仕事の周辺  2005

 以前、某新聞の夕刊に「仕事の周辺」という著名人のエッセイの連載がありました。
 それほどのものではありませんが、たまに何かお役に立つ情報があるかもしれません……。


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12月24日
 買い物に行こうと車のエンジンをかけたら「メリークリスマス!今日は12月24日、土曜日です」と車が(正確にはカーナビが)しゃべってくれる。おぉーっ、こんな機能があったとは。(普段は「今日は○月×日、△曜日です」という日にちのみが音声で出る)

12月22日
 雪である。
 交通機関も影響を受けたりしていたようで、予定していた仕事(広報関係)が中止になり、代わりにふと思い立って、「高専の雪景色」を撮る(採否は未定)。

12月21日
 今年の流行語は「萌え〜」だそうだが、この語に関して二題。
 @「舞姫」の授業中、「主人公がエリスに出会ったときの第一印象は?」と聞くと、「萌え〜」という答えが返ってきた。まあ、話の内容は分かっているようだ……。
 A日本語に関する評論を読むため、「一語文」の説明をし、「一語文の例を挙げる」という問題をさせてみると、また答えは「萌え〜」。たしかに……。
 ついでに、試験ネタも書いておくと、森鴎外の作品名を挙げるという問題では「新・舞姫」という珍答があったけれど、ほかは「青年」「雁」「高瀬舟」等で、誤字もほとんどなかった。中にマイナーな短編名を挙げた学生がいて、その作品を確認しているうちに、たしか私も高校生の頃、同じ短編集に載っている「堺事件」などというマイナーな作品を試験で書いたような気がする……というのを思い出してしまう。

12月10日
 研究会の発表を聞きに某大学に行く。「第1学舎2号館○○教室」ってどこだっけ……と思っていたら、学生時代によく教養科目の講義を聴いていた大教室の一つだった。正門はかなり前に大規模な改修が行われて、スポーツ関係の「○○優勝おめでとう!」とか「祝・○○球団入団」といった垂れ幕があったりするし、他の建物も新しくなったり工事中だったりするのだが、この一角だけはまだ手つかずで、教室の中もほとんど変わっていない。高専の大視聴覚室をフラットにして、色を地味(茶系統)にして、500人(と聞いたような記憶がある)入れるようにしたような教室。おまけにたしか入試を受けたのは同じ建物の一階の教室だった。まあ、いろいろあったなあ……。(21日記。年をとると「……」が多くなるようだ。お許しあれ。)


12月6日
 広報のお仕事、一つできたと思ったらもう次を用意しなければ間に合わない。というわけで次の準備。
 そうか、Webページなら動画が入れられるんだ、ということに気付き(これまで紙媒体のものしか扱ったことがなかった)、学校のVAIOノートにホームページ・ビルダーをインストールして、「ファイルの挿入→ビデオファイル」というものをやってみると簡単にできてしまった。一応プレビュー画面では正常に動いている。でもまだ動作確認するまでは油断できない。
 もし公開したときに動画が付いていなかったら、挫折したと思って笑ってやってください……。
 (8日アップロード)

11月30日
 やっと平常業務のみに落ち着いてきたので、懸案だった広報の仕事を午前中3時間集中して仕上げる。文章は高専祭の待機中にほぼ仕上げていたのだが、トップページや写真のレイアウト等、最初イメージが固まるまで結構悩む。別にロゴなんかに凝らなくてもいいのだろうが。壁紙もしつこくならない程度に使用。
 でもまたこの仕事のお陰で、今までできなかった「写真を2枚並べて配置」とか、「写真の周囲の余白調節」などということもできるようになった。立場上名前が入っているだけの委員だったけれど、これで職務も一応果たしたことになる。画像等がたくさん入ったファイル保存のために、ついにUSBメモリなどという物も使っている(これは私にとってかなり画期的なことである)。
 あとは公開後の皆さんの反応。楽しみなような怖いような。

11月26日
 メール二題。

 @ボツビアの泉
 以前、同僚の先生のブログを拝見していたら、その先生宛に「トリビアの泉」から、ある作家に関して問い合わせがあったとのこと。残念ながら今のところ番組には取り上げられていないが、へえーと思いながら読んでいたら、しばらく経って、今度は私に、言葉についての質問が来た。内容が少し漠然としたものだったので、方向性みたいなものを記しておいたのだが、その後、音沙汰がない。どうも没になったみたい。ああいうTV番組の陰にはたくさんの没葉書があるのだろう。
 それはともかく、全国ネットの番組だから主に東京方面の人に問い合わせをするものだと思っていたのだが、こんなローカルなところまで問い合わせが来るというのに感心した。関西人だったら何か面白いことを言ってくれるかも、というねらいなのだろうか……というのが同僚の先生の見解。

 A硝子さん
 1ヶ月ほど前から、職場のメルアド宛てにいわゆる「出会い系サイト」からの迷惑メールが届き出す。他の先生方にも届いているらしい。でも、この私に「お金を払いますから私と会って!」と言われてもね。おまけに名前が「硝子」だったりするから「旭硝子」のCMを連想してしまう。
 これ以前は「金儲けの方法教えます!」というのがたまに来ていた。いつの間にか来なくなったけれど。
 でも、私に来ている迷惑メールの数は少ない方らしい。そのことのほうが結構こわい。仕事妨害だよね。


11月20日
 やっと更新できる状態になりました。この2週間ほどの出来事を以下にまとめておきます。
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11月19日
 昨日から今日にかけて久しぶりに神戸に帰ったら、またコレクションが増えてしまった。例のアヤシイ葉書(2月27日の記事参照)。まだ性懲りもなくやってるんだな、これで4枚目……。
(注:最近は本当に裁判所に簡単な裁判を起こすという新手の詐欺もあって、この場合はちゃんと裁判所に連絡しないと判決がでてしまうそうです。とにかく素人には判断つかないので、消費者センターに相談に行ってくださいね)

11月18日
 午後、毎月恒例の銀行振り込みに行く(愛車の駐車場料金)。この銀行のATMはのぞき見防止のため、暗証番号入力画面の数字配列がランダムになる設定なのだが、今日出てきた画面は普通の並び方。却って戸惑ってしまう。それともこれは大当たり?(違うって)
 (おまけ) ということは、もはや一ヶ月、じゃない、三週間経っている。今月は特に時間の経つのが早かったような。

11月17日
 身内からメールが来ていて、このページが読まれていることを知る。身内に読まれるのはちょっぴり恥ずかしいのだけれど、まあ近況報告と思って読んでもらえればいいかな。
 で、リクエストのあった愛車ネタ。大和小泉駅前のスーパーの駐車場、最初は係の人が立っていて、出入りの際の駐車券を取ってくれていたのだが、最近は無人。入口が上り坂になっているので、運転の下手な私はうまく横付けできず、いちいち車から降りている(情けない)。でも出るときは、何とか機械の横に停めて、窓から券を入れられるようになった。ささやかな進歩。紀宮さんも同じような経験をしているのだろうか……。

11月15日
 「広報誌の写真を撮る」という名目で鍵を借りて、立ち入り禁止の場所に入れてもらう。写真を撮り終えた後、せっかくだから10分ほど一人でぼ〜っとする。普段は見られない眺めを見ながら、うちの高専の神様っているのかな、もしかしたらそのお陰で落ち着いて対処できたのかもしれないな、などと考える。
(肝心の写真ですが、今年は紅葉があまりきれいではなかったので出来は今ひとつでした)

11月13日
 某研修に行くため、JR京都駅から山陰線に乗る。前の舞鶴行きの時も同じホームから列車に乗ったので迷わなかったのだが、そのプラットホームになぜか沢山人が並んでいる。どうもトロッコ列車に乗りに行く観光客だったらしい(帰りに「みどりの窓口」で「本日、トロッコ列車は満席です」という旨の張り紙を見かけた)。
 そのトロッコ列車には、開通して間もない頃母親と乗ったことがある。いいなあ、私も観光に行きたい……という誘惑を何とか振り切って大学に向かう。衣笠キャンパス、なかなかきれいでした。

11月9日
 上司(というのかな)に「代休を行使していいですか〜」と、一応お断りして、夏物(!)の洗濯をすませ、夕方から義理の兄が勤める劇団の大阪公演を観に行く。
 会場は、大阪城公園駅にほど近い劇場だったのだが、電車の時刻をインターネットで検索したら、なぜかJR郡山駅から@大阪駅を経由する経路、A西九条駅で乗り換える経路、しか出てこない。何で天王寺駅で乗り換えさせてくれないのかな、母親が乗る神戸線の検索はうまくいったのだけれど、と思う。
 インターネット検索は便利だけれど、やはり落とし穴がある。後日、東京に遊びに行った母親の案内のため、姉がインターネットを使ったときも、某所の最寄り駅がなぜか地下鉄線になっていて、わざわざJRから乗り換えたのに、本当はJRの駅からも歩けたことが判明した。私も13日、某研修のため立命館大学に行った(上記記事参照)のだが、53系統のバスなんてインターネットの案内には出てなかった(結局このバスが一番便利だったのだが)。
 教訓。やっぱり情報は直接当たって確かめましょう。

(余談) また母親がしっかり「いかなごの釘煮」を持ってきてくれた。すみません。
(おまけ) 直接確かめた情報。CI-CA実験第2弾。JRの改札も大丈夫だった。でもピタパはどうなるのかな。

