仕事の周辺  2006

 以前、某新聞の夕刊に「仕事の周辺」という著名人のエッセイの連載がありました。
 それほどのものではありませんが、たまに何かお役に立つ情報があるかもしれません……。


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12月28日
 毎年恒例の後輩との誕生会(2004年12月27日の記事参照)の後、就職するまで下宿していた大阪の十三を訪れる。
 その下宿は阪急十三駅から歩いて8分。途中の家並みが結構変わっていて、後輩と「初めて歩く街みたい……」と戸惑う(後輩も十三駅から歩いて20分とかからないところにいるのだが、私の下宿との位置関係は駅を中心とすると左右に45度ほど分かれるような方向になるので、この道は久しぶり)。考えたらもう8年経っている。
 それでも、目指すマンションの前に来るとすぐにわかった。「あっ、ここ!!」 1階の玄関は改装されていて何とオートロックになっている。マンションの名前も「Green View(グリーンビュー)○○」(前は「△△△富士」だったのに)。
 ここには結局2年ほど住んでいた。場所的に便利な分、変なセールスが来るとか(夜の11時58分に「水道関係の工事です!」とぬけぬけと来る。絶対アヤシイって)、いろいろあったので、お蔭で現在奈良の変な訪問販売ぐらいは簡単に撃退できる。後輩が図書館の夕方〜夜のアルバイトをしていたので、帰りにうちに寄ってもらって、一緒に晩ご飯も食べたりしていた(台所が狭く、調理器具がまだ少なかったので、鍋物やカレー、鶏のクリーム煮、ちらし寿司など一度に大量に作れるものにレパートリーは限られていたが)。
 私の住んでいた部屋には灯りがついていた。誰か住んでいるんだな。もう私が再び住むことはない。こんな風に昔住んでいた場所を訪ねるという経験は今までなかった。
 その後、後輩の下宿に寄って、JR塚本駅から帰る(正確には後輩の「新居」。今までのところが手狭になり、歩いて5分ほどの所に引っ越すというので、新居の見学を兼ねて今回の十三〜塚本訪問が企画された)。最近のサッシ窓とか新しい設備をいろいろ見せてもらった。
 まあ私は当分引っ越さないな。大和郡山は家賃も安いし、今の家は日当たりもいいので気に入っている。


12月26日
  《みなさまのお陰?》
 久しぶりの車ネタ。
 やはり去年よりは時間があるようで、先週の月曜、余裕で仕事を終えて、車を洗う。免許の更新も今月早めにすませた。免許証の色はついにグリーンからブルーに(あ、今は安全協会に入らなくても更新の葉書は来るそうです)。ここに至るまで、いろいろトレーニングの場があった。
 例えば確か去年の夏、私が必ず通る杉町〜池之内町間にガス工事か何かの関係で、迂回のためのS字カーブが2カ所出現。教習所で練習するのとそっくりで、おまけに対向車有り(怖い……)。私以上に下手な運転の対向車が車線をはみ出てくることもある。最初はびくびくしながら走っていたが、長い工事期間(結局冬頃までこのカーブがあったような)のお陰で、結構運転の練習ができた。 
 また、今年は杉町西側の道路がず〜っと工事中で、ひどい時は中央線も消えていて、目分量で停車位置を考えないといけなかったり、信号待ちの間、砂利だらけの道に傾いて停車する羽目になっていたりした。それが、この秋忙しくて、半月ぶりぐらいに車に乗ったら、いつの間にか見事に完成。道幅が広くなり、今まで無かった左折用の車線ができていて、すごく走りやすい。最初走った時、思わず「ブラボー!」と愛車と喜んでしまった。
 駐車場近くのジャスコ閉店の後、交通量が減ったのもありがたかった(2005年3月3日の記事)。この秋、その跡地にオークワが開店。交通量の増加を心配したが、今のところそれほど変わりはない(要するにそれほどオークワの客が多くない……)。
 というわけで、お陰で一応ペーパードライバーにはならずにすんでいる。
 
(おまけ) 神様もたまに気を利かしてくれるのか、誕生日、少しはいいこともある。


12月8日
 試験ネタ二題。

 @以前も書いたことのある(2005年10月6日の記事)「示唆」の書き取り問題。相変わらず「指差」がちらほら、というか結構ある。採点しながら思わず苦笑い。しかも学科によって偏りがあるような。今回は「視差」もかなりいた(某クラスのみ)。何かで習ったのかもしれないけど、文脈から不可である。
 ついでに、「鋼鉄」の書き取り。たまに「鉄」の字の旁(つくり)が「矢」になっているのがあるが、まあこれは単なるミスのようである……(まさか……ね)。

 A製図の試験監督。製図用の大きな三角定規を振り回すので、よく筆記用具が落ちる。監督のやり甲斐がある科目である……というのはともかく、学生が熱心に作図している様子を見られるのもちょっと嬉しい。


12月1日
 某クラスに授業に行くと、休み時間に女子学生が「先生、この音聞こえる?」と携帯電話を差し出す。耳を当てると、かすかに「ピーーーー」というような音。すると「先生若いーっ!」との評価をもらう。
 学生の解説によると、この周波数の音は、20歳代後半から聞こえなくなるのが普通らしい。以前某テレビ番組で取り上げていた「鈴虫の音は電話には入らない」というのと同じ原理か。自慢じゃないが耳には結構自信がある。絶対音感もあるし。といって、特に役に立つこともないのだが。
 とにかくそういうわけで、今、私は20歳代後半である……(嘘です)。

11月29日
 前から書こうと思って忘れていたのだが、同僚の先生が先日群馬に出張する時に、ネット検索していてこのページを発見してくれたそうだ(「桐生市・観光」のキーワードで)。で、「テキサン」も見学してきたとのことである(3月28〜29日の記事参照)。一応このページも役に立つことがある、のかな?

11月19日
 先週末は学会で岡山に出張。それにまつわるエピソード。

 〈危なかった――その@〉
 今日買い物から帰ってテレビのニュースをつけると、津山線で脱線事故。この路線はちょうど先週乗ったばかりだった。もし一週間ずれていたら、私は帰りの新幹線に間に合わなかったかもしれない。まあ早めに気づけば通常の交通手段である路線バスを利用すればよいのだが。
 というのも、先週さすがに疲れていたのか、出張ついでに突如ローカル線に乗ってぼ〜っとしたくなり、「ほうかいいん」(どんな字を書くのかと思ったら「法界院」が正解。観音様があるらしい)から一駅だけ乗った。お陰で気分転換か厄払いになったのか、次の日からの行事を無事にこなせたような気がする。何か去年と同じ様だが。(そしてこの時期、きくとうめを連れて学校に行く)

〈危なかった――そのA〉
 この出張旅費の明細が、金曜日に手元に届く。当然新大阪経由。実はあやうく損するところであった。
 出張前日にあわてて切符を駅に買いに行き、普段東京に行く癖が付いているからか、京都発で買ってしまった。家に帰ってから気づき、まあいいかとも思ったが、新幹線で西に行く時は新大阪発にしたほうがいいと同僚から聞いていたのを思い出し(JR東海とJR西日本の熾烈な競争)、当日朝早めに新大阪に行って変更してもらう。
 すると、2,940円も戻ってきたのである。こんなに差額があるとは。気づいてよかった。ありがとうございました。


11月1日
 某申請書類。今年は例年より余裕で作成。毎年恒例のこの行事(?)、どれぐらいの紙が使われているのだろう……といつも思うが、少なくとも今年は日本全国でかなりの量のマジックインキ(黒)の消費が減ったに違いない。
(余談:古代の色に関する文化からすると、「若手」が紫というのには違和感を感じてしまうのだが)


10月25日〜新年にかけての記録

 昨年の夏から、なぜか数回職場のパソコンが不調になり、その度に設定し直しで1〜2日は潰している。でもお陰でだいぶん(自分なりには)コンピュータに詳しくなった(つもり)。以下その顛末からいくつか。


