや埃をかぶった米袋を団地の4階まで持ってきてくれた時、母はほっとして、とても嬉しそうだった。
 あれから、生協はその原点を忘れていないだろうか。その生協の店舗には「一人は万人のために 万人は一人のために」という言葉が掲げられていて、小さい頃から私はずっとそれを見ていた。
 就職する前、関わった教育委員会の仕事では、私は迷う度に、建物の入り口のレリーフ「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」を見つめながら、自分のやっていることを考えた。そうすれば、判断を誤ることはないように思ったからだ。
 高専にはそういう共通の原点はあるのだろうか。同僚の話によると、むしろそういう思想性のようなものは排除されて作られた学校だという説もあるそうだ。それが今、限界に来ているのかもしれない。でも、これから、ここに縁あって集まった人達で、そういった共通の原点を作っていくことができれば……と思っている。

1月19日
 アクセスカウンタなるものを利用しようと思うのだが、たくさんあり過ぎて、どれがいいのかわからない。このHPの土台はホームページ・ビルダーなのですが。何か適当なものがあったら教えて下さい……。

1月16日
 NHKの「金曜時代劇」に、高校の時の同級生が出演しているので、先週から見ている。彼は高校当時から演劇部で活躍し、そのままその道に入った。私の年代の人はそれぞれの方面で、ある程度のところまで到達したり、子供が結構大きくなったり、そういう時期のようである。高校の年代を教えている者として、余計に年月の流れを感じたりもする。でも昔懐かしい「エースをねらえ!」がドラマ化されたり、「北斗の拳」がまだ流行っていたりで、なぜか学生と話が合うのもおかしい。ともあれ、同級生は主人公の弟の、真面目な同心役で出ているので、よければ見てやって下さい。
 (付記)本日、学校の一般教科のHPに、このHPへのリンクを作成してもらいました。この場をお借りして同僚の先生に感謝します。

1月12日
 9日に学校で最初の設定をして、今日で一応このHPが開けたようです。設定を見るとどうも学校の方に二重にフォルダができてしまったようですが……。いろいろ自分でやってみて、とりあえず、完成!!最初の設定で煩わせた同僚の先生がたにここで御礼申し上げます。

1月2日
 初詣。母親を連れて、神戸の神社に行く。神籤は「吉」、よいことが書いてあった。
 今年度から学年暦が変わり、正月にテストの採点をする必要がなくなって、久しぶりにのんびりしながら、これからのことを考えている。「運命」というものの力を感じながら、自分で選んだことに真面目に、でもできれば力まずに、取り組んでいきたいと思う。