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11月4日
 高専祭前日である。校門やステージ付近で学生が明日の準備をしているのを見回る業務。で、そろそろやばいかな……と思っていたらやっぱり言われてしまった。「先生、最近更新してませんね」。ごめんなさい。CI-CAのチャージ機が営業所横にできたとか、相変わらず外回りの多い私の分担表(今日は予定表では8:00〜12:00まで校門の立ち番)を見た学生に笑われたとか、ネタはあるのですが。
 さすがにこの時期は忙しい。またいかなごの釘煮を切らしてしまった(2004年4月29日の記事参照)。でも今年は口内炎はできずにすんでいる。大人になると変に外食するより、一日2食でもしっかり自炊する方がいいのだろうか……(学生の皆さんは真似しないでください!)。
 先日までは毎年恒例の某申請書類の仕事もあった(出してから、また自分の年齢間違ったかも……と気になってしまう)。やっと提出し、久しぶりに「トリビアの泉」を見ていたら、「日本国語大辞典」が解説VTRに出てきた。確かにこの辞典は信頼できるし、実は私もちょっとだけお手伝いした。で、先ほどの申請書類はのり付けし冊子状にして提出するのだが、のり付けした後の重しに、そのありがたい辞典を使ったのは私です……(最近その辞典の本来の使い方をしていない。すみません)。
 ともあれ、このページ、5Tの学生が結構読んでくれていたんですね。元担任としてとっても嬉しい。また暇ができたら更新しますので、高専の紅葉風景でもご覧下さい(クイズ付き)。

10月23日
 入試説明会2日目。今日は午後からは仕事がなかったので、いくつかの学科の見学に行く。
 @AIBO、思っていたよりも機械っぽくなくてなかなかかわいい。
 A今年力が入っているという某学科。廊下に貼ってある研究室の配置図もわかりやすいなど確かに熱心。
 B某学科のゲームで高得点を出す。
 Cついでに、女子生徒や身長の低い人の立場でゲーム時間等の改善案を出し、採用される。
 D見学してもいいかどうか迷っていた展示場所。新ネタがあるというので遠慮なく見に行く。何気なく顔見知りの学生に「今年の新ネタってどれ?」と聞いたら「さあ?」と言われてしまったけれど、ふと見ると目の前にあった。予想していたよりもコンパクト。せっかくの機会なので少しさわらせてもらう。
 E毎回のことだけれど、違う建物で結構共通するものをやっていたりする。素人としては、いろんな人が集まってにぎやかにやった方が刺激もあって面白いと思うのだけれど……。
 F友人からの情報では、大阪の私立高校も同じ日に入試説明会をやっていたらしい。

10月22日
 (その1)CI-CA(8月31日の記事参照)について。14日、午後出勤の日ついにバス営業所で購入。ちょうど13時、たしか営業所は昼休みがあるはず……と思いながら窓口へ行くと係の人がいきなり「中に入って。シャッター閉めるから」と言う。昼休みというのが13時から14時だった。お陰でカードに入力するパソコンも見られてよかったけど。
 その他いろいろ疑問点はあったが、一つは一昨日実験済み。後は肝心のチャージ方法。今日の帰り、駅前で降りる時に試しました。
 簡単にまとめると、@運転手さんに言って運転席横の機械にカードをかざす(残高の確認)。Aチャージしたい金額(普通か昼間かという区別も)を言って、運転手さんが入力するのを待つ。Bお金を入れ、機械にチャージ金額が表示されるのを確認(例えば入金額が5000円ならチャージ金額としては5700円が表示される)。Cカードを再びかざすと、チャージ完了。という感じでした。

(その2)今日は入試説明会1日目。割り当てられた案内所にはあまり人が来なかったので、同じく手持ちぶさたの学生と雑談。↓のCのロケ地を教えてもらう(半分は正解。城東貨物線と梅小路蒸気機関車館でした)。さらに去年学会で高岡に行く時に見たカメラの放列の中に、その学生のいたことがわかる(2004年10月16日の記事参照)。偶然とはいえ、お互い笑ってしまう。
 (以上23日 記)

10月13日
 @夜中に、「付いてきた仕事」の校正。業者に依頼する最初の時、やはり色調はプロに任せよう、と「秋らしい色合いで適当に」とお願いしたのだが、ふと気づくと、以前書いた冗談が冗談でなくなっていた……。

 A朝、TVから聞こえる交通情報。「……大和小泉・郡山間の踏切事故のため、遅れている列車があります」。えっ、この言い方だと大したことないのかな、でも学生がまた遅刻してくるかも(以前も木曜日に近鉄のかなり大きな事故があった)、と思っていたら、遅延証明を持ってきたのは1名。しかもこれとは別件だという。ともあれ、やはり普段通り電車が動いているというのは本当は大事なことなんだな、と思う。

 B気にしないでおこうとは思うのだけれど、時々、壁の前でしばし佇む。

 Cもう一つの「付いてきた仕事」。今日のは簡単に言えば映画上映の司会。一応東映制作だったし、結構有名な俳優さんも出ている。個人的にはロケ地が少し気になってしまった(多分淀川。別のシーンでぼんやり見えたのが「神戸」の文字のようだった。でも他の場面は吹田の可能性も。多少は制作時と今とでは変わっているのかもしれない)。

10月9日
 昨日の午後と今日は学会のため京都に行く。今日の最後は恩師の発表。相変わらずお元気で、しかもウケていた(というのは冗談ではありません。知る人ぞ知る、もしテープ起こしすると(笑)の字が7回ぐらい入りそうなご発表でした……)。
 その後友人二人と久しぶりに食事。友人の一人は、恩師を中国文学者にすると多分高島俊男氏のようになるだろうと言う。そして氏の本を薦められてしまった(お言葉ですが、その本は存じております)。ちなみに私はもともと一海知義先生(元神戸大の中国文学の先生)のファンである。

10月8日
 毎月恒例の社会人講座の日。今日は「源氏物語(一)」。昨日準備をしていて、『紫式部日記』が必要になり焦ったが、よく考えたら索引付きの物をしっかり買っていた。ちゃんと必要なものは揃えてあるんだな、我ながら感心するけど、問題はそれを使って勉強する時間……。だから、こういう機会に少しでも古典を読めるのは嬉しい。

10月7日
 先日の舞鶴に引き続き、また高専関係の出張。今日は午後からの日帰りで、場所は大阪だったので楽でした。帰りに噂(?)の、貸し切り「鮮魚」表示の列車を見かける(えっと、詳しくは知らないのだけれど、魚の卸の人が荷を運ぶための専用列車らしい)。
 舞鶴出張の時は、電車の切符を同僚の先生がまとめてとってくれたのだが、なぜか復路の指定券が、わざわざ綾部駅で違う車両に移動しなければならない設定になっていた。そんなに混んでいたわけではなかったので、結局他の高専の先生方と一緒に5人、自由席で帰る。
 (これも解説しておくと、東舞鶴〜京都間は「まいづる」という直通列車があるのだが、途中の綾部駅で、余所から来る列車と連結する。それで、なぜか東舞鶴〜綾部は「まいづる6号」の指定席、綾部〜京都はその連結された「たんば6号」の指定席という切符になっていた。指定席も空いていたのに。謎です)

 (おまけ) そろそろ衣替えの時期ですね。

10月6日
 前期末成績付け一応終了。
 国語の試験で思わず苦笑いしたのは、「可能性をシサする」の書き取り(正解は「示唆」。英語でいうとsuggestionですね)で、「指差」かそれに近い誤答。これはわざとじゃなくて、たぶん意味は何となくわかっていて「示す」というのに近い「指す」をひねりだしたものらしいからまあ許します。
 でも、「俘虜記」の作者が書いた他の作品名は?という問題で、「俘虜記2」と書くのはやめてほしい……(しかも複数いた)。 (7日 記)

10月1日
 さらに某仕事がらみで、偶然画像のトリミング&サイズ変更がうまく出来るようになる。しかし、私が今すべきなのは答案採点&成績付けなのだが……。
 一昨日から昨日までは舞鶴へ出張。その他ネタはいろいろあるのですが、今日と明日は家に籠もって採点しますので、とりあえず舞鶴湾の写真でもご覧下さい。

9月25日
 車の運転というのは、人生と共通するところがある……と思う。
 運転していると、時々「おいおい、その白フィット、その追い越しはないやろ〜」(実は職場に行く途中で2回無謀運転の白フィットに遭遇している。同一車なのだろうか)とか、追い越し禁止の踏切手前(免許の学科で必ず習いますよね)でロックをガンガンかけた車に猛スピードで追い越されたり、とかいうことがある。
 先日も、変なところに路駐している大型車があって、その蔭から出てくる車数台を待っていたら、後ろに来たVOXYに思いっきりクラクションを鳴らされた。そんなん言われても……。こういう場合は後ろを絶対見ないで堪えるしかない。
 世の中には絶対変な運転の車があるし、普段は安全運転の人でも、何かの事情で運転が荒くなることがあるかもしれない(つまり、いろんな人がいて、時々理不尽なこともある)。でも、とにかく、事故だけはないように、流れができるだけスムースになるように、努めるしかないのである。
 ちなみに、車の名前の由来を調べられるページ(http://www.auto-g.jp/carlife/name_origin/)というのがあって、愛車の名前は「色々な場所に行く」という意味を持たせた造語だそうだ。ごめんね、あんまりいろんな場所に行ってなくて。でも車は満足しているようである(そりゃ、私の運転で阪神高速なんて走りたくないだろう)。

9月21日
 某講習会。「チョーク」と言われたら、普通は「chalk」(これは高校で習う基本単語。私でも綴りを覚えている)を思い浮かべると思うのだが、「choke」だった。工業英語だと必須なのでしょうね。講習終了後、でもやっぱり私は手作業が好き、と鎌を取りに行って笑われる。(25日 記)