   《序論――パソコン≒車 説》

 昨年夏からSONYのVAIOノート(PCG-XR)を使っていたら、冬のとある日(1月末)、ネットワーク管理を担当されている先生から所属科の全員にメール。「xxx,xxx,xxx,xx(IPアドレスの番号)から不正なアクセスの形跡が見られる」とのこと。えっ、「……xx」って、私の番号なんだけど……。急いで接続を切り、指示を仰ぐ。
 IPアドレスで呼び出されるなんて初めてだ(まあ滅多にないことだが)。でも、自分の番号だと気付く人は何人いるのだろう。車のナンバープレートも、自分の番号を覚えていないという人は結構いるらしいが(だから車の移動を頼む放送では車種や色もアナウンスする必要がある)。


   《本論――パソコン≒焼畑農業 説》

 私の理想としては、「このパソコンもだいぶん使っているし、そろそろこの夏季休業中(あるいは春季休業中or冬季休業中)にでも切り替えよう→暇な時に少しずつファイル等を移し替え→新しいパソコンに完全に切り替え」なのだが、実際には、「急にパソコンが使えなくなる→とりあえずLAN外で使っていた(あるいは使う予定だった)ノートパソコンに切り替える→そのままずるずるとそれを使う」というパターンをこの1年少しの間に2回繰り返している。
 パソコンは急に使えなくなるというが、その度新しいパソコンに乗り換えていると、何だか焼畑農業を連想してしまう……。

 そもそも昨年夏、SONYのVAIO(Win2000)に切り替えたのも、それまで使っていたパソコンがまたまたまたメモリ不足に陥り(不要メールを捨てれば捨てるほど却って残りメモリが少なくなる。うーむ、多分勝手に隠しファイルでバックアップをとっているに違いない)、聞きかじった(見かじった)「ローカルフォルダ中のごみ箱フォルダを圧縮する」というのをやってみたら、急にメモリに余裕ができ、調子に乗って要らなさそうなファイルもほいほい削除していたら、起動に必要なファイルも削除してしまっていて、Win95自体が立ち上がらなくなったのだった……。
 そして、とりあえずメールを読むため、SONYのVAIOをLANにつないだ(2005年8月2日の記事参照)。こういうトラブルの際、いつもパソコンに詳しい先生を順番に煩わせている。こちらの方も焼畑農業のようで、いつも恐縮する。

 今回は「windows updateの事故」(某先生の診断)で、そのVAIOノートが使えなくなった(10月15日夜の出来事)。
 何が困ると言って、日本語入力機能を使えないのが一番の問題。一応いろいろ調べて「コントロールパネル→キーボード」などというものを開けて「日本語106キーボード」を選択したり、「デバイスの更新」なんてものをやってみたり。「地域環境の設定」も無駄と思いながら開けてみるが、何かがじゃましている。
 いろいろやっているうちに、起動するたびに「一太郎」の「環境設定」で入力環境を設定するとひらがな入力だけはできるという状況になった……(あまり意味はない)。再セットアップするしかないようだ。ファイルはほとんど無事に救出できたのだが(お隣の先生のハードディスクを使わせていただく)、結局メールが移せなくて、しばらく2台併用。

 それから、このパソコントラブルとは関係無しに、これも土壌の養分を取り尽くした感のある、奥行き40センチ近いディスプレイも処分して、省スペースを図る。後続機として、初めて液晶ディスプレイなどというものを購入。とりあえず一番古いパソコンにつないでみる。
 こんな洒落たもの扱ったことはなかったのだが、一応耳学問(というか目学問)で、解像度の調節ぐらいはわかる。直感で「コントロールパネル」を開け、「ディスプレイ」で一番良さそうな解像度を選ぶ。意外に簡単につなげた。
 ついでにこんなものも調べてみる。
   解像度
   VGA(640×480)
   SVGA(800×600)
   XGA(1024×768)
   SXGA(1280×1024)
 後日、偶然、携帯電話のカメラ機能でも「サイズ選択」にこの用語が使われていると気づくのだった。

 折角だから、新しいノートパソコンのディスプレイとしても使用できるように設定を、と思ったら、うまくつなげない。これが「同期はずれ」ってものか……と思いながら、試行錯誤(途中で画面のアイコン以外の場所を右クリックすると、いろいろ設定が変えられることも初めて知る)。
 そのうちなぜかwinの「草原」は映っているのにアイコンが表示されていないという訳の分からない(後日反対側のお隣の先生に「珍しい」と言われた)状態になる。おまけにポインタが行方不明(どうしろっていうのだ!)。時間は夜の7時を回っている。しかもこの日は両隣とも不在。一瞬考えて、大部屋のUSBマウスを拝借してつないでみると、とりあえずポインタは表示された。これでパソコンは無事にログオフ。
 後日わかったことだが、結局私が不慣れなため、液晶ディスプレイの設定がノートパソコンのディスプレイの「続き」(簡単にいうと2つのディスプレイをつなげて1つの画面にするような設定。例えば右半分が液晶、左半分はノートパソコンに表示)のようになってしまっていたらしい。

 ↑という話を書いていたら、同僚の先生から急にこの廃棄した旧ディスプレイが入り用だとの申し出あり。パソコンって時々そういうことがある。98シリーズだって、未だに必要なこともある。もう随分行っていないけれど、ソフマップなんぞににタダ同然の値札の付いた、古びたケーブル類が山積みになっていたりするのを思い出す。 (12月26日 記)

 ↑と書いていたら、さらに、自宅の勉強部屋の片付けの時に20ピンのプリンタケーブル(USBではない。こんなもの今の学生にはわからないかも)が出てきた。ケースまできれいにとってあって、定価2,800円、ソフマップの値段シール1879円が付いている。どこかで使わないかな(多分無理。でもとりあえず学校に持って行く)。 (12月27日)


   《結論はなくて付けたり――パソコン≒さっちゃん説》

 いろいろあったが、とにかく10月下旬に自力でメール設定(OEからOutlook2003への切り替え。これは簡単。「ツール」から「メール」の「アカウント」→「プロパティ」を開けたり、「インポート」「エクスポート」でこれまでのメールも吸い取ってもらうとか、全て自分でやった。これは素人としてはかなりの進歩である)も終え、やれやれと思っていたら、今度は以前から瀕死状態だった科のメールサーバ(9月21日の記事参照)がついにダウン。
 一応切り替えもすんで、今度こそ元通り……と思っていたら、出ていかないメールがある。できれば昼休み中に送信したい大事な(と勝手に思っている)メールだったので焦る。昼食に行った生協食堂で運良く出くわした「隣り」の先生にまたまた相談。その先生もメールが送信できなかったとのこと。もしかしたらサーバ同士の問題かもしれない……どうしよう。
 結局原因はサーバの設定の際、送信メール用のサーバを例のIPアドレス番号で設定するとうまく認識してくれない(その時々によって2種類のサーバから勝手に選択する)というもの。サーバ名で設定し直して無事復旧。もう一人の先生の不調も同じ原因だったようだ。
 IPアドレス番号で呼ばれてもわからなくて、サーバ名でないと反応してくれないっていうのはよくあることらしいが、何となく、「さっちゃんはね、さちこっていうんだ……だけど小さいから自分のことさっちゃんてよぶんだよ……」という歌詞を連想してしまうのであった。


10月19日
 ↓と思っていたら、また短冊が付いている……。(2月8日の記事参照)

10月17日
 スポーツ大会。グラウンド周辺にススキが群生しているのに気づき、気分転換(?)に生けてみた。結構気に入っている。

10月12日
 生協弁当が2食続くとさすがに飽きる……。
 (解説:今日のお昼は勤務先の生協の理事会、夜は京都で大学生協の会議。夜の方がお吸い物も付いてランク的には上だけど、「着いたらまず弁当を食べる」という点は同じ(←7月26日の記事参照))

10月11日
 金木犀の薫る頃となった。
 この香りをかぐと、「ああ、学園祭だな」と条件反射的に思う。大学時代4年間、この季節はいつも所属サークルの学園祭の準備に追われていたからだ。
 以前、何かで読んだのだが、匂いというのは人の記憶に意外に残るものらしい。確か『若草物語』では四姉妹の一人が、辛い時、物入れにしまってある母親の服の匂いをかいで励みにするというシーンがあった。これに近いものとして、自分自身が思い浮かべるのは実家の押入の引き出しの匂い(うまく表現できないが、洗濯され太陽をたっぷり浴びた後にしまわれた木綿の服の匂い、といったようなもの)だ。
 それから、仕事柄染みつきやすい匂いというのもある。それによって勇気づけられることもあった。人によっては余りよい匂いだと思わないだろうが、ずっと覚えている。なぜあの時気になったのだろう。不思議なものだ。

10月6日
 試験ネタ二題。

 @敬語の問題。
   上司「ラーメン、チャーハン、どっちにする」
   部下「ラーメンでいいです」
 この部下の言葉遣いを直す、というのが難しかったようだ。とりあえず「ラーメンいいです」とした答案が結構あったが、正解は「形容詞+です」という言い方は間違い(例:×「うれしいです」→○「うれしく思います」)で、「ラーメンをお願いします」のように直す、というもの。
 同じ問題を、後輩が某高校の授業で取り上げたところ、直し方のわからなかった生徒さんが「じゃあ、チャーハン……」と答えたそうだ……。

 A文学史の問題。
 「中原中也の詩集名を書きなさい」という問題で、予想されたことだが「中原中也詩集」「中原中也全集」と書いた答案が必ずある。しかも今年はなぜか某クラスに多い……。


9月24日
 某ファイリング作業のための覚え書き。
 B4資料を綴じる時、穴をあけるのは左側なのに、つい右側にあけてしまう……。これは私の担当科目が縦書きなのに、横書き用のファイルに綴じることに起因する。以前、自分の分を仕上げた時にわかっていたはずなのに、またやってしまった。まあそこまで見ないと思うけれど。
 それから、他の先生に教わったのだが、仕上げに「重し」。何せチューブファイルを使ってもはち切れそうな量になるので、ありがたい『日本国語大辞典』(2005年11月4日の記事参照)を使って、「寝押し」をする。特に3〜5クラス担当される方にお勧めします。

9月22日
 部活動の仕事の関係で、某市の公共施設に電話したら、保留メロディが意外な曲。確かこんな歌詞だ。

  世界中の誰よりきっと 熱い夢見てたから
  目覚めて初めて気づく つのる想いに

 若干込み入った問い合わせをしたので、しばらくこのメロディを繰り返し聴く。世界中の誰よりきっと、……か。


9月21日
 職場内でメールを送ろうと思ったら、エラーメッセージが出る。素人の私が見ても、明らかにサーバがごねている感じだ。すぐに隣の研究室(私の両隣はお二人ともネットワーク管理の担当)の先生に確認してもらい、結局サーバを再起動。もともとハード的にディスクの動きもよくない(だから「たたいたら直った」←8月21日の記事参照)。そろそろ寿命らしい。
 今はメールがあって当たり前になってしまったけれど、そのメールを使うためには、陰でシステム維持のためにいろんな人が作業している。自分自身が疲れている時、ある本の一節を思い出す。「ドルフィン・ホテル」の話だ。
 人の働いている姿を、相手の気づかない距離からそっと見る。それによって「僕」は励まされ、勇気づけられる。
 今その現物が手元にないので、正確な引用ではないが、以前はその深い意味は読みとれていなかったように思う。いろんな面で、だんだん余裕がなくなっているけれど、ちょっとしたことを支えに、頑張れることもある。

 ↑ついでに、大部屋の電気ポットも瀕死状態だったが、皆さんが寄ってたかって復活に努めた結果、とりあえず使えている(すごい)。
 (以上、22日 記)

9月11日
 辞書の話。
 先月、某社からの文書にあった「雷撃」という言葉が気になって(別に「落雷」でいいと思うのだけれど、被害者意識の表れだろうか……)、手近にあった『広辞苑』の第二版を見ると、
 @雷が落ちるように勢いのはげしいこと。
 A魚雷で敵艦を攻撃すること。
しか載っていない(あり〜?)。あわてて他の辞典を見ると、「雷が落ちること」という意味もちゃんと載っている。実はこの『広辞苑』の第二版というのは評判が悪く、その筋の人(要するに国文学関係の人間)は使わない(注:「第二版」のみです)。
 学生の皆さんも、「活字になっているものは正しい」という思い込みがあるかもしれませんが、やはり情報は複数のもので確かめて下さいね。

 (おまけ) 普通の辞典では「規程」「規定」の使い分け、というのもはっきりしていないが、この間、とある事典項目執筆の仕事のため『イミダス』を入手したら、今までで一番わかりやすい説明があった。
 「規定(きてい) ものごとのしかたに規則を設けること。その規則。法令の条文として定めること。その条文。「法で規定する」「規定に従う」「規定の書式」。同音異義の「規程」は、事務の手続きや取り扱いなどの規則。「職務規程」「取り扱い規程」「服務規程」。(後略)」
 別冊付録には「平成の大合併地図帳」などというのもあって、結構楽しめる。


8月28〜30日

 某研修。万葉集東歌の地で「カンヅメ」になる。

 28日朝、つくばエクスプレスに初めて乗る。
 8月24日で開通1周年だったそうで、駅にそのポスターが貼ってあった。
 ということは、冥王星が惑星でなくなった日と一緒になる。小さい頃、親戚などから「お下がり」でもらった本には、まだ冥王星は載っていなかった。アポロも月に達していなかった。宇宙関係の研究はずいぶん進んだんだな、でも逆にもしあの本がまだどこかにあったらまた使えるということか。

 30日、新幹線の時間まで間があったので「六本木ヒルズ」を見物しに行く。広すぎてほんの一部しか見られず。後で聞いた話だが、後輩は「六本木ヒルズツアー」(30分1000円、45分1500円で見所を案内してくれるというもの。45分ツアーなら、一般には公開されていない「けやき坂コンプレックス屋上庭園」にも入れる)を利用したという。私もパンフだけはもらったけれど、その時には残り時間が少なかった。確かにこんな案内でも利用しないと、初心者は要領よく回れないだろうな。
 それでも、東京タワーをぼ〜っと見て、物思いにふける。古典の世界ではこういうのを「眺む」という。


8月27日
 「某研修」(昨年度同じ研修に行かれた先生の命名)に向かう。今回は裏技を使った。歯磨きをしながら石山駅を通過。

 この「裏技」で行く、という話をすると、「その方法があったんや〜」「今のうちに乗っておかないとなくなるかも」という肯定的な見方をする人と、「何でそんなもので行くの?」という否定的な見方をする人に分かれる。まあだいたいその傾向は予測できるものではあるが。

 それから、後輩とまたまたニアミス。今回は昼過ぎにメールが来て、「今日、四国旅行から大阪に帰る」とのこと。そして、ちょうど私の乗る予定の列車を見送れる時間に大阪駅に着くという。あ〜残念、私は京都駅から乗るので……、というわけで会い損ねた。
 後輩は前に東北旅行の最中にもメールをくれた(3月27日)のだが、その時も後から某ライブカメラの存在を思い出した。もしその時気づいて「2番線の先頭車両付近に来て!」などと指示したら、後輩のライブ映像を見ることができたのに……と今頃になって思う。
 (以上、9月11日 記)


8月23日
 なぜか3日連続して東大阪市に行っている……。

8月21日
 〈「機械もん」の話――あるいはサーバの直し方――〉

 写真屋のおじさんは言った。「こういう物は『機械もん』やから」。
 ちょうど去年の今頃、親の持っているカメラ(フィルム式カメラ)が故障した。フィルムの巻き取りが不調で、巻き取れていなかったフィルムが感光し、姉夫婦との旅行の写真が全滅してしまう。
 そこで母親が、こういうカメラの扱いにも慣れていそうな、最寄り駅近辺に昔からあった写真屋さんに持っていった。メーカーに送る、と言われて預けていたのだが、母親が帰った後、写真屋さんがテスト用フィルムを入れて何回か本体の蓋を開け閉めしていたら直ったそうだ。
 昔のテレビ等も「機械もん」。調子の悪い時はたたいたりすると接触がよくなり、直ることが多かった。でも今やコンピュータ時代。デジカメではそうはいかない。