9月19日
  8月31日のネタの追加。久しぶりに大和小泉駅前のスーパーに行ったら、「機械の整備不良のため」駐車場はしばらく今までどおり使えるとのこと。というわけで、運転席の窓から駐車券をとるというのは未だ経験しないままである……。
 (おまけ)就職して2年目の確か4月、民俗博物館近辺に見回りに行ったことを思い出す。

9月16日
 本務に付いてきた仕事その3。立場上名前が入っているため、時々飛び交う凄まじい量のメールを読むことになるのだが、実は私は「蚊帳の外」なのである。プログラム言語もわからないし。まあお陰で某記録だけは細々と更新していたりする。

9月8日
 夏休み明けに行った漢字テスト(120問、でもレベルは中学修了程度)を1クラス分学生に返却。チェックに予想外の時間がかかってしまった。
 一つは、「車両」の「両」を「輌」と書いた学生が複数いたこと。教育漢字としては教えないけれど、確かにこの漢字もある。ほんとは「輛」なんだけど、調べたらこの「輌」の字体もワープロ(Wordや一太郎)では使われているので、結局丸にした(さすが高専という気も。以前クラブの引率をしていたら、学生が電車の窓から駅構内の列車を見て「次はクモハや〜。」とか言ってるし)。
 それから、現代仮名遣いの問題で「ぢ」か「じ」かとか。他にも、今回はなかったけれど、「七転八倒」の読みを出すと、必ず「ちてんばっとう」と書く学生がいるので、「質屋」を「しちや」と読むか「ひちや」と読むかという方言の問題を解説したり。
 私も大学時代、「開合」の問題(簡単に言うと、のばす音について、「様」を歴史的仮名遣いで「やう」、「一向」は「いっかう」、「飛行機」は「ひかうき」と書いたように、auという「開音」と、今使われているouという「合音」との区別が昔はあったということ)の小テストで、「拾う」は「ひらう」っていうから「開音」かな……と解答して、指導教授に「『ひらう』っていうのは方言だね」と解説された上で△をもらったことがある。だから、私もなるべく点をあげる方向でいろいろ調べてしまう。もちろん、「公文書を書く時には注意して」というけれど。とにかく言葉は難しい。(9日記)

9月2日
  〈インターネット接続作業に関する極めて個人的な記録 その2〉  (6日アップロード)

 朝の立ち番→事務的書類の仕事→中学校訪問の後、夜某家に行く。ウイルス対策に、まずWindows Updateをしようと思ったら、「スクリプトエラー」などというものが出てしまう……。ごめん、私の乏しいパソコン知識では手に負えない、でも高専の先生に「Win98やったら大丈夫」と妙に励まされたから、まあとりあえずこのまま使っておいて……と契約者に言ってみる。一応見たいHPがあるそうなので、今回は「キーワード検索」を教えたけれど、使ってくれるだろうか。今のところ3種類ぐらいしか見ていない。じゃあ、私の車の稼働率と一緒か……(大体は@駐車場、A勤務先、B大和小泉駅前、C(たまに)T自動車の販売店、のみの移動。しかも週1回程度)。

 3日、契約しているインターネット接続サービスの会員限定ウイルススキャンサービス(無料)を試してみるが、やはりスクリプトエラーが出る。時間切れで、後で家に帰って調べてみる。主にIEのバージョンが古かったりすると、最近のWebページのスクリプト言語の規格に合ってなかったりして、ページが読み込めないため、そのエラーが出るらしい。契約ブロバイダーのHPで「キーワード検索」をすると固まってしまうのも、バージョンが古いせいかも。確かIEのバージョンは5.0(さすがに4.0ではなかったと思う)だったので、せめて5.5ぐらいは必要なのだろう。でも使用状況から考えたら、無理してバージョンアップするよりこのままの方がいいのかもしれない(今のところ、Yahoo!のキーワード検索では何の問題もなく動く)。

 (おまけ) 前回、契約者が見たいというので、某歌手のHPを「お気に入り」に入れてあげた。そしたら先月末の某新聞に、その歌手とハンナ・アーレントとの共通性という論が載っていた。
 ハンナ・アーレントについては哲学者ハイデッガーの恋人で、ユダヤ系ドイツ人であったため、ナチスの時代にアメリカに亡命した……というぐらいしか知らないが、その論によると、アーレントは主著『人間の条件』で、人間には次のような能力があると述べているという。赦すこと、約束すること、まったく新しいことを始めること、そして――。


8月31日
 9月から変わること。

 《その1》 1日から大和小泉駅前のスーパーの駐車場が有料になる。スーパーのレシートがあれば60分は無料らしいが。ということは、駐車場の入口で運転席の窓から駐車券をとらなければならないのか(実はそんなのやったことない……)。

 《その2》 15日から奈良交通のバスにICカードが導入される。今までのバスカードと同様、プレミアが加算されるし(5000円で利用金額が5700円)、昼間割引もあるという(今日、帰りのバスの目立たないところにチラシがあったのでもらってきた)。最寄りのバスターミナルでは5日から発売されるらしい。ちなみに愛称は「CI-CA(シーカ)」だそうです……。


8月21日
 〈インターネット接続作業に関する極めて個人的な記録〉  (24日アップロード)

 某家が、ケーブルテレビのインターネット接続サービスを契約したものの、設定できない(しないで放っていた?)ままという事実を知ったのが18日夜。すぐ横までLANが来ていたとは。

 19日夜、ほこりをかぶったモデムを見せてもらう。ケーブルテレビの工事の人は「あと、設定だけしてくださいね」と言って帰っていったそうだが、随分昔の話らしい……。で、まず、モデムからACアダプタの線が抜けていたので、それをつなぐ。それから設定用のCD-ROMを入れて設定してみて、一応普通に「完了」と出て、再起動までは行ったのだが、Internet Explorerを開くと「サーバが見つからない」旨のメッセージが出て、接続できない(最初、パスワードを入力する時、「すべて半角」というのをよく見ないで、全部「小文字」で入れてしまったのは私のミスですが)。

 もう一度落ち着いてよく見ると、LANケーブルが見あたらない……。素人の目から見ても絶対「無線LAN」のはずはない。ケーブルテレビの人がLANケーブルも置いていってくれたのかどうか、今となっては確かめようもない(私の契約プロバイダーは、モデムと一緒にLANケーブルもくれたし、最近コネクタのツメ部分が折れたのだが、ただで代替品を送ってくれた)。
 それから、設定用のCD-ROMや説明書と共に、LANボードの説明書とそのドライバ設定CD-ROMも出てきたけれど、これもちゃんとインストールしたのかどうか不明。パソコンのできる人なら設定を確かめられるのだろうが。私の使っているパソコンとは勝手が違って、このパソコンは「ベーシックモード」になっていて、コントロールパネル等も開けられない。一応、ハード的にLANボードが入っているかどうか、本体を開けて確かめていたら、契約者は私にパソコンを壊されると思ったらしく、何するねん、みたいな文句を言う。考えたら、私も高専に来た最初の頃は、他の先生が本体を開けているのを見て「すごいことをするなあ」と驚いた覚えがある。今では当たり前になってしまったことに心の中で苦笑する。

 20日に三宮の星電社でLANケーブルを調達(LANボードの説明書に「場合によっては『クロス』タイプのケーブルが必要」なんて書いてあるので思わず店員さんに確認してしまったが、大体は「ストレート」でいいそうです)。夜にそれをつないで設定するが、やはり接続できない。
 21日昼、ケーブルテレビのサポートセンター(サポセン)に電話。「では、まずモデムの状態をお調べします」と、少し待たされた後、「そちらからの何らかの接続があったという反応は出ています」というようなことを言う。そんなこともわかるんだ、一応私の作業は無駄ではなかった、LANボードのドライバ設定だけは確認できず心配だったのだがそれも大丈夫だったようだ、とまずほっとする。
 その後、向こうの指示に従い、一旦サーバ名やポート番号を消去後、「……設定をダウンロード」のところをクリック……等の作業をしたら無事その会社のHPが画面に出てきた。で、サポセンの人の解説「お客様の使った設定用CD-ROMが古かったため、現在のものに接続できなかったものと思われます」。すんません、○年間(お好きな数字をお入れ下さい)も放っていたほうが悪いんです……、と思いながらお礼を言って電話を切る。
 その日に奈良に帰らなければならなかったので、Windows Updateをする時間はなかった(きっと数十の更新が必要に違いない、と思ってやめた)。まあWin98だし、却って大丈夫かも。でも今ウイルスにかかるときっとパニックになるだろうな、どうか次に私がWindows Updateをしに帰るまでウイルスにかかりませんように……(お祈り)。


8月20日
 いとこ姉妹と夕食。そのうち一人は国際結婚して普段はフランスに住んでいる。久しぶりに集まったのだから、と写真を撮ったのだが、その従姉の持っていたデジカメは、画面に出る表示がフランス語。当たり前のことだけれど、「わー、フランス語や!」と盛り上がる。

8月9〜10日
 出張のため栃木行き。以下それに関する出来事です。(13日記)

 8/8(前日)
  この数年、あまりの暑さに死に絶えたのか、それとも毎年設置している「コンバット」が効いているのか、ゴキブリというものを拙宅では見かけなかったのだが、今日久しぶりに対面する。その後所在不明。明日家を空けるというのに。留守の間にゴキブリが好き放題していそうでなんかヤダ……。