 という昨年のことを思い出していたら、今日の出来事。
 計画停電の後、昼頃、科のネットワーク管理担当の先生にお会いしたので何気なく、「サーバは、無事に?」と聞くと、「いや、それが……」。何か大変そうだ。
 それから午後出張に行き、夕方6時頃荷物(某営業資料)を取りにもう一度学校に戻ると、サーバは無事復旧していた。それが、「たたいたら直った」らしい……。サーバが不調の時は一度お試し下さい(但し保証はしません)。
 (25日 アップロード)

8月19日
 朝からK町のカルチャーの仕事、昼から奈良市で国語教育の研究会、夜は高校の同級生との集まり……というハードな一日。夜の集まりは集合場所等当日連絡で、携帯電話がないと私は出席できなかったというもの(高校時代にはこんなこと考えられなかった)。不安だったが何とか無事皆さんに会えた。いろいろな思い出話が出てくる。高校時代一度も話したこともなかった人とも自然と盛り上がる。
 そして、今教えている学生も、たくさん思い出を作って、いつか私の年代になって、高専時代をなつかしく思い出してくれればいいな、などと考えている。
 (おまけ 1) 15日に引き続き、奈良市内への出張では、CI-CAが大活躍。
 (おまけ 2) 神様はとっても気まぐれ。悪戯なのか、それとも気を利かせてくれたのか。
  (以上、21日 記)

8月15日
 奈良県立図書情報館に初めて行く。
 普通の図書館だった。というか、補足説明をすると、規模的に出身大学の図書館を連想させるもので、この程度が私にとっては「普通」に感じられてしまうのである。国文学関係の書籍はともかくとして、データベース検索などが充実していて、やっぱり落ち着く。このような環境に身を置くのは、本当に久しぶりだ。これからたまには利用しよう。
 ただ、駅からは遠くて、歩くのはちょっと無理。図書館行くのに車が要る、というのは間違っているように思うのだが。

8月13日
 昨年に引き続き、いとこ姉妹と夕食。
 車の免許の話になり、フランスに住んでいる従姉が言うには「ヨーロッパはマニュアル車が普通だから、オートマ免許もない」とのこと。なるほど。
 ついでに、もう一人の従姉は、家の車がマニュアル車なのだが、六甲山の麓では往々にして「バックで坂道発進」などという状況におかれることもあるという……。
 (以上、16日 記)

8月8日
 〈虫シリーズ(?) その2〉
 ゴキブリの次は蜂である。
 顧問をしている弓道部の「百射会」の様子を見に弓道場に行くと、他の顧問の先生から相談。弓道場の看的(的を置いている場所の両端)の屋根に蜂の巣があるが、こういう場合どうしたらいいのか、とのこと。スズメバチではなくアシナガバチらしい。まさに蓮(はちす)の大きさで、2つある。私の知っている解決方法は「気付いた先生が学生課の蜂退治用スプレーで駆除する」というもの(ちなみにスズメバチなら保健所に連絡すればよい)。
 今日の場合、「気付いた先生」=私ともう一人の先生、になるのだが。結局その通りになった……。(スプレーが残り少なく、最初心もとなかったのだが、結構効いたので助かった。) 
 (以上、9日 記)

8月1日
 〈この時期(では遅い)毎年担当している仕事のための覚え書き〉
 今朝、機嫌よく共同研究室に行って、流し台の周辺を片づけていると、目の前を大きなゴキブリが走った(え〜ん)。
 そういえば、今年はまだ「コンバット」を替えていなかった。毎年拙宅のコンバットを替える時、だいたい2、3個余るので、ついでに学校にも設置するのだけれど。安売りの時に買い置きはしてあったのだが。早速今晩うちの分を替えることにしよう。
 明日は休みを取りますので、もしまたゴキブリが出現したら、他の先生方、退治しておいて下さいね。

7月30日
 そうか、まだ梅雨だったんだ……(例年よりかなり遅く、今日が梅雨明け、らしい)。

7月26日
 某FD。私が年に一度(たぶん)、Power Point&レーザーポインター(あるいは「レーザポインタ」←JIS的表記)を使う日である。
 Power Pointのファイル作成をしながら、我ながら去年よくこんなのやってたな、などと思ってしまう(人には笑われると思いますが、例えばグラフ機能を使うとか、表を入れるのにWordファイルを使った「オブジェクト」の挿入とか。印刷で「配付資料」を選んで、ページ設定で向きを変えるのも最初戸惑った。私の場合縦書き表示も必要だったりする)。逆に言えば去年の土台があったから、何とかなった。
 それから、去年は都合によりアニメーション機能を使えなかったのだが、今年は使えたので、グラフ表示などは反応が良かったように思う。ただの自己満足かもしれないけれど。
 ついでに、色遣いでいつも迷うのだが、最近は基本的には「シラバス色」に合わせてやっている。

 夜は大学生協の会議。
 この数年、何回この京都三条通を通ったことだろう。いろいろとしゃれたお店が並んでいるが誘惑に負けず、会場に向かう。途中「國島器械」という、理科の実験器具などを売っているお店があって、いつも気になる。
 さて今日は議長を担当。生協の会議というのはとにかく「着いたらまず弁当を食べる」。食べるのが遅い私は、最初余裕を持って会場に行っているのに、いつも食べ終わりが最後になり、会議が始まってしまうことが多かった。デザートとして付いているオレンジを食べる時間がなくて、いつも残していた(ごめんなさい。会議中に食べて芳しい香りをばらまくのも気が引けた)。
 最近は食べるのもやや早くなったし、遅刻して行っても最後まで残さず食べている……。

 (おまけ) 「ロール」の助数詞って「段」だそうだ。(「いくつかの段階に分かれているものの数を数える」((『学研国語大辞典』))ため。階段の「段」と同じ発想らしい)

(以上、7月31日 記)

7月21日
 ある新書を買って、家に帰りふとレシートを見ると「地図・ガイド」に分類されていた。なんか違う……。

7月17日
 本日の出来事からいくつか。(20日 記)

 @車の思い(=重い)
 今年に入って、私の車がたまには役に立っている。
 顧問をしている弓道部が奈良市内の弓道場を使うとき、弓道の的(まと)を持っていく必要がある。今までは他の顧問の先生に「おんぶにだっこ」、頼っていたのだが、このところ、誰も都合がつかない。人を乗せるのは怖いけど、まあ的なら積みますよ……ということで、今日が2回目。
 的って近くで見ると結構大きい。たらいかお寿司の半切りのような感じ。それを20個ほど積まなければならない。トランク、リアシート、助手席(下手に載せると、私の車の場合、シートベルトをしていないという警告音が鳴るので難しい)をフルに使って積む。外から見ると「何積んでるの?」という感じである。
 さらに今回は15〜16日が校内合宿で、その時に余った氷(10kg近くある)、ペットボトル(2g)8本、紙コップ等も引き受けたので、運転していても車が重いのがわかる。アクセルやブレーキの踏み方も違ってくる。しかもしっかりガソリンが減る。ガソリン節約の方法「無駄な荷物は積まない」というのがかなり効果のあることを実感する。
 一応車には「積んであげてね」とお願いをして、時々機嫌をとっている(←どうやって?)。