 8/9
 @東京駅にて。初めて新幹線→新幹線という乗り換え体験。在来線エリアを通らないから意外に早い。私の乗る列車は「Maxやまびこ」だったのだが、前半分は「つばさ」だし、なぜか目指す車両にグリーン車のマークが付いている。実は2階建て車両で、1階が普通車になっていた(眺めが悪くてちょっと残念。初めて通った上野駅の地下ホームが妙に暗くて怖く感じたのは、1階から眺めたからだろうか)。帰路は「なすの」(これは1階建て)。他にもいろんな列車を見かける。同じ路線でこんなにいろんな列車が走っているとは。(後日、「初めて東北新幹線に乗った〜!」と言って同僚に笑われる)

 A宇都宮に着いたら、雨(しかもかなり土砂降り)。考えたら天気予報を見てこなかった(関西はひたすら暑かった)。でも、地元民と思われる人々も、二人でビニール傘に入ったり、雨宿りをしていたりしていたので、予報以上に降ったのだろう。少し小止みになってから、持っていた晴雨兼用傘で何とかホテルまで歩く。
(次の日も雨でした。悪天候の中、頑張っている学生に感心。)

 B次の日に東京駅で姉と待ち合わせをしており、その関連で姉からホテル気付でFAXが届いたのだが、ホテルの人が付けたメモには宛名が「スズキ様」になっていた……。気づいたフロントの人はとっても恐縮していたので「いや、時々間違えられるんですよ」となぐさめてあげる。

 Cめずらしくテレビのスポーツニュースなんぞをゆっくり見ていて、佐々木投手と清原君とが同い年(共に昭和58年高校入学)というのは意識していなかったなあと思う。

 8/10
 @目指す陸上競技場に行くため、東武宇都宮線に乗る(インターネット検索では、JR宇都宮駅〜東武宇都宮駅間は「徒歩31分」とあったけれど、20分もあれば歩けます)。西川田駅で降りたら、何と自動改札じゃない(昔親戚の家に行くのによく乗っていた「神戸電鉄」の駅のイメージ←マイナーな比喩ですみません)。
 考えたら昼間は1時間に2本しかない路線。でも乗り継げば浅草まで行ける。帰りは「浅草まで、特急で」と切符を買っている人が二人もいた。どうも「栃木」という土地の地理的な条件をまだうまく把握できていない。(よくあることだが、エリアとして「東北」か「関東」か迷うし)

 A↑の東武鉄道に乗る前に、駅の近くにある教会を見に行く。宇都宮特産の大谷(おおや)石を使った、Mx.ヒンデル氏(函館のトラピスチヌ修道院の設計者として有名)の設計。でも、教会の周りには少々アヤシイ店が。夜に来なくてよかった。

 B陸上競技場に着いたら、催し物の看板に「9〜10日 全国専門学校陸上選手権大会」とあった……。

 C同じく視察に来ている事務の方と会う。と、「あ、◯◯さんからの伝言で、 明日13:00から会議があるとのことです」と言われる。こんなところでそんな伝言を承るとは。二人で大笑いする(実はその会議は18日or19日開催予定のメールが来ていたのだが、急遽変更になったらしい)。まあ、どうせ明日は出勤予定だったし、ついでに連絡したいこともあるから早めに行こうっと(←これが幸いすることをこの時点の私はまだ知らない……)。

 D宇都宮は「餃子の街」で有名。でもそう言われ出したのは最近のようだ。家庭の餃子消費量は全国一で、もともと第二次世界大戦の時に中国に出兵した人々が持ち帰ったのが始まりらしい。私が歩いた範囲では、餃子屋の数は居酒屋と同程度ぐらいの印象だったし、大体夜8時を過ぎると閉まってしまう店も多いような普通の街だった。テイクアウトのお店はもっとあるのかもしれない。
 9日の夜にはやっぱり一応餃子を食べた。油っぽくなくて、確かにおいしかったです。隣の席の男性は常連客らしく、かなり多い量を頼んで「あ、箱も一つ持ってきて。適当に詰めて持って帰るから」と言っていた。
 帰りの列車に乗る前、JR駅前にあるという「餃子像」を見に行ったのだが、宇都宮駅は東半分が空き地だったりして、餃子像のある東口までかなり長い高架橋を通らねばならず、時間がなくて焦った。でもちゃんと証拠写真を撮ってきました。その他の写真もよろしければご覧下さい。


8月6日
 「平成淀川花火大会」と「みなとこうべ海上花火大会」が重なっているこの日の夕方に、それなりの荷物を持って、JR神戸線に乗る羽目になる……(まだ時間が早くて助かった。混雑緩和の面からも違う日にした方がいいと思うんだけど)。

 (おまけ:数年前も、たまたま淀川の花火大会の日、午後8時過ぎにJRに乗り、窓から淀川の花火がよく見えた。塚本〜大阪間を電車で往復するのが、場所取り不要で混雑にも巻き込まれない、一番よく見える方法かも)
 (以上、11日アップロード)

8月2日
 このところ、私の研究室のノートパソコンにハード的にも(これに気付いた時はかなりショック)、ソフト的にもネットワークがつなげなくて困っていたのだが、今日いろいろな方に協力いただいたお蔭で、とりあえず使えるようになった。最後、メールの設定ができなかったのは、「まさか、それはないやろ」と言われたその「まさか」が原因の単純ミス。思い込みは怖い。お騒がせしました。感謝。
 (このパソコンをめぐる騒動には他にもネタがあるのだが、それはまた後日に)

7月30日
 所用(一年点検に出していた愛車の引き取り)のため、京終駅というところで初めて降りる。以前下田駅(当時)に行った時、そこの自動改札機が、ICOCAカードには対応していて、Jスルーカードには対応していなかったのに理不尽さを覚えたことがあったが、無人駅にICOCA専用の機械と、Jスルー専用の機械がぽつぽつと(少し離れて)置かれてあるというのも、何とも言えない風景だった。今風にいうと「ビミョー」ってカンジ?

 夜は高専の吹奏楽部の定期演奏会へ。今回初めて行ったのだが、以前担任をしていたクラスの学生や他の学生も結構来ていて感心する。噂に聞いていた「大向こう」(歌舞伎で掛け声をかける人をこう呼びます)も面白かった。考えたらステージに上がっている人の半分以上を知っている演奏会なんて、プロのコンサートではあり得ないし。パンフレットも面白く作ってあり楽しめました。

7月27〜29日
 クラブの高専大会引率のため富山行き。なぜかこの数年、北陸本線には結構乗っている。というわけで、次回の出張は乗っていない路線の場所を希望(本で調べたら「餃子の街」らしい……31日記)。

7月23日
 いつの間にか夏休みになっていて、21日から毎日、運動部の合宿か試合のはしごをしている。
 先週16日も高専大会の応援で高砂行き(ついでに実家に帰り、親と西瓜(すいか)を食べる。典型的帰省風景)。その前14日には、「女子制服検討委員会」(つい親の気持ちになって、服地の肌触りにつっこみを入れる)。
 このような出来事が続いたからか、学生の様子を見ながら、なぜか自分の高校時代のことをやたら思い出してしまう。歳のせいか。
 (だから今回はうまく文章がまとまらないかもしれない。もしそうなったら読者の皆さん、ごめんなさい)

 昨日の野球の試合、いいもの見せてもらいました。
 他の先生から「できたら応援に行ってやって」と言われ、考えたら今まで一度も見に行ったことがないし、会場も学校から近いし、何とか用事をすませて(ほったらかして?)、少し遅れて急いで見に行く(そのせいか、カメラ忘れた。広報担当としては大失敗……)。
 結果は6−7xでサヨナラ負けだったが、最後まで楽しめた。久しぶりに野球を生で見たし、席もよかった(昔、父に連れられて行った甲子園でのプロ野球は、確か一塁側の、外野に近い安い席だったから、選手の姿は遙か彼方。高校時代の兄弟校との定期戦だって、そんなにいい席が当たることはなかった)。
 で、高校の定期戦での思い出話。同じクラスのA君が投げていて、クラス委員長などから「A君は声援(特に女の子の)なんかがあると却って調子が狂うから」という指示が出て、みんな静かに応援したのだった。

 今日は寝屋川市立体育館(卓球の試合)と、府立高専体育館(バスケットボールの試合)に行く。
 まず、寝屋川市立体育館。
 「人文総合」の私の授業では「道順を説明する」という課題を取り上げる。その時に注意するのは「現地に行ったらわかる、ということもあるが、初めての人にはわかりにくいこともある」ということ。しかし今回の最寄り駅、京阪萱島駅は「現地に行って混乱する」という典型的な例だった。下手に近道を探すのは止めて、多少大回りでもわかりやすそうな道を行くことにする。最後一筋違う道を行きかけたけれど、すぐに気づいて、歩行者専用の抜け道を発見し、何とか試合開始直後には体育館へ。
 卓球は去年も熊野に応援に行った。第一試合は勝ち、第二試合のいいところで、残念ながら府立高専への移動時間(明日もがんばってね)。バスがあればと思ったが、一時間に一本というわびしい時刻表だったので、昼食をとるのも兼ねて、京阪の駅まで戻る。

 さて、電車で一駅移動し、寝屋川駅へ。私は勝手に数年前のJR郡山駅のような雰囲気の駅を想像していて、駅の規模と周辺のにぎやかさにまず面食らう(まあ、再開発か何かしたのかもしれないが)。
 道順も一応調べておいたが、私の手持ちの地図(1991年発行)では「〒」のマークがあったあたりに、郵便局は見あたらなくて、代わりに「寝屋川球場跡地」の石碑を発見。方向は合っているはずなので、その前を通り、市役所が見えたところで左折。その後地図では直進に見えるのだが、実は高低差があり、見通しの悪いスロープを上ることになっていて、途中とーーーーーっても不安に陥る。でも道は間違っていなかった。予定通り府立高専生のお手製らしき橋を、ドンドンドン……と鉄板独特の音をたてながら渡る。HPの写真そのままの正門に無事到着。
 府立高専は大規模な改修中で、通行止めのところが多かった。こういう場合、正門を入ってすぐに体育館があるというのは便利かもしれない。試合の合間に、ふと、正門の方から時計台を眺めて妙に切なくなる。私だって高校生の時代があったんだ……。

7月21日
 深夜、たまたまつけていたテレビの地方ニュースで、出身小学校の名前が聞こえたような気がして、画面を見ると、やはりそうだった。何でも建材に含まれているアスベストの除去作業をするための、事前説明会があったそうだ……。こんな話題でテレビに映るとは。(23日記)

7月14日
 このところ取りかかっていた広報誌の仕事。お陰でやっと昨日できあがった。
 そこで、我流「表紙作りの心得」。
 @写真。とにかく撮っておく。料理と一緒でやはり材料は多い方がいい。スポーツ競技や動物の撮影は、被写体が動き回るのでとにかくたくさん撮ってみる。失敗作が消去できるデジカメはやはり便利。校内風景は、車や人の少ない土日がおすすめです。最近は名刺大のデジカメがいつもカバンに入っている。
 (裏話:今回使った花水木の写真は確か4月の末日に撮影したが、旅行から帰ってきたら花が見事に散っていた。シャッターチャンスも大事です。)
 A色彩感覚その他
 色調は業者にお任せで正解(写真の焼き付けがやや暗かったのだけが残念)。やはりプロの色彩感覚はいい。以前から人のHPやPower Point、年賀状などを見ていて気がついたのだが、まず、ピンク系や赤系の色の使い方がうまい。それから、文字やその背景の「影付き」「ぼかし」等も効果的に使っている。なるほど。
 で、いただいたコメントは……(かなり的を射た表現)。よし、今度は青空をバックに赤色をきかせて作ってみよう(←冗談です)。
 (18日アップロード)

7月12日
 某FDの準備(「なるべく若手の人」で担当するそうだが、私の場合は「相対的に」若いという理由でメンバーに入っている……)。久しぶりにPower Pointをさわる。グラフ機能を初めて使ってみたが、ある傾向が割ときれいに出てきてハマってしまう。しかし、この私がこんなにいろいろパソコンソフトを使うようになるとは。やはり隔世の感がある。
 (ちなみに、自分が車を運転しているというのも未だに信じられない……。)

7月11日
 某大学の編入試験を受けに行った学生のグループから、東京土産のケーキをもらう。ありがとう(なかなか気の利いたおしゃれなケーキで、ほんとに美味しかった。12日付記)。でも、一番嬉しかったのは、同じ大学を4人が受験するというのに、変なライバル意識を持ったりせず、皆で一緒に質問に来たり、いろいろな情報を教え合ったりしていたこと。元担任として、「息子」達の立派な成長ぶりに励まされるのであった。

7月9日
 社会人対象の講座、今年度初回。これまでは「万葉集」にしていたが、今年は趣を変えて、古典ダイジェストのような内容にする。今日は「古事記」である。準備のため、昨日久しぶりに家で調べものをしていたら、「そういえばこの影印本確か持っていたはず……」などということにしばしば思い当たる。実家に置いていたらどうしよう、と思いながらスライド式書棚の奥を探すと、やっぱりあった。他にも、今回の講座には関係ないけれど、ある先生からいただいた28,000円の本も出てきた(忘れていました、すみません……)。これもまた使える。
 昔からなぜか「本は自腹を切って買うもの」と信じているところがあって、やはり図書館などで借りるより、自分の手元にあった方が、必ず見ているように思う。学生時代から買ったり、恩師の退職時にいただいたりして、専門書もかなり揃っている。オーバードクター時代、本をその筋で売れば数ヶ月は暮らせる、と考えたりしていた(今は「国文」関係の図書はあまり売れないだろうが)。お陰で一応売らずにすんだ。またいつかこれらの本をゆっくり読めるだろうか。

7月8日
 職場の健康診断のため、昼から病院に行く。今回は「簡単なコース」(と病院の人に言われた)だったからか、持っていった文庫本(浅田次郎と綾辻行人の作品が並んで収められていたりする)を読んだり、たまたまTVでやっていた「日本一長い木の橋」(=「長生きの橋」として、観光名所になっているらしい……)を眺めたりしているうちにすぐ呼ばれて、予想外に短時間で終了。
 さらに今回は血圧も測り直されなかったし(低血圧の私は、時々値を信じてもらえず測り直される。締め付けるため2回目は却って低くなるのだが)、血液検査も容器に1本分しか取られなかった。ホッ。
 とにかく、健康診断に行く時には本を持っていくことにしている。今週は、神戸からの帰りや、水曜日の夜京都であった生協の会議からの帰りなどの電車の中も含め、結構読書時間があった。一週間に本が2冊読めたというのは最近まれに見る快挙である。

 (おまけ)なぜか金曜日はうちの職場に車が多い。お陰で今日も奥地まで行く羽目に。

7月3日
 ↓と、喜んで実家に帰ると、実家のベランダはこんな感じ。負けた……。
 (まあ、神戸の方が2年目だし、株数も多いけど。もっと肥料をやればよかったらしい)

7月2日
 この春球根を親からもらって育てていた百合の花が満開になる。香りをお伝えできないのが残念。

7月1日
 またまた某仕事がらみで画像ファイルなんてものを扱っている。我ながら信じられない。

6月30日
 またまたパソコンのメモリ不足(2003年9月24日参照)で、この数日、仕事の合間に不要メールをせこせこ削っている。教訓:巨大な添付ファイルは、削除の時も迷惑である……(下手すると削るために必要なメモリさえ足りない事態に陥る)。

6月25日
 @この時期の注意点
 ここに書いておいたら忘れにくいので記しておくが、例年、前期中間試験から1ヶ月ほど、土日出勤には要注意!なのである。というのも、勤務先からほど遠くないところに、紫陽花(あじさい)で有名なお寺があり、渋滞でバスが来なくてひどい目にあったことがあるからだ。
 さすがに午後2時を過ぎると往路はましになるだろう(でも、寺から駅までの復路は、午後も混んでるかもしれない→バスがなかなか駅まで来ないかも)と察しを付けて、午後から自分の車で行ったりしている。
 でも、今日は意外に道が空いていた。6月にしては異常な暑さに、人々も紫陽花を見ようなんて気分にはならなかったのかもしれない。

 A「雀のお宿」続報
 昨日、「うるさい〜!!」と同僚の先生がいきなり文句を仰る。
 実は、雀がその先生の研究室の窓からすぐ上にある、古い通気口らしきところに巣を作っているのだ。以前私が救出した雀(5月26日参照)も、その先生曰く「あ、あれ、飼うてるねん」ということらしい……。それが昨日からえらくにぎやかに、その研究室の窓付近でチュンチュンチュンチュン……と鳴いている。どうも家族が増えた(雛がかえった)らしい。屋上に2羽、巣に雛らしきのが2羽顔を出し、研究室の窓際やらその周りを3羽ほどが飛び回っている。はたから見ているととっても微笑ましいのだけれど、あんなに鳴かれたら、本も読めませんよね。
 ともあれ、無事に巣立つまで、皆さん温かく見守ってやって下さい。

 B「バリューセット」 余談
 下記(16日)とはまた別の「付いてきた」仕事。前任の方から「写真は自分でこまめに撮っておくほうがいいですよ」とアドバイスいただき、一応学校行事や「花シリーズ」なんかを撮り溜めしておいたのが役に立った(ついでに愛車の写真も撮ってみたけれど、これはもちろん使えません)。おまけに、さすがにせっぱ詰まると、今まで苦手としていた画像ファイルの扱いにだいぶん詳しくなったのであった……(プロから見るとまだまだだと思いますが)。(以上、6月28日アップロード)

6月16日
 本務に付いてきた某講演会の仕事(ある先生はこれを仕事の「バリューセット」という……)。停電騒ぎもあったし、もともと人手不足だったのだが、周囲の先生3名が、「あ、行きますよ〜」と、快く手伝ってくださったおかげで何とか終了。ありがとうございます。でも考えたら皆さん、私のこの仕事の経験者ばっかり。別に運命論者じゃないけれど、やはり不思議な感じがする。

6月15日
 試験の答案採点全て終了。とある事情から、69点だとがっかりし、70点だとよかったと思うのは私だけではないはずだ……。(18日アップロード)

6月12日
 試験の採点からの現実逃避 気分転換 に拝見した同僚の先生のブログ。「JR郡山」の語に自動的に付された解説ページには、「福島県郡山市。東北本線の駅名……(中略)……ちなみに水郡線は本数が少なく、雨や雪で頻繁にダイヤが乱れる。」とあった……。