A恐るべし高校野球
 ↑というわけで、私が車を運転して行ける北限地、奈良市弓道場に向かう。朝8時半集合だったので、それに間に合うように運転していくと、鴻ノ池に近付くにつれ、普段と違って車が多い。何かあるのかな……と思っていると、警備員がいっぱい立っていて「満車」の表示を掲げている。「ドリームランド近くの有料駐車場を利用してください」とスピーカーで叫んでいる。指示に従わない車には怒鳴っている。信じられない。普段なら9時近くにならないと駐車場を開けてくれないのに。
 とりあえず、警備員の一人に「弓道場に荷物を運ぶので」と交渉し、通してもらう。部員に荷物を下ろしてもらい、やや離れた位置に立っている、のんびりした雰囲気の警備員に事情を聞くと、少林寺拳法の大会と、高校野球があるとのこと。高校野球関係の車が多いけれど、雨天なのできっと野球はコールドになり、昼頃には駐車場は空きますよ、との情報も。(ちなみに私より少し後に来られた先生は、渋滞に巻き込まれ、かなり大変だったようだ。)
 結局、教えてもらった通り、ドリームランド近くの民間駐車場まで運転する。「私が車で行ける北限地」の距離が延びる(ほんの400メートルほど……)。

B雀(すずめ)救出 その3
 合宿〜校外道場練習と3日間の日程を無事に終え、的を積んで学校に帰ってきた。明日の授業のプリントを印刷しなければならなかったので、的を弓道場に返した後、自分の研究室の近くの廊下を歩いていると、
  チュン!
という鳴き声。えっ、まさか……と思ったが、いた。いつもの屋上付近の行き止まりの階段に。
 「今日は休みで、ここの窓の鍵は借りられないのよ〜」といっても通じるはずはない。覚悟を決めて、捕まえようと階段を上ると、うまいことに3階の方に下りてくれた。これなら何とか逃がすことができる。
 さてどこに行ったかな、と見ると、私の研究室の前で、小首を傾げながら待っている。あのねえ……。その後、廊下を少しずつ西の方に飛んでくれて、その辺りの窓を開けまくったら何とか出てくれた。つづらはいらないから、無事で、あんまり建物に迷い込まないようにね(私が来なかったらここで一晩過ごしたはずである。あ、隣の研究室の先生が在室していたけど、気付いたかな?)。


7月10日
 町中で急に1時間空き時間ができたら、みんなどう過ごすのだろう。私の場合は何か本を買って、それを読むことが多い。
 先日もそのパターンで、随分前に立ち読みで読みかけていた本をめずらしくハードカバーで買った。確か77頁まで読んでいたはず。滅多に会わない従兄と待ち合わせして、時間があったのできりのいいところまで立ち読みして、そのままになっていた(余談:その従兄は先月意外なことで某全国紙の夕刊の一面に名前が載った。阪神株、買ってたんですね……)。
 本を読む理由として、例えば、話の展開が面白いとか内容に感心するとか、いろいろな要素があるけれど、私は印象に残ることばを得るために読んでいるようなところもある。
  恐がるのはやめよう。
 その本の最後の方にあったこのことばに、妙にひかれた。数日間、このことばを反芻しているうちに、心の中に確実に根を下ろすようになった。人は当然のことながら、これから先何が起こるか知ることはできないし、自分の選択が正しかったかどうかもわからない。極端な話、すぐ横を歩いている人の気持ちさえわかるわけではないのだ。でも、だからといって不安に陥っても仕方がない。もし、うまくいかなかったとしても、その時に自分のできることを精一杯すればいい。
 最近はこんなことを考えながら、結構機嫌よく過ごしている。

 (付記) 知人がいうには、お釈迦様の教えにも「不安がるな」というのがあるらしい。なるほど。

6月30日
 卒業生が挨拶に来てくれる。「読んでますよ」とのこと。どうもありがとう。(というわけで、↑の話を若干社会人1年生向けに仕上げる。7月10日 記)

6月22日
 今日も朝から事務室に走る。というのも、〈この時期なぜか毎年担当している仕事〉(2005年5月26日の記事参照)の「雀(すずめ)救出」のためである。
 自慢じゃないが私は耳はよい方である。1階の玄関を入ったとたんに、かすかながら「チュン、チュン」という鳴き声が聞こえた。3階に上って見ると案の定、雀が建物の中から出られなくて鳴いている。19日に引き続き、今週2回目。他の場所ならまだしも、行き止まりになっている屋上付近に迷い込んでいるので、事務室が開く頃に急いでカギを借りに行って、普段は閉まっている窓を開けてやる。空気がよどんでいる場所なので、この場所に少しいるだけで暑くて汗をかく。まあとにかくよいことをした。
 しかし、毎年「この時期」と、ぼんやり思っていたが、日付を確認するとほぼ1ヶ月近くズレがある。今年は勤務先の花水木が咲くのも遅かった(去年満開になったのは4月30日頃、今年は5月8日頃)。やはり今年は季節の巡りがやや遅いのかもしれない。

6月16日
 勤務先の生協職員の方が異動になるので、送別会。あまり知られていないが、勤務先に生協ができて早10年になるという。本当にお世話になりました、高専のことを真剣に考えていただいた方です……。(と、どのように感謝の気持ちを書いたらよいのか考えていて、そうだ、3年前から異動の可能性はあったのだった、と思い出す。あれから3年も経つけれど、個人的には相変わらず表現が下手な私である。でも読んでいただけるとうれしいものです。)

6月10日
 4月21日の続報。その後教壇は一番南側の台だけではなくて、中央の台もやや移動していく(その影響で余計に南側も動く)ことが判明。そこで真ん中の台にも「滑り止めシール」を張る。さらに、以前から自宅用にも探していた「家具転倒防止安定板」(薄いゴム板のような物で、断面は長方形ではなくやや傾斜が付いている。昔家具の下にかまぼこ板などを「かまして」いた、あの要領のもの)を100円ショップで発見したので、それを南側の台に「かまして」、現在のところ順調である。

6月2日
 学生にある電子データを渡そうと、FDに入れて教室に持っていくと、家のパソコンにFDドライブがないので……と言われた。急遽CDに焼いて渡す。普段文書ファイルしか使わない人間にはFDってけっこう便利なんだけど。まあたしかに自分自身最近USBを何本も使っていたりする。何となく時代を感じてしまう出来事。(9日 記)

 (おまけ) 最近「生体認証」なるものが出てきているが、何となく抵抗がある。というのも、昔読んだ星新一のショートショートの話で、ある財産家が指紋認証を使って、ロボットにありとあらゆる情報(銀行口座等の財産管理)を入れていたが、その指がつぶれて何も出せなくなった……というのを未だに覚えているからである。だから、指紋認証のUSBというのもどうも……。

5月30日
 最近の担任ネタ二題。

 @「羅生門」の授業にて。下人が今、盗人になるか飢え死にをするか、という状況におかれているところを読んで、「みんなだったらどうする?」と問いかけてみると、盗人になるという方に迷わず「は〜い!」と元気よく手を挙げた学生が10人近く……。どちらも選べない、という逡巡の気持ちを考えさせるための発問だったのだが。まあそれだけたくましいということか(←そういう問題ではない)。

 A他のクラスで授業を終えて、教員の大部屋に行こうと廊下を歩いていると、担任をしているクラスの学生が中庭を横切って実習に向かうのが見える。ついついしんがり(殿)の学生が走っていくまで見送ってしまう。木立の中、作業服の学生が授業に急ぐ姿を見るのはよいものです。ちゃんと実習やってるのかな、できれば初めて作業服を着たときの気持ちをいつまでも覚えていてほしい、などと思いながら。

 (おまけ) 実習の初回の日、M科の教室の前を通りかかった他のクラスの学生が「お〜、フル装備や!」と感動していた。たしかに、他の学科は上着だけだったりするが、M科は帽子から靴まである。