6月7日
 前期中間試験である。授業では、教科書に載っていないのにもかかわらず、プリントで魯迅の「藤野先生」を扱った。去年、自分自身が十分に教え切れてなかったという気持ちがあるからだ。
 清国からの留学生である主人公が、自分と同じ中国人が日本軍により処刑されるスライドを教室で見る。その時周りは日本人学生による万雷の拍手と歓声で包まれている。いわゆる「幻灯事件」のシーン。「この時の主人公の気持ちは?」という問題は、一通り授業でも取り上げたつもりだったが、昨年の試験の出来は今ひとつだった。「多分、みんなはあんまりこういう(大勢の中で私だけが違うという立場におかれた)経験がないんじゃないかな。それはそれで幸せなことだと思うけど……。」と思いながら解説をした。
 百人以上でも十人以下でも、とにかく集まっている人の中で、自分だけが違う立場であり、当時の中国人に対する差別を身にしみて思い知らされるという面と、その中で、何も言えなかった自分に対するやり切れなさと。もし主人公があの時何らかの行動を起こせたとしたら、どう振る舞っただろう。例えば教室で「ぶち切れる」。あるいは、一言ぐらいは言ってあとは冗談めかして終わらせる。でも、それでは「壁」はそのままだ。
 後年の主人公(そして恐らく魯迅本人も)は、藤野先生の思い出に励まされながら、文章を書き続けている。当時は中国国内でも、文化の違う漢民族と満州民族の対立があり、時には、「こんな文章を書いたってどうせ何も変わらない」という思いに囚われることもあっただろう。でも、当時の中国人蔑視の状況にもかかわらず、中国に対する尊敬の思いを抱いてくれる日本人がいた。壁の向こうに信じられる人がいたから、いつかは……と、封建的な社会を変えるために文章を書き続け、少しでも前に進もうとしたのだろう。いつか……。

5月26日
 〈この時期なぜか毎年担当している仕事?らしきものについて〉
 朝出勤すると、「チュン、チュン」という、かわいらしいけれども鋭い鳴き声が聞こえる。あ、また……と思って、鳴き声を頼りに本館西階段の3階に上ると、いた、いた。雀(すずめ)が建物内で迷って出られず、鳴いているのである。今日はなんと3羽も。急いでその辺の窓を開けまくって救出する。
 この時期、本館の3階にはよく雀が迷い込んでくる。記憶をたどってみると、着任した年も助けてやった覚えがある。去年は行き止まりになっている屋上付近に迷い込んでいたので、事務にわざわざカギを借りに行って助けていた。友人(大学院の後輩)にこの話をすると「つづらを選ぶ時は、小さい方を選んでくださいね」と言われた(参考文献「日本昔話(舌切り雀)」)。
 ついでに書いておくと、他にもいろいろ助けたものがある。数年前の夏の夜、帰ろうとしたら、学校の駐車場脇に財布らしきものが落ちていて、よく見たら亀だった。日本古来の「亀甲」(要するに六角形)型の、黒い、二つ折り財布ぐらいの大きさのもの。学校の池から時々出てくるらしく、車にひかれたりしたらかわいそうなので、池に放してやった。これも同僚の先生に「今に竜宮城からお迎えが来ますよ」と言われた(でも来ない。当たり前か)。
 それから、これも帰宅時、手洗いの扉のルーバー部分に蛇がからみついていたこともある。その時はちょうど電気棟の工事中で、地面を掘り返していたせいか、時々蛇が出現していた。それほど大きくはなかったけれど、模様がやや不気味だったので、事務の農家ご出身の方に捕まえてもらう。その後、川原に放してくださったそうだ。
 考えたら「迷い犬」の面倒も見たし、結構いろいろ助けている。今にいいことあるのかな(でもないかも)。

5月15日
 昨日の夜SEIYUでお見かけした男性。以前高専の仕事がらみでどこかでご挨拶した覚えがある。服装もその時とほぼ一緒だ。でも思い出せない。確か前にお会いした時は向こうは一人で、こちらは他の先生と一緒だったような。気になる。でも思い出せない。
 今朝、また気になって考えていたら、やっと思い出した。健康診断でお世話になった校医の先生だった……。失礼しました。(5月22日アップロード)

5月14日
 この春退職された先生の祝賀会。私の前任者になる先生もわざわざ東京からお越し下さった。「車の運転、うまくなった?」と微笑みかけられ、驚いてしまう。このページ、ご覧になっていたのですね。思わず赤面。でもお会いできて楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございました。
 (おまけ:同僚の先生が「ブログ」を始めていたことを知る。なかなか面白いページですので是非探してみて下さい。)


5月3日(旅行最終日)……以下の旅行に関する写真はこちら
 @シスターと共に
  津和野の宿は、去年の夏、熊野で泊まった民宿によく似ていた。まあ大体民宿の造りなんて同じなのかもしれないが。津和野の乙女峠という場所で昔キリシタン弾圧があり、たまたま今日がその慰霊のお祭りの日ということで、15人ほどのシスターたちと朝食を共にする(広島の修道会あたりから来ていたらしい。でも服装以外は普通のおばさま方という感じ)。列車の本数が少ないため、帰りも広島まで一緒でした……。

 A森鴎外と西周
 津和野の町は、こぢんまりしていて、きれいで、1日歩けば十分見て回れる。ただ、ガイドブックに「バスが頻発」とあるのは真っ赤な嘘だったので、森鴎外記念館に行く時だけ、親のためにタクシーを使う。タクシーの運転手さんも親切で、森鴎外旧宅と、その川向かいの西周(有名な哲学者で、森鴎外とは親戚になる)旧宅は、当時の石高(要するに武家としてのお給料)の違いから、屋根の高さなんかも微妙に違うからよく見ておいで、と教えてくれた。ちなみに森鴎外の勉強部屋は四畳半の茶室、西周は土蔵の三畳間。

 Bなぜか見てしまったSL
 ほぼ見学を終えて、町をぶらぶら歩いていると、汽笛の音。「田舎だなあ……」と思っていると、前方に黒い煙、そして近くにいたやはり観光客らしいおばさんたちが騒ぎ出した。ちょうど15:00過ぎ、日に一往復しかないSL「やまぐち号」が発車する時間である。おばさんたちと一緒に、線路の近くまで走る(何せ単線だし、線路の脇がすぐ民家だったりする、別に柵もないようなところなのである)。狙っていたわけではないのにしっかり見てしまった。
 SLが通過し、迫力と煙のすごさに圧倒された後、さて戻ろうか、と横を見ると、母親がいない。どこに行ったのだろう……と思っていると、物陰から出てきた。聞くと「煙がひどいとわかっていたから、ちょっと見てすぐ隠れた。昔SLに乗った時、トンネルを通る時はみんなで急いで窓閉めた」などとのたまう。あの……。普段とは違う、あまりの素早さに思わず笑ってしまった。

 C「新山口駅」雑感
 帰路に就き、また「スーパーおき」の旅を楽しんでいると、親が「新山口駅」に妙にこだわる。最近できた駅なのかと言う。えー、「新」が付くから新幹線の駅なんじゃないの、と適当に返事していたが、列車が駅に着く直前、かなり古びた「郡小」という表示板が目に入る。あ、もしかして「小郡駅」!なんだ、そういってくれればわかるのに……。何で駅名変えたのかな、やっぱり「おごおり」と読んでくれる人が少ないのかな、などと考える。
 乗り換え時間に余裕がなく、結構急いで(帰路の普通乗車券になる周遊キップが自動改札を通らなかったりして余計に焦る)新幹線に乗る。一息ついて外を見ると、線路の数がかなりあり、放射線状のレールに様々な色の車両が入っていたりして、とても大きな駅だった。たぶん駅の見物だけで半時間は楽しめるだろう。SLも停まっているはずだし。山口という土地も観光地で見所がたくさんあるようだ。またの機会に一度ゆっくり来よう。
 新幹線は500系の車両で、時々車内の電光掲示板に「ただいま時速300kmで走っております」などと自慢気に表示される。さっきまで乗っていたディーゼル車が妙になつかしく思われるのだった。

5月2日(承前)
 昨日の雨も上がり、出雲大社へ。今日の出来事からいくつか。

 @まず、玉造温泉→出雲市の移動。駅の待合室で列車を待っていると、地元の人らしきおばさんに話しかけられる。
  「旅行に来なさったんかね?どこから?(というようなこと。方言が入っていて、細かいところはヒアリング不能……以下同じ)」
  「はい。神戸から。今日は出雲大社に。」
  「じゃ、鉄道でまわっとられるんかね?」
  「はあ。」(「鉄道」!?別に「乗りつくしの旅」やってるわけじゃないんだけど……。でも考えたらここはディーゼル(気動車)区間である。「電車」は日本語的に正しくない表現か。)

 A出雲大社。本当は「おおやしろ」と読むらしい。まさに「百聞は一見に如かず」で、見応えありました。本殿前で、自分の身の安全を考え、「交通安全」のお守りを買う(というか、「いただく」というらしいが)。これって、奈良でお留守番をしている愛車におみやげ?(待っててね)。
 一応母親が人並みに、私に「縁結び」のお守りを買ってくれる(ありがとうございます)。しかし、お参り後に立ち寄った、今は廃線となった旧JR大社駅で、いい年をして「わー、線路に下りられる。」「あ、SL。運転席にも入れるんだって。」とはしゃぐ私を見て、母はどう思っただろうか……(親不孝者で、すみません)。

 B今日最後の移動、出雲市→津和野。「スーパーおき5号」に乗る。「スーパー」とは言え、2両編成だし、当然気動車だし(だから車両番号は「キハ187」)、よく停まる。おまけに、ある駅で、乗り遅れそうになった乗客のため、発車しかけていたのに待ってあげたり(確かに、これに乗り損ねると、次の特急まで2時間ほど待たなければならない。この余裕が宝塚線(福知山線)にあれば……)。
 でも海も見えたし、ディーゼル独特の音を聞きながら山間を走っていくのはいいものです。ただし、車内販売もないので、飲料・食料の用意をお忘れなく(普段私は絶対途中下車はしないタイプなのだが、珍しくお茶の調達のため、益田駅で一旦降りた)。

5月1日
 いよいよ旅行に出発。どこが「仕事の周辺」なのかとつっこまれそうだが、一応上代文学を専門としている者が出雲大社に行くのだし、津和野では森鴎外記念館を見学する予定なので、立派な「研修」である。
 今日は新神戸→玉造温泉の移動。途中、米子駅を経由する。何となくホームの感じに見覚えがあるのだった。

4月29日……予告編
 この1ヶ月ほど、本ページの更新ができずにいました(こんなに期間が空いたのは初めてですね。読者の方にお詫びします。個人的なメモはあるのですが)。連休明けには「キハ187系の旅(仮称)」を作成予定(マニアックな書き方ですみません)。しばらくお待ち下さい。

3月24日
 クラブの引率で明石行き。「晴れ男」の先生とご一緒だったお陰か、午後の試合中は雨が降ったものの、結局雨傘は使わずにすんだし、明石海峡大橋も往復ともによく見えた。強風のせいで海には白い波頭がかなり立っていたが、それも眺めとしては滅多にない趣があった。
 それにしても天王寺駅を昨晩11時51分と今朝7時36分に経由するとは……。

3月21日
 今日のことわざ「灯台もと暗し」。某HP、考えたら「移動」より「異動」の方が適当なのでは。ついでに「教官」も「教員」に直してもらおうっと。(3月24日記)

3月17日
 TVのニュースで米子駅が映っていた。すっかり忘れていたけれど、その境線というローカルな列車に、某高専からの帰りに乗ったことがある(何をしに行ったかは書きません。往路で牛を10頭ほど見たのが印象的でした……。就職する以前の話)。で、何が言いたいかというと、単なる思い出話です。でも、巡り合わせって不思議なものだと思う(わかる人にしかわからないネタですみません)。
 (おまけ) 米子駅(たぶん周辺の駅も)では、東京と同様、駅の案内板が「今度の列車」「次の列車」となっていました。関西人の皆さん、どちらが早く来る列車か、わかりますか?(3月21日記)

3月13日
 某宴席。何故か他高専の先生方と名刺&情報交換(「こんな席でJABEEの話はしないでおきましょうね」「FDもやめておきましょうね」と言いながら。でも楽しかったです)。

3月10日
 学生の答案から二題。
 @漢字の書き取り問題。「醸し出す」の「かも」を「加茂」と書いてあったり(「賀茂」はなかった)、「鴨」と書いたり。余白に鴨のイラストを描いてある答案も。絵はうまかったのだけれど。
 A丸山真男の「「である」ことと「する」こと」の内容をふまえて書く小論文。「である」が旧態依然としたプロ野球界で、そこに「する」の発想で登場したのがライブドアだ、という論旨のものが時々ある。しかもあるクラスに集中して。そういえばこのクラスは昨年度教室に某球団旗を飾っていたなあ。野球ファンが多いのだろう、きっと。丸山氏もあの世で苦笑しているに違いない。

3月9日
 以前担任をしていた学生が進路の報告に来てくれる。こういうことがあるとやはり嬉しい。いつか書こうと思っていたのだが、今担当している仕事についても、その学生から、「あとを頼みます」というようなことを何となく言われたことがあった。当時は私がその仕事を担当することなど何も決まっていなかったのだが。やっぱりこれも縁というものか。
 昨日も、ある学生が進路がらみの話で研究室に来た。ふとしたことから、その学生の入学当時の思い出話になり、その出来事を私が覚えていたことに感心された。
 正直なところ、迷うことも、疲れることもある。でも、学生が声をかけてくれることで随分救われている。今の時期はある意味とてもいやな時期なのだが、学生が最後に笑えることを祈っている。

 (おまけ)Webページを印刷したら、右半分ほどが用紙に収まっておらず見事に切れていた(紙を10枚ほど無駄にしてしまう……)。試行錯誤の挙げ句、印刷時に設定をA4の「縦」から「横」に変えるという技で乗り切る。本当は他のやり方があるのだろうが。

3月3日
 この間、近所のジャスコが閉店した。その時は気づかなかったのだが、私の契約している駐車場はジャスコの近くである→ジャスコの閉店に伴い、交通量が激減した→私が車を運転して駐車場に出入りするのが随分楽になった(自転車も減ったし、事故を起こす確率はかなり低くなったはず)……のである。 悪くとれば、「私が運転免許を取ったのを聞きつけて、ジャスコが閉店した」!?まさかね。
 ついでに思い出すと、私が車を買って、そろそろ学校にも一度車で行ってみようかな……という夏休み明け、校門前の道路標示がきれいに塗り直されていて、思わず「郡山警察が、私が免許を取ったことに気づいたに違いない」と考えてしまった(実はそれ以前、右折方法の標示がかなり消えていて、初心者としては交差点のどの位置で曲がったらいいのか不安だった。同僚の先生に「どの辺で曲がったらいいんですか」と聞いたりして。やっぱり今は走りやすい)。
 さらに思い出すと、私の高専への就職が内定した頃、ジャスコの北方の交差点の道路拡張工事をしていて、着任した年にきれいにできあがっていたし、JR郡山駅も確かその頃に改修していた。その後小泉駅周辺もきれいになった。お陰で現在、小泉駅近くのスーパーの駐車場を愛用している。
 ジャスコが閉店して、食品トレイや空き缶をリサイクル回収に出すのは不便になったが、まあ、私の安全運転のためにはよかったのかもしれない……のかな。

2月27日
 ほぼ1ヶ月ぶりに実家に帰る。以下「神戸ネタ」(と勝手に名付ける)。
@最寄り駅の近くでまたまた愛車と同じ車種の車を見かける(2004年11月27日の記事参照)。今度は赤色。特に気をつけて探しているわけでもないのだけれど。
Aまたあやしいはがきが来ている(2004年8月9日の記事参照。いわゆる「架空請求」というもの)。しかも2枚……。今回は「総合消費料金未納分訴訟最終通達書」とやらになっている。手前みそで恐縮だが、やっぱり、消費者教育の講演会をやってよかった。
Bついに親が携帯電話を買うというのでついていった。以前(というか昨日も)新聞でも取り上げられていた、メール機能も電話帳機能も付いていない、説明書さえいらないという機種。同僚の先生も言っていたが、本当は、家電製品などでも、説明書を見ないと使えないというのは消費者に対して不親切なわけで、そういう視点から製品を開発することも大事である。高専生の皆さん、その点もよろしくね(ただし個人的には、親が手続きをしている間、最新式の薄型ケータイに目がいっていたりする……)。

2月20日
 入試である。そこで毎年恒例のお弁当作り(学校にかんづめになるので)。就職してから年に2回(だけ)必ず弁当を作る時というのがあって、以前は入試当日と、某公開講座のお手伝いの時だった。最近は工場見学の時とか、入試直後の待機の日にも作っている。自分が食べるだけだから、だいたいはご飯(冷凍食品の炊き込みご飯を使うことも多い)と、冷凍食品の天麩羅かフライ、それから自分で作ったお浸しと卵焼き(出汁巻き)、前の晩のお総菜の残り、野菜……ぐらいである。作るのはいいんだけれど、「弁当箱に詰める」という行為は普段しないので、ここで結構悩む。分量もいつも少し作りすぎて、入りきらない分が朝ご飯の足しになったりする。年に2回のこの時だけ「お弁当用のホイルが欲しい」とも思う(すぐに忘れてしまうんだけど)。ともあれ、こういうことをやってみると、中学・高校時代に毎朝弁当を作ってくれた母親には改めて感謝する。

2月17日
 Windows Updateで、「インストールの開始中...完了しました」と出るのがいつも気になる。他には「故障中」の貼り紙とか。まあいいんだけど、一応昔「アスペクト」などというものを扱っていた身としてはつい……。

2月16日
 試験問題作成。以前にもあったことだが、だいたいできあがって、FDに保存するために、FDを差し替えて「保存」を選ぶと、なぜかコンピュータがいきなり再起動になる……それからDiskのエラーメッセージが出た後、チェック作業の画面になって、やっと正常なWindowsの画面になる。心配していたデータも一応自動バックアップでちゃんと残っているのだが。Wordだと、FDを差し替えるともっととんでもないことになる。たぶんFDを差し替えたときに、認識していたFDと違うからパソコンが拒否するんだろうな(ちなみにこのVAIOノートは「LAN外」なので、ウイルスにかかる心配はまずない。FDもウイルススキャンしたし)。とにかく夜の8時半も過ぎてからこの現象が起きると心臓に悪い。
 (おまけ:現代文の問題作成に比べたら、大学の「日本語概論」「○○基礎講読」なんかは楽だった……という愚痴はやめて、まあこれで高校の1年から3年まで一通り経験した。「人文総合」は結構楽しんで作りました。乞うご期待?! 20日記)