5月23日
 学生のスポーツ大会。
 個人競技として、「金魚すくい」もある(さすが、大和郡山)。担任をしているクラスの応援でいろいろな競技を回った後、一応様子を見に行くと、顔見知りの学生が何も言わないのにポイ(金魚すくいに使う、例の紙を貼った輪です)を手渡してくれる。
 久しぶりにやった成果がこれ。時間制限さえなければ、弱った、小さめの金魚が来るまでねばれるので、結構自信がある。それから未確認だけれど、多分勤務先で最初に金魚すくいをやった教員は私のはずである。確か着任した年からこの競技をすることになり、見回り業務に当たっていた私が立ち会っていると、教えていた学生が「先生もやりましょうよ〜!」としつこく言うのでやってみた。その時は全国大会用の公式ポイ(そんなものがあるのだ)で紙が薄く、すぐ破れた。優勝した学生でもすくえたのは確か2匹。その後ポイは素人仕様の物を使うように改善され、現在に至る。ともあれ、学生の皆さん、ご苦労さま。

5月15〜16日
 成り行きで、またまた自転車のライトとブレーキの修理を手伝う……(ちょっと勘が鈍っている)。

5月中旬〜6月中旬
 春休みの出張にからむ珍道中について。
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 3/27 「予兆」
 後輩より「郡山です」という見出しのメールが。えーっ、と思って本文を見ると「福島の郡山です」。なあんだ、じゃあ会えないな……でも、数日東京にいるとのこと。私も明日から関東方面に出張。ということで、急遽、東京で会うことにする。
(メールには、郡山駅の写真(掲載許可済)も付いていた。やはりカメラ付き携帯になるとみんな撮るんだな。)


 3/29 午前中 「珍道中その1」

 宿泊したところは「万葉集」の東歌(あずまうた)の地。万葉歌碑が6つほどあるので、歌碑巡り。

 宿屋を出発点として、昨夜下見しておいた小高い山の道を上り、そこからロープウェイに乗って降りれば、だいたい一筆書きでうまく回れる……という予定だった。
 まず上り20分弱の山道。この半年ほど誰も歩いてないんじゃないかと思うぐらい、落ち葉が積もっていて、結構急だ。そもそも服装もスプリングコートの下はスーツ(失敗)。もちろん誰にも会わない。一本道なので迷うはずはないのだが、ロープウェイの駅が見えるまで、ふと遭難するかと思った……。

 で、やっとロープウェイの駅に着き、無事歌碑発見。5分後ぐらいにちょうどロープウェイも来るし……と思ったら、駅員さんが出てきて、強風で運休だという(さらに失敗)。昔六甲山のケーブル駅でアルバイトをしたことがあり、ケーブルに連絡していたロープウェイ(現在は、六甲山頂〜有馬の路線を残し、廃線。残念)が強風でよく運休していた覚えがある。当分風が収まる気配もない。というわけで、もと来た道をとぼとぼ下り、遠回りをして残りの歌碑を探したのであった……。

3/28〜29

 この辺りは後輩の言う「みかん」電車ばかりである。思わず東京で会う予定の後輩にメールで報告する……(さすがに写真は撮らない)。

 下の「3月28〜29日」の記事に書いた桐生市に寄ってから、東京に出ようと思うと、@桐生から高崎まで戻り、上越・長野新幹線に乗る、A桐生から小山に出て東北新幹線に乗る、という簡単に言えば左に弧を描くか、右に弧を描くかという2つのルートがある。時間的にはそう変わらないので、行ったことのない小山駅経由の「両毛線乗りつくしの旅」をすることに。

 去年の夏にも宇都宮(東北新幹線利用)に来たので、これで「(だいたい東から西への順で)茨城県・栃木県・群馬県がある」という感覚と、JRと東武鉄道の位置関係もだいぶわかった(大雑把に言うと、東西にJRが走り、その所々を東武が南北につなぐという関係)。

 前橋〜桐生間には「国定」という駅があり、あの国定忠治の墓もある(駅から徒歩25分という看板があった)。
 赤城山もはっきり見えるわけではないが、だいたいあの方向だな……と車窓から眺める。

 両毛線は駅の間隔が長いから、各駅停車でも(各駅停車しかない)、結構速く感じるし、予想より楽だった。ステンレスの新しい車両だったのもシートが楽で助かった。でもやはり「鈍行」なので、小山駅では、地下のようなすごく暗い虐げられたプラットホームに着く。そして、やはり「みかん号」が多い。あとで後輩に、上記の遭難未遂も含め、「やっぱり珍道中になった〜」と言うのであった。

 というわけで、予定通り後輩と待ち合わせ。でも何で関西圏の二人が東京で会っているんだ(しかも去年に引き続き、東京で会うのは2回目)、と笑い合う。

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5月10日
 つなぎに担任ネタ(?)。
 ひょんなことから「機械製図」の教科書を渡される。見ていると結構面白い。他の分野と共通する事柄もある。「引出線」などは校正用語だと思い込んでいたが、製図でも使っている。「面取り」に至っては料理でも使う用語だ。
 そして寸法などは、現場でその図面を見る人の身になって、いちいち計算しなくてもすむように記入する、という注意点もある。相手のことを考える、これは文章を書く心がけと一緒である。

4月28日
 友人(後輩)が映画の試写会に当たったと誘ってくれる。その会場、私は行ったことがなく、後輩はうろ覚え。というわけで、やっぱりちょっとだけ珍道中になった(2004年12月27日の記事参照)。でも久しぶりに一緒に食事もできて、楽しく過ごす(この間会ったのは一月前、なぜか東京で。これにからむ「珍道中」は連休中にでも掲載予定)。

 (おまけ) 映画のイギリスでのシーン、あれはGateshead Millennium Bridgeだ、などということに気づいたのは何人いただろうか……。

4月23日
 昨年と同様、しばらく更新をサボってしまいました。とりあえず、4月の出来事からいくつか。
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4月21日
 以前、1年生を教えていた時から気になっていたのだが、うちの教室の教壇、3つある台のうち一番南側の台にややゆがみがあり、教師の乗った振動で少しずつ動いてしまう。そこで100円ショップで調達した「滑り止めシール」を今朝、底面に張ってみたのだが、さて効果のほどは?

4月13/14日
 知る人ぞ知る、私の某記録更新。それから……。

 (おまけ) 担任をやって初めて知ったこと。安全靴って、サイズ24cm未満のものは特注になってとっても割高になるそうです。だから24cmのを買って、中敷きで調節するとか。まあ伸び盛りの男の子だとその方がいいかもしれない。でも女の子では大人でも23cmぐらいが普通。そうか、安全靴を買う女性っていうのは日本全国でもまだまだ少ないのだろう。安全靴を履いて製造ラインで働く女性が増えたら、特注でなくなるのかもしれないな。
 
4月11日
 顧問をしているクラブの、学生三役と顧問の会議を私の研究室で開催する。ちょうどクラブ施設の改修中で、柱の塗装について事務のほうから希望の色の問い合わせがあったので、学生に「どんな色がいい?」と聞くと、研究室に置いてあった「ほうじ茶」と「煎茶」の箱を見つけ、この色がいいという。色調って言葉で伝えるのは難しいし、結局会議が終わってから、学生と他の先生方に笑われながら、そのお茶の箱を事務に持って行って説明したのであった。

4月7日
 いよいよ入学式。
 クラス毎の記念写真撮影、3年連続して関わっているので勝手知ったるものである。専攻科から始まって6クラス分あり、1クラス5分程度かかるのがわかっていたので気長に待つ。でもこれ初めてだと結構気がもめるかも。C科とM科とで約20分のタイムラグ(以前担任した時は3番目だったことになる。最後のクラスは随分待たされたのでは)。
 これから1年の担任を持つ先生方、いくら頑張ってもこの程度は時間がかかりますので、ご了承を。

 (おまけ) 保護者との懇談、思わぬところで笑いをとってしまう……。

4月5日
 また一番前……。(眺めはちょっと違うけど)

4月初め
 研究室の前の表示を張り替え。私の居場所表示と時間割を新しいものにする。居場所には「1M教室」を追加。それから私の趣味(犬)の写真も、柴犬がたくさんいるのにする。(この写真のように仲のよいクラスになりますように)

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3月28〜29日
 ↓という話を書いた後、ふと気づいたのだが、この度の出張先は群馬。某所にテキサンが展示されているという話を思い出し(勤務先の広報誌80号、2000年3月発行の記事参照)、ついでに見に行くことにする。(4月9日 アップロード)

3月23日
 この間、久しぶりに実家に帰ったら、親が「一昨日テレビで零戦の話やってたけど、高専にもあるよね」と言う。いや、あれは零戦じゃなくて、テキサンという練習機で、昭和40年に防衛庁からの管理換えとやらでうちの学校に来て……と一応知っているかぎりの知識を披露する。
 親は他にもいろいろテレビで見ていたらしく、飛行機や戦艦などの当時の技術が結局は新幹線やロケット開発にも役に立っている、という話になる。そして「まあ、当時の技術を見習え、というようなことで飛行機があるんかな」と親は言う。戦争を知っている世代は戦闘機の類は毛嫌いするかも、と少し心配していたのだけれど、そういう風に「高専のシンボル」を見てもらえてほっとする。本当のところは分からないけれど、こういった技術をこれからは平和のために生かしてほしい、という意味があるのかな、と思ったりもする。
 多くの零戦が操縦士とともに海の藻屑になったことを考えると、テキサンは数年前に塗装もやり直してもらい、高専のシンボルとして大事にされて、結構幸せかもしれない。今日入学予定者オリエンテーションに来た、4月からの新入生はどんな風にテキサンを見るのだろうか。

3月17日
 卒業式である。
 私が初めて担任をしたクラスの学生も卒業。思わぬ(ごめんなさい)学生からこのページを見ていると言われ、嬉しいような恥ずかしいような(やっぱりこういうことってあるんですね)。でも頑張って更新しようと思ってしまう。
 某先生にも指摘されてしまったけれど、皆で一丸となって何かしようという「熱い」クラスではなかったし、担任としてもっとできることがあったのでは、という気持ちは未だにある。他の先生方から見ると、さらにいろいろとご指摘を受ける事柄があるかもしれない。
 でも学生は学生で、何やかんやとお互い助け合ったり、卒業までにやめてしまった学生とも連絡を取ったりしていて、まあ自分たちで「ちゃんとやっている」、うまく言えないけれど、大事なものだけは失わないでいてくれたのではないかと勝手に思っている。
 卒業おめでとう。そして、ありがとう。これからの皆さんの人生、もちろんいろいろあると思いますが、人として「大切なこと」を見失わないようにして頑張って下さい。

3月12日
 某書類の作成について。
 まず、必要添付書類を揃える。これは数カ所から手元に届く度に、目立つ色の封筒に全部入れてあるので問題なし。おまけに某大学は、こちらから特に催促もしないのに、この3月までの分をきちんと郵送してくる。さすがだ(私の経験では意外にこういう大学は少ない)。
 次に記入。出来心(?)で「ホームページに手伝わせ」て見たら、楽勝だった。足し算引き算はもちろん、場合によっては表などで求めなければならない値も自動的に入れてくれる(いくらなんでもバグはないだろう)。
 但し、紙資料でのもともとの記入方法(つまり、理論というか手順、流れ)が頭に入っていないと、ブラックボックスになる恐れもある。もちろん「とにかく、画面に出てきた通りに、とにかく、入力すれば(本人が自分が何をやっているのか分からなくても)、出来上がる」というのはある意味で大事なのだろうけれど。やっぱり自分が納得しておきたい、というのはある。 (14日 記)

3月3日
 試験ネタ。
 @語句の意味問題。「寡作」と「佳作」とはかなり違うんだけど……。
 A漢字の書き取り。「ぎんみ(吟味)」を「珍味」と書き間違えたのが複数いたのには笑ってしまう。
 (おまけ) 113系の謎も解け、今日も星がきれいです。

2月25日
 最近さすがに疲れているようだ。(また更新しないまま日にちが経っている……)
 でも、このHPのモットーは「@愚痴を書かないA人の悪口を書かないBできれば読んだ人にお役に立つ情報を入れる」なので(実はそうなのです)、そういう方向でまとめてみる。
 疲れているとついうつむきで歩くことが多くなるけれど、それは余計よくない、というのを昔何かで知った。だから、帰り道、なるべく空を見上げることにしている。
 歩きながら上を見ると、星がよく見える(奈良は星がきれいである)。そしていろんなことを思い浮かべる。
 百敗の民、か。
 それでも、そこを故郷とする人がいて、そこで生きている人がいて、そこが故郷になる人がいる。
 そんなことをとりとめもなく考えて、少し元気になる。
 (と、ここまで書いて、やっぱりうまくまとまらなかった。極めて個人的な文章なので、読み捨てて下さい)

2月10日
 先日学生に「1月27日から更新してない〜」と言われてしまったけれど、やっと更新しました。この間またパソコンのトラブルもあったし、いろいろネタはあるのでまた今度。とりあえず下の2日分をご覧下さい。
 (おまけ)先週某所で書類を書いている人に「今年は平成何年でしたっけ」と聞かれた。私も学生時代、大学院の事務室で同じ問いかけをしたことがある。1〜3月の時期は紛らわしい。西暦でもそれは同じである……。

2月8日
 たまに気が向いたら職場に花を持っていく。そんな高価なものではなくて、家のベランダで咲いたものとか、200円で買った花束の量が結構あったのでいわばお裾分けとか。
 今週6日の月曜日にお裾分けの桃の花を持っていった。そしたらいつの間にか梅の短歌を書いた小さな短冊(?)がついていたのはまだよいとして(早咲きなので梅と思われたらしい)、その後「TOEIC400点突破」とか「祝卒業」「単位ください」などとついていた。七夕じゃないんですけど……。
 (9日追加) さらに星と短冊(?)が増えている……。
 (10日追加) でもやっぱり家で咲いたものを人に見てもらえたら嬉しいと思う。

2月4日
 なぜか見てしまったもの。
 @昨日3日のY中央道での自動車事故(学生の間で噂になったかもしれない)
 A大阪環状線の201系車両(噂?でもないか)
 B神戸三ノ宮にオープンした東横イン(かなり噂になっているだろう)
 (以上、10日アップロード。また近日中に説明文をつける予定です)

1月27日
 卒業アルバム作成に使うというので、以前担任をしていたクラスの写真を学生に貸していたのだが、それが返ってきた。まだ、デジカメ導入以前(!)で申し訳なかったのだけれど、スキャナで無事読みとれたらしい。よかった。
 貸す時に古い写真を発掘していたら、余ったフィルムで撮った、「鹿と私」の写真(後輩と行った正倉院展の時)と、和室が仮の研究室だった時の写真が出てきた(ともに2001年11月撮影)。そうだ、着任してから3年の間に2回も私の研究室は改修工事に引っかかってしまったのだった。だから最初は仮住まいが多かった。やっと今の室に落ち着き、これで5年目になる。
 その時1年生だった学生がこの3月で卒業。今年は5学科共同で卒業アルバムを作るという。何となく嬉しい。(29日 記)

1月23日
 ちょっとした用事で、学校→泉原町→松尾寺口→(目的地)→松尾寺口→小泉駅→郡山駅という経由で帰宅。で、CI-CAに関する覚え書きその3。
 まず学校→泉原町は乗車時と降車時にカードをかざす。次は初めて乗る泉原町→松尾寺口の路線。周りにいたN学園の生徒さん達(おそらく定期券使用者)が特に何もしていなかったので、そのまま乗ってしまった。でも本当は乗る時にもカードをかざさなければならないのである。失敗。最後は乗車時にかざして無事JRの駅へ(降りる時にも読み取り機を通したように思うけれど、今頃になって記録しているとちょっと自信がない)。
 以前見たCI-CAのパンフレットには「住宅地→駅」とか「駅→住宅地」という言葉で説明があったのだけれど、何となく「住宅地」っていう定義がわかりにくい。路線によっても違うようだし。(29日 記)