2月12日
 久しぶりの車ネタ。私が一回に運転できる距離の記録を更新する(片道たった3qだが……)。
 今日、クラブの引率が当たっていて、最初は電車で行くつもりだった。でもよく考えれば今回の試合会場は、私が車の定期点検に行く車販売店から3qほど北に行くだけ。合流地点が一カ所心配だったが、朝起きたら体調も良かったし、思い切って車で行くことにする。
 結果的には無事に帰宅したが、まず朝、駐車場に行くと、車が霜で真っ白。思わず車と見つめ合ってしまう(寒かったろうね……)。こんな場合どうしたらいいのか習っていないけど、とりあえず、エンジンをかけて暖める。それから、使ったことのない「曇り止め」のスイッチも入れてみる(他にも使っていない物はいっぱいある。カーステレオとかTVとか。もちろんリアシートに人を乗せたこともない)。そしたらガラスに付いていた霜はすぐに溶けた。あとは適当にふき取って出発。道もわかりやすかったし、予定より30分も早く余裕で着いた。駐車場もがらがらでよかった。
 帰りも奈良市内はちょっと緊張したけれど、途中からは何回か(といってもたった3回……)走っている道だし、無事に着いた。本当は弓も積んであげられたらよかったのだけど、部員が聞き分けよく、各自持って帰ると言ってくれる(ごめんね、まだ運転に自信がないので。寒い中、皆よく頑張りました。トロフィーは無事に持って帰ったからね)。
 で、問題はそのあと。駐車場まで帰ったら、私の契約しているエリアに別の車が駐車してある……。こういう場合もどうしたらいいのか教習所では習わない。もしさらに他の車が入ってきたらどうすればいいんだ、警察を呼ぶほどでもないだろうし……、と思いながら5分ほど待っていたら、愛想の良さそうな奥さん風の人が「すみません〜」と帰って来た。一応「あの〜ここは契約駐車場なので……」と注意はしたが。
 同僚の先生が、百貨店の駐車場などで自分の車があるはずの場所から忽然と消えている……(実は階を間違えていただけだった)というのは一瞬頭が真っ白になる、と言っていたが、自分の駐車エリアに他人様の車があるというのも焦るものである。逆もまた真なり、かな。

2月9日
 学生とのやり取りからいくつか。
 @「先生、ワインの専門家やったら『ソムリエ』って言うけど、コーヒーの場合、何て言うんやったっけ?」
  「それはバリスタ!(あるいは「バウリスタ」)」(新聞読んでいてよかった)
 A「先生、いくつ〜?」(よくある質問である)
  「いくつに見える?」(とはぐらかす)
  「じゃあ、干支は何?」
  「パンダ!」(とさらにはぐらかす)
 B「先生、お札の『顔』になる方法ってあるん?」(新札発行の時期)
  「お札の『顔』になれない条件はあるよ。確実な肖像が残っていなかったら採用されない。だから聖徳太子は没になった(以前採用された肖像画は、聖徳太子のものではないという説が出てきた)。」
  「ふうん。」(国語の授業中なのだが。こういう質問で感心されるとは……)
 C「先生、出身どこなん?」
  「神戸。」
  「えっ、じゃあもしかして『お嬢』?」
  「まさか。見たわかるやん。」
  「そうやな〜。」(おいおい、そこで納得するのか……)
 D「先生、(いくつかの連絡事項のあと)HPの日記、いつ更新するんですか?!」
   「(うわっ、この学生も読んでいたのか、と思いながら)ごめんね、ネタはたくさんあるんだけど、最近ちょっと慌ただしくて……。」
というわけで、やっと更新しました。もし、このページの更新が滞っている時は、一般教科の他の先生のHPも見て、楽しんでください。先生方の意外な一面を発見できるはず。

2月3日
 明日の授業の準備をしようとして最初、試験まであと3回も授業がある、最後の1回が余ってしまう、おかしい、計算が合わない……と焦る。教養科目は1学年全クラスを担当することが多く、進度をそろえるため、授業時間を曜日毎にきっちり数えて計画しているのに。そこで、2月11日の金曜日が祝日なのを思い出して謎が解けた。やれやれ。
 学年末試験はまだいいんだけど、後期開始から中間試験にかけて、毎年いつも月曜日の授業時間が不足する。せめて「ハッピーマンデー」だけじゃなくて「ハッピーフライデー」も作って、月曜と金曜と交互に祝日にしたらいいのに……というのが私案なのですが、国会で採用してくれないかな。

1月29日
 学生に出している課題「読書の記録」で気になっていた本のチェック。3年生にもなると、中・長編小説も結構読んでいて感心する。いろんなジャンルの本があるので、一応インターネット検索で、漫画じゃないかどうか確認したり、最近流行っている本の情報を調べたりしている。その中のいわゆる「読者レビュー」というもので「……文字が縦書きなのでふつうの小説より読みやすい。」というコメントがあった。???意味不明。
 もちろんインターネット検索だけではなくて、何冊かは自分で買って読んでいる。何人かの学生が読んでいる本の中に「……パソコンを並べた教室を作るなんて予算があるのなら、そのまえにクーラーをすべての教室に設置すべきだし、第一、教室の数が足りないのである。まず、教室を作るべきであろう。そういう基本的な要求は文部省には通らないのだろうか……。」というくだりがあって、この箇所を「印象に残ったところ」なんかに抜き出されていたらどうしよう、などと思う。(2月9日記)

1月26日
 (ひたすら「魔の水曜日」)
 @珍しく昼間家にいたら、玄関のチャイムが鳴る。ドアを開けずに対応したが、「受水槽と水道設備の説明に来た。以前お留守だったので」と言う。うちみたいな集合住宅で、何でそんなものを戸別に説明して回るのか。普通は管理会社か大家さんから事前に連絡がある。「管理人のほうに……」と言っても「管理人は関係ない」と言う。???
 そこでドアは開けないまま「今から仕事に出かけるので、後日お願いします」と言って、管理会社に問い合わせると、案の定全く関係ない業者。管理会社の人も早速マンションの入口に注意の貼り紙をしてくれた。被害には遭わなかったが、やはり余計な時間を費やしてしまった水曜日……。
 明日は「消費者教育講演会」。学生の皆さんも、本当に気をつけてね。

 A学生でも「2」と「3」を見まちがえて、計算を間違った……というのはあるだろう。文章や書類の場合でも、やっぱり確かめませう。(これ、去年の段階で間違ってるんだけど。でも一応去年も会議には私も出ていたからなあ……も一回見直しておこうっと)

1月25日
 朝の立ち番。Y中央道で、「トラックが右折するときに、荷崩れを起こす」という典型を目撃する。幸いうちの学生はみんな歩道できちんと止まっていたし、積荷も、かさは大きかったが軽量の物らしく、すぐに運転手が降りてきて回収していたが。明日、奈良市までの(私にしては)遠距離ドライブを控えている身としても、ちょっと恐かった。

1月19日
 (相変わらず「魔の水曜日」→1月13日記事参照)
 今日は授業もなく、たまっていた添削作業に集中……のはずが、パソコンのトラブルで、時間を費やしてしまう。また「メモリが足りません」のメッセージ(2003年9月24日記事参照)、不要なファイルを消そうとして、結局作業領域が足りなくてフリーズ……。また同僚の先生に何とか復旧してもらう。いよいよメモリを増設することになりそうだ。それにしてもいつも思うのは、私の頭にもメモリを増設できないかということ。せめて作業用メモリだけでもいいんだけど。(1月26日記)

1月15日
 久しぶりに車で学校に行く。実はクラブの用事で10時までに学校に行く予定をしていたが、家の用事をしていたら、家を出るのが遅くなってしまった。マンションの階段を下りながら迷った挙げ句、バスに乗り損ねた場合のリスクを考えて、バス停ではなく駐車場までダッシュすることに。道も空いていて、予定の5分前に無事到着(でも、乗るはずのバスとほぼ同時に学校前着。私が車で通勤するのはガソリンの無駄遣いであることが立証される……)。
 帰りは、天気予報どおり雨の中、走ることになる。正直なところ、今まで雨天時の運転は避けていた(未だに夜も恐い←まだ言っている)。車も「私、こんなにワイパー動かすの、初めて」と思っていたに違いない。でも、学校まで連れて行ってあげた(車なりに学校にも「友だち」(?)ができたようである)せいか、機嫌よく走ってくれた。
 私の偏見で、休日毎に愛おしそうに車を磨く人の気持ちは理解不能……と思っているのだが、こんな下手っぴにつき合ってくれる車にはやはり感謝してしまう。教習中は「車の声をよく聞きましょう」と習っても、そんな余裕もなかったが、慣れてくるとエンジンの音などで、アクセルとブレーキの踏み間違いやサイドブレーキの下げ忘れなどがあっても、すぐに気付く。「あ、ごめん」とつい口に出してしまったり。

 以下、更新をサボっていた今年の出来事です。

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1月13日
 なぜか昨年末のメールを読み落としていて、今日、某会合をすっぽかしてしまいました。すみません……。
 今後の参考にと原因を考えてみたのだが、年末の「ダブル手帳」の時期(新しい手帳に切り替えの時)の為に、転記し忘れたかというとそうではない(古い手帳にも書いていなかった)。
 思い当たったのは「魔の水曜日」(2004年4月28日記事参照)。メールをいただいたのが水曜日で、この日は大学に行く予定はなかったのだが、神戸に帰るつもりでやはり少し急いでいたことと、多分メールを見ている最中に訪問者があったりしたからだろう。連絡が来ないと気になりながら、そのうちに確認しよう……と思って、そのままになっていた。
 来週からは水曜日暇になるので、この呪縛(?)から逃れられるかな。

1月11日
 NHKの某番組を見る。私の実家の最寄り駅は「六甲道駅」。いろんなことを思い出す。

1月4日
 ↓と思っていたら、年賀状は年々縦書きのものが増えているように思う……。

1月2日
 正月休み。学術雑誌のバックナンバーがPDFファイルに収められたDVDで遊ぶ。
 頁をめくる時は「→(End)」キーを使うようになっているが、縦書きの雑誌の画像なので、つい「←(Home)」キーを押してしまう。まあ横書きなら仕様として「→(End)」キーを使うのが当然なのだろうが、何となく不便。縦書き文化はどんどん圧迫される運命のようである。