 (おまけ) 松尾寺口付近は、車の免許を取る前に教習車でよく走っていたので、ちょっと懐かしかった。
 (おまけ2) 泉原町でバスに乗る時、なぜかN学園の生徒さんが順番を譲ってくれた。以前もバスで席を譲られたことがある。ありがとう。

1月21日
 この間からふと思い立って某所の地図探し。最初、携帯電話のGPS機能でその場所の地図を表示してみると、思いの外正確なことに感動。これがパソコンに落とせたらいいのに……(携帯のはあくまでもナビゲーションシステムのため、このデータを取り出すことはできない。残念)。というわけでインターネット検索。
 実は数年前に同僚の先生が探してみたが、詳細なものはなく断念していた。でも、携帯でこれだけ正確なものができたのだから、以前よりはましなのがあるはず。まず普段旅行に使っているyahooの地図では大雑把。次に衛星写真でその地点らしき場所を見つけるが、今ひとつ自信がない。そうだ、携帯のGPSで緯度と経度はわかるから、それで確かめよう……と、携帯の登録地点の「位置情報詳細」でN34゜**’**.***”とE135゜**’**.***”を確認。場所は合っていたけれど、木がうっそうとしていて肝心の道はあんまり写ってない。
 結局、「(その地名)+地図」というキーワードで検索すると結構出てきた。とりあえず2種類ほどプリントアウト。今まで何回も行っているが、改めてエリア内のいろいろな配置を確認できた。納得。
 で、今日、一週間遅れで新聞の土曜版を読んでいたらちょうどHPの地図サービスの記事が。やっぱり数年前より進んでいる。私がプリントアウトしたのは記事に載っていないゼンリンとマップファンのものだったが、他にも結構あるらしい。便利になったけれど、本屋さんで地図を買う人はきっと減るのだろうな。

1月14日
 カルチャー三昧の一日。まず午前中は社会人向けの古典講座(これは自分が話す)。今年度最終回「宇治拾遺物語」、無事終了。
 午後は展覧会のはしご。最初は「金沢文庫の名宝」展。仏像や仏教関係の宝物が中心テーマなのだろうが、その辺は適当に見て(あるいはすっ飛ばして)、古文書類をチェック。行き帰りに久しぶりに鹿を見る。雨の中鹿も少しおとなしそうだ。
 それから神戸の美術館へ。この美術館は金・土曜日夜8時まで開いているし、雰囲気もいい。レストランで夕食をとって海を眺めると落ち着く。某宣伝ではないけれど、まさに「神戸休暇」。本当は一度昼間に来たいのだが(近くには「人と防災未来センター」もあるけれど、まだ行っていない)。
(18日 記)

1月8日(承前)

 @携帯電話の機種選択
 これに時間がかかると思って、この連休中にお店に行くことにした。別におサイフケータイは必要ないし、5人一緒に話すこともない、カメラもなくていいと思っているぐらいで、とにかく薄くて軽いのがいい……と言ってみたら、最近はカメラ無しという機種もあるとのこと。でも大きさはあまり変わらないし、やっぱりこの際カメラ付きのFOMAにしよう、と結局別に薄くも軽くもない、普通の大きさのものから選択することになってしまう。
 機能なんてどうせあまり変わらないだろうし、あとはデザインや色の好みかな、といろいろ見ていたら、店員さん曰く、「これはGPS機能が付いています。GPSの付いた機種はこれだけですね」。「……じゃあそれにします」と私。というわけで(どういうわけだ)機種は決まり。あとは色。白か水色かで5分ほど迷う。でも結局第一印象のよかった白にする(水色の方はややクールな感じがしたので)。ここまでが昨日の話。

 A私の居場所は
 学校で漢字テストのプリントを作っていたら帰りが遅くなったので、閉店前30分ほどの時間にやっとお店に引き取りに行く。
 今まで使っていた携帯はずっと私の手元にあるのに、受信/拒否設定なんかもそのままきちんと引き継がれている。当たり前なのだろうが感心。でも初期設定では開け閉めするだけで♪シャラララ〜♪と鳴るし、音も大きくてうるさい。まず家に帰って音量調整。それから待ち受け画面を予定通りの設定(うめちゃん)にする。
 そしてGPS機能。最初は測位レベルを低く設定していたので郡山城付近という結果が出てしまったのだが、レベルを上げてみると、ほぼ正確に私のいる場所を示してくれる。すごい。地図も何種類か出る。詳細地図を表示してみると、私は旧ジャスコ駐車場跡地で寒さに震えていることになるのだが、まあこの程度の誤差はご愛敬。うーん、これはハマる。おまけに位置履歴も50件まで記録される。今度は職場で試してみよう。

 BminiSDカード
 最近の携帯はminiSDも使えて、電話帳なども保存しておくことができる。これなら携帯が壊れても安心。でも自慢じゃないがminiSDなんて今まで使ったことがなかった(デジカメでSDカードは使っているが)。最初携帯にセットするとき、「入らない……」と思ったのは私だけだろうか(明らかに大きさが違うと思ったら、miniSDアダプタに入っていて、いわゆる「入れ子」のようになっていた。ここから出して入れるのだった)。一つ賢くなった……。

1月7日
 ついに携帯電話の機種変更をする。
 年末に、使っていた携帯電話がなぜか電波を受信していない状態になり、さらにさわっているうちにパソコンでいうフリーズ状態になってしまった。いよいよ壊れたのかと焦ったが、電池パックをはめ直すという荒技で一応復旧(この方法はデータの消えるおそれがあるためお勧めしません)。よく分からないけど、何回か落としたりしているうちに少しずつ緩んでいたのかもしれない。電池パックも寿命が来ているみたいだし、とにかく「生きている」うちに新しい機種に変えておこうと決意した次第。
 後輩から以前より時々ドコモの携帯に関するレクチャーを受けていたのだが(movaとFOMAは通話エリアに若干の違いがあるとか)、年末会ったときに機種変更の話をしたら「待ち受け画面のキャラクターが気に入って私はこの機種にしたけれど、最近のはカメラが付いているから好きな画像にしたらいいし」の一言。あっ、そうやね、じゃあ……という私の目線の先を見て後輩が笑って言った。「うめちゃんでもいいんですけど」(←身内にしかわからないネタですみません)。
 機種は今日決めたけれど、切り替えのため受け取るのは明日。さらに、私の現在の機種が古いため、データの移し替えは、他の大きな店に行ってやってくれという。でも4年5ヶ月使っていたお陰で、ポイントだけはたまっていて、無料で機種変更できた。(この文章明日の分に続く)

1月6日
 めずらしく弁当を作っていったお陰で助かった(会議の連続で昼食時間がほとんど無かったので)。で、なぜ弁当を作ったのかというのがこの文章のテーマ。
 冬休みや春休みなど授業のない期間はあまりおなかが減らず、今回も買った食料が余ってきた。捨てるのももったいないので、残り物を適当に電子レンジで温めて詰めたら一応立派なお弁当になってしまったのである。授業をするというのはかなりのカロリーを消費しているんだなと実感する出来事。
 でも、他の先生方はそうでもないらしいので、単に私が相変わらず外回りの仕事を多くやっているということだけかもしれない……。(以上、9日 記)

1月3日
 某新聞に載っていた「あなたの趣味は何ですか」の記事。ぎりぎり30位に入っていたある趣味に対する「意外に浸透せず」というコメントはどういう意図なんでしょうね。

1月2日
 三ノ宮の喫茶店で、時刻を確かめるのに携帯電話の時間表示を見ていたら親に、腕時計は持っていないのかと聞かれた。実は年末12月の14日、ちょうど試験期間が終わったときに電池が切れて、百貨店の時計売り場に持って行ったのが23日。年末年始の休みに引っかかってしまって返ってくるのは下手すると1月中頃になるらしい。まあ職人さんが見てくれるわけだし、しょうがないか。塩尻で年を越しているのだろう(たぶん。盛岡ではないと思う)。無ければ無いですませているけれど、そろそろ少し心もとない気持ちになる。今頃どうしているのかな。